2003年度教師会日記

瀋陽日本人教師の会日記 2003年度 山形達也

2004年07月11日:

瀋陽土産についての貴重な情報を石井先生からいただいたのを良いことに、石井先生にねだって中街を案内していただいた。私たちはすでに瀋陽に一年間暮らしているが、groceryのために時々大きなスーパーに出かけるくらいで、街を探検したことがない。

新マートの前にある東行市場は巨大な市場だけど、教わらないと入るところがわからないところだ。中街側の入り口から入って(朝陽街に沿う方向で)北にいくと、北方茶城という看板が通路の上につってある。そこを左に曲がると、石井先生ご推奨の店がある。

朝陽街を挟んで東行市場と反対側には「小商品大世界」という面白い名前の付いた市場があった。文房具などの卸売市場だそうだ。

中街で柘植の櫛を売っている店も教わった。児崎先生から天福茶についてのコメントも寄せられたので、ともに「土産情報」に載せた。写真付きですよ。見て下さい。今日の締めくくりは老辺餃子館だった。

2004年07月09日:

瀋陽ではじめて中国の生活を始める人があるとする。自分達が最初にここに来た時を思うと、いろいろなことがわからず、不安に包まれていたし、何かと困ったものだった。

そのときに、あると助かる情報は何だろう。このような情報が日本にいるときから手に入れば、きっと安心して瀋陽に来ることができるだろう。

このように考えて、「瀋陽生活の智慧」で次に取り上げることは、「瀋陽で初めて中国の生活を始める人へのアドバイス」だということになった。すべてをそろえるには時間が掛かりそうなので、とりあえず、ケータイ事情と、ADSL事情から載せることになった。薬科大学の卒業生である沈慧蓮さんの調べに基づいている。

瀋陽から上海の知人を訪ねてていくのにお土産が要ると思ったけれど、研究室の瀋陽出身の学生の趙さんは、瀋陽に名物はありませんという。ないからといって済ますわけにも行かず、石井先生に伺ったら、いろいろと良い知恵を授けて下さった。

この貴重な情報をそのままにするのはもったいないと思って、石井先生に伺ったところ積極的に賛同して下さったので、「瀋陽情報」に写真入りの「お土産情報」を作った。是非見て下さい。

このようなお土産のヒントをどんどん寄せて下さるとお互いに助かると思う。そのときは、このホームページを会員以外は見ておられないよう願うしかないですね。

2004年07月07日:

石井先生達に誘われて、「瀋陽情報」に載っているサウナ「喜開船」に行ってきた。記事に書いてあるとおり、綺麗で熱いサウナに満足。マッサージも気持ちよく、途中でうたた寝をしてしまった。

レストラン情報に、文化路と青年大街のジャンクション東北角にある新洪記を載せた。自家製の生ビールが飲めますよ。

2004年06月21日:

教師の会の会の折々の写真もたまってきたので、それも含めて教師の会の活動記録を残そうと思う。6月12日の定例会のあとの歓送会で最後にグループ写真を撮った(正確には隣のテーブルのお客が親切に撮ってくれた)のが、二枚ともぶれていて使えない。出席の方々に伺ったところ、石井先生から1枚送られてきた。

歓送会でたくさん写真を撮った。それぞれは真実の瞬間なのだけれど、目を閉じた瞬間とか、目をむいた瞬間とか、写った本人に喜んでもらえそうもないものを除いていくと使える写真がどんどん減っていく。3枚に1枚位しか使いものにならない。数人写っていると1/3の人数乗となって満足できる写真が殆どなくなる。というわけで、載せた写真の数が少ないけれど悪しからず。カメラマンも、モデルも、両方に問題があるのですよ。

2004年06月13日:

日本語クラブ17号は6月12日付の発行で、定例会の時に各会員に手渡された。すぐ載せても良いとのことだったので、その内容をホームページに収録した。カラー写真がそれぞれの文章に映えて美しい。カラー写真の大きさを、いまのものより大きくできると良いけれど、将来の容量を考えてサイズは抑えている。

第8回日本語弁論大会の時の出場者のカラー写真を、それぞれの作品のところに入れた。このサイズも思い切り小さいけれど、雰囲気は伝わるだろう。

12日の定例会のあと歓送会が、日本語資料室の近くの洪記で開かれた。今期限りで瀋陽を去られる稲田先生、酒井先生、沢野先生、呑山先生、八木先生の5人が歓送会の主人公だった。瀋陽を去られても、瀋陽の日本人教師会の活動を思い出して、残る私たちへの精神的な支援をお願いできればと思う。ホームページも時々のぞいてみて下さい。掲示板を使って時々消息をお聞かせ下さい。

今回、斉藤先生、森山先生、宇野先生、金丸先生が新規入会者として歓迎された。ただし、会費は32元だったけれど、全員均等割だった。会計係は太田、高山両先生。司会は渡辺文江先生だった。

皆様、お疲れさまでした。

2004年06月12日:歓送会

2003年度最後の定例会が開かれ、そのあと5時から8時まで近くの洪記というレストランで歓送会が開かれた。

出席者:森信幸、石井康男、稲田登志子、宇野浩司、大久保千恵、太田美紀子、奥田実、金丸恵美、児崎静佳、斉藤明子、酒井和重、佐藤守、沢野千恵子、多田敬司、高山敬子、長澤裕美、中原麻実、中道恵津、呑山猛、峰村洋、持丸秀樹、森林久枝、八木万祐子、山形貞子、山形達也、山崎えり子、山中晋吾、渡辺京子、渡辺文江

歓送:稲田登志子、酒井和重、沢野千恵子、呑山猛、八木万祐子

歓迎:宇野浩司、奥田実、金丸恵美、斉藤明子、森林久枝

司会:渡辺文江

会費は全員割り勘で、32元。

会費は全員割り勘で、32元。会計係は太田美紀子、高山敬子

2004年09月11日:

2004年度の新学期開始に合わせて瀋陽日本人教師の会の定例会が開かれた。出席は新しい会員も含めて33名。新しい役割分担も決まった。

5時からは、特別参加の森信幸領事、佳能有限公司金光総経理、住三塑料有限公司鹿島総経理を加えて、本年度の歓迎会が近くの改装なった大明酒楼で開かれた。この歓迎会は在瀋陽日本領事館による招待であった。

2004年度の役割分担で、ホームページ係は、児崎、鳴海、山形の三人が担当することになった。

2004年09月01日:

八木万祐子先生のご努力により、日本語教師になるにはどのようなルートがあるのか会員に対するアンケートで調べられた。結果がまとめられて、今は日本に戻られた八木先生から届いたので、特別企画として公開する。実に多くの道があることがわかった。このページが日本語教師になりたい人への刺激となることを期待する。

すでに「瀋陽暮らしの智慧」と名付けられた企画が公開されているが、これに初めて瀋陽で中国の暮らしを始める人達へのガイドが加わった。バスの乗り方、タクシーの乗り方などが「ケータイはどこのが良いか」などに付け加わった。実際に暮らし始めると何でもないことが、事前にはあれこれ不安に思えるものである。その不安解消に役立ちたい。

瀋陽日本語弁論大会の文集が7月に出されている。その中に載っている八木万祐子先生による「講評」を収録した。すでに、大会報告、原稿の募集要項、入選作品も収録されているので、弁論大会のページは、結果を見るだけでなく、今後応募する人たちにとっても大きな参考となるだろう。役だって欲しい。

2004年08月21日:

日本人教師の会は7月と8月は夏休みである。この間ホームページを更新していなかったが、掲示板とe-mail addressに外部から連絡が入っていた。掲示板にかかれた中医学院見学についての質問照会は関係者に回答をお願いした。e-mailによる質問は、会員が夏期休暇から戻ってこないと答えられない性質のものだ。それにしても、internetは距離を超えて連絡が取れて、しかも必要な情報が瞬時に手に入る便利な道具である。私たちは外部からの照会に善意をもって答えているので、このサイトが将来悪用されることがないよう願っている。

2004年06月11日:

12日の歓送会の会場が変更になった。連絡を受けて、このホームページだけを見ている会員のために内容を更新したが、そんなことってあるかな。

2004年06月09日:

大分前から計画していたのは、瀋陽の暮らしを助け合う生活情報の交換の場としてこのホームページを使うことだった。第8回の弁論大会の会の当日、古崎先生始め先生方のご賛同をいただき、黄金週の始まる前から古崎先生が中心になってこの計画を進めて下さった。

まだ会員のすべてから情報が集まっていないけれど、ともかく公開に踏み切って、このあと情報があり次第どんどん増やしていこうと思う。どうか活用できるような情報の場になるよう、会員皆様のご協力をお願いしたい。

2004年06月05日:

中道先生が片道2時間をかけて瀋陽の南の方にある薬科大学に来て下さった。それで、「日本語クラブ」通巻17号の印刷製本が完成した。今度の教師の会の定例会の時に配布される予定である。全員集合の今回の日本語クラブは36ページ18枚の大作である。12日に持って行くのが重そう。。。

2004年06月02日:

教師の会は今年度から「日本語クラブ」を年間3回発行に切り替えた。今年度の3回目(通巻17号)は6月12日の今年度最後の定例会の日が発行予定日となっていて、原稿締め切りが5月15日だった。しかし、早い到着もあれば遅いものもあり、全部揃ったのは5月31日だった。

HP係の山形は「日本語クラブ」の編集にも関与している。その編集がひとまず終わってから取りかかったので、4月18日に開かれた第8回日本語弁論大会参加作品集をホームページに収録する作業は大きく遅れてしまった。

入選作品(これは第一次審査を通って、新世界ホテルでの発表に進んだ全作品)は、教師会の弁論大会実行委員により電子ファイル化された。間違えないようにと、神経を使う仕事だったに違いない。辛苦了。

日本語弁論大会は日本人教師の会の活動の大きな目玉である。これらの作品が多くの人たちの目に触れることによって、中国で日本語学習がますます盛んになり、相互の国の間の正常な理解が進むよう願ってやまない。

2004年05月22日:

20日に開催が予定されていた瀋陽日本語文化祭が諸般の事情でキャンセルされたが、キャンパスの移転のあとこの秋に学内規模で開催されるらしいとのことである。

2004年05月15日:

瀋陽日本人教師の会の定例会が開かれた。新しく、瀋陽外国語学校の宇野浩司先生、瀋陽航空工業学院の片山皚先生、本渓市衛生学校から金丸恵美先生が教師会に加わった。

この日が6月発行予定の日本語クラブ17号の原稿の締め切りだった。かなりの原稿が期日までに届けられたが、まだ4週間あるさと思っている人たちも結構あるみたいだ。

2004年05月10日:

瀋陽日本人教師会の活動もinternetのためにaccessし易くなって知られるようになったためか、問い合わせが教師の会宛にくるようになった。本会の活動を見て、中国で日本語教師になりたい気持ちに駆り立てられる人たちのために、日本語教師の資格をどうやって取るか、中国の職場をどうやって探すかなどの解説をホームページに載せるよう準備しているところである。

2004年05月6日:

任期満了の在瀋陽日本総領事館・本保領事が5月6日帰国され、新任の森信幸領事が瀋陽日本人教師の会に参加されることになった。お二人の歓送会が5月1日、東北通訊市場・大明酒楼で開かれ、連休中にもかかわらず会員の半数以上が集まった。

2004年04月29日:

5月20日に予定されていた第8回日本語文化祭は諸般の事情により今年は中止となったことが、遼寧大学の石井先生から連絡があった。遼寧大学内の大学祭としては、予定通りの5月20日に開かれるとのことである。

2004年04月26日:

旧会員の一人からこのサイトに名前を載せたくないという要望があった。名前が載ることで被害があるということだったので、日本人教師の会を営々と育んできた先輩の名前を消すことはとても残念なことだけれど、削らざるを得なかった。

2004年04月23日:

第8回日本語文化祭が5月20日に開かれる。その詳細が石井先生から届いたので載せた。

2004年04月22日:

第8回日本語弁論大会関係のお知らせ、作文提出についての注意、作文提出から大会までの時間表など、次回の参考になる項目を整理して、「日本語弁論大会」の後半にまとめた。大会当日の進行予定表は今までの「お知らせ」のところに残してある。次回の参考となると良い。

教師の会のwebsiteにアクセスした人との交流を図るために掲示板を設置した。会員同士の情報の交換、共有にも使えるので利用して欲しい。

会員の瀋陽生活情報をこのホームページに載せようという企画が進行中である。どこそこのレストランがおいしかったとか、あそこのお茶は安くておいしいとか、それぞれの持つ経験を共有して私たちの瀋陽の生活を豊かなものにしようという考えである。

2004年04月19日:

18日に第8回日本語弁論大会(最終審査)が新世界ホテルで開かれた。折からの温かな気候もあって、発表者と多くの参加者のために会場は文字通り熱気に包まれた一日がかりの発表会兼最終審査であった。結果は、お知らせのところに載っている。皆様、お疲れさまでした。

2004年04月13日:

日本人教師の会の昔のホームページがインターネットの検索で見つかった。

http://www30.tok2.com/home/sjdc/index.html

2000年~2002年3月のホームページで、当時の山口智子先生の制作によるものとのことだが、現在のところ、山口先生には連絡が取れない。山口先生の消息をご存じの方はないだろうか。

2004年04月11日:

日本人教師の会の4月の定例会で、後1週間後に迫った「第8回瀋陽日本語弁論大会」の詳細が決まったので、これを「お知らせ」に載せる。SARSのために昨年開催中止となってしまった「日本語文化祭」が5月20日に計画されているので、このお知らせも載せた。

日本人教師の会に新しく二名の先生が加わった。斉藤明子先生、および森林久枝先生である。

日本語クラブの編集後記を採録した。

2004年04月08日:

Yahooで「日本人教師の会」を検索すると(検索エンジンはGoogle)、登録サイトとして、中国>教育>団体=「瀋陽日本人教師の会」が出てくる。ページとの一致の項目でも瀋陽日本人教師の会が出ている。

しかしこれはhttp://www.geocities.co.jp/Outdoors-Mountain/2032/であって、www.となっていて、www02.と異なっている。

これをクリックすると、現在の教師の会のホームページがでることもあるが、読み込みに失敗というメッセージが出て、アクセスできないことの方が多い。日本と中国とで見え方が違うのだろうか。

会員紹介に手直しを入れた。

2004年04月06日:

検索エンジンに登録していたが、4月1日付けでYahoo! JAPANに掲載された旨の通知があった。ただし、6日現在でも「日本人教師の会」で検索に引っかかるのは以前のホームページだけである。ExciteにもGoogleにも登録手続きをしたはずなのに。

2004年03月30日:

「日本語クラブ16号」の中のモノクロの写真をカラーにしたいという要望があって,いくつかを取り替えた。見栄えに関心が高いのは大歓迎。

2004年03月22日:

「日本語クラブ16号」の記事から、特別企画の留学生の物語、および会員からの寄稿を載せた。 今後の「日本語クラブ」の記事は、これからはこのホームページの定番として公開していきたい。

「日本語クラブ15号」の記事から、日本語資料室の設立の経緯および資料を採録した。これは貴重な資料なのでここに恒久的に維持したら良いと思う。

日本語資料室に、新しく利用する人のための案内を載せ(これは「日本語クラブ」から取ったものである)、会員紹介の内容を更新した。新たに、今後の便宜を考えて、このホームページの更新記録を載せることにした。これに伴い、index pageが再度変わった。

2004年03月10日:

2003年9月から日本人教師の会のホームページの担当となったのは、河野美紀子および山形達也である。慣れないホームページ作成に苦労を重ねて、年を越すうちに、ホームページ担当が河野美紀子から八木万祐子に替わった。

やっと、2003年度の会員紹介を付け加えたうえに、前会員の欄を作成した。2003年4月に開かれた7回日本語弁論大会入選作品を載せた。4月に開かれる8回日本語弁論大会の案内を載せることができた。これらの変更に伴い、index pageが変わった。前任者が作成して以来、今回の更新までになんと1年以上が経過していた。