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第23号編集後記

2006年6月18日、今日は「日本語クラブ」2005年度第3号の最後の編集、印刷予定日。編集係としては新しい資料室での仕事始めでもある。朝7時15分宿舎を出て、9時15分に到着。既に、池本、加籐、丸山の3人は集結。私たちにとって、新しい資料室のなんと遠くなったことか。

4千枚の用紙は前日に小林先生が運んでおいて下さった。仕事は切れ目なく続くが、まもなく心配していたことが…。プリンターのインク切れだ。そこで、カートリッジを持って加藤が三好街に走る。あちこち調べても同じ物はない。没 法、近い型の物を購入。しかし、形はだいぶ違うが…。プリンターにはまるのか、ちゃんと識別してくれるのか、全てはこれにかかっている。皆が見つめる作業盤。「注入中」の文字のまま長い時間が過ぎ、やおら働き出したプリンター。ワーッと思わず歓声が上がる。

今回はパソコン2台をフル活用しての編集作業だ。毎度の事だが、コンピュータが固まったり、突然写真が消えてしまったりという“抵抗”をものともせずに、休まず働かせ続ける。

その間、中道(秀)は過去の「日本語クラブ」を整理。冊子を一つ一つ数えながら、懐かしい思い出がよみがえる。

今年度最終号は64ページという、「日本語クラブ」始まって以来の大部となった。というのは、いつもの全員参加の寄稿以外に、どうしてもいくつかの特集を組む必要があったからだ。

1番目は資料室移転に関する特集記事。3月に突然降って湧いた旧資料室明け渡しの話は、瀋陽日本人教師の会にとっては一大事だった。でも、日中両国の大勢の心ある人々に支えられ助けられて新しい資料室が誕生した。

2番目の特集は日本語文化祭に関して。領事館で開催された第2回ジャパン・ウイークの一環として、今年も行われた文化祭。東北大学の岡沢、石井両先生と学生達が実行委員として奮闘した記録から各学校の先生方の頑張りも見えてくる。

3番目は6月3、4日の岫岩玉産地見学旅行感想集。教師会初の一泊旅行。先生方のご家族も参加され、総勢27人の旅は楽しく、また変化にとんだものとなった。

夜7時。印刷を半分ほど残し、今日はここで終了。コンピューターとの長時間にわたるにらめっこで、みんな頭がボーっとなっている。続きは明日池本、加藤が担当。

編集係5人はタクシーで、珠江街にあるレストランに移動。完成打ち上げのはずだったが、完成はまだなのだから“完成前夜祭”ってところか。しかし、この夜の会にはもう一つの意味がある。編集係5人のお別れご苦労さん会なのだ。というのは、5人のうち、瀋陽に残るのがはっきりしているのは池本だけ、加藤は不明、後の3人は瀋陽撤収を決めている。もし加籐が帰国となると、池本の今後は...?。

オープンしたての綺麗な店で、冷たいビールとおいしい料理をいただき、みんな今日の疲れを忘れたのだった。

帰りのタクシーに乗り込むとすぐ運転手が、「サッカー日本対クロアチア戦の真っ最中。」と言う。応援席のものすごい歓声が聞こえて来る。宿舎に飛び込んですぐテレビをつけ、終わりの10分ぐらい見ることができた。引き分けだ。サッカーも仕事もやれやれの一日だった。(中道恵津)

 

(2005年度編集係メンバー。1年間頑張りました!そして皆様ありがとう)

 

活字にならなかった編集後記 (中道 秀毅)

2005年度最終第3号の印刷・製本の日だ。新資料室9時集合に、2時間をみて宿舎を出る。

日本語クラブ特集企画3本、これまでにない増大頁、原稿集めの甲斐があった。プリンターのパワーに熱く懸ける編集諸氏・・・。自分は日本語クラブのコーナーづくりと整理を仰せつかる。

西陽の照りつけは強烈で、冬日にはよき会議室か。残部・各号揃えて合本にしたいと願いつつ、確認。創刊号、2号は表紙だけがあり、ほかも製本弱く、バラバラで残存。10年に及ぶ教師の会の長き歴史と、先輩諸兄姉の足跡と、通巻第23号までの諸記録。感動と笑いと喜びが籠められている。

教師の会にはホームページがあり、この労力を費やす価値ありやの見解も。しかし、戦中・戦後の活字世代にとって、敗戦の未曾有の飢餓と闘いつつ、生きる糧に書物があった。貴重であった。冊子はホームページに置き換えられない感強し。

日本語を教えることは、日本文化と日本人の願望を伝えることと不可分なり。

瀋陽日本人教師の会みなの、この瀋陽で汗し、悩み、工夫し、出会った「忘れ難き日々」は特集企画、新資料室の移転によって新時代へ。今期は、退任・帰国組も多し。教師会は新たな歴史を刻んでいくだろう。

丁度、世界杯サッカードイツ大会の日本選手団の必勝を祈り、気もそぞろ。

「年年歳歳花相似たり。歳歳年年人同じからず。」花は毎年同じように咲くが、人の身の上は毎年変わって同じではない、劉廷芝の詩を添える。

日本語クラブへのご協力、今後の健やかなる命づくりと、「愛しき日々、瀋陽」に尽きぬ感謝、再会を。

2006.6.18(日)