南本卓郎

瀋陽を去ってはや11年

2004年9月~2007年6月 瀋陽薬科大学

南本卓郎

瀋陽教師会の同窓会の言いだしっぺは私だったと思いますが、皆様に立ち上げて頂き、会を重ねて今年は第10回を迎えます。最初の会は京都の円山公園で開催されました。ちょうど桜が満開の季節で、ライトアップされた枝垂れ桜の美しかったのを想い出します。その時私は仕事(後述)で岐阜羽島に滞在していましたのでそこから往復しました。2回目も同じく京都花園会館(集合写真で黄色いものを皆さん持っておられますが、これは我が家で採れた柚子です)、3回目の熱海、4回目の山口湯田温泉、5回目の長野、7回目の岡山・倉敷鷲羽山、8回目の三保ノ松原と行きましたが、6回目の浦安と9回目の大阪には入院やその他の関係で参加できなかったのが残念です。8回目の同窓会三保ノ松原から帰る時に集中豪雨でJRが止まり、家に帰りついたのが午前2時過ぎだったこともありました。

瀋陽で教師をしていらっしゃった皆様方お元気でしょうか?

私は2007年に瀋陽から日本へ帰ってきましたが、帰る前に学生たちが古希の祝いをしてくれたのがつい昨日のような気がします。

本年の同窓会には、当時瀋陽教師会を陰に日向に支援してくださった元総領事館領事の森さん、資料室の転居等で強力なお力添えをいただいた元伊藤忠瀋陽支店長の高木さんが参加してくださるので、今まで以上に盛大な会になると思います。私も今から皆様方に会えるのを大変楽しみにしています。   山形先生が立派な同窓会のWebsiteを立ち上げてくださいました。お陰で会員相互の交流がはかれると感謝しています。私も早く投稿したかったのですが文才が無い上に、今は何しろ来月16日に開催される「防府読売マラソン大会兼日本視覚障害女子マラソン選手権」(市民マラソンではなく日本陸上競技連盟公認の新人の登竜門と位置付けられる大会)を控えていて、毎日その準備に追われています。

私は定年退職後「公益財団法人日中技能者交流センター」(以後センターと略します。現在は通称「HRsDアジア財団」と言います)で日本語教師の研修を受け、その後2001年8月~2002年7月吉林省長春(旧満州国の首都、新京)の長春外語学校に派遣されました。センターは中国への日本語教師の派遣と、当時は主に中国からの技能実習生受け入れをしていました。技能実習生を受け入れるにあたり、まず中国の研修所(北京・青島他数か所)で2ヵ月あまり日本語の基礎を教え、その後、愛知県西尾市か岐阜県羽島市の研修所で1ヶ月間日本語や日本の文化・企業で実習するうえでの基礎知識等を教えます。ある程度日本に馴染んだところで実習生として各企業へ送り出すのです。

長春から帰国後は主にセンターの日本の研修所で中国人実習生に日本語等を教えていました。2004年に瀋陽に派遣され、2007年に帰国後も同じくセンターに所属し、研修所の所長として日本語等を教えていました。研修所は1カ月単位で年に5回~6回ぐらい西尾や岐阜羽島の研修所で私が2014年8月癌の手術をするまで日本語等を教えていました。日本の研修所では瀋陽でご一緒した先生方とお出会いすることもありました。

1か月の研修が終わり実習生が各企業に赴くときには、涙の別れになったのが印象的でした。特に西尾研修所では1か月間、46時中寝食共に生活するので、教師と実習生の繋がりは実に濃密でした。その間2007年12月~2月末には山東省泰安の研修所へ派遣されました。車のナンバープレートが「魯○○」で始まる地域です。五岳のひとつ泰山にはロープウェイを尻目に歩いて3回登り、近くの孔子の故郷曲阜にも3回行きました。

中国ではよく歩きましたが、日本ではもっぱら自転車で各所をめぐりました。西尾研修所では吉良上野介ゆかりの地を訪ね、一色のウナギ養殖所や大提灯祭を見に行きました。岐阜羽島の研修所では岐阜・大垣はもちろん関ヶ原・尾張一宮・三川公園(木曽川・長良川・揖斐川の三つの川の合流地点)を通って三重県の桑名まで行きました。桑名からの養老鉄道(元近鉄養老線)には自転車が一緒に乗せられるので、さすがに帰りは電車に自転車を乗せて大垣まで帰り、大垣から自転車をこいで羽島へ帰りました。木曽川には矢切りの渡しほど有名ではありませんが木曽川の渡しがあります。愛知県営西中野渡船場と言います(上の写真には私の愛車が写っています)。渡し船は愛知県側にいるので、羽島側から乗るには乗船場にある旗を揚げます。そうすると愛知県側にいる船頭さんが見つけて船を羽島へまわすのです。

その船で自転車と一緒に木曽川を渡り尾張一宮の起宿(おこしじゅく、複数の球団で監督やコーチを務めた野球選手で起工業出身の山内一弘の故郷)から三岸節子記念美術館・真清田神社・祖父江の銀杏まつり等へ行きました。

2011年にわが地元で「おいでませ山口国体」が開催され、その翌年は「2012ぎふ清流国体」が開催されました。ちょうど岐阜羽島駅前にある研修所に滞在している時で、国体へ出席される天皇・皇后、皇太子殿下等各皇族方が新幹線で来られて岐阜羽島駅から各会場へ行かれる様子を間近で見ることができました。岐阜羽島から岐阜・大垣・尾張一宮までは自転車で約1時間ぐらいで行けますので、土曜の午後や日曜日にはよく行っていました。

他に家にいるときは県の陸上競技協会の事務局の運営に携わったり県陸協の評議員をしていましたが県の役員はすべて後進に譲り、現在は防府市陸上競技協会副会長を勤め、上記の「防府読売マラソン」の大会副委員長をしています。大会が終わるまでは文字通り猫の手も借りたいほどです。本年は6月に第102回日本陸上競技選手権大会が山口市で開催され、例の100m決勝では山縣亮太選手が優勝しましたが、ケンブリッジ飛鳥、桐生祥秀との争いは圧巻でした。私も競技役員として主にドーピング関係を担当し、熱戦を間近で見ることができました。

地域の自治会やそのほか少なからず役がありますが、年齢的にもすべての役職を降り、終活に取り掛からなければと思う今日この頃です。身軽になって少しばかりの畑の野菜作りを楽しもうと思っています。

(20181115)

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