目次伊藤忠商事株式会社
瀋陽事務所長
高木純夫
2018年11月28日
2008年11月8日
今から丁度30年前の1978年、伊藤忠商事の石油化学代表団を引きつれ中国東北の地を訪問してから早や30年。当時の公害で薄汚れた瀋陽の街が、青空と緑に満ち溢れた街に変わっていく様はわが街を見ているが如くの喜びである。2004年4月、瀋陽事務所開設と共に前任地の蘇州から瀋陽に着任した。早や5回目の冬を迎える。ここ数年の瀋陽の変貌振りにはただただ驚嘆の限り。特にメーンストリート沿いは古い建物が撤去され大型商業施設建設の嵐が吹き荒れている。清朝時代の古い街並みの残る瀋陽。古きものと新しいものが混在する瀋陽は懐の深い飽きることのない町である。
個人的には入社後35年で5都市6回目の海外駐在となる。台湾を含む中国語圏での駐在は約20年。昔に比べ生活環境も格段に良くなった中国で、中国の方と仕事やプライベートでの交流が出来るのは無上の喜びである。
本日の私の話は、多分に中国贔屓の一日本人の語らいになるかもしれないが、瀋陽への愛着、瀋陽の発展への熱き想いは瀋陽に在住する外国人の中でもトップクラスに入るのではと自負している。ただ、この瀋陽を十分理解されている人々がまだまだ少ないのが残念至極である。私の話を通じより多くの方に瀋陽を理解して頂きたい一心でこれまで何度も弊社の関係者や日本の経済団体等にお話をさせて頂いた。今回のプレゼンはその集大成でもある。一人でも多くの方が瀋陽に来訪され、瀋陽への理解を深めて頂けることを願う毎日である。
個人的には入社後35年で5都市6回目の海外駐在となる。台湾を含む中国語圏での駐在は約20年。昔に比べ生活環境も格段に良くなった中国で、中国の方と仕事やプライベートでの交流が出来るのは無上の喜びである。
本日の私の話は、多分に中国贔屓の一日本人の語らいになるかもしれないが、瀋陽への愛着、瀋陽の発展への熱き想いは瀋陽に在住する外国人の中でもトップクラスに入るのではと自負している。ただ、この瀋陽を十分理解されている人々がまだまだ少ないのが残念至極である。私の話を通じより多くの方に瀋陽を理解して頂きたい一心でこれまで何度も弊社の関係者や日本の経済団体等にお話をさせて頂いた。今回のプレゼンはその集大成でもある。一人でも多くの方が瀋陽に来訪され、瀋陽への理解を深めて頂けることを願う毎日である。
瀋陽は東北三省の核心都市であるばかりか中国有数の工業都市でも有る。何故瀋陽の工業基盤が充実しているのか?中央政府の進める東北振興政策の本質は何なのか?
これらを知るためには現時点の経済データを駆使しても本当の理解に繋がらないのではと思う。中国の改革開放から30年。鄧小平氏の進めた沿海地区開発、江沢民氏の進めた西部大開発、そして2003年秋に登場した東北振興政策。また我々の住む瀋陽は元奉天と呼ばれ多くの日本人の記憶に残る町。日清戦争終結から日本の敗戦までの50年間、この東北地区で何が起きていたのか?日本はこの地区に何を期待して国力を総動員したのか?列強地区とのかかわりはどうであったのか?
東北地区の今、瀋陽の今を理解するためには、その歴史的変遷や地理的位置づけを無視しては通れない。学者でもないのでデータや書籍を十分分析した結果ではなく足で稼いだ感覚的なイメージも入っている。個人的思い込みや事実誤認も有るかも知れないがお許し頂きたい。前置きが長くなったがスクリーンに映し出す資料をベースに話を進めたい。
①1978年の対外開放政策発表後丁度30年。この間節目となる出来事を3件取り上げ「開国」と称したい。
1)第1の開国:1978年、鄧小平氏は改革開放政策を発表し華南地区に4つの経済特区を設置、外資導入への大きな門戸を開いた。その後、沿海14都市も開放され大連も海外デビューを果たすことになる。
2)第2の開国:鄧小平氏の1992年の南巡講和でこの動きが加速される。「先富論」が中国の近代化に大きな役割を果たす。
3)第3の開国:2001年のWTOへの加盟は名実共に先進国の仲間入り宣言である。発展途上の過程では各種優遇措置を準備し外資の導入を促進する必要があった。既にかなりの成果を挙げた中国はWTOに加盟した。ただ我々外資系企業に取り、内資と外資の条件一体化は、既存の優遇条件を失うことにも繋がり企業を取り巻く経営環境が厳しさを増すのは止むを得ない。
②この30年間の平均GDP成長率は9.8%。世界平均の3%と比べると驚異的な伸び。 ただ、最近続いた二桁の伸びも2008年は9%台に低下する見通し。成長率1%の低下は雇用機会の大きな喪失を意味する。中国政府にとり8%台の死守が超重要課題である。
③2008年は、日中平和条約締結から丁度30年目にあたる。ここ十数年は長きに渡る政冷経熱の時代が続いた。但し近年の両国トップ相互訪問を通じ、厚い氷が破られ溶かされ春の訪れに至ったことは本当に喜ばしい。
④こうした成長の過程で取り残されていた東北。2003年秋、東北振興政策が大々的に発表された。
①総覧:
・先ほど来の話を地理的に俯瞰したものである。長江デルタと珠江デルタのGDP合計は全国の35%。東北地区は面積/人口が全中国の約 8%、GDPは約10%を占める。
・日本の24倍もの面積を誇る巨大国家中国。沿海地区が発展し、奥地の西部の開発が進み、東北地区が大変貌を遂げればこの3つの車輪が大国中国建設の大きな原動力になることは間違いない。
歴史的出来事の変遷を時代と発生場所を中心にまとめてみた。
・今から380年前、当地に勃興した勢力は第3代目の時代に山海関を越え北京に進出し300年弱に亘る大清帝国を築く。但し清朝末期は勢力が衰退しアヘン戦争を初めとする列強侵略の嵐を受ける。当時の中国東北は大して重要な産業もなく人口も少ない中国の一地方であったが、南の不凍港を狙うロシアと天然資源を狙う日本にとっては大きな関心を持つ地域であった。
当時の中国東北は大して重要な産業もなく人口も少ない中国の一地方であったが、南の不凍港を狙うロシアと天然資源を狙う日本にとっては大きな関心を持つ地域であった。
・日清戦争に勝利した日本は遼東半島の割譲を受ける。但し日本の進出を恐れるロシアがフランス/ドイツと共同で干渉。日本はこの返還を余儀なくされる。
・その後、ロシアは東清鉄道支線の敷設権と遼東半島の割譲を受け、北と南から鉄道を敷設し統治体制に入る。ハルピンと大連の街並みがロシア風なのはこの名残である。
・ところが日本は日露戦争でロシアに勝利を収める。南満州の鉄道敷設権と沿線開発権を獲得しロシア色排除体制に入る。2008年は現在の瀋陽駅の建設が始まってから丁度100年目にあたる。
・その間、中国全体をみると1911年に辛亥革命が発生、清朝が崩壊し中華民国政府が樹立される。但し中華民国に取り北方はコントロールの難しい土地。結果的には北方軍閥との戦いの図をとるが実態的には北方軍閥を利用し北のロシアにも対抗させた。日本は国家財政の大半を投入し炭鉱開発や製鉄所やダムの建設に当たる。これらが今の東北地区の産業の基盤になっていることは否めない事実である。
・1928年には奉天の大軍閥張作霖事件を起こし。1931年には満州事変を勃発させる。当時の日本の指導部の支持を踏まえない暴挙であった。1932年には清朝末期の皇帝溥儀を担ぎ出し満州国を作る。日本の植民地ではなく中国が作り上げた国家との位置づけをとった。内外からの批判をそぐためである。「偽満」という言葉にそれが集約されている。
・その後、日中戦争と太平洋戦争に発展、日本は泥沼状態に陥る。そして1945年敗戦。
・ロシア参戦を契機に在留日本人は大混乱に陥る。大陸孤児が生まれ中国人養父母に育まれた孤児は多くを数える。
・日本撤退後の中国では国民党と共産党の熾烈な戦いが始まる。共産党が勝利し、蒋介石氏率いる国民党は台湾に移る。
・満州が崩壊した時点で満州の重工業生産高は全中国の90%に至った。まさに中国の「生命線」。1945年毛主席は「もし我々が全ての根拠地を失っても東北さえあれば中国革命の基礎が築ける」と語った。東北地区の重要性がこの言葉に集約されている。
それではそろそろ現在の東北三省を俯瞰してみよう。
1)主要経済指標(2007年):
(GDP) 遼寧省のGDPは黒龍江省と吉林省を合わせた規模で全国行政区域順ではでは上から1/4レベル。黒龍江省は1/3、吉林省は下から1/3。
(国際貿易) 遼寧省600億㌦の貿易相手国トップは日本。黒龍江省の大半は対ロ貿易。
(外資実行投資額)遼寧省の91億㌦は驚異的数字。内50億㌦が瀋陽市。但しその2/3は不動産関連投資。装備製造業の導入を念願する瀋陽市としては必ずしも喜ばしい内容ではないかもしれない。2008年度は9月末迄で既に昨年を越えている。
2)東北三省資源全国比: 原油生産高は全国の1/3を占める。大慶油田/遼河油田が支えている。石炭は9%だが特に黒龍江省産は良質。
3)各省別説明:
(黒龍江省) 石油/石炭及び農畜産の大資源を有す。ロシアとの長い国境線を有しロシアとの辺境貿易が重要な位置づけをもつ。
(吉林省) 自動車/石化が基幹産業。吉林省は中国の自動車生産の第3位。東北三省全体で中国の16%を占めている。
(遼寧省) 我々が住む遼寧省は素晴らしい産業基盤を有す。丸で囲んだ半径150km圏内には市街地人口100万超の大都市が8つもある。その中心に位置するのが瀋陽市。周辺を石油化学や製鉄所など重化学工業都市が取り囲む。遼寧省の2大プロジェクトは「大瀋陽経済圏(大瀋陽経済区と称す)」構想と「五点一線」構想。大瀋陽経済圏は一大サプライソースであると共に一大消費圏を構築する。瀋陽伊勢丹など小売資本の進出もこの経済圏全体を視野に入れたものである。
②東北振興政策: 一言で言えば痛みきった国有企業を蘇らせるべく中央政府が満を持して発動した政策。具体的方策はプロジェクトへの資金供与、負債減免、税制優遇、社会保障制度など中央政府自らの支援を軸にしている。
地図を逆さまに見ると新たな視点が生まれる。瀋陽からハルピンは丁度日本の北海道が納まる緯度。決してシベリアに近い遠くて寒いところではない。 1)黒龍江省はロシアとのお付き合いをどう進めるかが最重要課題であろう。
2)吉林省の人は日本海ルートでの物流に関心があろう。来春には新潟とザルビノを繋ぐ定期海運航路の開設が計画されている。ロシア/ 中国の通関という煩わしさはあるが既存の大連経由に比べ所要日数は半分に短縮できる。 3)遼寧省を見ると環渤海経済圏内での重要性がよくわかる。山東や朝鮮半島からも多くの移民の流れがあった。瀋陽は北京や大連/青島とも至近距離である。全方位外交の展開が可能な位置づけである。
漫画的な地図ではあるが現在及び過去、色んな情報を読み取ってもらえると思う。
2)奉天時代
1)現在 瀋陽の東西南北に広がる開発区は「北農/東汽(自動車)/南高(ハイテク)/西重(重化学)」という8文字で表される如く発展の方向性が明確である。 瀋陽の町は東京の山手線と位置関係及び土地柄が大変似ている。瀋陽空港(羽田)、太原街(新宿/渋谷)、中街(浅草)、北駅(上野)というイメージ。
本年は奉天駅(現:瀋陽駅)の設計開始から丁度100年目に当たる。日本は旧市街(中街)から離れた場所に奉天駅を建設し駅前東側を行政区にした。駅の西側(鉄西)には多くの企業/工場を誘致した。
3)鉄西区
何故瀋陽地区には充実した工業基盤があるのか?鉄西区の歴史を語らずして理解できない。
1906年満鉄沿線の開発権をえた日本は当地区に多くの日系工場を建設した。1949年新中国成立後、当地は中国を代表する工業地区として「共和国装備部」と賞賛された。ところが1980年代、外資導入を図る改革開放路線にすっかり乗り遅れた。設備/技術の老朽化が激しく競争力の激減は大不況をもたらした。欠損通り/レイオフ通りなどと揶揄される状況は「東北現象」と呼ばれた。2002年以降、瀋陽市政府は大鉈を振るった。公害企業をつぶし多くの企業を移転させ跡地を住宅地/商業地区へと変貌させた。これが今の鉄西区である。公害で薄汚れた町は美しい町に蘇った。
瀋陽は変わった。広き中国、短期間でこれだけ変貌した街もないであろう。大連の対外レビューからは20年もの遅れはあったが、日系&欧米系を通じ引き続き事業進出の大きな対象である。この瀋陽を多くの人々が理解し、企業進出も増え、益々発展していく様を垣間見たいというのが駐在員としての私の念願である。
① 米国発の金融危機の東北三省への影響?
② 外国資本特に日系企業の瀋陽への進出の見通し?
③ 日本語を履修する中国人大学生にとり、地元日系企業への就職機会が多くないのが誠に残念。見通しはいかがなものか? 以上
2007年4月14日
(昔の東北)
約30年前の1978年5月、筆者は弊社石油化学プラント代表団と共に初めて東北三省の地に足を踏み入れた。ハルピンから列車で大慶油田を視察、後は列車で南下し瀋陽、大連を訪問した。文化大革命の嵐が過ぎ去り、正しく対外開放に向け舵が切り直された時代。我々日本人代表団を遠慮がちに見つめる人々の視線と受入れ機関の周到なる準備の下、新時代の幕開けを感じさせられる日々を日程通りに消化した。大慶油田若手幹部の希望に燃える眼差しとてきぱきとした対応が大変印象的であった。
その後の訪問地瀋陽はかって20年に亘り清王朝の都がおかれていた土地。ユネスコの世界遺産に登録された「瀋陽故宮」や「北陵公園」、毛沢東の銅像が聳える「中山広場」や「遼寧賓館」(旧「大和旅館」)等、学生時代に学んだ中国史を思い起こしつつ歩を進めた。 一方で、空気の悪さに閉口した記憶が今でもまざまざと蘇る。
(今の東北 特に瀋陽)
遼寧省の省都瀋陽市。今回の駐在は早や3年弱となる。1949年新中国建設後は、日夜黙黙と煙を吐き出し中国の重化学工業化の推進に多大の貢献をした。その結果が都市環境や住民の健康に多くの犠牲を強いてきた。この煤煙の街が、2004年には「国家環境保護都市」、2005年には「国家森林都市」の称号を獲得、2006年には「中国瀋陽世界園芸博覧会(国家級花博)」を開催するまでに至った。かつての瀋陽を知る人々はその変貌振りに目を開き、初めての来訪者は瀋陽の大都市然とした姿に驚く。 瀋陽都市部(3,500km2)の人口は約500万人。市内に巡らされた幅広の道路、四方八方に通じる高速道路網(北京、大連、長春/.ハルビン、丹東方面)、そして2009年の開通を目指し地下鉄1&2号線建設の槌音が響く。道路沿いの古い建物は近代的ビルに一新。又、大連からハルビンまでを4時間で結ぶ高速鉄道も計画されている。1980年代の沿海都市開放政策を受け、初期の段階から日本企業の進出が続き、日本人には馴染みの深いアカシアの大連と共に、瀋陽は、今後遼寧省そして東北3省の中核都市として大きな機能とリーダーシップを発揮してゆくことは間違いない。
(発動の背景)
対外開放に向けての槌音は鄧小平主席の大号令の下、1980年代の14の「沿海都市の開放」から始まった。1990年代の「上海浦東開発」を経て、2000年代に、江澤民主席は「西部大開発」を主導した。
胡錦涛主席は巨大な工業基盤と鉱業/農畜産資源を有する東北の潜在性に着目、2003年10月、「中国東北地区旧工業基地振興政策(略称:東北振興政策)」を発動した。沿海+内陸+東北、この3つの大車輪で更なる国家の実力強化を図ろうという大プランである。
(処方箋と成果)
問題は国有企業の大改造。生産力では一応の貢献は果たすも、非効率体質に起因する工業生産力シェアの落込みが顕著になり(*東北三省全体の全中国におけるシェアは1952年の23%から2004年には11%まで減少)、各地で「東北現象」と揶揄される構造的経営難が続いた。中央政府は具体的処方箋(*①)を整備し、各省政府と共に企業の内部に徹底的にメスを入れた。体質改善が可能な企業にはカンフル剤を注入、病魔におかされた企業には市場からの撤退を命じた。最良の薬は外国からの技術/資本の導入であろう。この処置の下、国有企業の株式化及び再編/民営化に大きな成果が見られる(*②)。
*①東北振興政策の具体的処方箋
1)事業プロジェクト支援:国債PJを認定し、無利子ローンを供与。
2)負債減免:既存の処置に加え、 3)税制優遇:設備購入時の仕入税額控除等。 4)社会保障制度改革:企業お抱えの社会保障部分(学校/病院等)の企業からの分離等。
*②国有企業の再編民営化
1)国内外の民営企業による出資 ・ハルビンビール(米国バドワイザー)/ハルビン製薬(米国投資企業)等
2)国有企業の再編 ・鞍本鉄鋼集団(鞍山鉄鋼+本渓鉄鋼。中国第2の鉄鋼集団に躍進) ・東北鉄鋼 (遼寧特殊鋼集団+黒龍江北満特鋼) ・大連船舶重工(大連造船重工+大連新船重工)・黒龍江龍煤 (4つの国有企業統合を目指し再編作業中)等
(外資の動き)
東北自身が産業の選別的導入を図り、上海を中心とする長江デルタ、広州を中心とする珠江デルタ等の沿岸部に「追いつき追い越せ型」を目指し始めた。外資進出の矛先も華東>/華南地区から北をめざす大きなうねりも生じている。国有企業も多くが株式化或いは外資と提携し国際競争力の蓄積に余念がない。土地柄、韓国企業の優勢は否めないが、最近では台湾企業や欧米企業(自動車等)の進出も目立っている。日本企業は、来料加工を目的にした大連への進出は多くを数えるが、内陸立脚型の事業進出が大いに期待されている。
(活発な対外投資誘致活動)
内外資導入に際しては三省とも経済貿易関係のイベント開催に大変積極的。日中間では2000年以来、日中東北開発協会及び東北3省/内蒙古自治区政府主催の「日中経済協力会議」が日中各都市の持ち回りで開催され、2007年5月31日~6月1日にはハルビンで開催される予定。こうした機会を通じ、双方の意思疎通の徹底はもとより、産業分野毎の企業間の出会いの場を設定するビジネスマッチングが頻繁に実施されている。
それと共に日本/韓国や国内主要都市での投資誘致活動も積極的。省/市政府や各開発区からの訪日団も枚挙に暇がない。本年4月11日には温家宝総理が訪日されたが、それと相前後し、瀋陽市宋副市長、吉林省韓省長が訪日、4月17日には遼寧省張省長が遼寧省14都市トップも従え大挙訪日予定である。
(三省俯瞰)
改めて東北三省全体を各種統計で俯瞰してみると
1)面積は日本の約2倍の79万平方キロ、人口は日本より若干少ない 約1.1億人。
2)GDPの全国比シェアは約9.4%(2005年べース)。 中国31行政単位内順序は、 遼寧省(8位)/黒龍江省(14位)/吉林省/(22位)。
3)天然資源の全国比シェアは(2004年ベース) 原油37%(6500万㌧)/石炭8%(1.6億㌧)/天然ガス9%(37億立方米)。
4)主要農畜林資源の全中国比シェアは(2004年ベース) 豆類(42%)/とうもろこし(30%)/木材(26%)/牛肉(17%)/米(11%)。
(各省別特徴)
黒龍江省
大慶の原油と天然ガス、東部地区の石炭等膨大なエネルギー資源と農畜産資源に恵まれている。エネルギーは中央政府と地方政府の協調の下、開発と利用計画が進む。農畜産資源については「農墾総局」が圧倒的優位を有す。当地は世界に広がる三大「黒土地」の一つ。今後は農産物加工による付加価値のアップを狙い、黒龍江ブランドのイメージアップが期待される。農地の開拓、農畜産物の開発、市場商品化の段階において、北海道の発展の歴史が一つの学習材料になるかもしれない。
(ご参考)
本年1月ハルビン市にて、「ハルビン/大慶/チチハル工業地帯経済貿易商談会」が開催され、15カ国/169企業及び252名の内外来賓が参加した。この三都市を結ぶ地域に、装備製造/石油化学/食品/医薬品/ハイテク産業育成の総工業地帯の建設が計画されている。各都市から総合企画内容が説明され、最後はビジネスマッチングで締め括られた。
吉林省
長春市は、有数の大企業「第一汽車」を中心とする自動車産業を背景に企業城下町としての色彩が強い。最近トヨタ自動車との合弁事業の開始により頓に活況を呈している(ランドクルーザーとハイブリッド車「プリウス」を生産)が、水素車/電気自動車等の新領域も開発し、自動車タウンのイメージアップと新規イメージの創出が期待される。
又、吉林市の「吉林石化」を中心とする石油化学や、とうもろこし原料のバイオ燃料/バイオケミカルの展開も特筆される。東北三省は環境問題では、エタノール混合(約10%)ガソリン使用の先行的取組みが行われている。*今後共、植物資源利用のバイオ燃料の開発が大いに注目されるが、資源保護の観点から中央政府による案件の選別認可の傾向にあることには注意を要する。
以上に加え、中国/ロシア/北朝鮮の国境地帯である図們江(豆満江)の開発が進展しロシア港湾施設を利用した日本海への出口の確保が出来れば、日本の東北/北海道地方との協力関係が加速されよう。
遼寧省
遼寧省の展望については次項に譲る。
(概要)
面積は日本の0.4倍。人口は4200万人(内農民人口約1900万人)。海岸線距離は中国の各省の中で最長。
省中央部に位置する瀋陽の工業力には定評あり。瀋陽を中核とする100km圏内(人口2100万)には人口100万以上の7都市を有し、重化学工業都市群(石油化学/鉄鋼/石炭化学)を形成している。
(五点一線計画)
特筆事項は胡錦涛主席の後継者候補ナンバー1とも評せられる李克強書記が陣頭指揮する「五点一線計画」(*③)。李書記(*2004年河南省書記から遼寧省に着任。北京大学法学/経済学博士。胡主席と同様、共産党傘下の青年組織である共産主義青年団の第一書記を務めた)は、世界の経済発展が沿海から100km以内で始まったことに着目した。本計画では、大連市近郊の長興島(中国第5番目の島)と錦州湾/営口の開発が先行している。内外の有力企業が参画を予定する造船業を核とし、関連支持産業(鋼板/ディーゼルエンジン/塗装材/冷凍設備等)やバース建設を包含する一大産業チェーンが形成されるであろうことは注目に値する。(本計画では、韓国/香港/シンガポール系の企業が攻勢をかけている。日本企業の影はまだ見えない)。
*③五点一線計画
重点開発地域5箇所とそれを繋ぐ海浜道路(1443km)の建設。 大連・長興島臨海工業区域、 遼寧(営口)沿海産業基地、遼西錦州湾沿海経済区、遼寧丹東産業園区、大連花園口工業園区。
(総覧)
渤海及び黄海沿海地域の開発を強力に進める遼寧省。「4大発展空間」構想の下、市郊外の東西南北4地域の誘致産業分野を旗織鮮明にし、遼寧省の中核としての瀋陽圏の拡充を図る瀋陽市(*④)。国際港湾を背景に開発区の拡充とソフト産業の育成にも注力中の大連市。これらが旨くかみ合い、東北振興政策を追い風に計画の具体化に余念がない。尚、瀋陽市では「瀋陽日本中小企業工業園」建設構想が具体化の運びとなった。
*④瀋陽市4大発展空間
東部の棋盤山風景区{自動車} 南部の渾南地区{ハイテク}、 西部の瀋西工業走廊(細河経済区){重化学工業} 北部の瀋北新区(蒲河新城){農業/IT}
地元政府には各工業区/各開発区の環境整備(税制優遇/インフラ施設)と共に企業が比較検討をしやすい材料(目指す産業領域、周辺工業基盤、進出済企業の概要)等を提供し更なるアピールを期待したい。単に更地を準備し、「税制優遇及び基本インフラを完備した。積極的投資を歓迎する」というだけでは外資はついてこない。目指す産業の方向性を明確にし、先ずは核となる企業を誘致することが肝要であろう。産業が産業を呼ぶ。当地には工業生産力を備えた協力対象企業も多い。将来の現地生産を睨んだ日系企業の現地パートナー企業との協力関係の構築が待たれる。
瀋陽に駐在する立場としては、日中双方の交流が強化されることを垣間見られるのは望外の喜び。2007年は日中国交正常化35周年にあたる。これを記念して本年は「2007日中文化・スポーツ交流年」に指定され、一連の記念事業が実施される予定である。