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2025年8月8日に新宿で行われた参政党の街頭演説会は、日本共産党員を含む一部の人々によって抗議行動を受け、演説が妨害される事態となった。現場では「煙」のようなものを出す器具が使用され、交通のある道路周辺で視界を遮る状況が生じたことから、安全面でも問題が指摘されている。
参政党の安達悠司参院議員は「選挙演説妨害の取締強化に関する質問主意書」を提出し、国会でもこの問題を取り上げる姿勢を鮮明にした。加えて、党首の神谷宗幣議員は「共産主義及び文化的マルクス主義の浸透」に関する主意書も提出しており、思想対立を明示的に政治課題化しようとしている。
松竹伸幸氏は参政党が「総選挙が目前に迫った段階」でこれらの妨害行為をまとめて告発・告訴するだろうと予測する。その根拠は、公職選挙法第225条2号に規定される「演説を妨害し…選挙の自由を妨害」する行為に該当させることができるからである。すなわち、同じ行為であっても選挙期間中であれば一層の法的効力を持ち、警察の対応も厳格化される可能性が高い。
さらに松竹氏は、参政党がこれまで撮りためてきた映像・画像資料を一気に公開することで、共産党員や支持者による実力行使、さらには党幹部との親密な交流を可視化し、世論に強烈な印象を与えると指摘する。これによって共産党は「妨害を容認する党」として国民の前に晒され、反発したとしても結果的に自己矛盾に陥るだろうというのが彼の見立てである(以上、8.8新宿騒動 参政党は共産党告発の時機を窺っているより要約) 。
このような事態に対して、その暴力性を曖昧にしながら、むしろ、このような「力の行使」を誘発する姿勢を日本共産党は取っている。
私としては、松竹氏の基本的な分析に大筋で賛成する。しかしながら、「総選挙が目前に迫った時点こそが告発の最適なタイミングである」という判断については異なる考えである。以下、それについて述べながら、参政党にとっての最善であり日本共産党にとって最悪な局面を考えたい。
議会を通じた長期の戦略
選挙期間中は大手メディアが放送法の「政治的公平性」や公職選挙法の規制に強く縛られているため、特定の政党が受けた被害を一方的に取り上げる報道は慎重にならざるを得ない。選挙妨害が深刻であっても、テレビや新聞が大きく扱うことは期待しにくく、報道効果は限定的となる可能性が高い。その結果、参政党が「被害政党」としての立場を強調しようとしても、世論喚起の面で十分な広がりを得られないおそれがある。つまり、選挙直前を狙う戦術はメディア構造上の制約を考慮すると必ずしも得策ではない。
だからこそ、むしろ参政党にとっては「長期戦」を見据えた戦略の方が効果的であると考える。具体的には、国会の総務委員会や法務委員会において「政治活動の妨害」「選挙の公正確保」といったテーマを継続的に質問し、さらには日本共産党田村委員長の記者会見での発言等を引用しながら、それら妨害行動と日本共産党の関係を議事録に残し続け、政府の見解を逐次引き出していくことが肝要である。こうしたやり取りはすぐに法改正に結びつくわけではないが、議事録や政府答弁として蓄積され、既成事実化していく。
さらに、日本共産党が破防法監視対象である点についても質問し、その監視の範囲がどこまで及ぶのかを政府に答弁させることが可能だろう。加えて、カウンター勢力との関係や、彼らが実際にとっている暴力的行動についても議場で問いただすことができる。
これらの質問の場面は、切り抜き動画やダイジェストの形でネット上に拡散されれば「暴力左翼と戦う参政党」というブランディングに直結する。これは短期的な一撃ではなく、中長期的に党のイメージを固定する戦術として有効である。
最終的には、国会本会議で「公正な政治活動確保に関する決議」を超党派で提出するのが効果的であろう。この決議採決において参政党はカウンター勢力と日本共産党を徹底的に糾弾する。そうした上で日本共産党に賛成か反対かを迫る。
どちらの選択をとっても日本共産党は不利な立場に追い込まれる。賛成すればカウンター活動家との分断を招き、反対または棄権すれば妨害行為を容認する党としてのイメージが固定化する。どちらに転んでも失点となり、参政党が政治的優位に立てる構図が生まれる。
地方議会での追及と「粛清」の効果
右翼と左翼。もともと支持層が重ならない参政党と日本共産党だが、利害が真正面から衝突する場面がある。それが地方議会である。両党とも組織政党であり、国会議員は多数の地方議員に支えられている。地方組織こそが命綱である以上、日本共産党の地方議員は参政党にとって格好の標的となり得る。日本共産党では地方議員が地域事務所の保証人や財政基盤を担っているため、大量落選が生じれば党組織全体に壊滅的な打撃が及ぶ。参政党自身も同様の構造を持つだけに、この弱点を理解しているはずだ。
参政党にとって日本共産党への追及は国会にとどまる必要はない。参政党が議席を持つ地方議会や、参政党にシンパシーを抱く議員・会派、さらには参政党と同様にカウンター勢力に悩まされている議員・会派が存在する地方議会においても、同様の質問や決議を繰り返すことができる。それを長期的なキャンペーンとして展開することで、すべての日本共産党地方議員に、国会議員と同じ決断を迫ることが可能となる。
仮にそこで「公正な政治活動確保」に共感を示す日本共産党の地方議員が現れれば、党中央はSNSを通じて憎悪情報を流し、党員やJCPサポーター、カウンター活動家を総動員してネットリンチを敢行し、事実上の「粛清」を行うだろう。その恐怖を見せつけることで組織としての求心力を高め、同時にSNS上の過激アカウントに栄養を与える。党中央自身はその過程に興奮を覚えるに違いない。そして、そのプロセスが可視化されることこそが、参政党のキャンペーンにとって最大の貢献となるのである――当の党中央はそれに気づかぬままに。
他党「容共派」への追及と見た目の穏健化
ここで留意すべきは、参政党にとって日本共産党を「壊滅」させること自体にどれほど意味があるのかという点である。日本共産党は依然として一定の組織票と反自民の受け皿としての役割を持っているが、参政党がその基盤を完全に崩壊させたとしても、直ちに参政党がその支持層を取り込めるわけではない。
参政党にとってより重要なのは、日本共産党を追及する過程で、他党支持層のうち比較的自陣営に近い保守層を取り込めるかどうかである。ターゲットは当然ながら立憲民主党の中間から保守にかけての層だ。日本共産党を追及する中で、共産党に同情的な「容共派」の立憲議員を炙り出し、同様に批判の対象とする。立憲民主党も暴力的な左翼政党であると強調し、党内を混乱に陥れ、左派と中間派・右派の間の溝を広げることが狙いとなる。
最大のクライマックスは「公正な政治活動確保に関する決議」であり、これは言わば日本共産党と心中するか否かを問う踏み絵である。与党や他の保守系野党が賛成する中で、立憲民主党の多くの議員(国政・地方を問わず)を棄権・反対に追い込むことが参政党のミッションとなる。
その後は「暴力傾向を強めた日本共産党と立憲民主党は同一である」という新しい「立憲共産党」キャンペーンを展開すれば、急進左派以外は立憲民主党から離れるだろう。
このタイミングで参政党は「穏健化」した姿を打ち出す。たとえば、中学3年生が作ったような憲法草案を修正し、より現実的なものに「アップデート」したとして公開してもよい。特に「国民の要件」を大幅に書き直し、中道層にも受け入れ可能な内容に改めるだけでも、党が穏健化したかのような印象を与えることができる。同時期に在日外国人団体と党首が会談し、関係改善を訴えることも有効だろう。
神谷代表は2025年7月のインタビューで、自党を支持する差別主義者について「彼らはいずれ、(政策や対応が)『生ぬるい』と、私たちに怒ってきますよ」と語っており、極右支持層をいずれ切り捨てることは織り込み済みである。
新しい「立憲共産党」キャンペーンの中で参政党が穏健化を打ち出せば、日本共産党やカウンター勢力からの批判は的外れなものとなっていく。それでもなお、これらの勢力は日本共産党や「容共派」の立憲議員が危機に陥っているがゆえに、参政党への攻撃を続けざるを得なくなる。その結果、「穏健右派政党に対して暴力的なテロを仕掛ける過激左派」という構図を、いっそう鮮明に浮かび上がらせることができるのである。
おわりに
したがって、日本共産党を利用する参政党の最善戦略戦略は、松竹氏が言うような総選挙で一気に叩く方法ではなく、統一地方選までに党のイメージを悪化させ、その基盤を削り取り、長期的に組織力を弱めさせながら、他党派を巻き込みブランディングと支持層獲得に向かっていくことにある。
松竹氏の「総選挙直前の告発」というシナリオにも一定の合理性はあるものの、参政党にとって真に効果的なのは、長期にわたり質問・告発・映像拡散を通じて「暴力左翼と戦う党」というイメージを築きつつ、日本共産党を梃子に立憲民主党など「容共派」を巻き込み、他党攻撃へと拡張しながら、自らは見かけ上の穏健化を演出することである。その意味で、統一地方選挙は重要な戦略的目標となるだろう。
公開日:2025年8月24日
原稿作成にChatGPTを用いました