日本語教育学校

瀋陽薬科大学

瀋陽薬科大学は1931年に江西省の瑞金で誕生して、中国では歴史が最も長い、薬学の総合的な大学です。今、学校が所在しているところは遼寧省瀋陽市瀋河区文化路にあります。

学校の敷地面積は25万平方メートルです。教職工(教師、職員、その他の大学で働く人たち)は1218人います。その中で教授は68人(一人は中国工程院院士)、副教授177人です。今学校で勉強している学生10527人(博士380人、修士1302人)います。

学校は基礎薬学基地クラス(学制八年、卒業と同時に博士になる課程)、薬学(英語、5年課程)、薬学(日本語、5年課程)、漢方薬学(日本語、5年課程)、薬学(4年課程)、漢方薬学(4年課程)など、全部で14の専門に別れています。その中で薬学(日本語、5年課程)と漢方薬学(日本語、5年課程)の学生は大学に入ると、先ず1年半日本語ばかり勉強します。その後で、薬学に関係する課程を勉強します。

大学は学術的な雰囲気にあふれています。学校が出版する『瀋陽薬科大学学報』と『中国薬物化学雑誌』は国家の薬学に関する定期刊行物の中で、核心になる出版物です。我が大学は積極的に外国と学術交流や合作を行って、日本、アメリカ、イギリス、ロシアなど30強の国々の大学や科学研究所と交流や科学研究の協力する関係を築いています。

江文 薬学(日本語、5年課程)2006・4・30

画面の最初に戻る

瀋陽薬科大学(2006年)の詳しい紹介

瀋陽薬科大学の沿革

瀋陽薬科大学は1931年11月20日 中国工農紅軍軍医学校として江西瑞金において創立されたが、実質は、1932年に中国工農紅軍衛生学校と改称され、学校に調剤班が設けられた時がその出発点になろう。中国工農紅軍軍医学校を母体としている中国医科大学と兄弟校と言える。事実、医科大学の一学部や専門部であった時期がある。しかし、また医科大学から独立した学校として独自性を示していた時期もあるというのも事実で、現時点は独立校である。

現政権の建国直前(1949年7月)に、再度、医科大学の一学部となった時期があり、この時期前後に、光復時(日本の敗戦、満州国の滅亡)に国民党が接取し、国立瀋陽医学院と名付けていた旧満州医科大学の薬学系から、学生110人を迎え、更に教職工22名(その中には教授1名(佐藤潤平)、副教授3名などを含む)に加えて、実験器具、薬品、設備、標本、図書など全部を旧満州医科大学を受け継ぐ国立瀋陽医学院から接収し受け継いでいる。

現在の瀋陽薬科大学の校名に到るまで、様々な名前で呼ばれてきた、例えば、薬科学校、東北薬科学校、東北薬科専門学校、東北薬学院、瀋陽薬学院と。しかし現在の瀋陽薬科大学は、精神的な面の伝統を江西瑞金や陝西省延安の革命軍のそれを受け継ぎ、学問、実験研究の方面では、旧満州医科大学の伝統を多く受け継いでいるというのが、瀋陽薬科大学ではなかろうか。

満州医科大学について、『中国医科大学校史(1931-91)』遼寧科学技術出版社1991年出版から引用(拙訳)して、少し触れておく。

「原国立瀋陽医学院、その前身は原満州医科大学である。1911年(宣統3年)8月、日本国南満州鉄道株式会社が奉天(今の瀋陽)に南満医学堂を設立し、1924年(民国13年)に満州医科大学に昇格、学部と専門部が設けられた。学生は日本人が中心だが、中国人も少数だが学んでいた。この学校の学術水準は当時にあっては一定の影響を持っていた。この学校は、1911年から45年の間に2446名の学生を培養し卒業させた。 1947年から1948年の間、国立瀋陽医学院は97名の学生を培養し卒業させた。これら卒業生の一部は医学専門家や学者に相当する者となり、日本国籍の卒業生の中には中日友好のために有益な仕事を為した者も居た。中国国籍の卒業生の大部分は中国医薬衛生教育事業の発展に多いに貢献した。ある者は新中国医科大学の教育事業の屋台骨になった。1945年「八一五」、祖国光復後、原満州医科大学は前後して、中長路鉄路医科大学、鉄路医学院、国立瀋陽医学院と改名した。」

なお、日露戦争があったのが、1904年から05年にかけてである。そしてポーツマス条約で、ロシアから東清鉄道の長春以南、旅順まで鉄道の譲渡を受け、1906年からこれを経営したのが半官半民の南満州鉄道株式会社(満鉄)であった。

現在の瀋陽薬科大学の日本語班学生

現在の瀋陽薬科大学は薬学の総合的な大学で、様々な学院があり、中には薬学とは直接関係がないのではないかと思われるような工商管理学院などもある。しかし、この学院も本来製薬学部医薬企業管理室が発展し、企業管理、薬事管理などを学ぶ学院として設けられているので、薬学学習の一端を担っている学院だといえる。大学全体の学生数、教職工数は学生が紹介している数字の通りである。

さて、第二外国語としてではなく、この瀋陽薬科大学で日本語を専門に学習するのは薬学院の薬学日本語班2クラスと中薬学院の中薬学日本語班(この班は現在の5年生が一期生で、まだ歴史が浅い)1クラスだけである。これらのクラスは日本語ばかりを1年間勉強するため、卒業年次は1年多い5年間かけての卒業である。1クラスの人数は約30人である。最近までは、入学時から2年間は英語(英語の6級試験に合格しないと「大学日語4級試験」は受験できない)を学び、3年生になってから日本語の勉強を始めていた。ただ、ここ2年間は従来3年生で教えていた日本語を1年生にシフトしようとしている時期だったため、3年生にも、1年生にも日本語クラスが設けられ、計6クラスが1年間日本語ばかり勉強している。日本語以外の学習としては、体育、形勢与政策、思想修養の各2時間、計6時間だけである(1年生の場合)。 今年からはシフトも終わって、1年生クラスだけになる。今年の薬科大学の学生募集要項では、募集学生の全員の数は1350人、その内、薬学日本語班は60名、中薬学日本語班は32名である。なお、昨年9月入学の現在の1年生は薬学日本語班が60名、中薬学日本語班が31名であった。

学生は9月から勉強し始めて、週22時間(日本人教師10時間、中国人教師12時間)日本語の勉強をし、翌年6月中旬には中国独自の「大学日語4級試験」(日本の「日本語能力2級試験」に相当、中国では数字が大きいほど上級)を受ける。なお、1年生は9月初めからの軍事訓練が約一ヶ月あるため、前期は週24時間授業が行われている。

1年間日本語ばかり学習した学生は、その翌年の前期の半年間、更に4時間の日本語の講義を受ける。これは日本が実施する「日本語能力試験一級試験」が12月の最初の日曜日にあるためで、日本語から離れてしまわないよう、これに対応させたものようだ。

授業は中国人教師と日本人教師がペアを組んで一つのクラスを担当している。日本人教師が使っている教科書は『中日交流 標準日本語』(旧版)の初級上下2冊50課、中級上下2冊40課で、各冊約320頁から380頁前後のものである。これに作文指導が加わり、多くの日本人教師は組まれている時間外で、この作文指導に当たっている。また、教師によってそれぞれ授業の工夫がなされていて、日本の歌の合唱や、寸劇の発表、俳句の創作、作文の発表、日本語による尻取り遊び、折り紙の指導、作文をまとめた文集作り、また夫婦でのチームティーチングなども行われている。 中国人教師が使っているのは、『新日本語』の1、2、3、の3冊で、32課(701頁)、22課(877頁)、15課(489頁)である。この教科書以外に、聴力の2時間のために別のテキストも使われているようだ。 ペアを組む中国人教師と週に一度は会い、学生の動向や授業の内容などの情報交換を行っている例が多く、ペアを組む日中の教師同士の人間関係が以前に比べてよくなってきている。

中国独自の「大学日語4級試験」と日本が実施する「日本語能力試験一級試験」

大学の規定では、中国独自の「大学日語4級試験」に合格しなくても卒業証書はもらえる。しかし、理学士の称号はもらえない。日本と違って、「大学日語4級試験」に合格した学生は卒業時に受け取る免状が二つあるわけである。数年前までは、この試験にクラスのほとんどの学生が合格した。しかし、去年の加藤先生のクラスの例だと、1回で合格できない者が5分の1の6人も居た。日本が実施する「日本語能力試験一級試験」の方の合格は、卒業などの条件ではなく自由参加だが、日本系企業などへの就職にはこの一級試験の合格がものをいうとのことで、ほとんど全員の者が受けている。数年前は9割の日本語習得学生が合格したが、近頃は合格率が悪い。

2005年(全国平均で29、6%の合格率)は2004年(43、1パーセントの合格率)より問題は難しかったのだそうだが、加藤先生のクラスの例では1回で合格できた者が受験者28人中6人(21、4%)であった。 合格率が高かった以前と比べ、その低下原因の一つに国立から省立に変わった(2000年2月)ことを挙げ、全国からの選り抜きが少なくなり、地元の学生が増えてきたこと、また一人っ子が大半になっているために家族から大事にされすぎて、中にはやる気のない学生も出てきていること、などが原因で全体としての学力が年々落ちてきていることが考えられる。

日本語修得とその後の活用

瀋陽薬科大学では、日本語を教える日本人教師(2006年春の時点で、峰村洋、高山敬子、南本卓郎、加藤正宏、南本みどり、安藤知恵の6名と、時にはその連れあい)の他に、研究室を任され、専門の漢方薬理(2002-)の教育と研究の指導に当たっている池島喬と、生化学、腫瘍生物学、糖鎖分子生物学(2003-2014)を担当している山形達也、山形貞子の3名の日本人教授がいる。それだけでなく、定期的に日本から何人もの講師を招いて集中講義が行われていて、日本語の講義を聴く機会は多い(特に、貴志豊和、川西康博老師は毎年瀋陽薬科大学を訪れている)。

しかし、学生たちは1年強の即席漬け日本語(日本語クラブ2005年度第1号-通巻第21号の高山敬子「即席漬け」参照)を身につけた後、「大学日語4級試験」と「日本語能力試験一級試験」を経過するや、ほとんどの者がどんどんと日本語を忘れていく。あれだけ、がむしゃらに勉強してきた日本語をどんどんと忘れていくのである。日本語学習が1年生にシフトされた現在、卒業までの3年半、どんどんと日本語を忘れていくばかりである。大学自体、学生が日本語を継続して学習していくカリキュラムを考えていかないことには、折角、学生も教師も頑張って入手した大きな宝物を台無しにしてしまう。そんな心配が現在の瀋陽薬科大学にはある。

(記・加藤正宏・山形達也 2006年5月10日)

画面の最初に戻る

東北育才学校

2006年3月14日付の朝日新聞の瀋陽支局開設特集の中に「東北育才学校は、幼稚部から高校まで8300人を抱えるエリート教育校だ。中でも徹底した日本語の英才教育では、中国有数の水準を誇る。・・・

卒業生の進学先は大半が日本の有名大学。同校によると、00~05年の6年間に計43人が東大に、計55人が京大に進んだ。・・・」また「・・・東北育才学校も、かつての『千代田小学校』を校舎の一部として活用している。」 と出ていました。日本の友人二人からこのことを知らされました。文中、卒業業生の進学先というのは主として日本語クラス卒業生のことで英語クラス等の卒業生はエール大、スタンフォード大、ケンブリッジ大等米英の有名大学に相当数の生徒が留学しています。校門の横の塀にこれらの結果が張り出されていると誰か彼か見ています。住民の本校に寄せる関心は高いようです。

≪過密ダイヤの中の日本語教育≫

日本語の授業時間数は多いのですが、(高校進学のための)分流試験、大学受験に必要な英語、数学、理科等の勉強に忙しい中での日本語の授業です。中2、中3の生徒が使っている問題集を見ると、日本の高校で扱っていたようなことを勉強しています。日本語の授業で、理解度を確認するために、英語では何と言いますかときくと、結構難しいことでも答えられる生徒が多いようです。 生徒にとっては、朝7時40分から午後4時まで8時限授業、そのほか全校体操、昼のホ-ムルーム、業後の自習等正に過密ダイヤの一日です。40分授業なので、ポイントを絞って授業しないと、「丁度時間となりました・・・」と浪曲の終わりのようになりかねない。毎時限2分前に予鈴がなると生徒は直ちに教室に入り、着席している。先生は教室の入り口で本鈴が鳴るのを待って入室・授業開始。出席を取らなくてもいいのでとても楽です。

≪何でも比?(コンテスト)≫

過密ダイヤ、時間厳守と、授業時間確保にはうるさい反面、「先生、今日の午後は体操の比?がありますから、授業がありません。」空席を指して、「どうしましたか」ときくと、「英語の比?に行きました。」とか「数学の比?に行きました。」という。上のほか、清掃、歌、詩歌など何でも比?が多い。受験勉強で追われているので、学校行事が削られているのかと思いましたが、そうでもないようです。近い内に修学旅行があると聞いています。

ハードスケジュール・テスト・競争と追われていますが、生徒は意外に明るい。

2006年6月 井 料 衛

画面の最初に戻る

東北育才外国語学校

沿革

東北育才外国語学校は、1998年に東北育才学校と日本関西語言学院が共同で設立した学校です。瀋陽市の南、渾南産業区に位置しており、学校周辺は静かで学習するにはいい環境です。学校の設備も年々整えられ、人口芝のグラウンド、体育館、コンピューター室、図書閲覧室などもできました。

卒業生の大部分は日本の大学へ留学しています。日本留学の近道として、瀋陽市内で名が知られています。設立当初は、「中日友好分校」という名前で呼ばれていましたが、日本語だけでなく、いろいろな外国語が学べる学校ということを前面に打ち出し、名前も「外国語学校」に改められました。現在は中学入学、高校卒業という、中高一貫校になりました。中学1,2年次は英語教育に力を入れ、中学3年生から、第二外国語として、日本語かフランス語を選択します。

学校生活

寄宿制で、寮では8人が一室で生活します。寮での生活態度、部屋の整理整頓状態なども厳しく管理され、部屋ごとに点数をつけて表彰などを行なっています。朝は7時から、夜は9時過ぎまで教室で勉強。勉強の時間は日本の学校の比ではないでしょう。このような生活はストレスがたまりやすいと思いますが、そんな中で生徒たちがいちばん生き生きとしているのは、体育活動と呼ばれる時間です。その時間は各自が散歩、バドミントン、サッカー、バスケットなど好きな活動ができます。それから、夕食後の休憩時間です。アイスクリームを食べたり、校庭の階段などで座り込んでおしゃべりをしたり。そういう時の生徒たちの表情は明るく、無邪気です。年間の活動としては運動会、演芸会、合唱コンクールなどがあり、特に演芸会では、普段の授業中には見ることのできない一面を見ることができます。民族舞踊、劇、歌、楽器演奏など出し物はさまざま。衣装もばっちり決めて、プロの歌手顔負けの歌唱力を披露する生徒もいます。

日本語学習と日本留学

以前は、高校入学で、生徒の約90%が日本語を必修科目として勉強していました。またその流れで卒業後はそのまま日本ヘ留学する生徒が多く、中には日本ヘ行って何を勉強したいのかわからないまま日本ヘ送り出される生徒もいます。しかし、中学入学に変わり、日本語が選択科目の一つとなったことから、日本語を学習する生徒数が減りました。中学3年生の生徒に将来のことについて聞くと、いままでの生徒と違って、「日本ヘ留学するかどうかわからない。国内の大学に行くかもしれない。或いはアメリカなどの国への留学も考えている。」と答える生徒が増えました。生徒にとっては選択の幅が広がり、日本留学が最良の選択肢というわけではなくなったのです。それは日本人教師として少し寂しい感じもしますが、生徒にとってはいいことだと思います。また、今後日本ヘ留学するのは、本当に日本語が好きで、はっきりとした目的をもった生徒に限られてくると思われます。それも、またいいことなのではないでしょうか。私たち日本人教師も生徒たちの日本留学のバックアップをするべく、これからも頑張っていきたいと思います。 2006年6月

長澤 裕美 (ながさわ ひろみ)

画面の最初に戻る

遼寧大学

全般

50年以上の歴史を持つ遼寧大学は現在、文学、歴史、哲学、経済、法律、外国語、芸術、理工(自然科学)、管理など18の学部(学院)を持ち、遼寧省所属の唯一の総合大学である。現在、瀋陽の崇山校舎、道義校舎、そして遼陽の武?校舎の3つの校舎を持ち、敷地総面積は1.34平方キロメートル、建築面積は約61.5万平方メートル。国家の「211工事」で、重点大学として建設されている大学の一つである。

遼寧大学の前身は、1948年に東北人民政府によって瀋陽に建てられた商業専門学校である。1958年9月15日、東北経済学院、瀋陽師範学院、瀋陽ロシア語専門学校を併合して遼寧大学になった。なお正門に掲げられている校名の題字は朱德総司令(元帥)の揮毫によるものである。

現在、遼寧大学には1170人の専任教師が勤務しており、うち教授は180人、副教授は417人である。また、博士号を持つ教師は160人いる。

遼寧大学には62の本科専攻があり、MBA(工商管理学修士),MPA(公共管理修士),JM(法律修士)も設置されている。また経済学においては、世界経済と国民経済学の二つの国家レベルの重点学科が設けられ、多くの優秀な人材を輩出している。

現在、遼寧大学には約25000人の学生がいるが、うち本科の学部生は20000人、院生3500人、外国人留学生500人、その他の学生が1000人となっている。建学以来、遼寧大学は国家のためにさまざまな人材を養成し、またアメリカ、日本、ロシア、韓国、イタリア、イギリス、フランスなど47カ国に長期留学生7000人あまり、短期留学生2000人あまりを送っている。

本学の図書館は総面積4.2万平方メートルの広さを誇り、館内文献は234万冊にのぼる。その中で珍本と善本は300冊あまりもあり、国連の出版部から国連文献収集の図書館の指名を受けている。その他に歴史博物館と自然博物館が設置され、2000あまりの文物と11000あまりの生物標本が収集されている。

1980年代から大学は毎年30人の外国人専門教員を招聘し、教育と科学研究の発展に努めている。また、ノーベル経済学賞受賞者を始めとする40人あまりの外国著名学者を招聘し、国家レベルの名に恥じない教育、研究を展開している。また、2002年以来、87人の本学教師が海外で研修を行ったり、訪問学者として活躍したりしている。

また大学は定期的に開催される国際学術会議を通して対外学術交流を拡大してきた。さらに改革開放後は外国留学生の受け入れも広く行い、大学の経営システムの整っている学校として知られている。また新世紀に入り遼寧大学は「明徳精学 篤行致強」の校訓に基づき、より高いレベル、より大きい国際影響力を持つ大学を目指して努力を続けている。

外国語学院日本語学科

遼寧大学日本語学科の養成目標は日本語語言学と文学方面及びそれ以外の関連知識をマスターして、学んだ知識が運用でき、さらに中日・日中の翻訳ができ、日本語を教えることができるようにするというものである。

主要科目として、基礎日本語、高級日本語、日本語視聴説、日本文学史、日本文学作品鑑賞、通訳、翻訳、日本語写作、現代日本語語法、古典日本語語法、日本語学、日本概説、ビジネス日本語、日本文化、新聞選読、日本語読解などが設置されている。

主な学科の内容と特色をあげると、日本語語言文学は日本語の法則と文学発展の歴史および文学作品を学ぶ科目である。専門知識の修得を目指し、より深く日本語の言語習慣、日本人のライフスタイルを理解しようとするものである。そして、学んだ知識を使って正しく日本語の文章を読んで理解し、日本人と自由に交流することを目標としている。

また、実用性の高い科目も設置されている。たとえば通訳やビジネス日本語などであるが、これらの科目は学生たちが即戦力として企業で働くことができるように作られたものである。近年、日本企業は大量に中国市場に進出し、日本語の人材の需要もまさに倍増している。従って日本語専攻の学生も就職しやすくなっているので、こうした専門科目を設置し、学生達の日本語語言、文学知識、また翻訳・通訳能力、ビジネス知識の向上を目指しているのである。

また特色としては二つあげられる。一つはしっかりした言語基礎知識と実用性を重視することである。すなわち理論と実践の結合を重視し、学生の実用的な言語能力を養成しようというものである。もう一つは、言語科目はその内容が多方面にわたるので、基礎科目としての言語と文学の知識以外に、日本文化、日本経済、ビジネス知識、および通訳・翻訳などを通して、言語運用技術を重視しようというものである。

日本語専業としての要求は、日本語の言語表現法則と表現習慣、日本人の思考方法とライフスタイルの理解。より円滑な交流と日中・中日の自由な翻訳・通訳能力。また中国語の表現と写作能力も要求される。さらに現代社会と情報産業の発展に従って、コンピューターの操作も必須技能とされている。

養成目標は何といってもしっかりした日本語言語力と日本文学の知識、通訳と翻訳力の養成である。学んだ知識をすぐに実践できるようにし、通訳・翻訳者、日本語の教師、また日本語を使った外事交流や、即戦力としてのビジネスマンなどの養成である。

日本語学科の卒業生は就職の需要がきわめて大きく、またその範囲も広い。たとえば、大学・高校、外資企業、旅行会社、経済貿易部門・外事部門の公務員など日本語関連の企業等に就職している。また引き続き日本語を専攻するために院生の制度もあり、将来の日本語教育を担う人材の育成がなされている。遼寧大学の日本語学科の卒業生は、いずれの就職先でも評判がよく、目下の就職率は100%で、需要に供給が追いつかない状況である。

2006年6月 小林豊朗

画面の最初に戻る

瀋陽工業大学

瀋陽工業大学は瀋陽市の南西部、鉄西区内の瀋陽経済技術開発区に位置する国立総合大学です。終戦とともに消滅した、旧満州国立奉天工業大学の跡地に設立されました。その後、新たに南キャンパスを拡大、現在は遼陽市にも分校を設けています。キャンパスの総面積は98万平方米。学生総数は1万9000人。

そのうち全日制学生が1万7500人、大学院生が1500人となっています。電気、化学、建築など、理工学系を始め、情報、法律、芸術、外国語学部(英・露語)など、計35の専門を有しています。

また、国際教育文化センターでは中国語を学ぶ語学留学生も受け入れています。2002年現在、韓国木浦市の草堂大学からの交換留学生約50名が中国語を学んでいます。

画面の最初に戻る

遼寧大学 外国語学院 武聖(遼陽)校区

遼寧大学外国語学院は、1997年遼寧大学として成立されました。武聖(遼陽)校区と道義(瀋陽)校区に分かれています。遼陽校区は4学年2千人以上の学生数でⅠ学院として、大規模を誇っている本科外国語専門学院です。

以前は、外国語専門学校として1963年建校以来、長い歴史があり、幾多の外国語専門家を輩出しています。

遼陽校区は、古い歴史を持っている遼陽市にあります。学院の総面積は81614平方メートル、建築面積は40115平方メートルです。学院の景色は緑にあふれ、優雅です。

学院には、閉路電視網、多頻道調頻台、インターネット教室、多媒体教室、微格教室など整った教育施設があります。16万冊所蔵の現代図書館、1573平方メートルの体育館もあります。このように完備した施設は、教師と学生の仕事や勉強のために優れた条件を提供しています。

学院の國際交流は年々、益々強まっており、アメリカ、日本、ロシアなどたくさんの国の大学と友好関係を築いています。又、外籍専門家を招聘して我が校で勤務しています。

学院は国外大学と連合して留学生をお互いに交換しています。学院で勉強していて、希望する学生の中で優秀な学生は国外へ留学するチャンスもあります。

又、学院は学生総合素質奨学金を提供しています。毎年、受賞する学生は総人数の35パーセントに達しています。一等奨学金は2千元です。それとともに、「富山県遼寧省友好記念奨学金」「日本住友奨学金」「?東比奨学金」などもあります。さらに、学院は家庭経済の条件がよくない学生に教育ローンを提供したり、アルバイトも紹介しています。

学院の学生社団活動も多彩を極めています。活動クラブには、学生新聞、放送、大学生芸術団、合唱団、ダンス、礼儀、楽器団、モデル団、読書、劇団、外文社、撮影、バスケットボール、バドミントン、バレーボール、サッカー、卓球、などのクラブがあります。これらのクラブは学生達に自分を鍛える舞台と、お互いに交流して協力するチャンスを提供しています。これらも大学生の総合素質を高める一部分です。

毎年の「キャンパス文化芸術節」と「社団節」はキャンパス文化活動の重要な部分になっています。又、クラスや寮対抗の春風杯と秋実杯の球技大会や盛大な運動会も大学生活を豊かに彩っています。

遼寧大学外国語学院は「明徳精学 篤行自強」の校訓によって教師学生ともに、学問に励んでいます。

03年級 斉金玲2006・5・11

大学本科日本語専業としての日本語教育

遼陽校区の日本語学科は、現在、3学年147名です。2006年から4学年がそろい、約200人に及ぶと見積もっています。これまでは1,2年次を遼陽で、3,4年次を瀋陽で学習していましたが、今年度から、それぞれの校区で4年間学ぶことになったからです。

日本語科は日本語語言文学学科と日本語國際貿易学科に分かれています。

遼寧大学のカリキュラムによって、公共基礎科目、専業必修科目、選修科目にわかれていて、一週間、約20時間の専門科目を学習しています。必修科目は「新大学日本語」「高級日本語」「日語听解」「日語会話」「日語讀解」「日語作文」「日本概況」など約10科目、選修科目は「日本文学」「古典文法」「同時通訳」「國際貿易実務」など約24科目があります。

第2学年終了時に 日本語専業4級、 第4学年で8級、 2,3,4年次に日本語能力1級合格を目指しています。

本学は長い歴史の間に、遼寧省はもとより全国の高校、大学の日本語教師を輩出しています。最近は日本企業の増加につれて、瀋陽、大連などの日本企業、北京、上海、広州などの企業へ就職する人もいます。叉、毎年、日本へ留学して大学院に入り、その後就職する人も何人もいます。(03年級 斉金玲)

画面の最初に戻る

中国医科大学

中国医科大学は瀋陽市の中心部・中山広場の側にあり、非常に交通の便のよい所です。付属第一病院も同じ敷地内にあり、救急センターは24時間救急患者の看護に当たっております。付属病院は第二・第三病院もあります。

中国医科大学の沿革

中国医科大学は中国共産党が創立した最初の医科大学です。前身は中国工農紅軍医学校、中国工農紅軍衛生学校、1931年江西省瑞金で創設されました。学校の名前を毛沢東の提議により「中国医科大学」に改称、1948年瀋陽に移転し、旧国立瀋陽医学院(前身は満州医科大学)と旧私立遼寧医学院と統合しました。

中国医科大学の門に刻印されている校名は郭沫若の筆です。医の字は繁体字で醫と書かれています。西門の前には毛沢東の書いた石碑が建っています。

「救死扶傷、実践革命的人道主義」(生命を助け、傷者を救急し、革命的な人道主義を実行する)と書かれており、石碑の裏には中国医科大学の歴史が書かれており、中国革命とともに歩んだことが記されています。

大学のキャンバスは瀋陽市の中心部中山広場の近くに位置し、非常に交通の便のよいところです。附属1病院も同じ敷地の中にあります。大学は各種類の学生20.000人が在籍しています。

日本語教育について‘

日本語教育は本科七年制の臨床医学日本語班1.2.3年生と日本に研修に行く前の医師、看護婦さん達に行われています。本科は日本語班、英語班、五年制漢語班からなります。以前日本語班、英語班は六年制で3年前から七年制になりました。

学生数は一学年全体で約1500人のうち日本語班は60人です。(1500人のうち英語班240人、五年生漢語班は1200人)日本語班は一年生で日本語の授業数は週12時間、二年生週12時間、三年生4時間(2005年度の場合)です。

二年生は6月中旬中国の「大学日語4級試験」を受験します。2度受験して合格しない者は五年制に降格するということです。

三年生の12月はじめは「日本語能力試験1級」を受験しますが合格率は低いです。以前はほとんどの学生が1度の試験で合格していたそうですが、年々少なくなっています。原因は1月の期末学科試験の科目が多くて日本語まで勉強する余裕がないと言っていますが、学力が落ちてきていることも確かです。

日本語の授業について

日本人教師は2年間で『新日本語の基礎1、2』また日本の歌の合唱や日本文化の紹介、作文指導、尻取りゲームなどをおこないます。また中国4級対策、国際1級対策も授業に取り入れています。中国人教師は中日交流『標準日本語』初級上下、中級上下や『新日本語』を使用しています。中国人教師との情報交換はあまりなく、コミュニケーション不足の感があります。

日本語の習得と活用

中国医科大学の日本語の教師は2006年春時点で中国人7名と日本人は渡辺京子1名です。

現在は医学の研究指導されている教授はないが、定期的に日本から講師を招いて集中講義がなされています。掲示板で知らされて誰でも聴講することができ、日本語の講義を受けるチャンスは多いです。二年生から専門科目の半分は日本語で講義を受けます。難しい内容は中国語ですが、日本語の理解力がないと授業内容についていけません。三年生になると各科臨床主任教授の講義は全部日本語で受けることになります。

3年間全員同じことを学びますが、個人差が非常に大きく難しいことまで理解でき活用している学生もいれば、ほとんど忘れてしまって日本語を発せない学生も多々います。

日本語クラブの結成

中国医科大日本語班の学生の有志は2つの日本語クラブ「さくら」「新幹線」を結成して活動しています。

機関紙「さくら」を一年に1回発刊しています。クラブの会員の英語班や漢語班に日本語の基礎を指導したり、日本の映画や歌を教えたり、日本文化を紹介したりして学生に人気のあるクラブです。今後活動が盛んになり日本について知識や理解を深めることができたらうれしいことです。

2006.05.13 渡辺京子

画面の最初に戻る

瀋陽大学

瀋陽大学は1906年創立されました(現北院)。1980年、元北東工学院と遼寧大学分校が合併され(現南院)、現在は、北院、南院合計14学院34専門科から形成されています。66万平米の敷地面積を持ち、学生総数は約2万人にも及びます。また、成人教育にも力を入れています。更に昨年、瀋陽の南に瀋陽大学師範学院も設置されました。

外国語学院は南院に拠点を置きます。英語科、日本語科、ロシア語科に分かれ、学生数は約1000人です。20年以上の実績を誇り、アメリカを始めオーストラリア、日本、ロシア、韓国、フランス、ニュージーランド、シンガポール、香港、台湾、澳門などの多くの教育機関との関係を確立しました。

日本語科は、4学年1クラス制で現在71人の学生が学んでいます。(1クラスあたり約20名。)1クラスの人数が少ない分、結束力が非常に強く、仲が良いです。

また札幌大学と提携し、学者交換訪問や交換留学をおこなっています。教員(助教授3名、講師2名)は、日本での留学経験を持っており、自らの経験を生かした個性溢れるユニークな授業が行なわれています。外教(日本人教師)は1名です。

主なカリキュラムは、基礎日語、高級日語、聴解、会話、日本概況、日本文学史、翻訳理論・実践、日語写作、語音学、第二外国語(英語)、現代漢語 等です。

4つのラボ、2つのマルチメディア教室、参考図書室が装備されていて、これらは全て外国語学院の学生専用とされています。

北院は、有名な建築家によって建設され緑と白を基調としています。また春には数多くの花が咲き、より一層キャンパスを引き立てています。南院は、学生数増加の為2005年新たに学生寮が建設されました。春には、南門からキャンパスまで桃の花のアーチとなります。

その他の活動も積極的に行なわれています。『健康づくり』の為、全学生は毎朝6時にフィールドに出て、各々スポーツを楽しんでいます。また新入生歓迎会を始め、様々な発表会(ダンス、歌)、校内スピーチコンテスト、スポーツ大会、2年に1度の運動会、映画祭などがあります。文化活動も盛んに行なわれていて、特に書道部はレベルが高く、有名です。

瀋陽大学は街の中心に位置している為、交通の便が非常に良いです。

2006年6月29日 丸山羽衣

画面の最初に戻る

瀋陽師範大学

瀋陽師範大学の沿革

瀋陽師範大学は遼寧省人民政府の管轄下で、哲学部、経済学部、法学部、教育学部、外国語学部、理学部、管理学部などからなる総合大学です。

本大学は1951年に前身の東北教育学院として創設され、1953年に瀋陽師範学院と改名されました。著名の教育家を続々と輩出し、多くの卒業生が各学校のリーダーとして活躍しています。

1965年に更に遼寧第一師範学院と名を改めましたが、1978年に再び瀋陽師範学院と校名を戻しています。2001年に省政府によって、我が大学は遼寧教育学院との合併が認められ、現在の瀋陽師範大学が誕生しました。 瀋陽師範大学には教育学部、外国語学部、体育科学学部、科信軟件学部(ソフト学院)、技術学部、国際商学部、信息技術学部(情報技術学院)、戯劇芸術学院などからなる総合大学です。学士の学科は52、修士の専門は57、設けています。

我が大学は組織全体をより勝れたものにし、学歴レベルの向上、科学技術能力の強化を目指すため、最高級の教師陣を揃えております。現在専任教師1578人余り、客員教授197人、その中に中国科学学院の会員が2人、教授196人、副教授522人が含まれています。

我が校はアメリカ、イギリス、カナダ、日本、ロシア、ベルギー、デンマーク、オーストラリア、韓国など30カ国の高等教育機関及び科学技術機関と国際学術交流の協定を結んでおります。相互の教師や学生の交換研修、留学を行っています。

瀋陽師範大学外国語学院の紹介

瀋陽師範大学は1953年に創設され、瀋陽師範大学の中で最大の学部です。学部は英語、日本語、ロシア語、ドイツ、フランス語の5種類の言語の4つの学科、1つの教研室で構成されています。外国語学部は既に50年の歴史を刻み、着実に学術レベルを高め、教授経験豊富で熱心な教師陣が連なり、現在教職員125人、その中に名誉教授1人、教授10人、副教授29人、助教授21人、講師25人、研修助教授9人、外国人教師13人(英語10人、日本語2人、ロシア語1人)で組織されています。

外国語学部は教育施設を万全に整えており、現在教授研究室18、LL教室9、同時通訳教室、コンピューター室、デジタル化ランゲージ室、メディアランゲージ室、マルチメディアインターネット室、聴覚トレーニング室など備えています。

長年にわたって、外国語学部は学術の質の向上に努めてまいりました。学部には学士課程と修士課程があります。学部の学生の総数は2435人で、その中に全日制本科生2199人、英語修士課程大学院生236人が占めています。

外国語学部の教育方針は該博の外国語の理論基礎と熟練された言語基本能力を身につけ、国際的視野を培い、将来、外国語教育、外交、経済貿易、文化、メディア、科学技術の領域で活躍する人材を育成する事です。

 日本語学科の紹介

確固たる言語、文学、文化方面の基礎知識や熟練された日本語運用能力を養成し、日本の歴史及び文化、政治、経済などの現状を理解し、より優れた中日表現能力を身につけます。第2外国語として英語の基礎をマスターし、PETS2級を合格することが目標です。本学学生は外交、経済、文化、マスコミ、教育、旅行業などの方面で教育、翻訳、研究、管理部門に従事しています。主な必修科目は総合日本語、聴解、作文、翻訳理論と実践等で、他に基礎英語、経済日本語、科学技術日本語、ビジネス日本語、日本語学、日本文学など選択科目もあります。卒業に必要な単位は175で、修業年数は3年から8年で、卒業すると文学学士が授与されます。日本語科の教師陣のほとんどに日本への留学経験があり、優秀な人材を集めています。また、外国人教師として日本人の先生が二人います。学生たちは日本語サークルをつくり、授業時間外でも積極的に日本の文化や習慣を学んだり、日本人の留学生と交流したりしています。我が校は北海道教育大学と姉妹提携を結んでおり、交換留学制度を設けています。

2006年11月10日

学校紹介:

日本語学科教師・張 静・崔 明愛

日本語訳・金丸恵美 

画面の最初に戻る

瀋陽市朝鮮族第一中学

教職員数107名(内教員86名)、学生数1111名(いずれも2005年4月現在)、他に韓国からの留学生が約120名おり、現地の学生とは違う校舎(国際学校)で中国語を中心とした授業が行われています。2005年9月から漢族のクラスもでき、日本語、韓国語を中心に勉強しています。対外交流にも積極的で、韓国、オーストラリア、日本の学校とも教育、友好協力校として提携を結んでいます。韓国、日本からの友好交流訪問団も度々訪れています。

日本語学科の学生は約360人。10年前までは全学生が日本語を学んでいましたが、現在は英語を学ぶ学生が増え、日本語を学ぶ学生は全体の3分の1となりました。学生は初級中学ですでに3年間日本語を学んでいるので、高校に入学する段階でほとんどの学生が基本的な日本語が話せます。

寮に住む学生も多く、朝は8時から夜10時まで学校で勉強しています。授業はほとんど朝鮮語で行われています。課外活動では音楽、スポーツ、語学などいろいろなことをしています。朝鮮族の武道であるテコンドー部にも多くの学生が参加しています。毎年、音楽やスポーツなどの特待生も受け入れていて、文武両道の学生育成に取り組んでいます。

2006年6月 中村直子

画面の最初に戻る

遼寧省実験中学

遼寧省実験中学は遼寧省教育委員会直属の重点高等学校です。遼寧省で常に模範を示す学校として「遼寧第一校」とも呼ばれています。

本校は1949年5月4日に東北実験学校として創立しました。初代校長は教育者として著名な車向忱です。瀋陽市皇姑区に位置し、敷地面積10万平米、建物面積5万3千平米を有し、設備の整った、環境に恵まれた学校です。

創立以来、本校は常に優れた学生を育成すべく、「文明(モラルと秩序)、勤勉、求実(現実の事態を重んじる)、進取」をモットーに優れた校風を形成してきました。

これまでに2万名余の優秀な卒業生を送りだしています。国際交流においては、アメリカ、日本、ドイツ、韓国、カナダなど数多くの国の高校や大学と友好関係を結んでおり、これまでにフランス、カナダ、韓国、ニュージーランド、シンガポールなどの国から留学生を受け入れてきました。また、国際応用教育学会と共同で中外友好合作校を設立し、国際的な学生の育成に力を注いでいます。(以上『遼寧省実験中学建校五十周年記念冊』より引用)

2004年9月には、遼寧省実験中学の分校が創立され、瀋陽市の北部に位置するため、通称「北校」と呼ばれ、以前からあった実験中学は通称「南校」と呼ばれています。

どちらの学校も1学年に1000人学生が在籍しており、マンモス校としても知られています。

日本語クラスは、2001年9月から選択科目の一つとしてスタートしました。

授業数は、1週間に1年生4時間・2年生5時間・3年生5時間です。(1時間=40分)高等部1年生で「あいうえお」から始まり、高等部3年生で『みんなの日本語初級Ⅱ』(スリーエーネットワーク発行)が終わるようにカリキュラムが組まれています。毎年、2・3人の学生が日本へ留学しています。

学習者は、南校も北校も1年生15人・2年生10人・3年生5人程度です。日本への留学のために日本語を勉強するというより、「大学進学後、第二外国語で日本語を学習したいのでその準備のため」とか、「日本のアニメや漫画が大好きで、日本語で見たいから」などと考えて勉強している学生が多いようです。

進学校でほとんどの学生が有名大学へ進学するために、学年が上がるにつれ受験勉強が忙しくなり、日本語の勉強を断念してしまう学生が多いのが、とても残念です。

2006年7月には初めて日本への修学旅行が行われ、1先生から3年生まで18名の学生が参加しました。日本で刺激を受けて帰ってきた学生達の多くが日本への留学を希望しており、今後学習者・留学者が共に増えるのではないかと期待しています。

2006年10月 安部 玲子

画面の最初に戻る