ハルピン氷祭り見学記

東北育才学校 松下 宏

2008年1月11日、瀋陽北駅を「T157」は定刻の12時46分に発車した。いつもの事だが、待合室の混雑はものすごかった。刃傷沙汰に及ぶ出来事があり、血まみれの女性が連れて行かれるのはショックであった。見送りに来てくれた遼寧世紀国際旅行社の王 永清さんによると、よくあることだと言う。しかし、先行きが心配になった。車中も、ものすごい人であった。予想通り、7人の席はバラバラであった。昼間の寝台列車って、なんか変な感じがするが、横になっていられるので楽であった。

 

瀋陽・日本人教師の会の「ハルピン氷祭り」ツアーの出発であった。

 

参加者は、部屋割りから、団長の渡辺先生、池本先生、土屋先生、藤平―宇野先生(両先生は少し体調をくずしての参加で、事なきを祈る)、石原―松下組の総計7人であった。山形先生は直前になって体調をくずし、参加できなくなった。直前まで、緊急連絡先の作成等、いろいろ気を配っていただいていたのに、残念である。

 

後で、調べた事であるが、この「T157」は泰州を前日の17時11分に出て、上海、南京、天津、北京、秦皇島、瀋陽、長春、ハルピン、全行程、2563キロを約23時間かけてハルピンまでいく列車である。鉄道フアンならずとも魅せられる旅の出発であった。

 

車窓から見る風景は、行けども、行けども、変わらなかった。所々、大地が見えるが、見渡す限りの雪原である。農家の人はこの時期、何をしているのだろう。オンドル(温突)の煙突から昇る煙を見ていると、この氷に閉じ込められた人々の生活の厳しさが想像できた。北国の人が待ち望む春はまだまだ先である。車窓からの風景に飽きるとマン・ウオッチングを楽しんだ。大きな声で携帯電話をかける奴、ひっきりなしにスイカの種を食べる奴、しかも、その食べかすの処理の仕方が気にくわない。「ちゃんと、ゴミ箱に捨てんかい」、と日本語で、独り言のように、小さい声で言ってやった。少々、床にこぼれても全然気にしていないようだ。静かに本を読む奴、バッチ姿でラーメンを食べるおばちゃん。日本人は周りの人や状況を気にしすぎて、疲れてしまうことがあるが、中国の人って、あまり、周りの人や状況を気にしないところがあるようだ。日本人って、いつも日本的「村社会」の目に見えないソーシャル・プレシャーを気にしすぎているような気がする。

 

薬科大学の伊藤先生によると、スイカの種って、中国では揶揄して、国宝と言われているそうだ。中国人にとっては貴重なものらしい。また、ある先生によると、「中国はスイカの種で世界に後れを取った」と言われているそうだ。日がな一日、スイカの種を食べながら、優雅に時を過ごすのもいいと思うが、今の世の中では罪悪と思われてしまうようだ。この二つの話、意味深長だ。こんな事を考えながら、うとうとしていた。

 

暫くして、車内探検に出かけたが、通路を歩くのが大変であった。石原―土屋組はすでに前祝を始めていた。大きく、真っ赤な太陽が凍てつく大地に沈む光景を池本さんと見ていたが、圧巻であった。この広大な大地を見ていると、中国の農家は豊かでなければならないと思う。しかし、実態はかなり貧しい。機械化が遅れているためだろうか、農業政策に問題があるのだろうか。等々を考えて、また、うとうとしてしまった。寝台車の旅行はほんとに楽だ。

 

わからないのは、車掌が途中で、切符とプラスチックのチュップを交換に来ることだ。なぜあんな面倒なことをするのだろう。もう一つわからないのは、改札口を出るとき、駅員が切符を1枚、1枚確認して、どうして少し破るのだろう。不正防止だろうか。わからないのが中国か。

 

列車は予定通り、17時11分、ハルピン駅に着いた。8号車を降りたところで、黒龍江省中国国際旅行社の董 国立さんが待っていてくれた。ひとまず、安心した。寒い。手短に打ち合わせをして、マイクロバスまで人ごみの中をはぐれないように付いて行った。薄暗いホームに人が溢れ、流れに沿って改札口へ急ぐが、迷子にならないように、必死になってついて行った。やっと、少し、ほんの少し暖かいマイクロバスにたどり着いた。「ホッ!」。改めて、挨拶をし、今夜の予定を確認した。先ず、氷祭りの会場に直行し、1時間ほど見学。その後、ロシア料理を食べて、ホテルに行くことになった。

 

会場までは20分ほどであったが、窓が曇って外は見えないし、街中にあると言う、雪像もよく分からないまま、会場に着いてしまった。「氷雪大世界」への入場料は150元。ガイドの薫さんが入場券を買ってくれている間、写真を撮りたいが、手袋を外したくなかった。手袋を2枚重ねているので外すのが面倒というだけでなく、この手のぬくもりを逃がしたくなかったのだ。

 

オリンピックをモチーフにした氷の祭典はすばらしい、の一言だ。百聞は一見に如かず、とはこのことなんだ。それにしても、寒い。オリンピックにちなんだ有名な建物をはじめ、北京オリンピックのマスコット、「福娃」まで、駆け足で回った。寒い。真っ暗な中に幻想的に浮き上がる氷の彫像の数々は、夢の中に出てくる世界の様で、見飽きない。しかし、できるものなら、温かい車の中から、一杯飲みながら観たい。寒い。1時間が限界であった。足の先が痛くなり、鼻水が流れ、眼鏡が曇り、カメラは一枚撮るごとに胸のポケットに入れておかないと、作動しなくなった。話に聞いてはいたが、本当であった。マイナス24度Cの世界であった。私はハルピンに来る前日、2元ショップで大きな温度計を買って来ていた。(現在、資料室にある温度計)これが旅行中、何かと話題になり、ガイドの薫に迷惑をかけることになった。寒い。氷で作ったポルシェの前で写真を撮ったころには、足だけでなく、手の先も痛くなってきた。中田先生からもらった手袋も役に立たなくなってきた。話に聞く、小便が棒状になるというのを、体験したかったが、場所がなく、できなかったのが心残りである。明日できれば、挑戦してみよう。氷の彫像も、寒さももう十分だ。早くロシア料理を食べながら、ウオッカで体を温めたい。全員での記念写真もそこそこに、ロシア・レストランへ急いだ。この時、マイクロバスで来てよかった、と思った。タクシーなんて、とんでもないと言う感じ。まず、見つけられない、見つけても、乗れない。時間が経てば、凍死か。怖い、怖い。

 

瀟洒なロシア・レストランで、ピロシキを食べ、ウオッカをたしなむ渡辺先生は舌好調(×絶好調)であった。味もさることながら、店の雰囲気と楽しい仲間との語らいに時間が邪魔であった。しかし、ガイドさんの律儀さでお開きとなり、ホテル、崑崙大酒店(Kunlun Hotel)に急いだ。チェックイン、部屋割りと各室の電話番号を確認して、反省会は石原―松下の801号室と決め、ひとまず、解散した。本日は満室とかで、石原―松下の部屋はワン・ランク上の部屋らし、とてつもなく広い部屋であった。落ち着かない。こじんまりしたビジネス・ホテルが好きだ。

 

反省会の内容は多岐に渡った。教師会のこと、今回の旅行のこと、中国での生活、個人的なこと等々。そこから見えてきたのは、しっかりした見識、協調性、その上、中国での生活を楽しみたいという先生方の熱い心意気であった。こんなすばらしい先生方と知り合えたことが嬉しかった。私のようなロス・タイムに入った者にも気を遣ってくれるのも嬉しかった。石原先生が差し入れてくれた「白酒」で、ハルピンの夜は更けた。

 

翌日、(1月12日)、食事を済ませ、出発準備をして、9時、フロントに集合となっていた。そっと、外の空気を吸いに出たが、寒い。窓から見ると、何事もないように町は動いていた。車やバスが走り、人々は頬っ被りをして路上で商いをしていたし、焼き芋屋のおっちゃんが道端に立っていた。チェックアウトに少し時間がかかったが、9時半、マイクロバスに乗り、黒龍江省博物館に向かった。

 

博物館に行くなんて、さすが、教師会だ。無芸大食・大飲の私にはあまり興味もないが、行けば行ったで、何か面白いものが見つかるものだ。博物館は大きく3つに分けられていた。一つは黒龍江省の前石器時代からの歴史の流れが一目で分かる展示室。もう一つはこの地方に住む動物の標本等の展示室。最後は、失礼ながら、無茶苦茶な字が並ぶ書道展。高名な書道家の作品らしいが全くその価値が分からない者の悲しさだ。首をかしげてピカソの絵を見るように「書」を見ても、何も分からなかった。ガイドさんの簡単な説明を聞きながら、館内を一巡した。一つ気になった事があった。「渤海国」。歴史の教科書に出てきたこの国の名前を、なぜか覚えていた。日本と渤海国はお互い使節を交換し合いながら、二百年に及ぶ交流の歴史があったという。オイオイ、ほんとかいな? 日本に帰り、早速、講談社学術文庫から出ている、上田 雄著の「渤海国」を読み出した。この本はお勧めだ。おもしろい。現在、中国政府が推し進めている少数民族に対する政策を理解するのにも役立つだろう。私にとってはこれが「ハルピン氷祭り」に行った収穫の一つになった。

 

ハルピン一の観光スポット、ロシア正教のソフィスカヤ寺院を見て、中央大街で1時間30分の自由行動となった。ソフィスカヤ寺院はこの寒さの中で凛とした気品を保っていた。ほんとに美しい教会だ。帝政ロシアの南進に伴い建てられたが、多くの悲しい物語がこの教会にもあると言う。その一つが教会でありながら、現在では教会でなくなっていることだという。文化大革命の時、一部が壊されてしまったことも悲しい話だ。

 

ここは中国? と思いたくなるような町並みを見ながら、松花江へ急いだ。松花江は国慶節に来た時は、汚い水が流れ、人々が漁をしていたが、今は馬がそりを引いていた。太陽島まで歩いて行けるからか、ゴンドラは動いていなかった。通りの中央に作られている氷の彫像を見ながら、街をブラブラした。寒いが、昨夜ほどでもなかった。ロシア製品の土産物店がたくさんあった。

 

ネットで見ていたアイス・バーを偶然見つけた。アイス・バーは建物はもちろん、テーブルも椅子も灰皿も、ぜーんぶ氷で作られていた。椅子に毛皮を敷いていたが、冷たかった。私と土屋先生はコーヒーのホットを頼んだが、あまり美味しくなかった。熱いだけであったが、嬉しかった。石原先生はここでも、氷で出来たコップでビールを飲んでいた。ビールはドロッとしていた。渡辺先生はウォッカ。これも氷で作られたグラスに入っていた。

 

ガイドさんに頼んで、お土産を買いに連れて行ってもらった。各自それぞれ、お目当ての土産を、数を数えながら買った。満足。お土産も買ったし、そろそろ、お腹もすいてきたところで、昼食となった。ハルピンの餃子は瀋陽の餃子より美味いと言う。本当だ。美味かった。

 

D26は定刻の15時34分にハルピンを出発し、17時30分、全員、無事、瀋陽北駅に帰り着いた。ホッ!!

 

反省として:

1.              全員、ことも無く帰れた事。

2.              マイクロバスを利用したのは、時間の無駄をなくし、寒さしのぎにもなり、よかった。

3.              ガイドさんは全く、みやげ物店に案内してくれなかったのもよかった。

4.  一泊2日のハルピン氷祭りの代金が1,105RMBはリーズナブルであった。

 

私見を交えての報告とする。松下

写真は藤平徳雄先生の提供による