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はじめに
以前からやり取りをしている政治学者の方から「なぜ日本共産党は、過激な活動家を放置するのか。路上で過激な発言や行動を繰り返す人たちを、なぜ除名しないのか」と質問を受けたことがあります。
そのときはすぐに答えられませんでしたが、この問いはずっと頭の中に残りました。池内沙織氏の問題発言や、党周辺での市民運動との関係の変化を考えるうちに、一つの仮説に行き着きました。それが「内製(ないせい)の論理」という視点です。
共産党は戦後一貫して、単なる政党にとどまらない「生活共同体的組織」を築いてきました。医療、教育、労働、法律、文化など、社会のあらゆる領域で自前のネットワークを整え、「党に入れば生活が回る」構造をつくってきたのです。この自己完結型の仕組み=内製の論理が、党の強靱さの源泉であると同時に、外部との接触を失わせる閉鎖性をも生んでいます。結果として、過激な行動を取る活動家さえも、党内の“資源”として保持し続ける理由がここにあります。
1 内製の論理と「共産党家族」
戦後の共産党を支えたのは、「党の中で生活が完結する」社会的ネットワークでした。医療、法律、経営支援、教育、若者団体、婦人団体、演劇・音楽団体・・・。こうした関連組織群が全国津々浦々に存在し、党員の生活を支えました。
この仕組みを存続させていた営業ネットワークが、『しんぶん赤旗』の販売網です。赤旗は情報媒体であるだけでなく、党の思想・経済・福祉・動員の中枢神経でした。配達や集金を担う党員が地域の相談役を務め、医療機関や商工会、演劇公演などへと人々を導く。こうして「生活と政治」が一体化し、党に属すれば社会的依存を外に求めずに済むシステムが成立していました。
その基盤には、家父長制的家族モデルが組み込まれていました。
民青で出会った学生党員が結婚し、夫は職場支部や労組で活動し、個人事業主なら民商で確定申告を行う。妻はパート勤務をしながら、あるいは主婦として新婦人で活動し、紹介された化粧品や生活用品を購入する。子どもは共産党系の学童や演劇文化に触れ、年頃になれば民青に加盟し、恋人を見つける。本を読みたければ『民主文学』があり、党機関誌/紙をめくれば共産党知識人の論考が目に入る。病気になれば民医連の診療所へ。家族は赤旗まつりで全国の物産を買い党の広がりを感じながら、不破哲三氏の講演で感銘を受ける。「共産党家族」は党中央の庇護のもとで一体感を確認する――。ここに共産党の「家族的包摂構造」がありました。
この構造は党の民主集中制と深く結びついていました。家庭において父親が指導権を持つように、党組織でも「党中央=家父」が構成員の生活指導を行う。「赤旗」を読めば、「良いテレビ番組」と「悪いテレビ番組」まで書いている。下部組織は「従順な家庭成員」として指導を受け、異論や多様性は「家庭不和」として抑圧される。こうした構造の延長線上に、「模範的人物(ロールモデル)」としての専従活動家や地方議員、献身的なベテラン党員が配置されてきたのです。
このように共産党は、理念上ではジェンダー平等を掲げながらも、実際の生活構造は家父長制に深く依存していました。共産党員がフェミニストやリベラルを自称することには根本的な矛盾があるのです。フェミニズムやリベラリズムは、個人の自律と多様な価値を尊重する思想ですが、共産党は「夫が稼ぎ、妻が支え、子どもを党文化で育てる」という古典的な家族モデルを前提にした生活保守の革命政党です。
以下に示すようにそれを可能にする構造は崩壊していっても、そのエートスは党内ハラスメントとして今も残存しています。こんな政党にフェミニストやリベラリストが入党するはずありませんし、間違って入党しても離党していくでしょう。その代わり「群れを守る凶暴なオス」たちが寄りついてくるわけです。
2 赤旗ネットワークの衰退と内製構造の崩壊
1990年代以降、冷戦構造の崩壊、社会の個人化と市場化が進む中で、この「内製の共同体」は急速に揺らぎました。共働きや単身化が進み、地域共同体は希薄化。弁護士・税理士など専門職が増加し、民商や自由法曹団を通さずとも有能な士業に出会え、個人で問題解決が可能になりました。医療関係でも専門特化が進み、「民主的なお医者さん」というラベルは価値を失いました。2000年以降は非正規労働の増加で労組自体の力も落ちていき、90年代から続くように自営業も倒産が相次ぎ、民商も危機に瀕していきます。
さらに致命的だったのが、『しんぶん赤旗』の販売網の崩壊です。新聞購読者の減少と配達員の高齢化によって、党が築いてきた地域的接着剤が剥がれ落ち、財政難が直撃しました。
この崩壊は単なる経済的打撃ではなく、「党の包摂装置」の崩壊を意味します。かつて赤旗を媒介として成立していた「運動の供給網」が断たれ、「党員生活」も、「共産党家族」の再生産も困難になりました。民主集中制による指導構造が家庭モデルを失うと、党の統合原理も揺らぎ始めます。
党内の求心力を取り戻すため、「新しい内製」=新しい共同体モデルが模索されることになりました。
3 3.11以降の再内製化――市民運動の包摂と模倣
その「新しい基軸」が、2011年の東日本大震災を契機に広がった市民運動でした。
脱原発、反差別、フェミニズム、LGBTQ、環境問題――政党外部の多様な運動が盛り上がり、共産党はそれを「市民との共闘」と位置づけて接近しました。
当初は市民運動に対しては党員が運動の中核に入り込み、支援的立場を装っていました。首都圏反原発連合などはその典型で、表向きはノンセクト運動でありながら、実際には共産党系の動員が活動を活気づけていました。
このような「潜入期」を通して「運動の内製化」を進めていました。それまで忌避していた新左翼、ノンセクトとの接近を通して、党内文化を変容させていったのです。
ある地方議員が県委員会の学習会についてSNSに投稿しました。「参政党へのプロテスト、カウンターの手法に話題が及ばなかったのは残念ですが、それはまた別に深める機会をもちたい」。
本人は新しい市民運動としてカウンター活動を捉えているのでしょうが、これは暴力的衝突を含むものです。まるで「環境にいいから新婦人で石鹸を手作りしましょう」という感覚で発言しているのには驚きました。
これは外部の文化を安易に党内に取り込み、陥った「錯誤」の典型です。他者の運動を「表面的に模倣」するから、自分が言っていることの帰結が理解できないのです。
4 「なかったこと」になる歴史
このことは「フェミニズム」にも見られます。池内氏の投稿に見られるようなフェミニズム的理解は、第2波的な「女性=被害者」モデルに基づいており、第3波以降の女性の主体性の視点が欠けています(このことは党の埼玉県議団が行った水着撮影会中止の申し入れにも見られます)。他方でLGBTに対する態度は第3波以降の性の多様性を重視したものであり、党が示す理論には混乱が生じています。
池内氏が「自分がどうしてフェミニストになったか」を語るとき、先行する多くのフェミニストたちの存在を忘却の彼方に置き去りにします。彼女はウーマンリブや男女雇用機会均等法をめぐる戦いと葛藤が存在しなかったかのように、自分の母親を通じて1990年の女性の姿を描いていきます。共産党の女性活動家たちは池内氏を見て「今、私たちは真のフェミニストに出会った」と興奮します。その様子は「他なる者」に対する敬意の欠如にしか思えません。
ただし、これは池内氏の瑕疵ではなく、一つの構造的な帰結なのです。ここで見られた構図は実際的にそうなのです。共産党は共産党の外の運動の歴史を語れない。だから、数十年の運動の蓄積を今発見したかのように語るしかできない。そしてそれに純粋な党員たちは感化されるのだけど、これは単純に自分がずっと「共産党家族」の中にいて外を知らなかったという事実確認でしかないわけです。
5 「周回遅れのトップランナー」と「党員=市民」という二重体
重要なことは、この奇妙なサークルの中で確実に「周回遅れのトップランナー」たちが生まれようとしていることです。吉田あやか三重県議が「家父長制はとっととおくたばりください」と中指立てた写真をSNSに投稿するとき、その言葉は恐ろしいほどに軽いものになります。
彼女たちは自分の言葉に血を流すために挑発的な言辞を並べ、自傷するかのように炎上を誘います。歴史の中に自分を位置付けることができないということは多くの流れた血の先に自分がいるという感覚を持てないということです。それならば、今、血を流すしかないのです。
共産党がパッチワークのように新左翼的テーマや理論を繕って作ろうとしている「新しい内製」=新しい共同体モデルは端的に言えば「社会運動のワンストップサービス」です。共産党に入れば、今流行りのフェミニズムが学べて、排外主義と戦えるカウンター活動もできる。SNSでかっこいい写真をアップしてもらえて、あわよくば活動家としてもお金が稼げる。
そのために必要なのは従来と同じように「模範的人物(ロールモデル)」としての専従活動家や議員、献身的な党員となるわけです。その1人が池内氏だった。党に必要なフェミニズム運動のロールモデルだったわけです。
しかし、それら党組織に直接的に関係する人々が炎上上等の現代的な運動のリーダーになるとリスクが高い。
党にとって都合が良いものは、党に所属するものの党と無関係に動いてくれる存在、つまり「党員=市民」という二重体。先般の田村会見が定義したものはこの「党員=市民」という二重体の活動と党の関係だったと理解できます。
結論――過激な活動家を排除しない理由
ここまでの議論で私の回答が見えてくるかと思います。
共産党が過激な活動家を除名しないのは、彼ら・彼女らが新しい内製構造の維持装置だからです。
家族モデルが崩壊した後、党は新しい結束のための装置を必要としました。それが過激市民活動家でした。それら人々は「自立的で現代的な運動家」という外観を持ちながら、実際には党中央の民主集中制のもとで(党からの指導ないしは党からの黙認という恩寵のもと)“模範的ロールモデル”として機能しています。
2011年から始まった「市民運動への支援」は、やがて「市民運動の内製」へと向かいました。フェミニズム、反差別、脱原発、LGBTQ――それぞれが独立した思想と倫理をもつ運動でしたが、共産党はそれらを学ぶのではなく、党の中で再構成し、再利用することで生き延びようとしたのです。
かつて「家庭」を包摂し「共産党家族」を量産しようとしたように、今度は「社会運動」を包摂し「共産党市民活動家」を生産しようとしている。そして、この生産システムの中央に配置されたのが、過激な活動家たちでした。それら人々は党の「外」のように見えて、実際には党の閉鎖構造の中で回る歯車であり、衰退を覆い隠すための装飾でもある。
共産党のこのようなシステムの、最大の特徴は外部の運動に対して敬意を払わないことにあります。外部の思想も実践も、歴史的蓄積も、党の文脈で「再発見」される。かつて闘った者たちの犠牲、流された血や涙も忘却され、努力の上に築かれた運動さえ、「共産党が今学び取った新しい市民運動」として語り直されてしまう。フェミニズムも反差別も、外で積み上げられた歴史を削ぎ落とし、「党が教えるフェミニズム」「党が管理する反差別」へと変形される。多くの活動家の内、「党が認める非党員の活動家」のみが語られ、それ以外は「反共勢力の手下」としてゴミ箱に捨てられる。
その瞬間に、他者は消えます。そして、他者が消えた世界で、自己模倣だけが延々と続く。この自己完結の構造の中では、批判も対話も学習も起こりません。外の理論は「党の言葉」に矯正され、外の痛みは「党の実践」に置き換えられる。
だからこそ、過激な活動家は止められない。それら人々を失えば、「新しい共産党」が崩壊してしまうからです。
結局なところ、これが共産党のいう「新しい国民的共同」なのでしょうが、興味深いことはこの新左翼的な試みが当の新左翼の忌避する「国民」を冠している点です。ふと思い出すのは、311以降、党と市民活動家との結節点であった姫井次郎氏が所属していたのが「国民運動委員会」であったことでしょう。
本質的には何も変わらないし、何も変えるつもりはないのです。共産党の歴史は今も昔も官僚機構が生き残ることを自己目的化したものでしかないのです。
公開日:2025年11月3日
原稿作成にChatGPTを用いました