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2011年3月11日、東日本大震災と福島第一原発事故は、日本の社会運動にとって新たな時代の幕開けとなった。それは単なる災害対応にとどまらず、既存の政治枠組みを超えて「市民」が自ら政治空間に介入する時代の到来として規定された。首都圏反原発デモをはじめ、全国各地で自発的な抗議行動が広がり、日本が「デモがある国になった」という言説がメディアや学者の口から繰り返された。
しかし、この「新しい時代」の中核には、見落とされがちなもう一つの変化があった。それは、「力の行使」の形態と、その正当化の回路が大きく組み替えられたことである。従来、戦後左翼運動における「力」は、「党」によって統制される禁欲的な行使に依拠していた。力は戦略的目標に従属し、権力奪取や社会変革といった長期的目的のために計画的に用いられてきたのである。
ところが、3.11以降の市民運動では、この構造が崩れ始めた。組織的枠組みを持たない「直接行動」が称揚され、力は感情的な衝動や道徳的怒りに根ざす「直情的な行使」へと傾斜していった。これは単なる戦術上の変化ではなく、運動の基盤そのものの変質である。力はもはや革命のための手段ではなく、場当たり的な制裁や敵対者の排除そのものを目的とするようになった。
この変化は従来的な「党」の変質と解体を要求するものであり、言うなれば「革命党」の崩壊を運命づける動きでもあった。本レポートは、これまで調査してきた「野党共闘の研究」を、従来的な左翼──すなわち「革命」の視点から編み直しつつ、3.11以降の市民運動の「反革命的性格」について論じるものである。
政治運動における「力」は、単なる破壊や情動の爆発(すなわち無秩序な暴力)にとどまらず、しばしば組織戦略の中核をなす行為として位置づけられてきた。ここでは、その力の行使を心理学的な区分──「能動的攻撃性(proactive aggression)」「反応的攻撃性(reactive aggression)」に沿って考える。
この区別は、戦後日本左翼の戦術的変化と、近年の変質を理解する上で不可欠である。
① 能動的攻撃性:目的合理的な力
「能動的攻撃性」とは、特定の目的を達成するために冷静に計画され、組織的に遂行される力の行使を指す。政治的には、権力奪取、政策実現、敵対勢力の無力化といった外的・内的な報酬を目的とする。
戦後直後の日本共産党における武装闘争(山村工作隊や中核自衛隊など)は、この能動的攻撃性の典型例であった。しかし1955年の第6回全国協議会(六全協)以降、党は武装闘争路線を放棄し、議会闘争を中心とする合法的手段へと移行した。この転換は「力の完全な放棄」ではなく、その方法論的な転換を意味していた。すなわち、力の行使を議会闘争──選挙運動、議会活動、宣伝戦──において計画的に展開し、体制変革を目的とするよう再編成したのである。
議会路線下では、力は制度内闘争に組み込まれ、徹底的に管理・配置された。その中で「他党派の挑発に乗らない」ための「防衛規律」が重視された。街頭や選挙現場で挑発を受けても感情的に反応することは厳禁とされ、衝動的暴力が党の戦略を損なうことのないよう、規律教育が制度化されていた
これは一種の「平和な軍事訓練」とも言える。党構成員の「力」は、計画的な暴力革命ではなく、日常的な宣伝活動や地域活動、大衆団体を経由した経済文化的活動へと配置された。こうして「力」を束ね、配置する装置として「党」が存在したのである。そしてその正統性は「歴史」、より正確には「歴史法則」に求められた。革命は階級闘争の進展という歴史的必然性を体現する行為とされ、党はその必然を実行に移すため、「力」を配置する装置だった。
力の行使を担う主体は、この歴史法則によって規定され、その資格を与えられた。特定の階級に位置する者が、特定の階級に対して行使できる力として図式化され、明確なルールと設定のもとで展開された。それはゲーム的な構造を持ちつつも、目的合理性を持った秩序的な力の行使であった。
② 反応的攻撃性:直情的な力
もう一つの「力」は、心理学でいう「反応的攻撃性」に相当する。これは恐怖・怒り・憎悪といった情動に突き動かされた、即時的かつ衝動的な攻撃行動である。計画性や戦略性を欠き、その場の感情が優先されるため、しばしば不適切な対象や場面に向けられる。政治的文脈においては、特定の個人や集団への直情的な暴力や罵倒、排除、吊し上げなどがこれに該当する。
この力の行使は極めて個人的であり、それを統制したり配置したりする「党」は不要になる。むしろ、それは抑圧者として嫌悪されることになるだろう。反応的攻撃性の正当性と根源は「個人的感覚」に置き換えられる。革命は歴史的必然の執行ではなく、「モヤモヤ」とした不快感を誰かにぶつけるための直接行動へと変質する。標的は階級敵や体制に限られず、日常的な不満や苛立ちを象徴化できる相手であれば誰でもよい。
これは、政治の戦略化から感情の即時発散へのシフトであり、力の意味を根底から変える転換である。そして、この反応的攻撃性は、その行使の後に得られる変化──すなわち「報酬」によって強化される。SNSはまさにこの仕組みに特化した装置である。人間の最も動物的な神経機能の一つである報酬系を強化し、反応的攻撃性を加速させる。こうして破壊衝動は政治的な力の行使として容易に形成されていく。
この新しい力の行使では、主体は「モヤモヤ」という個人的感覚を持つ者すべてに広がる。それは歴史哲学によって規定されるものでも、当事者性によって制限されるものでもない。極端な例では、ある人とある人が関わる場面において双方が不快感を覚えていなくとも、それを目撃したあなたが不快だと感じれば、当事者でもないあなたはその場面で力を行使できる。つまり、どちらかを罵倒し謝罪させるか、社会的地位を剥奪することができる。
こうした構造は「誤認」を生み出す。常に心理的・肉体的な不調を感じる者が、曖昧で霧がかかったような「モヤモヤ」を抱えていれば、その人は常に力の行使を正当化される。対象は何でもよく、社会運動の理論は「最適な敵」を構築するための方便にすぎない。攻撃対象と「モヤモヤ」の根源が一致しないまま、誤認は横行する。
「党」なき力の行使は、このような個人的感覚にもとづく無分別な攻撃を招くと同時に、それらが「モヤモヤの理論」とも呼ぶべき、理論とは言えない理論、不完全な理屈で正当化され続けるのである。
3.11以降の市民運動を観察すると、議会闘争を主としてきた日本共産党が、共闘あるいは共犯関係を結んでいた市民運動に絡め取られ、より直情的で無分別な直接行動へと傾斜していく様子が見えてくる。
これは単なる戦術の変化ではなく、「能動的攻撃性から反応的攻撃性への移行」である。この移行は「革命党」という形式そのものの解体を意味する。力の行使が歴史的必然性の執行から個人的感情の発散へ変わるとき、組織はもはや理念を具現化する主体でも、力を管理し再配置し効果を高める装置でもなくなる。それは、感情的な群衆を抑圧する「形式」と化し、やがて自らの「モヤモヤ」に突き動かされた大衆によって棄却される運命にある。
結果として、力は社会秩序への挑戦や再編のためのものではなくなり、他者を傷つけ、徹底的に自己目的化された破壊と衰退の原動力となる。言うなればそれは、革命のための「エレガントな暴力」から、モヤモヤを解消するための「粗野な暴力」への転換である。
かつての党細胞は、不平不満を抱えた孤立的な有機体へと変質し、その秩序は歴史哲学によってではなく、一時的で安易な暴力の発露を促す即席のガイドによって形作られる。そこで共有されるのは、「悪」=「力を無遠慮に行使してよい対象」という単純な定義と、その破壊を実演する力の行使のデモンストレーションである。
例えば、ある政治家を「悪人」として体系的に描き出す物語が生産され、その糾弾に使う決まり文句が開発される。さらに、それを物理的な力の行使──選挙戦術や政治活動の手法──として拡散する。標的は政治家や政党に限らず、外国人、日本人、糾弾対象となるメディアや研究者など、あらゆる相手になり得る。それは一種の「仕事」と化し、力の行使を正当化する物語と方法論を生産・配布する存在としてインフルエンサーが現れる。
こうしたインフルエンサーにとって、かつて「党」と呼ばれたものは、効率的な扇動のための家畜場にすぎない。そこには、よくできた管理システムと、孤立しながらも集められた、群れとは言えない群れが用意されている。インフルエンサーは扇動によってこの群れを移動させ、力の行使──デモや抗議行動──へと向かわせる。それによって、彼らは自らの正当性と力量を誇示し、「党」はもはや理念や戦略の主体ではなく、「動員」のための家畜場へと成り下がるのである。
こうした変質は、「革命のための暴力」から「個人的不快感の解消のための暴力」への移行であり、「革命党」を単なる「家畜場」へと再定義する、左翼における時代的転換を示している。それはマルクス的時代の残滓から完全に主導権を奪い去った「新しい暴力の時代」である。
すなわち、「党」の時代から「煽動」の時代へ──全人的で継続的な命がけの闘争から、気まぐれな一回きりの憂さ晴らしと自己破滅への誘導へと変わり、日常的で小刻みな攻撃の連続によって構成される粗野な暴力へと移行したのである。
3.11以降に顕著となった「新しい暴力」は、若年過激活動家やSNS空間での自然発生的な感情爆発だけでは説明しきれない。過激で直情的な行動様式をもつ人々が社会的に可視化され、しかも継続的に活動し続けられた背後には、それを下支えする資源供給者の存在があった。資金、物資、会場、人脈──こうした基盤は、いずれも外部からの注入なしには維持できない。
その主要な担い手となったのが、命のやり取りを伴わない「仮想的な暴力文化」に初めて深く浸った世代、すなわち団塊の世代とその前後の層である。彼らが再び政治活動の表舞台に現れたのは偶然ではない。2015年、安保法制反対運動が全国的に高揚した時期は、ちょうどこの世代が定年退職を迎え、なお身体的活力と経済的余裕を保っていた時期と重なっていた。しかも、登場した争点は「安保」という、若き日に彼らを政治的熱狂へと駆り立てた象徴的テーマであった。こうして条件が揃った層は、再び「闘争の再来」を求めて動き出したのである。
この世代の一部は、政党・政治団体・個別活動家への寄付、街頭行動への参加、メディア消費などを通じて、「モヤモヤ」に駆動される直情的な中年・若年活動家を下支えした。市民連合に代表される高齢活動家や諸団体と、それらの資源を受け取った若年活動家との結びつきは、その象徴的な事例である。こうして高齢世代は、「新しい暴力」の経済的・物質的基盤を提供する役割を担った。
一見美しいこのような次世代とのつながりと時代への関与を、私は「世代的敗北」と呼びたい。
ここで参照すべき理論がある。心理学者エリク・エリクソンは、中高年期の発達課題としてジェネラティビティ(generativity)を提示した。これは、自らの経験・知識・資源を次世代に引き渡し、共同体の持続的発展に寄与する衝動を意味する。通常は子育て、教育、地域活動、ボランティアといった形を取るが、政治的領域にも適用できる。すなわち「政治的ジェネラティビティ」と呼べるものを仮想するときにそれは、年長世代が自身の政治的理想や戦略を、制度化された形で次世代に継承する営みと捉えることができるだろう。
団塊世代の場合、この理想の核は1960年代後半〜70年代初頭の学生運動・反戦運動にある。当時の運動は暴力と密接に結びつき、路上での直接衝突や大学封鎖は青春の象徴だった。3.11以降の反原発デモやカウンター運動は、彼らにとって「闘争の再来」に映り、郷愁と自己実現欲求を同時に刺激した。
人々が退職後に手にした時間、年金、人的ネットワークといった余剰資源は、若年過激活動家への支援に振り向けられた。その復活は、「党」を媒介としない「直接行動」文化の拡張であり、戦後左翼が能動的攻撃性を制度的に管理してきた枠組みを迂回するものだった。
しかし、この継承は、団塊世代が社会の中で培ってきた「秩序的な力の行使」を切り捨てるものでもあった。本来、彼らは「党」を「会社」、「革命」を「経済活動」に読み替え、抑制的かつ禁欲的な行動によって社会や経済を支えてきた。その秩序だったエネルギーは、組織や制度の安定をもたらす力だった。だが次世代に渡されたのは、理念や長期戦略を欠いた直接行動への資源提供だった。
この動きは、100年の歴史を自称する「党」にも直接的な影響を及ぼした。数十年にわたって続けられてきたチラシの全戸配布が中止され、「党」がYouTube視聴はビラ配りと同等と言い出したとき、高齢活動家の長年培ってきた技能は「党」において無価値なものとなった。
こうした活動家は、党費と機関紙代を徴収される「古びた財布」として扱われ、機関紙ネットワークを維持するための消耗品のように使われていった。何十年も地域に貢献し、機関紙を配り続けた党員が配達中に命を落としても、その死はわずかな扱いしか受けない一方で、活動歴の浅い路上活動家の早逝には、機関紙の紙面が大きく割かれた。
「党」は党員を文字通り「細胞」として扱い、古く固くなった角質を剥がすように次々と使い捨てるようになった。そして寿命が尽きかけた組織は、残されたわずかな時間を延命するために、党員の最後の財産にまで手を伸ばし、「遺贈」として搾り取ろうとし始めたのである。
こうして組織は、かつての基盤である高齢層が持っていた「能動的攻撃性」の価値体系を切り捨て、「党」は路上の騒乱やSNSでの煽動を、残された唯一の活動領域として容認するようになった。やがて、高齢活動家の一部は、自らの実存を維持するためにSNS上で「新しい暴力」に染まり、孫や子にあたる世代の他党政治家に罵詈雑言を浴びせ、嘲笑するという、醜悪な晩年を自ら選び取っていったのである。
結果として、この世代の政治的ジェネラティビティは不達成に終わった。エリクソンによれば、この不達成は停滞(stagnation)を招き、次世代への貢献が果たせず、自己完結的・自己没頭的な状態へと陥る。その帰結が、「モヤモヤ」を抱えた高齢活動家であり、彼らの感情的エネルギーの発散場所はSNS空間となった。そこで繰り返されるのは、下劣な言葉の応酬や感情的糾弾であり、建設的な政治的創造ではない。
こうして、理念や戦略を伴わない情動的暴力の供給源が左翼内部に温存され、既存政党の統合力は低下した。結果として、この10年間で左翼の組織基盤は脆弱化し、空白となった政治的ニッチは新興勢力や地域政党、ポピュリズム的ネットワークに明け渡された。これは単なる世代交代の失敗ではなく、「新しい暴力の時代」における組織と世代の双方の崩壊を示すものである。
ここまでの議論を一本の線に束ねる。出発点は、3.11以後に生じた「力の行使」の再編である。戦後左翼が(武装闘争であろうと議会闘争であろうと)「党」によって管理した禁欲的・目的合理的な力は、組織外で称揚される「直接行動」へと置換され、恐怖や怒り、道徳的憤激に駆動される反応的攻撃性が主流化した。これは戦術の揺れではない。革命を歴史的必然の執行とみなす回路そのものが切断され、力は「革命のための手段」から「個人的不快の解消」という自己目的化へ転落した。すなわち、「反革命」である。
この転換を加速したのがSNSだ。即時反応が報酬として行動を強化し、過激さと直情性が活動家の行動を形成する。こうして場当たりの制裁と排除が連鎖し、「エレガントな暴力」は「粗野な暴力」へと劣化する。
ここで登場するのが、正当化の物語と手法を配布するインフルエンサーである。彼らは「悪=無遠慮な力の行使が許される対象」という単純な定義を流通させ、デモンストレーションとしての力の行使を量産する。その結果、「党」は理念を統御し力を配置する主体ではなく、効率的な煽動のための家畜場へと再定義されていく。
この「新しい暴力」が持続し得たのは、背後に資源供給の基盤があったからだ。退職後の時間・年金・人的ネットワークを備え、若き日に「安保」で政治的熱狂を経験した団塊世代とその前後層が、再び「闘争の再来」を求めて資源を注入した。だが、それは本来それら人々が社会の中で体得してきた秩序的・抑制的な力の伝統を、理念と長期戦略を欠いた直接行動へと付け替える作用をもった。政治的ジェネラティビティは、建設的継承ではなく、情動的暴力の燃料供給へと反転したのである。
100年を自称する「党」においてこれは顕著であった。活動方針の転換は、高齢活動家の技能と価値体系を公式に無価値化した。党費と機関紙を支える「古びた財布」として扱い、「党」は革命のためではなく党そのものの延命のために、党員を文字通り「細胞」として使い捨て始める。延命のために「遺贈」までをも求める動きは、その印象を決定づけた。かくして「党」の最後の活動領域は、路上の騒乱とSNSの煽動へと縮減する。高齢活動家の一部は実存の足場を求めてSNSに流入し、「新しい暴力」の担い手へと自己変形する。
こうして見れば、左翼党が希望を見出したはずの3.11以降の市民運動は、じつのところ、「反革命」の工程であったことが分かる。「革命党」を規定した組織は、自らを歴史に無責任なインフルエンサーたちの家畜場に変わってしまった。煽動の技術だけが磨かれていき、全人的で継続的な闘争も、歴史的必然という物語もなくなった。
そして、そのサイクルは今も、路上とSNS、そして胸の奥で発酵し続けるモヤモヤの中で回り続けている。これが「希望の再来」だと信じる者たちに、私はこう告げる。──新しい暴力の時代へ、ようこそ。
公開日:2025年8月12日
原稿作成にChatGPTを用いました