「中国東北部へのいざない〜東北の今と昔〜」

講演内容

今から丁度30年前の1978年、伊藤忠商事の石油化学代表団を引きつれ中国東北の地を訪問してから早や30年。当時の公害で薄汚れた瀋陽の街が、青空と緑に満ち溢れた街に変わっていく様はわが街を見ているが如くの喜びである。2004年4月、瀋陽事務所開設と共に前任地の蘇州から瀋陽に着任した。早や5回目の冬を迎える。ここ数年の瀋陽の変貌振りにはただただ驚嘆の限り。特にメーンストリート沿いは古い建物が撤去され大型商業施設建設の嵐が吹き荒れている。清朝時代の古い街並みの残る瀋陽。古きものと新しいものが混在する瀋陽は懐の深い飽きることのない町である。

 

個人的には入社後35年で5都市6回目の海外駐在となる。台湾を含む中国語圏での駐在は約20年。昔に比べ生活環境も格段に良くなった中国で、中国の方と仕事やプライベートでの交流が出来るのは無上の喜びである。

本日の私の話は、多分に中国贔屓の一日本人の語らいになるかもしれないが、瀋陽への愛着、瀋陽の発展への熱き想いは瀋陽に在住する外国人の中でもトップクラスに入るのではと自負している。ただ、この瀋陽を十分理解されている人々がまだまだ少ないのが残念至極である。私の話を通じより多くの方に瀋陽を理解して頂きたい一心でこれまで何度も弊社の関係者や日本の経済団体等にお話をさせて頂いた。今回のプレゼンはその集大成でもある。一人でも多くの方が瀋陽に来訪され、瀋陽への理解を深めて頂けることを願う毎日である。 

瀋陽は東北三省の核心都市であるばかりか中国有数の工業都市でも有る。何故瀋陽の工業基盤が充実しているのか?中央政府の進める東北振興政策の本質は何なのか?

これらを知るためには現時点の経済データを駆使しても本当の理解に繋がらないのではと思う。中国の改革開放から30年。鄧小平氏の進めた沿海地区開発、江沢民氏の進めた西部大開発、そして2003年秋に登場した東北振興政策。また我々の住む瀋陽は元奉天と呼ばれ多くの日本人の記憶に残る町。日清戦争終結から日本の敗戦までの50年間、この東北地区で何が起きていたのか?日本はこの地区に何を期待して国力を総動員したのか?列強地区とのかかわりはどうであったのか?

東北地区の今、瀋陽の今を理解するためには、その歴史的変遷や地理的位置づけを無視しては通れない。学者でもないのでデータや書籍を十分分析した結果ではなく足で稼いだ感覚的なイメージも入っている。個人的思い込みや事実誤認も有るかも知れないがお許し頂きたい。前置きが長くなったがスクリーンに映し出す資料をベースに話を進めたい。

1.中国対外開放政策の変遷:

①1978年の対外開放政策発表後丁度30年。この間節目となる出来事を3件取り上げ「開国」と称したい。

1)第1の開国:1978年、鄧小平氏は改革開放政策を発表し華南地区に4つの経済特区を設置、外資導入への大きな門戸を開いた。その後、沿海14都市も開放され大連も海外デビューを果たすことになる。

2)第2の開国:鄧小平氏の1992年の南巡講和でこの動きが加速される。「先富論」が中国の近代化に大きな役割を果たす。

3)第3の開国:2001年のWTOへの加盟は名実共に先進国の仲間入り宣言である。発展途上の過程では各種優遇措置を準備し外資の導入を促進する必要があった。既にかなりの成果を挙げた中国はWTOに加盟した。ただ我々外資系企業に取り、内資と外資の条件一体化は、既存の優遇条件を失うことにも繋がり企業を取り巻く経営環境が厳しさを増すのは止むを得ない。

②この30年間の平均GDP成長率は9.8%。世界平均の3%と比べると驚異的な伸び。 ただ、最近続いた二桁の伸びも2008年は9%台に低下する見通し。成長率1%の低下は雇用機会の大きな喪失を意味する。中国政府にとり8%台の死守が超重要課題である。

③2008年は、日中平和条約締結から丁度30年目にあたる。ここ十数年は長きに渡る政冷経熱の時代が続いた。但し近年の両国トップ相互訪問を通じ、厚い氷が破られ溶かされ春の訪れに至ったことは本当に喜ばしい。

④こうした成長の過程で取り残されていた東北。2003年秋、東北振興政策が大々的に発表された。

 

2.中国各経済圏概要:

①総覧:

・先ほど来の話を地理的に俯瞰したものである。長江デルタと珠江デルタのGDP合計は全国の35%。東北地区は面積/人口が全中国の約 8%、GDPは約10%を占める。

・日本の24倍もの面積を誇る巨大国家中国。沿海地区が発展し、奥地の西部の開発が進み、東北地区が大変貌を遂げればこの3つの車輪が大国中国建設の大きな原動力になることは間違いない。

3.中国東北歴史のレビュー(近代史):

歴史的出来事の変遷を時代と発生場所を中心にまとめてみた。

・今から380年前、当地に勃興した勢力は第3代目の時代に山海関を越え北京に進出し300年弱に亘る大清帝国を築く。但し清朝末期は勢力が衰退しアヘン戦争を初めとする列強侵略の嵐を受ける。当時の中国東北は大して重要な産業もなく人口も少ない中国の一地方であったが、南の不凍港を狙うロシアと天然資源を狙う日本にとっては大きな関心を持つ地域であった。

3.中国東北歴史のレビュー(近代史):

歴史的出来事の変遷を時代と発生場所を中心にまとめてみた。

・今から380年前、当地に勃興した勢力は第3代目の時代に山海関を越え北京に進出し300年弱に亘る大清帝国を築く。但し清朝末期は勢力が衰退しアヘン戦争を初めとする列強侵略の嵐を受ける。

当時の中国東北は大して重要な産業もなく人口も少ない中国の一地方であったが、南の不凍港を狙うロシアと天然資源を狙う日本にとっては大きな関心を持つ地域であった。

・日清戦争に勝利した日本は遼東半島の割譲を受ける。但し日本の進出を恐れるロシアがフランス/ドイツと共同で干渉。日本はこの返還を余儀なくされる。

・その後、ロシアは東清鉄道支線の敷設権と遼東半島の割譲を受け、北と南から鉄道を敷設し統治体制に入る。ハルピンと大連の街並みがロシア風なのはこの名残である。

・ところが日本は日露戦争でロシアに勝利を収める。南満州の鉄道敷設権と沿線開発権を獲得しロシア色排除体制に入る。2008年は現在の瀋陽駅の建設が始まってから丁度100年目にあたる。

 ・その間、中国全体をみると1911年に辛亥革命が発生、清朝が崩壊し中華民国政府が樹立される。但し中華民国に取り北方はコントロールの難しい土地。結果的には北方軍閥との戦いの図をとるが実態的には北方軍閥を利用し北のロシアにも対抗させた。日本は国家財政の大半を投入し炭鉱開発や製鉄所やダムの建設に当たる。これらが今の東北地区の産業の基盤になっていることは否めない事実である。

・1928年には奉天の大軍閥張作霖事件を起こし。1931年には満州事変を勃発させる。当時の日本の指導部の支持を踏まえない暴挙であった。1932年には清朝末期の皇帝溥儀を担ぎ出し満州国を作る。日本の植民地ではなく中国が作り上げた国家との位置づけをとった。内外からの批判をそぐためである。「偽満」という言葉にそれが集約されている。

・その後、日中戦争と太平洋戦争に発展、日本は泥沼状態に陥る。そして1945年敗戦。

・ロシア参戦を契機に在留日本人は大混乱に陥る。大陸孤児が生まれ中国人養父母に育まれた孤児は多くを数える。

・日本撤退後の中国では国民党と共産党の熾烈な戦いが始まる。共産党が勝利し、蒋介石氏率いる国民党は台湾に移る。

満州が崩壊した時点で満州の重工業生産高は全中国の90%に至った。まさに中国の「生命線」。1945年毛主席は「もし我々が全ての根拠地を失っても東北さえあれば中国革命の基礎が築ける」と語った。東北地区の重要性がこの言葉に集約されている。

4.東北三省地図:

それではそろそろ現在の東北三省を俯瞰してみよう。

1)主要経済指標(2007年):

(GDP) 遼寧省のGDPは黒龍江省と吉林省を合わせた規模で全国行政区域順ではでは上から1/4レベル。黒龍江省は1/3、吉林省は下から1/3。

(国際貿易) 遼寧省600億㌦の貿易相手国トップは日本。黒龍江省の大半は対ロ貿易。

(外資実行投資額)遼寧省の91億㌦は驚異的数字。内50億㌦が瀋陽市。但しその2/3は不動産関連投資。装備製造業の導入を念願する瀋陽市としては必ずしも喜ばしい内容ではないかもしれない。2008年度は9月末迄で既に昨年を越えている。

2)東北三省資源全国比: 原油生産高は全国の1/3を占める。大慶油田

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遼河油田が支えている。石炭は9%だが特に黒龍江省産は良質。

3)各省別説明: 

(黒龍江省) 石油/石炭及び農畜産の大資源を有す。ロシアとの長い国境線を有しロシアとの辺境貿易が重要な位置づけをもつ。

(吉林省) 自動車/石化が基幹産業。吉林省は中国の自動車生産の第3位。東北三省全体で中国の16%を占めている。

(遼寧省) 我々が住む遼寧省は素晴らしい産業基盤を有す。丸で囲んだ半径150km圏内には市街地人口100万超の大都市が8つもある。その中心に位置するのが瀋陽市。周辺を石油化学や製鉄所など重化学工業都市が取り囲む。遼寧省の2大プロジェクトは「大瀋陽経済圏(大瀋陽経済区と称す)」構想と「五点一線」構想。大瀋陽経済圏は一大サプライソースであると共に一大消費圏を構築する。瀋陽伊勢丹など小売資本の進出もこの経済圏全体を視野に入れたものである。

②東北振興政策: 一言で言えば痛みきった国有企業を蘇らせるべく中央政府が満を持して発動した政策。具体的方策はプロジェクトへの資金供与、負債減免、税制優遇、社会保障制度など中央政府自らの支援を軸にしている。

 

5.東北三省逆さま図:

地図を逆さまに見ると新たな視点が生まれる。瀋陽からハルピンは丁度日本の北海道が納まる緯度。決してシベリアに近い遠くて寒いところではない。 1)黒龍江省はロシアとのお付き合いをどう進めるかが最重要課題であろう。

2)吉林省の人は日本海ルートでの物流に関心があろう。来春には新潟とザルビノを繋ぐ定期海運航路の開設が計画されている。ロシア/ 中国の通関という煩わしさはあるが既存の大連経由に比べ所要日数は半分に短縮できる。 3)遼寧省を見ると環渤海経済圏内での重要性がよくわかる。山東や朝鮮半島からも多くの移民の流れがあった。瀋陽は北京や大連/青島とも至近距離である。全方位外交の展開が可能な位置づけである。

6.瀋陽マップ:

漫画的な地図ではあるが現在及び過去、色んな情報を読み取ってもらえると思う。

2)奉天時代

1)現在 瀋陽の東西南北に広がる開発区は「北農/東汽(自動車)/南高(ハイテク)/西重(重化学)」という8文字で表される如く発展の方向性が明確である。 瀋陽の町は東京の山手線と位置関係及び土地柄が大変似ている。瀋陽空港(羽田)、太原街(新宿/渋谷)、中街(浅草)、北駅(上野)というイメージ。

本年は奉天駅(現:瀋陽駅)の設計開始から丁度100年目に当たる。日本は旧市街(中街)から離れた場所に奉天駅を建設し駅前東側を行政区にした。駅の西側(鉄西)には多くの企業/工場を誘致した。

3)鉄西区

何故瀋陽地区には充実した工業基盤があるのか?鉄西区の歴史を語らずして理解できない。

1906年満鉄沿線の開発権をえた日本は当地区に多くの日系工場を建設した。1949年新中国成立後、当地は中国を代表する工業地区として「共和国装備部」と賞賛された。ところが1980年代、外資導入を図る改革開放路線にすっかり乗り遅れた。設備/技術の老朽化が激しく競争力の激減は大不況をもたらした。欠損通り/レイオフ通りなどと揶揄される状況は「東北現象」と呼ばれた。2002年以降、瀋陽市政府は大鉈を振るった。公害企業をつぶし多くの企業を移転させ跡地を住宅地/商業地区へと変貌させた。これが今の鉄西区である。公害で薄汚れた町は美しい町に蘇った。

最後に:

瀋陽は変わった。広き中国、短期間でこれだけ変貌した街もないであろう。大連の対外レビューからは20年もの遅れはあったが、日系&欧米系を通じ引き続き事業進出の大きな対象である。この瀋陽を多くの人々が理解し、企業進出も増え、益々発展していく様を垣間見たいというのが駐在員としての私の念願である。 

{質疑応答時の質問テーマ}

①   米国発の金融危機の東北三省への影響?

②   外国資本特に日系企業の瀋陽への進出の見通し?

③   日本語を履修する中国人大学生にとり、地元日系企業への就職機会が多くないのが誠に残念。見通しはいかがなものか? 以上