第17号
2004年06月12日発行
第17号編集後記
★「日本語クラブ」3号は、今回も偏に山形ご夫妻のお骨折りによりようやく発行の運びになりました。
*今回の編集方針は、今年度最後の号なので教師会の皆様全員にご登場いただくこと、5月9日を原稿の締切日とすることなどを教師会4月定例会でご承認いただきました。
*毎年のこの時期には、瀋陽での仕事を打ち切って帰国なさる方もおいでです。残る方々も含めて、気持ちの上でここで一区切りつけて、この一年間の中国での仕事や暮らしの中に沈潜したそれぞれの思いをそれぞれのやり方で拾い上げてみるというのも意義あることと思います。
*ところが原稿の集まり具合は、と言いますと、締切日を気にして確認のメールを下さった方や原稿を早めに送ってくださった方も勿論おいでですが、それでも締切日前後に寄せられた原稿は10に満たないという状況でした。
*じっと待っていてもなかなか埒が明かないと見た編集係りは次第に冷酷な借金取りに変身したのでした。“もう「日本語クラブ」なんか負担だよ、やめてくれよ“などという声が聞こえてこないことを祈るばかりです。
*原稿の集まりが悪い理由を考えてみました。まず、4月18日の弁論大会の前には多分誰も手がつきません。あと少しでゴールデンウイークだからそこでゆっくり考えようと思うのが普通でしょう。ところがゴールデンウイークは出かけることが多く、また友人知人の往来もあるかもしれず、かえって落ち着きません。そうこうするうちに日が過ぎて、締切日がいつだったかおぼろげになります。きっと少しぐらい過ぎても大丈夫と思う気持ちも出てきたかもしれません。或いはこの時期は卒業論文の指導や、卒業試験の処理の時期とも重なりましたから、これらに関連している場合は、どうしようもない忙しさに巻き込まれてしまいます。
*如何でしょう、こんな推理は。予測どおりに事態が進展しなかったり、決めたとおりにスパッとうまくいかないのは生身の人間が生きるこの世のおもしろいところです。私自身無計画旅行が大好き!
*ですが今回は待つ身の辛さをしみじみと味わったのでした。編集技術を持っていられる山形先生に一切をお願いしている手前、少しでも負担のないようにと思うものですから、来ない原稿や写真を待って傍らでひたすら気を揉んでおりました。
*待つ身の「体感時間」(!?)は、待たせる側の時間の倍にも感じるもの。皆さん、特に若い皆さんはデートの時はゆめゆめ遅れてはなりませぬぞ。
*5月1日から28日まで「日本語クラブ」関係のメール受信は、ざっと数えたところ60通でした。その多くは山形先生からのものです。私からの送信は受信の半分です。山形ご夫妻は「日本語クラブ」に忙殺されていて、そこかしこに美しく咲いていたアカシアの花の盛りをご覧になれなかったのではないかしら。
*というわけで、今年度の「日本語クラブ」編集係りの仕事は終わりとなります。会員の皆様のご協力に心から感謝申し上げます。なお今年度発行の三部の内容や「日本語クラブ」の今後のあり方について、皆様の率直なご意見をお寄せいただきたいと思います。
(中道 恵津)
★中道先生に倣って、今回の編集で何通のe-mailを会員とやりとりしたか数えたら140通を越えていた。これを書いている5月30日現在でも、写真の未着があるのでまだもう少し増えそうである。
*編集委員をしてないのに編集に手を出して、おまけに編集後記まで書いているなんて大分出しゃばりである。「資格もないのに済みません」と言ったら中道恵津編集委員に、来期は正式な編集担当をやって欲しいと言われてしまった。しかし、もし来年編集を引き受けたら、その次の年に代わってくれる人が見つかるとは思えない。だから、お手伝いのままだけれど、編集後記を書くのはこれで最後である。
*ところで、子供の頃の学校の帰り道は時間を忘れて遊ぶ毎日だったけれど、時間が実にふんだんにあったあの頃が懐かしい。歳を取ると時間の経つのが早いと良く言うけれど、本当に毎日の時間があっという間に過ぎ去っていく。
*おまけに今こうやって瀋陽に暮らしていると、その時間の経つ早さはひとしお感じられるが、それに理由を見つけた気になっている。
*というのは、瀋陽は東京と比べての話だが、冬が長い。10月に雪が降って、4月に入ってもまだ雪が降るのだから、東京とは大きな違いがある。風がこれもまた強いのだ。向かい風を受けるときの体感温度といったら、15分足らずで大学からうちに着くはずが、真っ暗な建物の入り口でカギを出そうとしてかじかんだ指先でうろうろしているうちに凍死してしまうのかと思うくらい冷え切ってしまう。
*「冬来たりなば春遠からじ」と改めて心に念じ、はやくこの寒さが過ぎないかと思うのは瀋陽に暮らす以上当然のことであろう。しかし、早く暖かくならないかと外に出るたびに思い、春を待ち侘びて毎日を過ごし、さて暖かくなってみるともう暦は既に5月なのだ。少し大げさに言うと、何と今年はもう半分近く過ぎてしまった計算だ。暖かくなるようにと、毎日の時間が早く過ぎるように望んだ罰で、1年が短くなってしまったのである。
*この歳で毎年の時間がこれだけ短くなったのでは間尺に合わない。来年はこの愚を繰り返すまい。冬がどんなに寒くても、どんなに長くても、春を待ち望む愚は犯すまい。
*今できるせめてもの教訓として、はやく夏になって日本のうちに戻って思う存分豊かな水量のシャワーを浴びたいなどとは思うまい。今でも十分身を清潔に保てるのだから。
*決して、日本に戻る日を指折り数えて、日本に帰ったらまずツルツルッと蕎麦ののど越しを味わいたいなどとは思うまい。トマトの入った瀋陽の手打ちの拉面のうまさは日本では味わえない良さもあるのだ。
*決して、日本語クラブの編集作業がはやく終わらないかと思うまい。それよりいま編集することを楽しもう。
*しかし、人生切所に立つに及びいつも立派なことだけは言えるのだが、これだけ生きてくると、実際はとてもそんな具合に立派には行かないことは、骨身に沁みて知っている。
*ああ、はやく夏休みにならないかな、日本に帰って温泉にゆっくり浸って、湯上がりに蕎麦を啜ったあと畳に寝ころんでうたた寝がしたいなあ、「日本語クラブ」今年度の3部を枕にして。
(山形 達也)
★今号の編集の山場の10日間、私は日本に戻っていました。ですから編集後記を書くのはまことに烏滸がましいのですが、ほんの一言。
*日本に戻っている間にこの4月に留学した学生に会いました。彼はとても日本語が上手でしたがさらに磨きがかかったようでした。分からない言葉がある?と聞きましたら“やばい”と“まじ”、どちらも周りの学生が非常によく使うけれど中国では習わなかったとの返事。ああそれは若者の言葉ねと言いましたらテレビで政治家も“まじ”と言う言葉を使っていたとか。なるほど、若者もいつの間にか大人になっていたということでしょう。どこかで生まれ爪弾きにされていた言葉もこうやってみんなに使われるようになっていくのですね。先生がたはこういう言葉も教えていらっしゃるのでしょうか。
*ところで今号でも中道先生が打ち込みを引き受けて下さいました。どなたも名文ですが、自分の文体と違うと知らない間に間違えて打ち込んでしまうもの。苦労なさったと思います。それにしてもコンピューターというのはすごいものですね。打ち込まれた文を形を整えて並べるだけで編集できてしまうのですから。と言っても私には形を整えることも、並べることも出来ないのですが。
*私が寄与したのは皆様に催促を1回、というわけでこれから活躍しなくてはなりません。プリント、コピー、製本などなど。
*これは今年度最終号です。皆様のご協力でそれにふさわしい大作ができあがりました。この夏に帰国なさる先生がたの思い出の小冊子になると嬉しいです。
(山形 貞子)