2004年度教師会日記

瀋陽日本人教師の会日記 2004年度 山形達也

2005年07月03日:

日本語クラブ20号をウエブに載せる作業に時間が掛かって、やっと、今日できました。皆様、長らくお待たせしてごめんなさい。

2005年07月02日:

瀋陽日本人教師の会代表の石井康男先生が遼寧大学から寧波に移動されることが急に決まって、石井先生の送別会が東北大学の多田先生の世話で東北大学国際交流処の中の豪華な一部屋で開かれた。今までこの会の中心だった石井先生の急な移転を知って、石井先生との別れを惜しんで、急な知らせにもかかわらず28名が集まった。在瀋陽日本総領事館から、森領事も3日前に瀋陽に到着された夫人を伴って参加してくださった。

寧波では日本語教育を盛んにし、そのひとつとして今年の12月に弁論大会を開くつもりでいいて、石井先生はその盛り上がりの中心として招かれたという。別れはつらいけれど、南の地に新しい発展の種がまかれ育っていくと思えば、喜びでもある。

石井康男先生、7年間瀋陽の地で日本語教育と、日本人教師の会のために全力を尽くしてくださって、ありがとうございました。どうか今後も、お元気でご活躍ください。

2005年06月07日:

鳴海先生から「チベット旅行記」が送られてきた。「鳴海マダムの<あなた知ってる?>」コーナーに載せた。送られてきたのが5月20日。そしてアップロードするまでに、2週間掛かってしまった。ひとえに山形の怠慢のためである。鳴海先生、そして楽しみにしておいでの皆様、どうかお許しください。

2005年05月19日:

会員に新たに前田節子先生が加わった。自己紹介は会員のページで。

今年の瀋陽日本語弁論大会は諸般の事情で開催が中止になりました。その代わり、総領事館主催の2005日本週間活動の一環として、5月17日金曜日、最終選考会の残った人たちの発表会があるということです。

2005年04月28日:

会員交流ページの「加藤正宏の瀋陽史跡探報」に「5.満鉄付属地その一、和平広場と民主路」が載りました。

2005年04月18日:

日本語クラブ19号(2005年4月09日発行)を、ホームページに載せた。内容を1ページに入れてしまうとアクセスに時間がかかるので、二つに分けた。日本語クラブ編集係りの皆様、お疲れ様でした。そして、ありがとうございました

2005年04月10日:

会員交流ページの「沢野千鶴子の北京通信」に第三報が寄せられました。沢野先生の喜寿のお祝いを学生仲間でしてもらったそうです。

2005年04月08日:

会員交流のページに竹林先生から旅行記の投稿があった。雲南旅行記で、以前「月刊宝石」で南のほうの旅行に付き物の困難なトイレ事情を読んだので、大いに心配したけれど、ここでは触れられていない。

2005年03月10日:

ホームページは今沢山のセクションがあるので、ホームページ係がそれぞれを担当して面倒を見ようという試みをこの新学期から始めた。

お知らせ: 児崎

日本語関係資料:鳴海

日本弁論大会:岡沢

日本語クラブ:山形

活動の記録:岡沢

会員紹介:児崎

会員交流ページ:山形

学生のページ:岡沢

暮らしの智慧:鳴海

HP係の独り言:係全員

掲示板:係が毎月交代で面倒を見る

掲示板と教師会宛のメイルの係:

3月 岡沢

4月 鳴海

5月 児崎

6月 山形

7月 岡沢

8月 山形

ホームページはGeocitiesがサーバーで、ftpの時のためにPCにIDもパスワードも記憶させていた。今回、仲間の係に知らせる必要があってパスワードを知らせたところ、パスワードが間違っていた。つまり正しく記憶(記録)していなかったのだ。パスワードを思い出せなくて、これで半日つぶして大騒ぎをしてしまった。

2005年03月07日:

長い春節休暇がおわって、久しぶりに教師の会の会合が3月5日に開かれた。そこで、掲示板への対応をどうするかが議論された。

いままでこの掲示板には、質問、照会、案内、挨拶、激励など、様々な投稿が寄せられている。誰かへの個人的連絡はすぐにそちらに回したし、返事をするのに適当な人を思いつけばそちらに回した。また、係として処理できるものにはすぐに対応をしてきたけれど、会の意見が求められるときには困惑する。つまり、このホームページは会の親睦と、この会の活動を広く知らせるためであり、会としてはこれ睦以外特に方針を持っていない。

掲示板は会として討論の場を提供するだけで、教師会は返事を書く必要がないという意見もあったが、それは極論であろう。掲示板は社会に対するこの会の窓であり人であれば顔である。人から挨拶を受けて知らん顔をしているのはどうかと思われる。

様々な意見の交換を経て、掲示板は係が判断して答えの出そうなところに回す、各会員は出来るかぎり返事をする、学習についての質問は受け付けない旨を掲示する、などが決まった。

2005年02月25日:

第9回瀋陽日本語弁論大会の要項、募集要項が発表になった。日本語弁論大会のページ、あるいはお知らせのページから入っていける。

2005年01月31日:

新任の中村先生の自己紹介が到着して、会員欄に写真とともに収録した。

2005年01月12日:

書記係の長澤先生から名簿の改訂版が送られてきた。12月で大久保先生が帰国、代わりに中村直子先生が着任された。

2005年01月10日:

マダム鳴海の芸術写真の続編をずっと預かっていて気になっていたのを、やっと休みを利用して電子ファイルにして、サーバーにアップロードすることが出来た。

みなさま、怒濤のごとく迫るマダムの写真を堪能して下さいな。

2005年になってからの教師会のホームページへのアクセス数は以下の通りです。私のアクセスはカウントしていません:

1月1日:1

1月2日:10

1月3日:13

1月4日:7

1月5日:17

1月6日:6

1月7日:14

1月8日:22

1月9日:10

2005年01月03日:

昨日、薬科大学の加藤先生から「加藤正宏の瀋陽史跡探訪」第4番目の記事が届いた。最高マイナス10度、最低マイナス27度という瀋陽の街を連日歩き回って取材をして、休み返上で書き上げた作品である。写真が豊富に付いているので、話しについて行くことが出来て大変面白い。写真を綺麗に並べてホームページに仕上げるまでに4時間かかったけれど、やりがいのある満足感を加藤先生からこちらも貰った感じである。

2004年12月29日:

薬科大学の加藤先生の教え子の作文が投稿された。わずか4ヶ月でまともな日本語が書けるようになるのだ。ただもうびっくり。

2004年12月28日:

無料のカウンターを表紙に取り付けた。すごいカウンターというものだが、うまく作動するのかどうか、指示通りの作業をしたけれど、今のところ不明。

2004年12月20日:

12月の定例会の議事録が係の長澤先生から届いて活動欄に載せた。ホームページの掲示板(18日)には定例会の後の忘年会に立ち寄られた最上先生の挨拶が載っている。

17日に気づいて消したのだけれど、掲示板に不快な書き込みがあった。こんなことがあると、こまめに掲示板を見ておく必要がある。

2004年12月16日:

このホームページが11月中旬、数日間に亘ってアクセスできないことがあった。これではいざ情報が必要なときに困るので、ミラーサイトを作るためにinfoseek(かの有名な楽天)に申し込み、16日にサイトにアップロードしたのだが。 見えない!アクセスできない!

infoseek事務局に調べてもらったら日本では問題なく見られるとのこと。つまり、このサイトも遮断されているのだった。

URLは:http://kyoshikai-shenyang.hp.infoseek.co.jp

いつかは見られることを期待しよう。

2004年12月11日:

定例会が開かれ、その後大久保先生の送別会が開かれた。大久保先生、長い間お疲れ様でした。

送別会は今年の忘年会と兼用で、近くの大明王府(以前の大明飯店)で開かれた。中道先生の友人の鈴木先生がハルビンから特別参加。

2000年夏~2001年夏まで薬科大学におられた最上久美子先生が所用でこの日の午後瀋陽に来られ、着いたその足で忘年会に参加して下さった。

2004年12月10日:

実行委員会から発表された第9回瀋陽日本語弁論大会の案内をお知らせのところに収録した。

山崎 えり子先生の長い歴史のあるHP、岡沢先生が最近始めたブログにリンクを張った。

鳴海マダムの「あなた知ってる?」コーナーに掲示板で早速反応があった。HPを運営している身としては大変嬉しいことである。鳴海先生、次回も期待していますよ!

2004年12月08日:

鳴海先生から「芸術写真のお誘い」が届いた。これは会員交流のページに新たに出来る「鳴海佳恵マダムのあなた知ってる?」の第一号作品である。ともかく傑作。これを読んで芸術写真に挑戦して下さい。

2004年12月07日:

鳴海先生から遼寧教育院にある日本語図書目録が届いた。

10月の教師会で調べられたお土産ランキングが公開された。写真付きです。春節休暇の時に利用して下さい。

12月3日午後から6日の昼まで、教師会のURLがアクセス不能になった。日本ではこの間全く問題なくアクセスできたとのことである。

2004年11月26日:

加藤先生から「加藤正宏の瀋陽史跡探訪」の新しい原稿が届いた。中街の歴史的な写真も含まれていて、これは中街の歴史案内であると同時に、現在の中街の観光案内でもある。このような史跡案内を片手に中街を訪れれば、中街の楽しみも増すに違いない。加藤先生の力作に感謝します。

2004年11月22日:

瀋陽日本人会のクリスマス案内を掲示板に載せたら、20日には留学生からの意見が載り、22日には教師と見られる意見が載った。つまり、掲示板も思ったより活用されているらしく、嬉しいことだ。

2004年11月18日:

瀋陽日本人会からクリスマス会の知らせがあった。12月12日:マリオットホテルで12時から。

2002年度の会員だった安藤知恵先生が2004年の夏瀋陽を訪ね、薬科大学の教え子達と五台山へ2週間の旅をされたときの話が本会に送られた来たので、「会員交流のページ」に収録した。

2004年11月17日:

澤野千恵子先生から送られてきた北京の写真二枚を「沢野千恵子の北京通信」に載せた。

2004年11月15日:

今年の7月まで会員で今北京で学生として中国語の勉強中の沢野千恵子先生から、便りが届いた。「会員交流のページ」に「沢野千恵子の北京通信」として収録している。

11月13日に発行された日本語クラブ18号の内容を、ホームページに収録した。

自己紹介は会員のそれぞれのページに、学生の書いた文章は「日本語を学ぶ学生のページ」に載っている。

定例会の議事録が大久保先生から届いたので、ホームページに載せた。

2004年11月13日:

11月の定例会が13日土曜日に開かれ、そこで日本語クラブ18号が配布された。編集委員の中道恵津、秀毅両先生、加藤先生、丸山先生、本当にお疲れ様でした。

定例会では、個人情報の開示が様々な角度から議論された。開示の程度は個人の自由意思であることが確認された。

2004年11月5日:

会員紹介欄で個人情報を公開しているが、その内容は個人の意思に従うことを確認し、会員のページを手直しした。

2004年10月24日:

しゃぶしゃぶの華府肥牛(和平北大街と十緯路の交差点 馬路湾の北側)、火鍋屋さんの陳火鍋(北行長江街の碧塘公園正門)、フランス料理の伯爵西餐 Count Restaurant and Bar(一部:和平区南大街21号、二部:和平区13緯路15号(領事館近く)がレストラン紹介に加わりました。

はじめの二つが大久保先生、伯爵西餐が児崎先生の紹介です。

2004年10月23日:

10月の定例会で、ホームページ係から出した新しい企画である「日本語を学ぶ学生のコーナー」に、遼寧大学の渡辺文江先生から早速投稿があった。これは日本語を学ぶ学生の書いた作文の投稿欄で、指導する先生のコメント付きで載せることになっている。今回の学生は日本語勉強し始めてわずか1年の学生だった。

2004年10月18日:

昨夜、書記係の長澤先生から16日の定例会の議事録が届いた。これを収録した。

2004年10月17日:

10月16日の定例会で、ホームページ係から出した新しい企画ふたつが承認された。一つは「会員交流のページ」とでも名付ける欄で、会員、および旧会員が自分の意見、主張、相談、体験、旅行記、随筆、作品を公開できる場と位置づけている。

もうひとつは、日本語を学ぶ学生の書いた作文の投稿欄である。「日本語を学ぶ学生のコーナー」という名前になる予定である。

「会員交流のページ」との欄に先ずは、薬科大学の加藤先生から瀋陽の歴史に埋もれた史跡探訪の記事が寄せられた。しばらく続きそうなのでこれは「加藤正宏の瀋陽の史跡探訪」と名付けて、後でジャンル別の分類をどうするかで悩む必要がないようにした。

定例会で、今期から加わったばかりの谷口真美先生が10月10日に突然帰国されたと報告された。全く思いがけない帰国命令だったのだと思う。谷口先生お疲れ様でした。

今期新人の岡沢成俊先生が10月の定例会からHP係に加わった。PCに強い先生のようである。

2004年10月15日:

9月30日に遼寧省政府から石井先生、多田先生が表彰されたと人づてに聞いて、それをご本人に確かめて「お知らせ」のニュースとして載せた。長年の中国における日本語教育への貢献が認められたものである。

2004年10月14日:

以前の会員の岡田重美先生、山崎由紀先生から教師の会に連絡があった。山崎先生の新しい情報と、岡田先生のmailの一部を載せて、それぞれを更新した。

2004年10月11日:

この数日間、ホームページにアクセスできなかった。

10月5日からYahooのgeocitiesが新しくなって、サーバーとアドレスを変更する必要が出来て、移行の手続きをしたところ、全く反応がなくなってしまった。それで新しいサイトに、手直しをしたホームページを新たにアップロードした。瀋陽情報のレストラン情報を、児崎先生が地区別に編集して下さったので、これを機に、瀋陽の地図を作成して、地図から情報が取れるようにした。

ただし最初に甘く見たのが失敗で、、この地図を作るのに、失敗も含めて12時間以上の時間をかけてしまった。

この先、教師会のホームページではコーナーがまだまだ増えるので、弁論大会の作品コーナーは、一つ下げて、弁論大会の項目から入るように手直しした。ともかく、大変な国慶節の連休だった。

2004年10月02日:

9月30日雨の夕方、西塔近くの韓国料理屋でホームページ係の初顔合わせがあった。係の児崎、鳴海、山形の三人の他にオブザーバーが二人。

そこで討議された企画の一つが、日本語教育関係の書籍リストを、ホームページに載せようというものだった。1日に資料室で児崎先生が書籍リストと、インターネットで調べられる日本語教育関係サイトを作成して下さったので、それをこのホームページに新しく「日本語教育関連資料」としてアップロードした。

2004年09月28日:

9月に開かれた歓迎会の時の写真をYahooのアルバムに公開してリンクした。支障がなければ今後の写真は、この方式で公開するようにしたい。今回のアルバム名は「歓迎会20040911」である。

2004年09月27日:

新会員の丸山先生の自己紹介も加わりました。

多田先生から掲示板に「コーヒー豆もコーヒー器具も瀋陽で買えますよ」という投稿があった。全文は、「瀋陽暮らしの智慧 スーパー・買い物情報」に載っている。このホームページに載っている情報を皆さん利用して下さい。

2004年09月17日:

新会員のページを公開したが写真だけで淋しいと思っていたら、HPで相棒の鳴海先生が、2ヶ月後には新しく書き直さなくてはいけないのを承知で、自己紹介を載せるよう書いてくれた。会員欄が少しにぎやかになったに違いない。なお、このほかに小林久夫先生の自己紹介も載っている。

2004年09月15日:

日本語教材を作るのに役立つホームページ(国際交流基金日本語国際センターの「みんなの教材サイト」)を載せた。

会員のページができあがったが、自己紹介文については、「日本語クラブ18号」がまず載せるので、ホームページに載るのは今から2ヶ月後のことになる。それまでは、会員それぞれの写真だけ見て楽しんでいて下さい。

2004年09月14日:

新しいメンバーとなった先生も含めて、教師の会の会員紹介欄の手直しを始めた。いずれ旧会員欄に移すときに、その作業が簡単であるようにしておかなくてはならない。

2004年09月13日:

新年度の会員役割分担が決まり、書記の長澤先生から11日の定例会の議事録が送られてきたのを機に、昨年度の議事録もホームページに収録した。このウェブサイトに、教師の会の記録がすべて残るようにしたい。

教師の会の活動の記録も残したいと思う。手始めに2004年6月12日の2003年度最後の会のあとに開かれた送別会の写真を収録した。

2004年09月12日:

昨日が、新年度の日本人教師の会の最初の定例会だった。歓迎会の写真をいずれ載せようかと思って、昨日撮った写真を整理していると、なんと、昨日の役割分担で決まった書記係の長澤先生から昨日の議事録が送られてきた。

今日は久しぶりの日曜日なのに。。。

議事録をきちんと送って下さったのだからぼやいてはいけない。というわけで、活動記録が、このウエブサイトにきちんと載ることになった。ただし、2004年6月の議事録が手元にありません。

2004年09月11日:

2004年度の新学期開始に合わせて瀋陽日本人教師の会の定例会が開かれた。出席は新しい会員も含めて33名。

あたらしく日本語資料室係が会員の役の中にもうけられた。日本語クラブの発行はこれまでの「隔月発行予定」を削って、「年3回発行を目指す」に変更された。

新しい役割分担も決まった。この会は会員一人一人が必ず何らかの役を受け持つことになっている。

連絡係代表:石井

副連絡係:多田、鳴海

会計:渡辺(京)、南本(み)、沢野

ミーティング係:渡辺(文)、高山、金丸、南本(卓)

書記:長澤、大久保、山形(貞)、太田

日本語クラブ:中道(恵)、中道(秀)、加藤、丸山

ホームページ:児崎、山形(達)、鳴海

弁論大会:中原、児崎、山崎、宇野、竹林、市原

資料室:峰村、斉藤、片山、小林(豊)、田中、谷口

研修:森林、小林(久)、緑川

5時からは、特別参加の森信幸領事、佳能有限公司金光総経理、住三塑料有限公司鹿島総経理を加えて、本年度の歓迎会が近くの改装なった大明酒楼で開かれた。この歓迎会は在瀋陽日本領事館による招待であった。司会は渡辺(文江)。

2004年度の役割分担で、ホームページ係は、児崎、鳴海、山形の三人が担当することになった。

どうかよろしく。

昨年度の更新記録は別のページに移した。

2005年08月01日:

前田先生から学校の職員旅行に参加した紀行文が届いた。

2005年07月20日:

YahooのGeocitiesが用意している日記帳をホームページ係りの日記として今後利用しようと思っています。書き込みが楽に違いないからです。

というわけで、これは、今日でお蔵入りです。ここに二年間書いてきたのは、瀋陽薬科大学の山形達也です。それでは、今後は別のところでお目にかかりましょう。

2005年07月13日:

加藤正宏先生から「6、満鉄附属地(その1、和平広場周辺と民主路)補足」が届いた。」

前田先生の友人の「栗原節也さんのメール及びメールに示唆されて」この補足が出来上がった。6月12日の第1回瀋陽史跡フィールドワークに参加された方には大変身近な話題です。

2005年07月12日:

2003年まで瀋陽におられた山崎由紀先生から連絡があり、先生の紹介記事を更新した。山崎先生のブログは以下のとおりです。

http://plaza.rakuten.co.jp/yukic08/