第16号-1

第16号会員寄稿

桂林

高山 敬子 (瀋陽薬科大学)

冬休みに日本へ帰る時、少し足をのばして???といっても瀋陽からは日本へ帰るよりずっと遠くなるが???広州、桂林とまわった。

空気が痛いようなしばれる瀋陽から南の広州へ近づくにつれて陽射しが格段に明るくやわらかになってきた。

「桂林」と言えば、まずは漓江下りということで、第一日は定番通りの船遊びとなった。桂林の町からバスで1時間半くらいかけて、揚堤の船着き場へ。あちらこちらのホテルをまわったバスやマイクロバスからお客が次々に降りてくる。中国人観光客が多い。河原にたくさんの物売りが店を広げている。

観光船はかなりの大きい。一階の船室に入ると、長いテーブルとベンチのような椅子がズラリと並んでおり、指定席になっていた。席につき少しすると、昼食の注文を取りに来た。船尾が厨房になっており、つくりたての温かい料理を出してくれるという。しかしかなり高いので定食にした。少し休むと船がゆっくり動き出したので、カメラ片手に急いでデッキへ上がる。

桂林地方は六ヶ月間雨が降らなかったそうで、あちこちに中州が顔を出している。時々、船底が石でこすれる音さえする。確かに水が少ない。川の中の石ころで堰堤を築き、一番水量の多いところを船はぬうように進む。 

船が進むにつれて釣鐘状に盛り上がった山々が重なりあって見える。暗緑色の山から遠のくにつれて色がうすくなっていく。そこをゆっくり船が通過すると、また違う形の山が盛り上がるように現れてくる。あの水墨画の世界そのままだ。

観光船が三・四艘進んでいくと、その後を地元の人が土産物をイカダに積んで長い棹をあやつりながら追いかけていく。記念にと川底の石ころ、果物(文旦が多かった)荒削りのワシの置物等々。売り手は器用に観光船の船べりに足をかけながら、お客と値段の駆け引きをしている。

春や夏の水量の多いときに比べると、私たちが実際に乗ったのは揚堤からの漓江下りの中で一番景色のよい所(通常の1/3)を往復しただけだった。しかし墨絵の世界は充分堪能できた。

二日目は棚田を見に行くことになった、桂林市内のバスターミナルから座席指定の直通バス(18元でミネラルウオーター付き)で1時間20分かけてまず龍勝へ。前日に旅行社に頼んでおいたので、バスを降りたところに日本語のガイドのチワン族の娘さんとワゴン車が待っていた。この日本語ガイドは、日本語二級相当の力があるという桂林市内の日本語学校の先生の証明を持っていて私たちに見せてくれた。しかし、こちらの言う事がわからないし、話せない人だった。

この龍勝からさらに50分車に乗って龍背のふもとに到着した。道の両側に小さな土産物屋や食堂、家が建ち並び、まるで日本のひなびた田舎の温泉町を思い出させるような雰囲気だった。目を上げると、それほど高くはないが、なだらかな山々は重なりあうように、段々畑が続いている。

そこからさらに細い坂道を40分くらい登る。観光客用の乗物(江戸時代に川を渡るのに使った蓮台のようなもの)を二人でかかえてきて、これに乗れとうるさい。「大丈夫、まだ自分で登れるから」とことわっても、ことわっても彼等はあきらめず、ずっとついてくる。

少し登ると集落があった、木造で黒い屋根瓦だが、この一軒一軒がかなり大きくて長い。この家の床下は家畜小屋になっていて豚が飼われていた。もしかしたら数家族で住んでいるのかもしれない

急な坂道をふうふう言いながら登ると、一つの峰の頂上についた。そこが展望台になっており、小さな土産物屋もあった。その上から眺めると、まわりの山々がみな棚田だ。山裾からそれぞれの山の形に添って緩やかにカーブした畦が延々と続く。畦の高さが日本よりずっと高いので、その部分が上から見るときれいな縞模様に見える。ちょうど地図帳の等高線をながめているような感がある。田は日本のように細かく区切られていないので、ぐるりと長い楕円形が一枚の田になる。

“耕して天に至る”というが、営々と耕してついに山の頂上も丸い田になっていた。よくもまあこれだけ耕したものだと感心してしまったが、山を耕さざるをえなかった民族といえるかもしれない。 桂林は「山と水で有名です」と学生たちが言っていたが、その両方を見ることができて満足した旅でした。

大きい胸が好き

峰村 洋 (瀋陽薬科大学)

わがクラスは女子学生が24人、男子学生は3人。女学生に囲まれてそれこそ幸せと言うべきであろう。

ある時、1人の男子学生K君が小生の質問に答えた。「大きい胸が好きです」。一瞬「(大きい胸なら)先生も好きですよ」と出かかったところで、ボクのわずかな理性があわてて口をふさいでくれた。危うい所で問題発言の言質を取られるところだった。コンニチの日本でなら即刻“始末書”とかを書かせられたは必定であろう。そうなってしまってからでは、始末に終えないことになる。

いやしくも神聖なる日本語の授業中のことである。おまえは中国まで出かけて行って、いったいぜんたいどういう授業をやってるんだ、と先輩諸氏よりお叱りを受けそうです。何を問うたのかって?

弁解するじゃありませんが、小生はそのK君にただ「君は何色が好きですか?」と会話の練習として質問しただけです。じゃ、その学生は何て答えたんだ?最初彼は「青が好きです。」と答えました。「それで?」「どうして好きですか」と聞きました。そしたら、「空は青いです。海も青いです。胸が大きいから、好きです。」??? 当の学生は大まじめで小生の問いに答えたのです。どの学生も真顔で日本語の先生の顔を見つめています。小生、すかさず“変面”し、平静を装って、再度質問します。「大きい胸が好きという意味は先生にはよくわかりません。青い空や海とどういう関係がありますか」。彼は答えられずに言い淀んでいます。すると、なんと女子学生のTさんがじゅうぶん真面目に、「先生。広い胸が好きです」ですと。小生またまた胸を痛めながらつぶやきます。「大きい胸が好き」、も、「広い胸が好き」も、だいたい同じじゃない?いったいこの娘は、何も感じないのか、と。

いつもは鈍い小生でも、その直後にひらめきました。「空や海は大きくて、ふところが広い。自分の心も広くなる。だから好き」でしょう?例のK君「はい、そうです」。これにて、一件落着。ヤレヤレ。

日中辞典を見てみます。“ふところ”の項。ありました、ありました。“懐、胸、懐抱”等等。アノK君は「自然のふところの広がり」を言いたかったのです。彼はちゃんと辞書を引いて勉強していたのです。

今度は中日辞典で「胸」を調べます。“胸、心、胸中、腹、思い”とある。

中国語の“胸”には、胸部の“胸”の外に、“ふところ”、“心”の意味で使われることがわかりました。ついでに「心」を引いてみると、いの一番の意味が「心臓」です。時に“アヒルの心が食べたい”という話になったりするわけです。名物北京ダックの心臓のから揚げのことです。

皆さん、おおむね、おわかりになりましたでしょうか。


先生、飴がありますか?

峰村 洋 (瀋陽薬科大学)

中国の大学では、どの学生も校地内にある寮で寝泊りしているようです。ここ瀋陽薬科大学は、こじんまりした大学だそうですが、それでも女子寮だけで3000人いるそうです。男子は2800人くらい。どれも4人部屋で、各人のスペースとしては、下段には学習机があり、その上段がベッドになっています。トイレは各部屋に一つあります。男子部屋を覗いた時、きれいに片付いているのにびっくりしました。時時掃除の検査があって、これも成績?に反映するとか。

彼らは(彼女らといった方がいいかもしれませんが)、寮内では、調理が許可されません。毎回、学生食堂か、校外にある食堂やレストランで食事するより仕方がないのです。もちろん、店でパン、果物、飲み物を買ってきて朝食を済ます学生もいます。

そこで、時々、我が家?の厨房を開放して、料理教室?を開きます。一昨日は、「ちらし寿司」をご馳走してやるからというわけで、4人を招待しました。というと、恰好よく聞こえますが、小生にはついでに彼女らに料理を数品作ってもらっていっしょに食事を楽しもう、という魂胆があるのです。学生たちには、冬休みの宿題として、最低一つの料理を作れるようにしてきて休み明けに先生に作ってくれること、と手を打ってありました。案の定、未だに包丁が怖いという女子学生がいます。“箸より重いものは...”とはいささか違うように思われますが、一人っ子政策の落とし子とでも言えるでしょうか。 さて、当日、早く来た学生が嬉しそうに「先生、手伝いましょうか」と言う。健気な乙女です。「大丈夫?」と聞いてみたら、包丁(彼女らは一様に、ナイフという)を持ったことがないと言います。「冬休みの手伝いをしなかったの」と聞くと、あわてて「手伝いました。でも、おばあさんが作った料理を並べたりしました」と言います。何事も体験学習というわけで、ジャガイモの皮をむいてみせます。「先生は、小学校の時からやっているよ」と言うと、しきりに感心してくれます。そして、「やってごらん。」

「言ってみせ、やってみせて、やらせてみる」。どうです。立派な生活指導?をしているでしょ。

家ではなかなかそのチャンスがない彼女らは、先生のお勝手に立てた喜びを身体や声で表します。そして、イキた日本語の会話練習となります。料理を作っていた学生が、お勝手から顔を出して、「先生、飴はありませんか?」料理の最中に“飴”だって?何も今なめんでもいいじゃん?まあ捜してやっか。飴の一つくらい無いことはないはずだから。が、待てよ。「雲雲うんうんさん、それ、もしかして砂糖のこと?」周りの友達はきゃっきゃと笑い転げます。

二日後に、勉強に来た別の学生たちに“飴”を出してあげました。ある学生曰く、「先生も砂糖が好きですか。」と。

中国語の「糖」(発音はtangの第2声)には、「砂糖」と「飴」の意味がありますので、つい調味料としての「砂糖」と「飴」が混戦してしまったわけです。「飴なんてないよ。」と言ってたら、甘味の無い食事会となっていたことでしょう。

私とSMAP-2004年の主役たち

中道 秀毅 (瀋陽師範大学)

1999年8月に私たちは、山東省青島市開発区の濱海職業学院日語科に赴任した。

初めて対面したのは98年入学の学生たちだった。必要感と興味が学習意欲を盛り上げるもの。何かの話からテレビの主人公に話が及んだ。

さわやかな存在感のある”キムタク”の呼び名は知っていたが、「誰か漢字で正確に書けるひとは?」と訊ねた。挙手をして教壇前に出てきて”木村拓哉”と楷書で記したのは魏烈騰君だ。よいセンスで日本語のレベルを上げていく。以来、私たちと付き合いが続いている。

キムタクが「SMAP」のメンバーということは、今年2004年、春節休みで日本へ還ってから、他のメンバーと一緒に知った。

現在テレビ視聴率第一位は、「白い巨塔」で故田宮二郎の主演で絶賛された映画でも知られている。

唐沢寿明と江口洋介他で”骨太”社会ドラマとしての迫力がある。

1月15日に帰国し翌16日が、大河ドラマ「新撰組」の第一回で、近藤勇が坂本竜馬や佐久間象山と顔を合わせる。史実より奇抜なアイデアで幕末維新と西洋列強に対して、いかに対処していったかと、日本人の目覚めを面白く描いている。近藤勇を香取慎吾という若者が演じていた。娘の解説によると、「SMAP」のひとり、と。

この日の新聞、テレビ欄をよく見ていたらと後悔しているが、松本清張原作の「砂の器」で天才音楽家和賀を、中居正宏が暗く虚無感を漂わせて演じている。殺人を犯した和賀を執拗に調べ上げる老練刑事を渡辺謙が、かつての丹波哲郎とは異なった役づくりで迫っていく。第一回は見逃した。

そして火曜の「僕と彼女と彼女の生きる道」を判りきった筋書きと反発してよく視なかったところ、娘は録画して視ていて、真実性の高いドラマと気付く。エリート銀行マンが、娘を置いて出奔した妻への責任と、父親としても、いたいけな小一の娘への憐れみから根本から生まれ変わった人間とならんと苦戦し出す。小雪という女優が娘の家庭教師役として、さりげない愛を捧げていく。主演草なぎ剛が好演し、視聴率が徐々に上がっている。 前記した“キムタク”は「プライド」というアイスホッケー選手のドラマでセリフさばきがうまく、人気は高い。あとひとり稲垣吾郎も司会やグルメ番組で活躍している。

時代は21世紀・・・。

帰国すると、テレビっ児となってしまい、5歳の孫娘に「じいじは・・・」と諭されてしまう日々だ。