2014年8月31日-9月1日 オリエンタルホテル東京ベイ 第6回 浦安同窓会の記録
第一日 2014年8月31日 日曜日
オリエンタルホテル東京ベイ(JR新浦安駅を降りると北側に隣接している)。浦安散策に参加する人は2時までに集合とのこと。
3階の受付で今回幹事役の高山夫妻の出迎え。1時40分のバスに乗ると言うことで、駅前広場に出て市内循環バスに乗る。小さくて可愛いバス。100円。
公民館で降りて、浦安市郷土博物館の玄関に行くと、今日の案内役の岐部夫妻に紹介された。岐部夫人が高山敬子先生の高校時代の友人で、岐部氏は定年退職後、この地域のガイドのボランティアだという。岐部夫人もこの頃はボランティアのガイドのだそうだ。
昭和27年頃は浦安は遠浅の海岸で、潮が引くと4Km位の砂浜が露出したという。当時は埋め立てで国土を広げて、工業地帯、住宅地作りが国策だったから、この地域はぴたりだったわけだ。
『昭和37(1962)年に漁業権の一部を放棄、昭和39(1964)年から海面埋め立て事業が始まると浦安は大きく姿を変えていった。昭和44(1969)年に地下鉄東西線が開通し、また昭和46(1971)年に漁業権を全面放棄して第2期海面埋め立て事業が行われた結果、総面積はかつての4.43平方キロメートルの約4倍の16.98平方キロメートルに拡大、急速に都市化が進んだ』(浦安市公式サイト http://www.city.urayasu.chiba.jp/dd.aspx?menuid=2861)
郷土博物館の中に、当時の、もう今までは姿を消してしまった造りの建物が移築、あるいは復元されていた。ガラス戸を引く形式の店先を持つタバコ屋、山本周五郎がひいきにしたという天ぷらや「天鉄」など、私の子供の頃はごく当たり前だった羽目板の張られたうちが眼前に現れた。民家のトイレを出た直ぐの縁側に手水があったのも懐かしかった。
20歳くらい若い田中先生は、こんなのを見たこともないという。トイレのあと手を洗う習慣がなかったんだろうと、からかってしまった。
私たちは埋め立ての前に存在した浦安の路地をたどった。今でも境川を挟んで細い路地が通っている。その一角の左右天命弁財天。この一体の人たちに深く信仰されているという。私たちは思わず左右を「ぞうよう」と読んでしまったが、この神社の由来がわからないとのことなので、案外中国式に読んでよいのかもしれない。
豊受神社では350年の大銀杏と、その乳根が見ものだった。花蔵院では公訴貝漁成願の塔の前でこの由来の説明を受けた。この地域の人たちがこの地帯の漁業権を得るために「お上」に直訴して戦った人たちを記念したものだった。浦安の人たちはこうやって昔から戦って生きてきたのだという。
細く狭まった境川をさかのぼり、なんと言うことのない住宅街に出てこれがフラワー通りと言われて歩いた。何なのかそのときは分からなかったが、ここはかつて浦安の中心街で、寄席、映画館、飲食店、7−8軒の銭湯もあって人々がひしめいて賑わったところなのだ。今はひっそりと普通の個人住宅が、普通に建ち並んでいるだけだった。
清龍神社(海路安全、漁業繁栄を願って、海の神「大綿津見神」を祭っている)に行くと、堀江水準標石というのが境内の隅にひっそりと囲われていた。日本が西洋人から文明開化の手ほどきを受けていた明治5年、『オランダ技師リンドが明治5年に設置した近代日本の最初の水準測量の標石のひとつで、土木学会認定「選奨土木遺産」』なのだそうだ。この標石は『現在でも河川の水位表記として使われており、利根川水系の河川工事・管理の基準のもとになって』いるという。
あとは駆け足で、当時の漁師のうちと、商家(宇田川家)を見学し、4時も過ぎて歩き疲れてでホテルに戻ることにして、バス乗り場に行く途中、焼きアサリを営業している店を見つけて二串味わった。費途串1円。美味。
2時間半のツアーは、雨の予報が外れて、穏やかな日差しの下、気温は23度くらいで、実に快適だった。昔の浦安の暮らしを知ることが珍しいだけでなく、教師の会のOBの先生たちと歩きながら、隣の先生とあれこれと感想を述べあったりして楽しい時間だった。
案内役の岐部ご夫妻、お疲れ様でした。この散策は1万歩を超えたという。
懇親会参加者 夜6時半ー8時半
安藤 知恵,
岡田 重美,
山形 達也,
石脇 千代子,
田中 義一,
渡辺 文江,
藤平 徳雄,
峰村 洋・尚代 ,
林 与志男・八重子,
澤野 千恵子,
最上 久美子,
高山 正義・敬子
次回の幹事は、渡辺文江先生が引き受けて下さった。倉敷。来年の中秋節のころ。
第二日 2014年9月1日 月曜日
8時25分ロビーに集合、渡辺さんは不参加で見送り、
参加者:高山夫妻、峰村夫妻、石脇千代子、最上久美子、安藤知恵、山形達也
八丁堀駅にJRで行く。そこから日比谷線で三ノ輪。そこで高山夫妻の友人であるボランティアに会って、樋口一葉のあとを偲ぶ散策。
投げ込み寺、浄閑寺 http://tokyodeep.info/2010/02/22/231357.htm
千束稲荷神社
大音寺、信如の住職
一葉旧宅あと
一葉記念館は今日は休館日
(公園のトイレを拝借)
吉原、角海老
吉原弁財天
吉原神社、震災の法要をしていた
大門、見返り柳
山谷堀を歩く
待乳山
隅田川
浅草
やっと午後1時駒形どぜうに到着。地下に案内されて昼食
どぜうの2-3皿を3人で食べた感じかな
2時半に食事を終えて外にでる
豪雨にびっくり。豪雨の中を歩く
今日は1万4千步歩いたとか
銀座線浅草駅で解散
以上 山形達也 記