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京都からの証言:FREEの実像

A-n-I/31-7

前書き

「「東大自治会全学連脱退事件」の真実①:X氏のインタビュー(A-n-I/31-6)」がSNSで拡散されたようで、ある方からメッセージが届きました。私たちはこれまで「FREE 高等教育無償化プロジェクト」について首都圏で活動していた関係者の証言を紹介しました(A-n-I/31-5)。メッセージはそれに対して京都の大学関係者からの証言です。送信者は顕名で実在の人物である確認が取れています。今回はひとまず、メッセージを紹介させていただきます(ご本人に確認した上で一部内容を伏せています)。

X(Twitter)にて、「さざなみ」というユーザー名のアカウントが蒲生様のサイトをシェアしておられたことをきっかけとして、同サイト上に掲載されたいくつかのレポートを拝読いたしました。とりわけ、「FREE」の活動に関する「QQ」さんへのインタビューは、私も2020年から2022年まで京都の「FREE」組織で活動していたことから、興味深く拝読いたしました。

「QQ」さんのインタビューでは、「FREE」は東京の学生運動であるとされておりましたが、実際には、京都や熊本にも系列組織が存在しておりました。もっとも、日常的な活動は東京、京都、熊本で相互に独立して行われており、組織間の連絡はほとんどなかったのが実際でしたので、「FREE」が東京の運動であったという印象を、東京の組織の中におられた「QQ」さんが持たれたとしても不思議ではありません。また、運動の社会的インパクトという点で、東京の組織が抜きんでていたことも否めません。それでも事実として、京都や熊本にも「FREE」の名を冠した運動が存在していたということをお伝えいたします(既知の事実であれば恐縮です)。

蒲生様は「FREE」を共産党系の運動と見ておられますが、これは概ね事実であったと思います。実際、京都の組織には共産党や民青の籍をもつメンバーが多数在籍していました。また、京都においては、「FREE」内の党籍をもつメンバーと、府委員会青年学生部の職員が情報を共有する会議が隔月程度の頻度でもたれていました。ただし、「FREE」は「設立宣言」(事実上の規約)において特定政党を支持しないことを明言しており、実際の運営においてもこの原則は堅持されていたと思います。具体的には、「FREE」の活動方針の決定に直接党が関与したことはありませんし、「FREE」から民青や党へのリクルートが行われていたわけでもありません。政治家の方を招く企画や、議会陳情の際には、努めてすべての会派に声をかけるようにもしていました(実際、「FREE」が主催した企画には、共産党所属の政治家の方だけでなく、維新の会や民主党系の方も参加されています)。

以上、蒲生様において既知の事実であれば恐縮ですが、かつて「FREE」で活動していた者として、追加的な情報をいくつか提供させていただきました。なお、以上の内容につき、公開を検討される場合は、事前に別途ご相談ください。

末筆ではありますが、「QQ」さんへのインタビューを通じ、「FREE」について、批判的な視点からの記録を残していただいたことに感謝申し上げます。蒲生様の今後のご研究の発展を祈念いたしております。

上記メッセージをいただいたのち、ご本人とコンタクトを取り、インタビューを行うことができました。以下、インタビュー内容を公開いたします。

  • 「Θ」氏について・・・2020年に京都市内の国公立大学に入学した元学生。日本共産党の元党員でFREE京都の事務局を担当していた。
  • 2024年6月上旬、zoomにてインタビュー。この証言録は録音データをもとに文字起こしを行ない、プライバシーに関わる部分等を削除修正した上で、一部、読みやすいように文章を前後の順番を入れ替えるなど編集を行い、証言者に確認を取った上で確定した内容を記載しています(内容確定日:2024年7月6日)

1 FREE京都の実態

蒲生:まず、ΘさんがFREEのメンバーとして活動されてたということなんですが、同時に共産党の党員でもあったということですので、時系列的にお話を伺いたいです。

Θ:はい、そうですね。私も東京のインタビューを受けられた方と結構似てるんですけど、FREEに先に入ったんですよね。ちょうど2020年入学で・・・コロナだったじゃないですか。だから、ちょっと大学には京都にまだいなくて、地元にいたんですけど。その時ちょうどFREEっていう団体があるって知って、それは家が活動家の家だったので。

蒲生:活動家のお家だったんですね。

Θ:そうですね。「民報」に載ってたんです。FREEという団体があると。それに参加しようと思ったんです。

蒲生:キャンパスに行けない時期に入ろうと思ったんですね。

Θ:そうですね。大学入学が決まって、ちょうど何しようかなっていう時期で、社会運動的なものにちょっと興味があったので。特に学費の問題は、大学に入ると直面することですから。その問題に関心がありましたね。

蒲生:それまで社会運動をされていたということは?

Θ:高校では一瞬、関心を持った時期もありましたけど、結局部活動を選んで、実際には活動してなかったです。生徒会にも興味がなかったですね。

蒲生: FREEに入って何かしたいというのがあったんですか?

Θ:結局、運動的なものにコミットしたかったんだと思います。しないとダメだと。親の背中を見てだと思いますが。

蒲生:世代的には、SEALDsや反原発運動などを身近に感じていた世代ではないですよね。

Θ:そうですね。中学生ぐらいの時ですかね。

蒲生:運動的なものは親御さんの背中を見てというところですかね。

Θ:そうだと思います。なんかそういう、ある種のコミットするのか、あるべき市民の姿みたいな思いがあったと思うんです。

 

蒲生:在学する大学がある京都のFREEに連絡を取ったんですか?

Θ: Twitterかなんかで、アンケートがあって。その最後にもし興味ある人は連絡先教えてくださいみたいな。確かメールアドレスを書いて送ったら連絡が返ってくるっていう。

蒲生:京都のFREEも東京のFREEと同じように会員管理はされてないんですか?

Θ:会員っていうのは明確に決まってて、LINEに入ってるんですよね。で、そのLINEに招待する前に一応、こういう団体ですよっていうのを説明してもらって。宣言があるんですけど。理念的なものを謳っている部分と、運営のルールが書いてあるものをもらって。それを読んで賛同できる人が入るという立て付けです。

蒲生:ΘさんはFREEが共産党系の団体っていうのは分かってたわけですよね。このプロセスで共産党の色っていうのは感じましたか?

Θ:多分僕の場合はその共産党系っていうことにあまり当時の高校生の時の僕は、そこがハードルじゃないというのがあったと思います。赤旗よりは民報の方が若干「世俗色」が強いというか。もうちょっと射程が広い感じもありましたし。FREE自体はそんなに共産党色は外から見てる分にはないかなっていうのは当時の僕の認識でした。

蒲生:Θさんの認識としてはいわゆる民青のピンオフした団体だなとか、そういうニュアンスはこの時点であまり感じてなかったんですね。

Θ:感じてなかったですね。民青に対する関心がそんなになかったですし。

蒲生:ご両親が共産党の活動家だけど、共産党ということに対する意識はそんなに・・・?

Θ:なかったですね。

 

蒲生: 2020年はZOOMか何かで学習会を?

Θ:そうですね。僕は1回生の時は運営にもいなかったので、一メンバーって感じで。当時のFREE京都はそんなに頻繁に学習会をしてなかったと思います。どっちかって言うとアウトプット中心でしたね。外向けにやっていく・・・具体的には議会向けにやっていく。アンケートで吸い上げた意見を陳情にまとめて議会に出すことです。議会は年に4回ありますが、実際には年に2回ぐらい出す、それがメインの活動。

蒲生:FREEのメンバーがそれぞれの居住している地域の議会に出す感じですか?

Θ:当時は京都府議会、京都市議会に向けてでしたね。もちろん、将来的には他の地域でも活動したいという理想はありましたが、当時のマンパワーでは無理でした。

蒲生:その時のLINEグループには何人ぐらいいましたか?

Θ:多分30人ぐらいだったと思います。ただ、アクティブに参加してる人は10人未満でした。ずっとそんな感じでした。そのうち、僕らの世代が運営をになっていくわけです。その時に運営として活動するのが大変でした。形骸化していく活動をどうするかが課題でした。

 

蒲生:当時の中心人物はどのような方ですか?

Θ:立命館のLLさんと同志社のPPさんですね。LLさんは今も日本共産党の中央委員会・・・議員秘書で働いています。PPさんは普通に就職されました。

蒲生:この中心人物二人は共産党員だったんですか?

Θ:LLさんはバリバリの共産党員でした。PPさんは共産党員かどうかはわかりませんが、民青には関わりがあったかもしれません。LLさんは当時の青年学生周りの中心人物でした。LLさんは関東出身でSEALDsにも関わっていたことがあると聞きました。安保の時とかに国会前には行ってたらしいですね。

蒲生:年齢が全然違うんじゃないですか?それだと。

Θ:ちょっと上なんですよね。留学されてて、留年もしてたので。だから大学卒業が25歳とかですかね。

蒲生:SEALDsで活動してたとしたら高校生の時ですね。

Θ:そうですね。高校の帰りに行ってたと言ってました。そういうバックグラウンドがある人ですね。そういう学生運動に関係してる人なんです。でも、SEALDsではそんなに目立ってなかったです。1参加者でした。

蒲生:その人たちが中心になって議会に提出する書類とかアンケートを作ってたんですね。

Θ:そうです。

 

蒲生:Θさんはどんな仕事を振られてましたか?

Θ:それがあまりうまくいってなくて、一応分担があったんですが、機能してなかったですね。Twitterとか動かす人もいましたけど、結局コアにいる人たちで回すという感じでした。

蒲生:それだとFREEで凝集性というか、団結感が感じられないですね。

Θ:コロナで実際に会えなかったのが大きいですね。顔見知りじゃないから分からないというのもあったと思います。能動的に入った人は少ないんですよ。民青関連の人が多かったです。最初の段階で民青関連の京都の人に声をかけて集めてたんだと思います。

蒲生:立命館のインタビューを取った時も、民青の中でFREEに参加しないかと声をかけられたと言ってました。

Θ:設立宣言を示して民青の人なら内容に反対はしないと思いますが、「自発的参加」という手続きは取ってたと思います。

蒲生:そうなると結局は時間があるかどうかの問題ですね。

Θ:活動が回り始めると、時間の問題ですよね。

 

蒲生:活動の中で切迫性みたいなのがあったんですか? 「大学生対面授業再開プロジェクト」という組織があって、対面授業を再開させようという激しい思いがありました。FREEはそういう団結の仕方ではなかったですか? 例えば、FREEのグループには、「コロナ禍の学費」をどうにかしないといけないという共通認識や思いが強かったなど。

Θ:「コロナ禍」というよりも・・・。FREE自体はコロナ以前から存在していましたから。東京が2018年、京都が2019年にできているので、団体の理念はコロナと直接関係がないですね。ただ、活動の一番活発だった時期がコロナと重なっていたので、要求にコロナ関連のことを盛り込んだりはしましたけど。

蒲生:FREEの活動には切迫感や緊張感はあったんですか?

Θ:FREEで活動していた人たちの感覚としては、今すぐに実現するとは思っていなかったです。ただ、やらないとどんどん遠のいていくから、今この段階で活動することには意義があると思っていました。

蒲生:それだと組織として盛り上がりを作っていくのは難しくなかったですか?

Θ:難しいというか、あんまり最後まで盛り上がりを作れなかったと思います。特に京都では。

蒲生:東京はメディア出演があって分かりやすかったけど、京都は地味だった印象が。

Θ:地味というのもあるし、僕たちが活動を引き継いでから非常に苦労しました。LLさんの時代に力技でやっていたことを引き継いだから僕たち、苦労して・・・。運動が属人化していて、再現性がなかったんですよ。だから引き継いでから考え直すところが出てきて。

蒲生:東京の人の話を聞いたときにあった山とか谷とかドラマみたいなのは、京都では2020年あたりにはなかったみたいですね。

Θ:結局、京都はあまりメディア出演を目指してなかったこともありますし、東京のような山はなかったです。

蒲生:大学側との折衝みたいなのはあったんですか?

Θ:大学側との折衝もなかなか難しくて、大学単位になっちゃうんですよね。京都という単位でやってると、大学ごとに事情が違うのでミスマッチが生じます。私立と国公立でも違いますし、法人ごとに運営しているので、その大学の学生がやるのが一番いいんですけど。立命館だけがそういうことができる条件に合ってましたね。

 

蒲生:30人いてアクティブな人が10人ぐらいで、それらのほとんどが立命館の学生? 立命館が運営を担っていた?

Θ:運営には一応事務局があって、そこが実質的に回してました。LLさんの時代の事務局は6人ぐらいいて、3〜4人は立命館の学生でした。

蒲生:Θさんが入った時点でFREEはLLさんの友達だったんですか?

Θ:友達というよりは知り合いグループですね。立命館を中心にした団体で、もちろん他の大学の人もいましたが、民青以外のルートで入ってきた人は少なかったです。僕以外にももう一人ぐらいいたんですけど、それは非常にレアでした。そういう人はコミットメントが高くて運営とかに入っていくんですけどね。最初はLLさんの身近なところから始めたというところかなと。

蒲生:地方の団体はそうなりますよね。

Θ:そうですね。範囲としては「京都」でしたね。関西や近畿ではなく、京都という単位で活動していました。FREEの理想は大学単位で活動し、そのネットワークとしてFREEがあるというのが理想なんですよ。できるだけ単位は小さい方が良くて。

蒲生:イメージとしてはもう一つの学生自治会みたいな?

Θ:うーん、「学費に要求を絞った要求団体」としてのイメージです。大学ごとに事情が違うので、理想としては大学単位で組織するのが良いですが、そうなると現実的には小さな団体がたくさんできてしまうんですよね。2人とか少人数での日常活動は難しいので、中規模の単位でやってました。それで京都という単位で活動してたんです。

2 京都に来て〜2020年の活動

蒲生:Θさんの2020年初年度のコミットメントの度合いとしては、週何日とか何時間とか、どれくらいのイメージですか?

Θ:1年目は少なかったと思います。月1回の全体会議に参加する程度でした。

蒲生:月1回の全体会議に十数人が集まる感じですか?

Θ:そうですね。でもスケジュールが合わないことも多く、実際には10人ぐらい参加していたと思います。会議の資料は立命館の事務局が作っていて。PPさんとLLさんが中心になって議案を立案し、議論していました。

蒲生:記憶に残っている議論はありますか?

Θ:特に記憶に残っている議論はあまりないですが、2020年の前期は私立大学の話が中心で、国公立大学の話がほとんど出てこなかったのは若干、不満でした。

蒲生:国公立大学のメンバーが少なかった? Θさんだけだったんですか?

Θ:そうですね、教育系の大学の人もいましたが、あまり来てなかったので実質僕だけでした。でも、後期から僕が京都市内に来たことで状況が変わりました。党なり民青なりと接触するようになり、FREEと関わりを持つようになりました。

 

蒲生:どういうふうに接触を?

Θ:京都市内に来ることを聞いたから「今度会いませんか?」と声をかけられました。親が繋がっているので情報がすぐに伝わったんです。

蒲生:それで、Θさんの大学の学生支部の担当者が接触してきたと。

Θ:そうです。担当の専従がいて、彼らと接触するようになりました。支部と民青で分けているんです。府委員会も噛んでます。民青は府委員会の専従が見て、支部の方は地区委員会の専従が見るって感じです。民青のメンバーと支部のメンバーはほとんど一緒なので、学生とその2人の専従の間で回ってる感じです。それで・・・先に民青に先に入ったんです。民青は前期から入っていて、ZOOMで勉強会をしてました。夏休みに近隣の公立大学にも2世の方(α氏)が入って、同じ地区だからFREEの組織を一緒にやらないかと。民青のメンバーで集まって、FREEの組織を作らないかという話になりました。国公立のメンバーが少なかったので、僕の大学とα氏の大学で最初に組織を作っていこうという話になりました。それは府委員会の専従が主導で、両大学の人を繋げてくれました。同じ地区の支部なんです。それでFREEの大学支部ができたんですね。それ以来、僕とFREEとの関わりは大学支部がメインになってきました。

 

蒲生:以降、 LLさんたちとは別ルートになりますね。

Θ:FREE京都の中で大学単位に近い組織として国公立支部ができました。これからは大学での活動が中心になります。

蒲生:2020年の時点で在学大学の民青の人数はどれくらいだったんですか?

Θ:アクティブなのは3人で。博士の院生もいたんですが、その人はほとんど来れなかったです。フードバンクがあって、あれは接点作りでしたね。フードバンクは民青だけでは体力がないので、メインは党でした。地区単位でやってるので。

蒲生:食料はどこから調達していたんですか?

Θ:協力してくれる人が多かったです。調達は地区の人たちがやってました。民青は当日会場に行って学生用のブースを回すのがメインでした。

蒲生:国公立大学でFREEを作ったのは2020年の後半ですか?

Θ:はい、後半ですね。ただ、あまり人は増えなくて、初期メンバーのままでした。ずっと5人ぐらいでした。学習会を自主ゼミみたいにやってました。週に1回、2時間の読書会をして、学費問題などについて課題図書を決めて読んでいく感じで。なんだかんだ1年ぐらいやってました。

蒲生:どういう本を読んでいたんですか?

Θ:最初は日本の高学費の問題について書かれた本ですね。田中昌人の新書とか。次は矢野眞和の本とか。

蒲生:古典的なところを選んでたんですね。

Θ:そうですね。田中はこっちに近い人だから選んだのかもしれません。矢野の本も図書館で見つけて面白そうだから選びました。

蒲生:FREEでの活動は学生だけでやってたんですね。

Θ:学習会は学生だけが集まって・・・。

蒲生:学生が集まったんだから大学への陳情をしようみたいな話には?

Θ:やろうとは思ってたんですが・・・当時の活動方針がアンケートありきだったんですよ。アンケートの回答数が少ないと表に出せないので。僕の大学でもアンケートを取りましたが、回答が少なかったので職員組合の人には見せたんですがオフィシャルには出せませんでした。

蒲生:Θさんの大学の職員組合って共産党系ではないですよね?

Θ:ないと思います。一応、組合の人と話してこういうことをやってると言って、終わりって感じでした。

蒲生:立命館のLLさんたちがやってるものとは違う感じですね。

Θ:違うと思います。立ち上げた直後で、まずは自分たちが勉強しようという雰囲気だったんですね。

 

蒲生:次の段階として入党があって・・・。

Θ:2020年10月に入党しました。

蒲生:まず学生支部に入ったんですね。

Θ:そうです。メンバーはほとんど民青で一緒の人たちでした。

蒲生:その時の支部長?

Θ:僕の二個上への先輩で、目立つタイプではなく、裏方としてコミットしている感じの人でした。今も府委員会にいると思います。

蒲生:支部ではどんな活動をしていたんですか?

Θ:何してたんだろう・・・という感じですよ。党大会の決定を読み合わせたりすることはありましたが、普段は楽しくおしゃべりしていることが多かったです。

蒲生:党員を増やすとかは?

Θ:そういうのが得意な人がいませんでしたね。地区の専従の人もそういうのが得意じゃないんですよ。

蒲生:基本的に集まって喋ってるだけだったんですね。

Θ:そういう日も多かったですね。サークルみたいな感じで集まって、しゃべって終わりみたいな。

蒲生:東大の自治会のインタビューとは違って、ガツガツしていなかったんですね。

Θ:そうですね。担当の専従の人のキャラクターもあるかもしれませんが、僕の大学の状況自体がガツガツできるほどではなかったです。そもそも自治会も低調で、東大みたいにヘゲモニーとってどうのというのはなかったので。

3 FREE運営へ〜2021年の活動

蒲生:2020年いっぱいまでそんな感じだったんですね。山がないというか。

Θ:はい、山がない感じでした。LLさんたちがバトンタッチで僕たちに変わったのは2021年です。LLさんは2021年に卒論を書いていて、卒業に向けて活動から身を引いていました。ただ、就職先が共産党だったので、党活動からは完全には離れていませんでした。FREE自体は引き継いでくれる後輩がいたので。僕たちみたいな。

蒲生:この状況下でΘさんにバトンタッチして・・・。

Θ:2021年にLLさんが消えるじゃないですか。PPさんはすでに20年で卒業された。そうなると2021年は2020年入学組が回すことになりました。結局のところ、21年前期はLLさんのやり方を踏襲しました。アンケートを作って、それを集計して陳情に落とし込む・・・大変でしたね。アンケートはいいんですが、それを集計して落とし込むというのが大変でしたね。それをやりながら死にそうになりながらやってました。当時、僕たちは6人いましたが、1人は幽霊部員で、実質的に動いていたのは僕ともう1人・・・α氏でした。

 

蒲生:軸が国公立組に移ったんですね。

Θ:はい、「僕」に移りました。

蒲生:結構状況がガラッと変わりましたね。

Θ:そうです。21年、夏頃は非常にストレスを溜め込みながらやっていました。

蒲生:党からのプレッシャーが?

Θ:党からのプレッシャーは一切ありませんでした。党の方も京都の青年学生部は学生運動に対して指示を出しながらやるというノウハウがなかったと思います。昔はあったかもしれませんが、20年になるとなくなっていました。府委員会は傍観してるだけ。専従の人とたまに情報交換する感じで、隔月程度の頻度で会議を持っていました。最初は支部会議で軽く情報を共有するぐらいでしたが、21年の途中からもう少し制度化しようというふうになりました。でも、それもほとんど意味がなかったんです。

蒲生:そもそもどういう情報を交換していたんですか?

Θ:「FREEで今、コレコレをやってます」っていう感じですね。「これをやっていて、これからあれをやろうと思っています」ぐらいの話で、党からアドバイスがあるわけでもなく、本当に話を聞くだけでした。資料もなく本当に喋ってただけです。対面で、府委員会で2ヶ月に1回ぐらい行ってました。でも、FREEの同席してるメンバーも「何しに来てるんだ」という感じになって、3回ぐらいやって終わりました。

 

蒲生:東大の自治会の件とは全然違いますね。

Θ:FREE京都はグダグダしてましたね。京都はそんな感じで、FREE自体もあまり盛り上がってなかったです。ムーブメントとしてもあまりインパクトがなかったです。

蒲生:Θさん的にはモチベーションをどう保っていたのですか?

Θ:義務感でしたね。事務局に入って、この団体を盛り上げないといけないという義務感でした。

蒲生:それだと全く楽しくないのでは?

Θ:楽しくはなかったと思います。唯一良かったのは、人間関係ができてきたことです。20年には一度も会ったことがなかったけど、21年で初めて対面で会ったりして、一緒にご飯を食べたりして、仲良くなっていきました。プライベートで会う人もいれば、活動の中でしか会わない人もいました。関係性は少し深まった感じですね。ただ、いろんな大学の人がいるので、立命の人とかは日常的に会うことはなかったです。

 

蒲生:FREEを入り口に党に勧誘してたんじゃないかと思う人もいますが、実際はどうですか?

Θ:そういうことはないですよ。FREE自体があまりそれを目的にしてないです。少なくとも、僕らが引き継いでからは幽霊部員をどうやって活動に巻き込むかというのが課題でした。でも、あまりうまくいかなかったですね。府委員会でもFREEを通して若い活動家を増やそうというものもなかったですし。建前としては特定の政党を支持しないというのがありました。僕もその原理を守っていました。党に関する情報は交換していましたが、運営方針に関しては党の影響を受けないようにしていました。

蒲生:FREEで新しいメンバーが入ってきたという情報を党に伝えたりしてましたか?

Θ:しないですね。そんなに新しいメンバーが入ってこなかったので。

蒲生:大学側との交渉の情報が党に入るとかも。

Θ:ないですね、そもそもFREEは行政相手の活動が多かったです。京都府庁の人や市議会議員と話すことはありましたが、その内容を党に伝えないといけないということもなかったです。

蒲生:若い団体が党と繋がってて・・・陰謀論的な話は全然違うんですね。

Θ:府委員会もそこまでの術を持っていなかったと思います。

蒲生:持て余してる感はありました?

Θ:それもあったし。当時の府委員会が念頭にあった要求で学費問題があまりなかったかもしれません。コロナ対応に重点を置いてたのかもしれないです。

 

蒲生:FREEで対面授業再開の要求はありましたか?

Θ:一応、学校設備を利用したいという意見もありましたが、メンバーがどうのというのではなく、基本的にはアンケートベースで出していました。

蒲生:そうなると要求を行う上でFREEはアンケート=学生の声に対して受動的だったんですか?

Θ:そうですね。要求はアンケートを元に作っていて、強引にこちらの主張に合わせることはしませんでした。僕はそういうふうにしてて。

蒲生:共産党系だけど党派性がない感じだったんですね。

Θ:そもそも、学費自体はそんなに党派性があるわけじゃないと思います。国政政党も共有している問題ですし。

蒲生:「学費闘争」ではない?

Θ:闘争までは行ってないと思いますね。

 

蒲生:それが2021年の状況ですね。アンケートを集めて届けるスタイルになっていた。

Θ:そうですね。結局、21年前期、僕が大変な思いをしてアンケートをまとめていましたが、これじゃ続かないと思っていました。LLさん的なやり方を転換しないと、新しいメンバーが入ってきても引き継いでやっていくのが難しいと感じました。変えなきゃいけないと思ってたんですね。でも、21年前期はあまり変えられず、僕自身がFREEの運動に疲れてしまった部分がありました。負担が偏っていて、事務局内でギクシャクしていました。

蒲生:後期はどういう方針に展開したんですか?

Θ:後期はアンケートを一旦やるけど、定量的なデータはあまりいらないという方針にしました。意見だけを集めて、自由記述だけで十分と判断しました。実際に出してきたものも中心は記述部分でした。アンケートも作り直しましたし、陳情もしないことにしました。陳情に関しても・・・21年7月の市議会に出した陳情を取り上げてもらって、、自民党や維新、共産、民主などいろんな会派が陳情について意見を言ってくれて、批判的な意見もあったけど、それはありがたかったんですね。市議会の審議風景はYouTubeに上がっているので、みんなで見たらよかったかもしれないですが、結局僕が一人で文字起こしする作業をしていました。苦しい作業でしたが、陳情を出した以上は結果まで見届けたいと思っていました。そういう思いをあんまり共有できてないのかなと思いました。運動に対する熱量の差を感じ始めたんですね。温度差が出てきたんです。事務局の人間として、他のメンバーのことを問題視して「お前らもっとやれよ」となっていって。結局、α氏と対立してしまい、揉めました。前期は平和だったんですよね。活動も盛り上がっていましたし、民青の学生も元気で楽しかったです。後期はその良かったものが崩れていく感じでした。

 

蒲生:前期は平和で楽しかったんですね。

Θ:21年の前期は、地区内で「僕のいた大学の支部」と「その他の大学支部」が一緒にやる機会が多くて。その中で元気な人、μ氏という方がいて盛り上がっていました。その人が中心になって楽しく回っていたんです。その元気な方は独自のプロジェクトをしていて、それを中心に活動していました。ただ、その団体は芸術系の大学関係で作られたもので、僕はその団体にはコミットしていなくて、楽しく遊んでいた方がメインでした。活動としては食糧支援もやってました。あとビラ貼りも結構面白かったです。

蒲生:共産党のビラですか?

Θ:民青や食糧支援のビラですね。コロナで大学に人が少なかったので、いろんな大学にビラを貼りに行ったりしてました。

蒲生:地道な活動ですね。文化祭みたいな感じですか?

Θ:そうですね、文化祭みたいな感じで、学生にとっては楽しい活動でした。

 

蒲生:それが後期になって爆発したんですね。

Θ:民青や党の活動はある程度ルーティン化されていて、システマティックでしたが、FREEでは今までやってきたことがダメだと感じて頭を使う必要がありました。特に秋には外部からの取材も増えて、高校生からのインタビュー依頼なども対応しなければならず、忙しかったです。LLさんなら新聞社やテレビの対応も独断でさばいたと思います。でも僕は組織の意思決定を通すべきだと考えていたので、対応が遅れていました。LINEで投げてもなかなか進まない感じでした。意思決定フローがうまくできてなかったんですね。結局、2021年後期の問題は解決できませんでした。α氏と僕がだいぶん仲が悪くなり、結局決裂してしまいました。α氏も忙しかったと思います。民青もやっていたし、学内の部活や委員会もあった。さらに資格の勉強もしないといけなかったので、大変だったと思います。それでFREEの活動がジレンマになったんですね。

蒲生:これだとバッドエンドに向かっていきそうな感じが・・・。

Θ:いや、バッドエンドですよ。ややこしいのは・・・2人の共通の知人って民青関係になるんですよ。必然的に担当の専従の方にも話が行きました。その結果、大人が介入してきました。そうするとFREEの枠から党の枠になってきてしまうんです。

蒲生:大人の介入でさらにややこしくなったんですね。大人は若者を扱うノウハウがあまりなかったのでしょうし。

4 党の介入と混乱〜2022年の活動

Θ:2021年にはμ氏の団体も揉めていて。メンバーの一人が組織の決定に反したことをやって問題になり、そこでメンバーがμ氏から怒られて。専従の人に話がいくのだけど、悩んでいる人に寄り添えずに潰しちゃうということになり。中心にいたμ氏が党に幻滅して離れて行っちゃって。21年の夏頃にそれがあり、秋から僕たちの方で同じことが繰り返され。僕が非常にダメージを受けて、2022年に入ってからは正式にこの問題に対処する必要が出て。僕がFREEの中で非常に疲弊しながらやっていたのに、あまり寄り添ってもらえなかったことに対する不満がありました。府委員会にこの問題を対応してもらうようにお願いしました。

蒲生:それで、府委員会はどう対応したんですか?

Θ:府委員会に「組織部」というところがあって。党員の揉め事に対処する部署です。府委員会に僕が専従職員の対応をどうにかしてほしいと話を持って行く際、ワンクッション挟んだんです。専従職員が学生党員同士の問題に関して、やってきた事っていうのは「訴願」の対象に当たるかどうかっていうのを府委員会に確認したんですよ。当たるんだったらそれは党の仕事なんです。当たらないんだったらプライベートなんですよ。で、「当たる」っていう回答が来たので、行けるって事で持って行った。当たるって言っちゃったんですね。僕が規約をめちゃくちゃ読んだっていう話なんですけど。・・・府委員会は2022年の7月頃に見解を出してきました。その見解は「お前が悪い」というものでした。僕がαさんにハラスメントをしたということになってしまったんです。

蒲生:Θさんがαさんに差別的なことを言ったなど、外形的に見てアウトということがあったのですか?

Θ:うーん、言い方がきつかったと思います。LINEの文面とか。お互いに喧嘩していたわけで。

蒲生:人権上の問題のある発言があるなどではなかった?

Θ:そんなにわかりやすいものではないですね。α氏が僕との一連のやり取りの中で傷つかれたと、それをハラスメントと認定されて。

蒲生:ハラスメント委員会が立ち上がったりとかした?

Θ:いえいえ。府委員会が勝手に認定して。相手方がそう言っていると。

蒲生:一般社会だとハラスメント認定って丁寧に行うじゃないですか。そういうふうに・・・?

Θ:いや・・・こっちが意見書を書いたくらいです。結果的に3ヶ月くらい寝かされて。その見解に納得できなくて・・・中央委員会に話を持っていきました。

蒲生:えっ! 話大きくなってないですか?

Θ:そうなんですよ、問題が大きくなって。22年の年末までかかって、中央委員会からは「もう一回話し合ってください」と言われ。実質的に府委員会の見解の否定です。府委員会の見解を支持せず、やり直しという形になりました。

蒲生:府委員会は明確にハラスメントとして言われてたわけですよね。それを中央委員会が差し戻して、もう一回話し合ってくださいと。

Θ:そうです。府委員会は、僕の疲労感とか、αさんとの関係で傷ついたことにも思いやりを持つべきでそこに思い至らなかったのは申し訳ない、専従の対応にも問題があったと認めました。

蒲生:ハラスメントの認定は覆されたんですね?

Θ:そうですね、そういう「一方的な話」ではないという結論になりました。

蒲生:そもそも最初の府委員会段階でハラスメント認定されたけど、党員としては処分をされていないのですか?

Θ:処分はありませんでした。口頭注意などの処分もありません。

 

蒲生:α氏はハラスメントを受けたと訴えた。府委員会もそれを認めたけど、具体的な処分はなかった。

Θ:そうです。α氏はハラスメントを受けたと訴えましたが、府委員会からは何も処分は下されませんでした。そういう状況で中央委員会に差し戻されて、再び話し合うことになりました。FREEの内部での対立が、民青関係の人たちに相談されて、党専従の方にも話が行き、その結果、府委員会が介入し、最終的に中央委員会へ。問題が大きくなりました。

蒲生:学生同士が喧嘩をしているわけじゃないですか。党と関係なく、それを党の専従が出てきて仲介し解決するかと思えば逆に揉めてしまい、不服申し立てが行われたら一方的に「Θさんが悪い」っていう結論を出した。

Θ:対応してほしかった内容とずれてるんですよ、全然ずれてるんです。そんなもんです・・・まあ、党職員による仲介自体は私もαさんも受け入れてたんですが・・・問題は、専従職員が仲裁に失敗したってことなんですよね。

 

蒲生:2022年の間は、FREEは何の活動してたんですか?

Θ: FREEに関しては1月ぐらいに先輩が抜けて、その後、まあ一応僕とか残ってるメンバー、いるじゃないですか。まずは新歓やるんですよ。それまでやってたのはやってたんですが・・・1回流れて参加者が集まらなくて、オンラインだったというのもあるのですが。初めて対面でやったんですよね。で、それもあんまり成功しなくて。

蒲生:2021年5月22日に京都市北文化会館かな、新歓開催の形跡がありますね。

Θ:集まってないんですよね。全然集まってなくて・・・1人かな。

蒲生:それは厳しいですね。

Θ: LLさんたちが2020年5月に路上で政治家を集めてアピールみたいなのをやったんです。あれはね、僕は市内にいなかったので行かなかったんですけど、FREE京都の1つの成功体験だったんです。ああいうスタイルが、LLさんがある程度してきた活動スタイルっていうところから、どうしてもモデルになってしまったので。同じようなことをやろうって話はあったんですよ。この時期に。でも、途中で中断しましたね。同じようなことはもうできないみたいな。FREEとして現状では無理だと現状認識に至った感じです。

蒲生:なるほど。

Θ:それでもう1つ・・・22年は選挙がありました。参議院選挙があって。2021年もですけど、そっちは衆議院選挙があったんですけど、選挙に合わせてオンラインのシンポジウム、議員を集めて学費問題を聞くみたいな企画をやってたんです。この討論会がFREE京都としての最後のピークでしたね。

蒲生:オンラインってことは対面でやるよりはそんなに大変ではなかったんですね。

Θ:それはもう大変じゃないですね。あれは、2021年に前例をやってるのもあって、ある程度それを踏襲しながらっていう感じですね。

蒲生:そうなるとLLLさん達がちょっと異常というかイレギュラーだったのかもしれないですね。

Θ:そうですね。結局、ああいう形になるとすごい属人的になっていくんです。「すごい人がいるから回る」みたいな。それでは組織としては持続しないんですよね。引き継いだ人が非常に大変だと思うこともあります。

 

蒲生:その参院選挙では京都選挙区では共産党も振るわずで、立憲に福山さんが当選して・・・。

Θ:22年は僕はもうなんか年初から党と対立状態だったから、あんまり関わってない。民青はやめちゃって。党内手続きにかかってるからその間は党内にはいようっていうことで。党費も払わなくなり、支部会議も出なくなり。実質的には全てボイコットして。だから活動には参加しない。ただ、党員っていうステータスだけをこう、守る。でFREEは一応回してたいう。あんまりこう実際的な活動はできなくなり。どうしてもその3回生なんで。やっぱりそういう、なんかみんながいろいろ忙しくなってくっていうのあったかもしんないですね。

蒲生: 2022年末になぜかFREE京都設立宣言っていうのを延々とツイートし始めましたよね。あれ、なんでなんですか?

Θ:あれは、僕がやってたんですけど。実際的な活動ってのがほとんどできないような状態だったと思うんですけど、そうすると全て止まってしまうじゃないですか。Twitterは多分動かさなあかんっていうところで、ボット化したんですよ。1日に1-2本、なんかそのぐらいの頻度で自動的に投稿されるように設定したんだと思います。あれはせめて動かそうという。

蒲生:最後の抵抗だったんですよね。

Θ:涙ぐましい感じの・・・。

5 そして、離党、FREE京都の終焉〜2023年の活動

蒲生:府委員会へ差し戻す返答が中央委員会から帰ってきたのが・・・。

Θ:2022年12月ですかね。それで2023年1月に一度話し合いになり・・・一応府委員会から謝罪がありました。でも私が離党することになり、終わりみたいな感じです。

蒲生:離党のプロセスとしては・・・?

Θ:規約上の手続きはあるんです。一応意思表示をして、その事情を述べるっていうのがあるんです。私の事情を述べるっていうのは、その1月の府委員会との話し合いで述べたことにしましたっていうことで、一応それで書類を出して承認されましたね。書類をメールでPDFを添付して、終わりです。

蒲生:例の専従の方は何か言ったんですか、最後に。

Θ:一応謝罪の話みたいなやつがあったんで、それで終わりました。

蒲生:ちなみに、ご両親は離党騒動をどう認識してるんですか?

Θ:知ってますよ。最後の話し合いに来ましたから。

蒲生:最後の話し合いにご両親が来たと。どういうスタンスでいらっしゃったんですか?

Θ:もう僕側でしたね。完全にもう僕側に。地域でやってる党員は都道府県レベルの委員会には不満を持ってるんですよ。地域のことを分かってないと。それでも大きな理念へのコミットでやってるという感じですよ。

 

蒲生:FREEは?

Θ:同じような時期に総会っていうのがあるんですよ。年に1回のいわゆる生協の総会みたいなやつです。最高意思決定機関があって、そこで年間方針を決めるんですよね。で、その会議に出て、そこが最後ですかね。対面でやりました。6人か7人ぐらいですかね。場所は西大路御池の公民館みたいなとこで。安いので、京都市の公民館。

蒲生:じゃあそこで終わりってなって。

Θ:そうですね、僕を含め、2021年からずっと中心にいる人たちが4回生になる前だったんで、ちょっと全員、これから中心になるのはきついということで。

蒲生:最後の瞬間は?

Θ:私はだから解散って言ったんですよ。解散したらどうですかって。でも、それは否決されて、結局組織自体は残すって話になりました。

蒲生:メンバーはいたんですか、その時。

Θ:うん、一応いましたけど、その後輩二人が若干やってもいいですみたいな雰囲気があったんですけど・・・。まあ、今、実際やってないので、解散でよかったんちゃうかなと思いますけど。組織は残っちゃいましたね。

蒲生:Twitterを見ると、「2月11日に総会を開催し、来年度の活動の在り方について議論しました。FREE京都の発足以来3年間の活動で得られた経験を踏まえ、一年単位で活動をより構造的なものにする必要があるとの結論に至りました。今後、設立宣言の見直しを含めて議論を深めていく予定です」とありますね。

Θ:それは結構僕の思いが反映されてはいるんです。その時、引き継げるとすれば2人でしたね。でも引き継いでいるのかは微妙ですね。結局、総会自体は新しく次やるとしても、やっぱりそういうことを考えなきゃねっていう確認で終わったんですね。FREE京都は役職者はいなかったんです。いた方がやりやすかったかもしれない・・・建前としても対等な立場でやってるんですよね。事務局だけがあるのですが最後は事務局を残すかどうかも含めて考え直しって感じでした。

蒲生:えっ、それ何も決まってないじゃないですか!

Θ:そうです、何も決まってないんですよ。課題がありますねということだけが確認されて・・・だから僕は解散でいいんじゃないかと思ったんですけど、そうはならなかったです。

 

蒲生:Twitterのアカウント、3月25日に最後の投稿がありますよね。学生調査の報告って。

Θ:画像自体は別の人が作ったんですけど、投稿は僕だったかもしれないですね。

蒲生:この投稿以降、動いてないですね。

Θ:そうですね、実際的には事実上なくなってると思います、京都の組織は。

蒲生:そんなことがあるんですね。

Θ:あるんですよ。だから僕は、解散して今まで繋がりがあったところ、例えば組合さんとか生協とかに解散しましたって連絡するぐらいはした方がいいんじゃないかと思ったんですけど、あんまりそういう感じにならず。

蒲生:FREE京都が今どうなってるか、党の府委員会も知らないんですか?

Θ:まあ、民青とかと重なってる人がいるので、その人に聞いたら分かると思うんですけど。

Θ:正式にどうなったかは把握できてないですね。僕と同世代の人たちが中心でやってたけど、全員卒業しちゃったんで、就職したり進学したりしちゃったので。終始グダグダとして終わった感じで。

 

蒲生:すごいですね、この話。

Θ:僕がやめたのが1月ですかね。だからその直後から松竹さんが暴れ始めて。僕がやめたと思ったら今度松竹さんの問題が京都では出て。学生分野に関しては・・・指導のノウハウがおそらくあんまりなかった。特に私のいた地区に関しては。割と自発的にやらせるみたいな感じですね。指導してもどうせついてこないからっていうのがあったかもしれないですけど。

蒲生:大学の党支部はΘさんが抜けてどうなったんですか?

Θ:その頃には割と人がいたんですよ。20年、21年ぐらいにポチポチ入ってきて、ぼちぼち人がいました。そんなに抜けてないと思います。抜ける理由もそんなにあるのかないのか。

蒲生:活動は停滞してるけどなんとなく・・・。

Θ:学生支部レベルで大きな活動は求められてないと思いますけど、別にそこでは党に入ってくれればいいって感じだと思いますけど。

蒲生:Θさんがその党の活動で入ったりしてた時は選挙がちょうどなかったんですね?

Θ:2021年に衆議院選挙がありました。この衆議院の時は党というか民青でですね、選挙は。選挙に合わせて民青だと中央委員会からアピールが出るんですよ。声明文みたいなやつが出るんです。民青としてはこういうスタンスで行きますみたいな。それはまあ班ですかね、班でまあ共有して、その後に班としての活動計画っていうのを作るんですよ。ただそこは結構裁量はあったと思います。うちの大学は。

蒲生:街頭でなんかしたりとかそういうことがあるんですか?

Θ:しないですね。

蒲生:じゃあ選挙応援っていうのを具体的にしたとか?

Θ:選挙応援は各自ができることをできる限りやろうみたいな感じで、別にゴリゴリ街頭に出てみたいな感じじゃなくて。もちろんそんなことは無理だってわかってるから、各々が例えば友達にちょっと話してみるとかでも全然大丈夫です。

蒲生:駅頭に立ってなんかするとか、そんなことはなかったわけですね。

Θ:やりたかったらやったらいいけど、別にやりたくなかったらやらなくていいですみたいな。どの大学も外形的な活動はそんなにないと思いますけどね。どっちかというと、そのメンバーをいかに増やすかってところだと思いますね。

蒲生:拡大ですね。

Θ:うちの大学ではそこまで追求されてもどうせやらないんですけど。立命だと聞いた話だと性急に民青から党への流れを作りたがってるんやなって思いましたね。うちの大学ではそういうのはなかったですね。

 

蒲生:振り返ってみてFREEに対してどういう感情を持ってるのですか?

Θ:FREEに対してはそんなに・・・。ただ、もちろんまだ東京の組織は生きてるので、あれですけども、京都に関しては東京もそうだけども、どうなんですかね、なかなかその京都に関しては少なくとも運営上はいろいろ問題があったと思ってますけど・・・問題だと思ってるし、僕がその辺を気にしすぎかもしれないですけど、設立宣言で謳っている事っていうのあるじゃないですか。僕はそこに対するこだわりというか、コミットしていくっていうことを重視してたんですよね。ただ、あんまりメンバー見てる感じそういう感じもなく、それは組織の運営としてどうなのかっていうのはありますね。それは党派的なことではないんですよね。FREEは共産党だけじゃなくて、いろんな政党と関係を持ちたいと思って。立憲とか自民党とかもそうだけど、いろんな政党と連携できればいいと思ってます。ただ、党派性は難しくて、実際には共産党系の学生が多かったので、違う毛色の人たちが入ってきた時にどうなるかは難しいところではありますけどね。・・・ただ、そういうのとは違って、そもそもなんですよね。何て言うんでしょうね。

蒲生:もしかして「やる気がなかった」とか?

Θ:笑 ああ、わかります? 言いたいことわかりますかね笑 端的に言えばそうです。やる気があった人もいると思うんで、語弊があるかもしれませんけどね。多分、僕がそういうところを感じていたんですよ。活動に対するやる気というか、なんでやってるのかみたいなところがだんだん・・・。

蒲生:振られたから作業としてやってるみたいな感じになるわけですね。

Θ:活動を0から1を作る人があんまりいなくて、その作業は結構僕がになってて、1にしたやつを適当に5とかにしてもらうっていう感じだったんですけど、それがどうなのかって思ってましたね。

蒲生:東京みたいに党自体もコミットしてるわけもなく。会議はするけど何をしたらいいんやみたいな雰囲気だし。Θさんだけ空回りしている状況・・・。

Θ:そうだと思います。多分僕がその入った経緯も、一番純粋に理念に賛同して入ってきましたみたいな感じなんですよね。他のメンバーは人伝みたいな人も多いんですよ。その辺の差があったかもしれないです。

蒲生:党の府委員会としてもよくわかんないけどやってると、やはり温度感も低くて。その延長で全部が動いてるわけですね。

Θ:そうですね。やる気がなかったというか、そもそも学費っていう問題がどこまで重要なのかっていうのも差があったと思います。

 

蒲生:今、東大で共産党系も含めてノンセクトの活動家も入って学費値下げ反対デモとかやってるじゃないですか。その熱量って京都にあるんですか?

Θ:あれはどうなんでしょうね。うちの大学でもし値上げ検討し始めたら、ああなるのかっていうと、ならないんじゃないかなと思います。局地的な運動っていうのはできるんですけど、ああいうふうに全学でっていうのは難しいような気もしますけど。ただ、その問題意識を持ってる人はいると思いますよ。それを組織できるかどうかは別の話です。FREE京都に関しては結局のところ、組織化しきれてなかったとは思います。東京の方が、おそらく組織というか、課題に対していろんな人が集まってるっていう感はあったかもしれないけど、京都は結構、知り合いみたいなところから脱却できずに終わったような気がしますね。民青周りの人脈に留まった感はありますね。

 

蒲生:党に対して恨みみたいなのはありますか?

Θ:府委員会にはあるかもしれないですけど、僕が離党した直後に松竹さんの話が出てきたじゃないですか。あれも党の手続き的な甘さはすごいあると思いますね。結論ありきの思考みたいなのが結構あるのかなというのを感じました。

蒲生:異論が認められないとか、上から締め付けられてとか、Θさんの事例はちょっと違う感じがしますね。

Θ:政治的な問題じゃなかったとも思いますね。本当に党員間の揉め事と言えば揉め事。揉め事を解決できていないのは共産党全体で見ると全国的にもそうではありますけどね。最近有名なのは富田林とか、草加とか。ああいうのと一緒にするのもどうかな・・・学生の間の稚拙な問題なんですよね。

蒲生:FREEで頑張ってくれた人が揉めてやめるっていうのは党として痛手じゃないですか?

Θ:どうなんですかね、私は党向きの人じゃないので。松竹さんの問題があったらやめてたと思うので、そこでやめてなくてもやめてたかもしれないですね。

*インタビュー後、追記の質問をチャットメッセージ上で以下のやり取りを行いました。

蒲生:FREE京都の会計についてなのですが、どこから資金を得ていましたか? また、予算決算規模はどの程度でしたか?

Θ:会計についてですが、学生の経済的負担の軽減を要求する団体であったこともあり、会費は徴収していませんでした。日常活動でそこまでお金が必要ではなかったので、財政がないことが問題となることは基本的になかったです。予算は組まず、必要な出費があれば事務局のメンバーで出し合っていました。したがって決算もありません。例えば、ビラの作成にかかる費用は、事務局のメンバーで出し合っていました(ビラのデザインは、アドビのイラストレーターが使える党専従の方に、個人的にボランティアでやってもらっていました)。また、私が2022年に日本共産党関係の雑誌に寄稿したときの原稿料は、全額私がいただきました。ただ、FREE京都として将来ゲストをお呼びするようなことをやるのであれば、謝礼をお支払いする必要もありますし、ゆくゆくは財政を作った方がいいという議論も団体内ではありました。民青の場合は同盟費の支払いだけでつながっているようなメンバーもいますし、少額でも会費があった方がメンバーの自覚にもつながるのではないかとも考えられますし。ただ、実際には財政を作るところまではいけなかったです。

お願い・2021年4月19日に「文部科学省に届いた『苦情・要望』についての調査」のレポートをアップロードして以降、SNS上で私への誹謗中傷を含む投稿が、複数回、複数アカウントによってなされました。・その中から悪質なものに関して、不法行為としての名誉毀損が成立しており私に対して大きな損害が発生していることが考えられましたので刑事・民事の両面から法的措置を取るため、発信者情報開示の仮処分申請を東京地裁に行いました。債権者面接及びTwitter社代理人を交えた双方審尋が行われ、2021年6月9日、仮処分命令が発令いたしました。・これに伴い2021年6月17日、Twitter社より当該アカウントのIPアドレスが開示され、プロバイダへの消去禁止仮処分及び発信者情報開示請求訴訟を提起するため、サイバーアーツ法律事務所 田中一哉弁護士に対して委任契約を結びました。・今後はプロバイダとの間での発信者情報開示訴訟となり、契約者の情報が開示されて以降、刑事告訴及び民事訴訟を準備いたします。
・ただし、情報開示訴訟となりますと費用的時間的コストがさらにかかり、損害賠償請求の金額もより高額になってまいります。・不法行為の事実関係を争うかどうかは別にしても、誹謗中傷をされた方も債務が膨大になる危険が高まります。
・以上のことより、私への誹謗中傷に御心お当たりのある方は早急に代理人、サイバーアーツ法律事務所 田中一哉弁護士(連絡先ウェブサイト)にお申し出いただきますようお願い申し上げます・双方で事実関係を確認できましたら、示談も含めて法的措置のあり方を改めて検討いたします。
SNS投稿の引用方法について *以下、TwitterについてはXと読み替えます・公開中のレポートについてSNSの投稿を引用する際、以下の基準で行います。・Twitterの場合は埋め込み機能を用いての引用を認めています。(参考:Twitterサービス利用規約・ただし、レポートはPDF形式が基本のため、この機能を用いることができません。・Twitter社はTwitterフェアユースポリシーを公表していますがこれは米国内でのルールあり,我が国においては著作権法の権利制限規定で公正な慣行による引用(32条)が認められています
第三十二条 公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない。2 国若しくは地方公共団体の機関、独立行政法人又は地方独立行政法人が一般に周知させることを目的として作成し、その著作の名義の下に公表する広報資料、調査統計資料、報告書その他これらに類する著作物は、説明の材料として新聞紙、雑誌その他の刊行物に転載することができる。ただし、これを禁止する旨の表示がある場合は、この限りでない。(出典:e-Gov 著作権法(昭和四十五年法律第四十八号)
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2024年6月2日  公開

6月3日 誤字修正

7月8日 インタビュー追加

本ウェブサイト掲載の内容は蒲生諒太の個人研究成果です。所属機関等の公式見解ではございません。