日本語を学ぶ学生の作文

ここには指導する先生がコメント付きで投稿して下さい。コメントは後ろに載せます


人生と夢

瀋陽薬科大学中薬学院(72期2年生)

許 雪静

子供の時、私の第一の夢は警察官の一員になることであった。私の心の中で警察官が偉くて勇敢でユニホームも美しい。その上、父と母を守ることができるし、もし兄と喧嘩をするようなことがあったとしても負けなくてすむ。テレビのドラマでやっている警察官の姿を見て、このような考えを持つようになった。

でも中学生になって、歴史を勉強した後、私の夢は戦闘機を操縦することになった。近代、外国から中国はいろいろな屈辱を受けた。私が自分の母を守ることと同じように祖国を守りたい。将来中国を世界で一番強い国にさせたい。もう二度と侮られることが発生しないようにする。家と国家の概念が私の心の中に形成した、家族や国家への思いが私の新しい夢になった。

何年か経って私の親しい人が病気になって、しばらくして亡くなったことが私にとって強い打撃であった。そのあと、私が内向的な人になり、もう強暴な手段を使わずに家と国家を守る、そのような医者になることが私の最大の願望になった。病気になる人を全部救って、病人の家族と親友を悲しくさせないことを願う。あの有名な李時珍のように、病気を治療する役割を果たす薬草を研究しようと思っている。だから瀋陽薬科大学に入って中薬学を勉強している。自分の努力を通してこのようなことを実現させていきたい。大学に合格したことが私の人生の転機であり、夢の転換期でもあった。

大学の中のすべてのことは私にとって新鮮で不案内なことばかりである。新しい生活に情熱が充満しているが、心配もある。ここで多くのことを学ぶことができる。私の視野が広くなって考えも深くなる。同級生たちはみんな豊富な知識を持っている。だから、学習の面では同級生と一緒に勉強するのは楽しい。でも生活の面ではとても寂しい。長い間、家を離れて一人で暮らして常に両親や昔のことを思い出し、懐かしくてたまらない。去年の冬休みに私のおばあさん、20年間ずっと私を愛しているおばあさが孤独なために急に亡くなった。おばあさんが死んでいった時、医者が何もできなかったことを私は目の当たりに見て「医者になってもおばあさんは救うことができない。」と考えて夢を失ってきた。そのあと、「いったい何のために生きているのか。」よく自分に聞くが答えが見つからない。

ある日、同級生と盲人学校に行った。私の心は揺り動かされ、感動させられ、征服されてしまった。目が悪いが彼らは夢を追求する勇敢さと情熱を放棄していない。ずっと自分の目標のために努力している。彼らは歌が好きで踊りが好きで楽器を弾くことが上手だ。私は壁のそばに立って考え込んだ。この時、ある女の子が私のそばに来て「ねえさんこの糸とりのゲームができますか」と積極的にほがらかな顔で私に聞いた。「はい」と答えて私は急に涙が出た。「夢、私の夢はどこへ行ったか」と考えて警察官とかパイロットとか医者とかが私の以前の夢だ。今の夢は何だかまだ分からないが、彼らと会ってから次のようなことがわかってきた「どのような困難に直面してもくじけてはいけない。」

以前と違って、今の私は夢を追求する心を放棄しないでがんばっている。


推薦者:薬科大学加藤正宏 評

薬科大学では、昨2006年12月に薬科大学に割り当てられた原稿提出者10人を選考した。弁論大会に参加したい希望者を一つの教室に集め、こちらが用意しておいた5つほどのテーマの中から、一つを選ばせ、その場で原稿を書かせ、我々日本人日本語教師がその原稿を判断材料として、10人を選んだ。彼女はそのようにして選ばれた一人である。上記の原稿は弁論大会の第一次審査(作文)に提出するため書いた原稿だが、残念ながら第一次審査にはパスできなかった。中国語的な言い回しもあり、ごつごつしていて、滑らかな日本語にはなっていない感じはあるが、十分その意図は伝わってくる。中国人の素直な日本文だと考え推薦した。

2007/04/01

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楽しい一日

瀋陽薬科大学薬学部日語班1年生

江 文

今日は12月25日のクリスマスですね。ひるの12時半に朱さんと周さんと姜さんといっしょうにバスで日本語資料室へ行きました。私たちは1時ごろ天後宮駅について加藤先生はそこで私たちを待っていました。

日本語資料室は3階です。先生は3枚新しいテープを持ちました。私たちは資料室で日本語のアニメを見ました。アニメの会話の内容はたいていわからないのに私たちは面白がりました。日本語はもんとうにきれいです。アニメを見てから、日本語の本を見ました。私は5冊本を借りました。それから、先生といっしょうに資料室を出ました。朱さんたちは試験があるから、学校へ帰りました。私は先生に中街を案内していただきました。先生は何度も中街で見物したことがありますから、中街がとても知っています。でも、私は今年初め沈陽までほんとう学校の外へは行きませんでした。だから、中街がすこしもわかりません。先生は私に先生は中国人で私は外国人だと言いました。私もそうだと思いました。

今日はクリスマスなので中街はとても賑やかです。私は先生の旅行者で先生は私のガイドです。中街で見物するのは楽しいでした。中街には色色な店があります。私は先生に案内して古いと新しい建物を紹介していただきました。先生からたくさんことをわかっていただきました。

見物してから、先生は私に食べ物屋で肉饅頭を奢りました。そこの肉饅頭は食堂の料理よりも美味しいですね。それから、バス駅へバスに乗りました。でも、駅ではおおぜいの人がバスを待っていました。私たちはバスになんとか乗りました。しかし、バスの中におおぜいの人がいて席がありませんでした。私たちはバスで立て学校まで帰りました。5時10分ごろ学校に着きました。でも、その時、空が黒いでした。

今日先生といっしょうに外出なのは楽しいです。私はもう一度先生と外出したいです。今日ほんとうに嬉しいです。


推薦者:薬科大学 加藤正宏 評

この九月中旬から白紙で日本語学習を始めた、江西省から来た一年生の学生の作文です。日本語としては問題な箇所、また言葉足らずの箇所がいくつもありますが、日本語らしい言い回しが、素直に書けているところもあって、3ヶ月の学習で、よくここまで、じゅうぶん意図が伝わる文が書けたなぁと思っています。彼は日記や手紙を書いて、自主的に見せに来ている学生で、強制して書かせたものではありません。

また、ここに紹介した作文は一字一句も触ってはいません。日本語資料室で出会った担当の若い先生と話せたことで、その若い先生に会話の相手になってもらいたくて、手紙を出したりするほど、日本語が好きな学生です。

2004/12/29

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「日中教育文化交流」に参加して・・環境問題についての感想 [科学発展の目的は何だ?]

瀋陽薬科大学薬学68期日語1組

劉楊

科学技術の進歩にしたがって、人の生活水準は上がっている。いろんな新しい発明によって、人の生活も便利になってきた。でも、都市の中で周りを見まわすとコンクリートで作られた高いビルばかりで、土臭い花草の匂いのかわりに、ガソリンばかりの匂いがする。人間社会が発展すれば、するほど、自然との間柄が悪くなってくると言う人がいる。落ち着いて、よく考えれば、その人の話しはある点から言えば、理解できる。

今、世界規模で、都市化の程度がだんだん速くなっている。人間が自然に与える影響も大きくなっくる。何十年も前から今まで、人間社会の発展と自然環境の矛盾として環境汚染は一段と厳しくなってきている。工業排気ガス、廃液、農業の化学農薬のせいで空気が汚くなって、川も以前ほど清潔ではない。有毒の化合物のせいで、たくさんの植物、動物は無くなってしまう。人間まで自業自得で自然の復讐を受けることになる。ある人は有毒の水を飲んで、病気になって、環境ホルモンという人工合成の化合物によって、人の内分泌が攪乱するなどといったことは少なくない。

人間、特に科学者たちは時間を空けて、よく考えるはずだ。科学技術の発展の目的は、いったい何か?深く考慮せずに、自然を捨てて、発展ばかりを進めるのは意味があるだろうか?

 

瀋陽薬科大学日語教師 峰村洋 評

瀋陽薬科大学の日語科3年次生は、昨年9月に日本語を学び始めてから、一年が経過した。

彼等は、薬学専攻の学生であるので、外国語学部等の学生と違って、これからは薬学の勉強で忙しくなる。以後、ごく特別の場合を除いて、日本語を語学として専門に学習することはない。あとは薬学を習得する上での「専門日本語」を学習しながら個人的に学習してくれるのを待つほかない。

一年間だけ集中的に日本語の基礎を勉強したところで、授業としては、一段落である。そのまとめというわけではないが、作文を課してみた。いずれも、感想文を書かせたあと、自分の手でパソコンに打たせたものである。学んだ日本語を実際の場面で使える能力に繋がればと思って、今回の発表の機会をとらえてみた次第である。

2004/11/13

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「日中教育文化交流」に参加して

瀋陽薬科大学薬学68期日語2組

孫 薀哲

団員の皆さんは環境教育について、知識をいっぱい身につけていらっしゃいます。それぞれの方々は身の周りの人々に環境意識を持たせ、住民運動を起こしていらっしゃいます。そうしますと、政府はもともと見ていなかった問題を注目するようになります。しかし、環境を保護することは政府の任務だけでなく、もう一人一人に関係があることになります。感心することには、日本人がこの点において、よく努力しています。例えば、ごみの処理を便利にするために、種類によって、ごみを出す日が違っています。

団の人たちと東北大学の先生との話しから、環境そのものを深く認識できました。これは空とか、樹木といった自然ばかりでなく、他の物事も含むことが新たにわかりました。おかあさんが働きに行く時、子供に対してどうしたらいいとか、田舎と都市をどのように発展させたらいいとか、こういうようなことです。一番印象深いのは瀋陽の状況について、東北大学の先生の報告です。それを聞いたので、瀋陽の将来は明るくなると思います。もう問題に注意している以上、必ずすばらしい結果を出すと信じられます。

もう一つの感想は自分自身が日本語の勉強になったということです。今回はできるだけ日本語のみで自分の意味を説明しました。日本語能力が大切なことはもちろん、日本人と話す勇気はもっと重要だと感じています。なぜかと言いますと、勇気がなければ話す機会はなく、機会がなければ能力がつかないのではないでしょうか。お客様と話した時、時々間違いましたが、相手が優しく直してくださっている間に、私はいろいろなことを習いました。正しい言葉の使い方のほかに、日本語で話す自信もつきました。

最後に、いろいろとお世話になりまして、本当にありがどうございました。

紹介:瀋陽薬科大学 峰村 洋

2004/11/13

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魯迅作「小さな出来事」を読んで

瀋陽薬科大学68期日語2組

唐春蘭

私が初めて「小さな出来事」という文章を読んだ時は中学生の時代でした。その時私は小さかったので、この文章についての感想は浅かったと思います。年を取るにしたがって、別の考えも出てきました。再びこれを読んだ後で、私は思わず心を打たれました。

この文章の著者はすごく有名な作家魯迅です。魯迅先生は一生に沢山の本を書いていますが、ほとんどの文章は当時の政治や、国民の苦しかった生活について本を書いたのでした。その時中国はまだ国民党に統治され、政治が大変暗かったです。国民の生活も貧乏で、苦しくてならなかったです。

それに中国は封建的な国でしたから、国民の素質も低かったです。だから当時の社会はどんなに暗くても、ほとんどの国民たちは無知で、何もしませんでした。従って魯迅先生は当時の政府に不満を持つとともに、民衆にも少し不満をもっていたのです。魯迅先生は国民の悪い根性について、ある文章に「哀其不幸、怒其不争。」と書きました。

ところが魯迅先生は自分の国の民衆に情け深い気持ちをもっていました。「小さな出来事」というのはこの背景において書いたものです。この文章の中の主な人物は車夫と著者です。その車夫は人力車で著者を引いているうちに、ある老婆にぶつかって、彼女に怪我をさせました。けれどもその老婆はゆっくり倒れたので、著者の立場から見ると、きっと大丈夫だったにちがいなかったのです。しかし、車夫は著者の勧めを聞かず、その老婆の腕を支えて、近くの派出所へ行きました。さっきおせっかいだと思った著者は、車夫の後ろ姿を見て、ふと異様な感じがしました。車夫は体力労働者ですから、たぶんお金もないし、知識も少ないし、けれども、その車夫は心が正しい上に、規則を守る自覚ももっています。それに比べて、著者は車夫よりお金もあるし、知識もあります。けれどもあまり思いやりをもっていません。その貧しい老婆に対する態度も悪いです。ですから、著者は自分の言行を恥ずかしく感じると同に、車夫に感心しています。その上、著者は車夫の行動から中国の希望が見えます。貧乏な人としての車夫は心もよいし、規則を守るし、とても善良で、原則を持った人ですので、著者に深い影響を与えるのです。車夫の人柄が崇高で、彼の身から私たちは多くのことが学べます。

紹介:瀋陽薬科大学 峰村 洋

2004/11/13

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魯迅作「小さな出来事」を読んで

瀋陽薬科大学68期日語班2組

周 麗瑩

先週の授業で、私たちは「一件小事」という有名な文章を勉強しました。とても感心しました。魯迅先生は田舎から北京へ来て、またたく間に六年になりました。その間、耳に聞き目に見た国家の大事なるものは相当あったといいます。でも、心の深くに影響を与えたことはこの小事そのものです。どうしてかというと、魯迅先生の心に触れたことは車夫の責任感ある心だと思います。学んだあとで私はそう気が付きました。

責任感ある心は社会秩序を正常に維持することに対して、とても大切です。先ず自分でしたことは認めなければなりません。即ち自分の責任を避けてはいけません。車夫はあのような場面から離れても良かった。しかし、もし人々はそうすれば、私たちはどんに怖い社会環境に生活することになるでしょう。毎日心配なことがきっと多いでしょう。但し、もし人々は責任感という信念が心の中にありますと、これは国民の進歩ではないでしょうか。従って私たちの社会も進んで行きます。ほんとに嬉しかったです。

紹介:瀋陽薬科大学 峰村 洋

2004/11/13

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新聞を読んだ感想

遼寧大學外国語学院 日語2年

孫 馨 (日本語学習1年)

新聞を読んだが、「楽しかったキャンプの思いで」という題目の文章が好きです。その文章の隣に小学生の描いた絵が五枚があります。ほんとに面白くて多彩な絵です。絵の中に、人々はほとんど顔が大きくて体が小さいです。可愛いですね。ある絵の中に、人々は嬉しく笑っています。

ある中国の新聞にはこのような小学生の文章や絵もあります。そういえば、子供だちの作品はとても人気がありますね。ある小学生は「夕立がしてカミナルやすごい雨がふって大へんだったけど、テントの中は大丈夫でした。」と書きました。子供の想像力は大変不思議と感じます。子供だちの目の中の世界は大人とは全然同じではないに違いない。

ある小学校三年生の佳名子さんは「私の植えた木があちこちの山で大きくなっていくんなあーと思うとワクワクしてきました。」と書きました。私は彼女の当時の気氛を理解できる。私は植物を植えませんでしたが、小さい動物を飼ったことがあります。小学生時、となりの住んだおじさんは小さい鶏をくれました。鶏がずっと太っていきたかったから、ひまのたびに鶏に食べ物を飼ってやった。毎日わくわくするの気持ちはその子と同じです。ずっと可愛がっていたにもかかわらず、2ヶ月ほどまた死んだ。大変悲しかった。

ほかのニュースの中に「秋の緑の募金活動」や「100本の苗木を植樹活動」などはとても有意議なことです。植樹の活動中に、参加者の子供だちはスコップで一生けんめい、穴を掘り、苗木を植えていました。ほんとにまじめな顔をしていました。子供だちが小さいからも環境を守るの教育を受けることができる。これは必要があるだ。地球環境と私達の関係はとても大切です。(原文のまま 2004年10月6日 水曜日)

 

紹介:遼寧大學外国語学院 渡辺 文江

学生の三分の2が 大学入学後から、日本語を学習しているクラス。「会話」が中心で週2時間。 授業の補いとして、毎週1日以上、日記を書いて提出させ、添削、意見を書いて返却している。会話のチャンスが少ないので、心の中の会話、と作文を結びつけて、日本語の日記を書かせている。

国慶節の休暇は、全員に、日本の新聞を各一枚(2ページ)配り、語彙の学習と、読んだ記事に対する、意見文を提出させた。

2004/10/21

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