第10回横浜同窓会参加者とまとめ

左から(敬称略)

後列:安藤・林与志男・林八重子

二列目:藤平・小林・田中・高山正義・河野・渡辺文江・中道恵津・中道秀毅

前列:石井康男・山形・南本卓郎・大田・高山敬子・高木純夫・森信幸・稲田登志子

翌日12月1日の横浜ツアーのみに参加の藍田(石井)みどり

最終的な参加者は以下のとおりです

高木様撮影による

同窓会からの報告:

今回の集まりの案内をE-mailで出した会員数は123名。

宛名不明で不着が59名。

返事がないけれど届いていると思われる人が12名。(この内の澤野美由紀先生の消息が一日前にわかった)

なくなった方が2名。

出席できないという返事が32名。

出席が20名。

同窓会の組織と会則を今回の集まりで承認:

名誉会長:石井康男先生(兵庫県伊丹市)

会長:南本卓郎先生(山口県防府市)

事務局:

藍田みどり(東京都)

河野美紀子(山口県下関市)

山形達也(横浜市)

次回幹事は河野美紀子先生(下関市)

第10回瀋陽日本人教師同窓会のまとめ:

11月30日土曜日の横浜は晴れ、気温15〜20度。午後2時頃から横浜ロイヤルパークホテルに参加者が集まり始めた。最初が青森からの安藤先生。岡山からの渡辺先生。幹事の一人である山形がホテルのロビーに着いたときにはすでにご到着だった。続いて大阪の石井先生。

横浜ロイヤルパークホテルは横浜ランドマークタワーの上層階を占め、部屋からの景観は抜群。横浜の最高ランクのホテルで、横浜在住40年を超える山形ははじめての宿泊経験だった。「泊まるときは一流ホテルに泊まれ」という言葉は、そのとおりだと納得。土曜日の宿泊は高いので金曜日の開催になってしまったため、現役の人たちが参加できなくなってしまったが、ツイン部屋でひとりあたり11,800円なら、名古屋弁で言うと「お値打ちだなあも」である。

4時のチェクイン時には殆どの宿泊予定の参加者が集まっていて、お互いに「やあやあ、お久しぶり。お元気で何より。。。」の交換。そのあと5時にはロビーに集まって一緒に宴会会場に行きましょうということになった。

宴会会場の中華街にある翡翠楼本館まで、直ぐ近くの「みなとみらい」駅から電車で駅三つ。ゆっくり歩いても40〜50分位である。レンガ倉庫と山下公園を通る道は観光コースであり、デートコースである。

電車組と歩き組に分かれて、電車組は藤平、歩き組は山形が一緒になって出発した。気温は17度位で暑くもなく寒くもなくちょうどよい。午後5時を過ぎてもう暗くなっていたけれど、まだ人通りもあるし外を明るくして店は開いている。レンガ倉庫には12月の大繁盛を思わせるクリスマスの飾りつけができていて、その横にはアイススケートの会場が作られ、もう何人かが滑っていた。大埠頭を左手に眺めながら山下公園を通り過ぎて、中華街に入り、翡翠楼に着く。「翡翠楼」という名前は立派だし、本館と言うのでどんなに立派なところかと思ったら、小さい店でこぢんまりとしたところだった。つまり、翡翠楼の発祥の場所ということで本店を名乗っているわけだ。二階の部屋の3時間貸し切りで小林幹事が選んだ店だが、細いT字型の部屋だった。

総勢20名のところ直前に最上先生がキャンセル。ひとり抜けると食卓が寂しいし、出費もむざむざと無駄になるので、前日山形が会った瀋陽薬科大学の卒業生の江文君を誘って20名になった。7時に開宴。

瀋陽時代の2006~2008年、私たち日本人教師の会の大事な拠点であった日本語資料室の移転という大きな事件があったが、それを通じて教師の会の仲間意識が強められた。今回はその日本語資料室の移転で特にお世話になった瀋陽日本国総領事館の森信幸領事と瀋陽日本人会会長の高木純夫様のご参加を戴いていた。高木純夫様は漢検の理事として大いにお忙しい毎日の中を、そして森領事は札幌からわざわざのご参加だった。

食事を食べながら皆それぞれに歓談して約1時間経ってから、藤平幹事が「それではそれぞれご近況をお話ください。一人30秒で、いや1分、まあ3分かな」で始まったそれぞれの挨拶は、最初の安藤先生こそきちんと短かったが、その後の渡辺先生からは長くなって皆が終わるまで1時間以上。

山形幹事からは同窓会の会則制定の提案があって、原案どおり承認された。

会則にある瀋陽日本人教師同窓会の名誉会長には石井康男先生、会長には南本卓郎先生が推薦され満場一致で承認。

次回の開催は下関在住の河野美紀子先生が引き受けてくださって、次期幹事。他に南本先生、稲田先生がお手伝いを申し出て、つまり次期幹事。

事務・編集局は河野美紀子先生・藍田(石井)みどり先生と山形達也が承認された。

2007年の教師の会の送別会のときに渡辺先生の要請で山形が作った「瀋陽を去る日本人教師に贈る歌」を皆で歌い、ついで、稲田・河野両先生の用意されたテレサ・テンの持ち歌を久しぶりにみんなで中国語で歌った。いつも「教師会愛唱曲集」を開いて率先して歌い出す中道秀毅先生は、今回は元気なく歌の音頭をとっただけであった。

10時にお開き。宴会の会費は予定よりも増えて6千円だった。

12月1日の土曜日は9時半までにロビーに集合。藍田(石井)みどり先生も来られてツアーの一行に参加。林ご夫妻・中道ご夫妻、渡辺先生はここでお別れ。

森領事・藍田(石井)、高山敬子・高山正義・石井・安藤・稲田・河野・田中・南本卓郎・小林・藤平・山形の13人は観覧車の横を通ってレンガ倉庫、大桟橋、山下公園、港の見える丘公園と歩いた。この日もお天気に恵まれて、公園沿いのイチョウの黄色の色づきが美しい。

一行は二三人ずつ結構長い列になるので、先頭はいつも所々で立ち止まって皆の到着を待った。一つの会場に座っての会合と違って、このようにして三々五々歩くと、時々相手を変えながらおしゃべりをして互いの理解が深まるということになる。

港の見える丘公園の急な階段も全員楽々とクリア。田中先生は青森に帰る新幹線の発車時刻が迫ってきて12時にお別れ。一行は外人墓地には入らずに尾根道を歩いて、ひとつ先のバス停で12時15分のバスに乗って桜木町を目指し、1時前にはワシントンホテルのランチ会場に着いた。森領事は新幹線の発車時刻が近づいていて、ここでお別れ。

ランチは『十代目彌左エ門』で、寿司、茶碗蒸し、ケーキとコーヒー。これで1,500円とこれもお値打ち。終わってお開き。

この日は昼までに、一人1万歩から1万4千歩を歩いたみたいだった。みんな、文字通りお疲れさま。

第10回同窓会には、北は札幌、青森から、西は下関、山口、岡山、大阪から大勢の方たちが参加された上に、教師の会が大変お世話になった森領事、高木様のお二人がご出席くださって、賑やかに再開を喜び合い、歓談することができた。泊まったホテルも良かったし、二日間にわたってお天気にも恵まれ、(自画自賛だが)とても楽しい同窓会だったと思う。

同窓会の皆さま、お集まりくださってありがとうございました。おかげでとても楽しい集まりとなりました。また、来年下関でお互い元気な姿でお会いしましょう。

(山形 達也)