2012年度教師会日記

瀋陽日本人教師の会日記 2012年度 山形達也

 9月定例会 市図書館9月8日(土)

さえ:

先週の9月8日・曜日の教師の会の定例会で、資料室担当のぼくは鈴木貞夫代表から「今の資料室が全然使えないのに、なぜお金を使っているのか」と責められました。

資料室を整備しているのは前期までに決められた職責を全うしているだけなのにね。

「資料室が使いにくいじゃないか」と言って、「資料室に行きたい人が何度電話しても、行くことができなかった」と例を挙げて、これはおまえの責任だろうと言われました。

資料室は本質的には今まで通りではなく、閉鎖して本を使えない形でしまい込む代わりに、個人のうちの一室を開放して貰って、本が見られるようになっているのです。それでも個人の住宅だから、いきなり電話をしても在宅しているとは限らないし、このことは分かって下さい、と何時もの説明をしました。

このことで会の後、資料室のオーナーの劉凱さんと話したのですが、その話によればこういう事でした。

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実は山下先生から三回お電話いただきました。

一回目は、先月の9月末で(日付が忘れました)、夕方5時過ぎ、「会計の資料を探したいので、あと10分でお宅に着きます」。出先にいる私が30分なら帰れますが、10なら無理です、という返事しました。そうすると、「じゃ、またご連絡します」というやり取りでした。

二回目は、その一日か二日後、中秋節の前日(9月29日)で、また電話で「行きたいので大丈夫ですか」。私が「明日は祝日なので、実家に帰らなければなりません。連休済んだらよろしいですか」という返事しました。「じゃ、また来週にします」というやり取りでした。

そして、10月3日、「今日は大丈夫ですか」とのことです。

そのときは都合が付きました。会計のノートがいっぱいになったから、そのノートはないか、探したいと言うことでした。

資料室に来て、まったく見当もつかない様子でしたが、ノートのあるなしなら、整理した人に前もって聞けばわかることでしょう。

私は「山形先生に電話で聞いて見たら?私には全然わからないから」と言いました。

しかし、どうしてか何回言ってもなかなか電話せず、ただあちこち探していました。「だから整理した人に聞いてみないとわからないでしょう」って、きつく言いました。今度は山形先生に電話して聞いた結果、そのようなものはありません。というのです。

何の大事なことかと思ったら、これか。祝日なのに、この位の常識もないのか、呆れた人だ、というのが当時の正直の気持ちでした。

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実際、会計ノートが資料室にないかという電話を山下さんから貰い、ぼくは、そんなものの買い置きは聞いたことはないので、無いでしょうと答えました。会計のノートと言ったって、普通のノートに書き込んでいるだけですよ。今の資料室の、会員の出入りの記録、図書貸し出し記録も、ぼくが持って行ったノートを使っています。

会計で現金を持っているのだからノートくらい買ったらよいでしょう、と返事したのを覚えています。

訪ねた人の態度をオーナーが不愉快に思ったので、これがそのまま反映して、訪ねた人は冷たくあしらわれたという印象だったのでしょう。

資料室担当のぼくに言ってくれればよいのに、代表に苦情が行って、その真偽を確かめもせず公開の席でぼくが責められたのです。こちらは何の事情も知らないのにね。

呆れたやり口です。これは、何も知らない状況に置いたまま、突然人をおとしめるための手法です。

ぼくが大好きだった瀋陽日本人教師の会とその会員たちは、もう昔の幻影にしか過ぎません。これを、先ず認識しましょう。

今のおかしな人たちには腹が立ちますけれど、彼らと口論して争ってまでして、何を守るのか。守るに値するものがあるのか。

ぼくにとって研究以外は、余分な付け足しです。こんな事で心を騒がせるのは賢明なことではありません。

ぼくが黙ってこの会を去ればいいのです。後がどうなるか気にはなりますけれど、まさか残りの人たちが同じように愚かではないでしょう。

2012.10.18 文句を言いたい 代表の暴言

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さえ:

先日の土曜日の教師の会では、代表から「執行部体制の確立」をしたいという議題が出されたり、今まで注意深く教師の会を運営してきたのに「会員身分の国籍条項の撤廃」なんて言うことが提案されたりして、もちろんぼくは自分の考えに従って反対しました。

この状況はここに書きましたね。

これらの議題で、この10月の定例会は9月に新しく立法補して代表になった人が、初めて自分のカラーを打ち出している訳ですね、その提案に端から反対したものだから、きっと面子を潰されたと思ったのでしょう。そのあと、ぼくが直接攻撃を受けました。

ぼくは資料室係をやっているでしょ。2009年の「資料室の再興を目指して」と言うワーキンググループを作って会員が7名集まったときから関係していて、それで実際2010年5月に資料室が動き出したとき以来、資料室係の代表をしてきました。

個人が経営している品和軒の一室を資料室として提供されて、その資料室を充実させるために、本棚や机・椅子、備品などを特別会計から購入する許可を貰って準備を始めました。本は先ずぼくの手持ちの本を搬入しました。

更に本が必要になるので、会員のアンケートを採って希望図書を聞きましたし、会員に本を(日本から送って)提供するよう呼びかけました。

自分の本をただで提供することにやぶさかでなくても、送料は馬鹿になりませんから、特別会計で送料、更に本を買った場合にはその購入費も負担することを会員に図って決めました。

ぼくはその続きとしてずっと資料室の整理をしてきたのですよ。言うまでもないですが、すべて手弁当です。

今まで沢山の本を提供していますが、本を送る費用はぼく持ちでした。この夏、二箱分の本を日本から送って、その送料を今回初めて会に請求しました。また、本に貼るラベルを今までぼくたちが研究室で使ってきた残りを使いましたが、今夏にIto-yaで足りない分を買ってその代金を請求しました。

土曜日の会の中で代表が言うには、「ラベルは中国で買ったほうがはるかに安いのになぜ日本で買ったか。それを送る送料を請求するとは何事か」

驚きました。でも、ラベルを中国で探すなんて思いもしませんでした。うちの学生に尋ねても、見たこともないと言うし、あったとしても質が悪くて直ぐ本から剥がれるでしょう。

送料は、資料室に備えるための本を送ったためであり、その送料を特別会計から出すのは(以前 2010年に)決めています。ラベルじゃなく資料室のための本を送ったのですよ。

すると、会費を使うときは事前に届けでて許可を取るべきだと言い出すのですよ。

この資料室を充実させるために特別会計を使うというのは、2009年度と2010年度の教師の会の集まりで認められているのです。しかも今年度に経費が発生したわけでなく、前年度のことなのに、今年度の代表が文句を言うのはおかしいですね。

会費を使うときには事前の許可を取るべきだと言い出して、いったい誰の許可でしょう。いちいち代表が一つ一つの支出の申請を認可するのですか?それじゃ、代表の金の使い方は誰が許可するのですか?

今までこの会では一度もなかったことです。使い道を決めただけでそれでも、旨く運営されてきました。

ただし、二年前から代表の金の使いかたが危ないと思ったので、ぼくが昨年5月に会計監査の必要性を申し出て、そしてぼくが志願して皆から認められたのですよ。

この教師の会は人は二三年で入れ変わりながらも、続いています。中にはぼくみたいに長くいる会員もいるので、会で決めたことは(たとえば資料室を特別会計の支出で充実させようと以前の年度で決めたことを)そのまま続けることになるわけですね。

それが新しい会員には違和感があるのかも知れません。

なに?資料室の充実だって?資料室って、あるらしいけれど使いにくいという話じゃないか。

どうしてその充実を図らなくてはならない?

こんな風に思う新会員も出てくるかも知れません。

今、資料室は公的には閉鎖されていて、私的にオーナーの好意で自宅に置かせて貰ってオープンしているに過ぎません。いずれオーナーが新しい店を持つときに資料室を一緒に考えてくれるという言葉を頼みにして、細々と現状を続けているのですが、いや、現状では使いにくいから別のところに移そう、見直そう、資料室自体を考え直そう、と言う意見が出てきても良い訳です。

それなら、そのような話をしようと言い出すのが、会の代表としてすることでしょ?資料室を担当しているぼくがまるで既得権益にしがみついているみたいな言い方をするのではなくね。

いうまでもなく、既得権益なんてものじゃないですよ、ぼくしかやる人がいないから義務と感じてやっているのです。

全く、もう。。。

2012.10.14 10月の定例会のことでもう一つ

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さえ:

今回の議題の一つに瀋陽日本人教師の会の会員資格に「国籍が日本人であり、専家証あるいは学校からの招聘状があること」と言うのがありますが、この国籍条項を削除したいというのがありました。

つまり中国人教師の参加に門戸を開こうという考えで、この議題はあらかじめ予告されていましたから、準備をしていきました。

この議題が提案されると、一人の先生が大変結構じゃないですか、そうやって会員も増えると会員の減少に悩む必要もなくなるしと言う発現がありました。

実際日中友好という観点からすると中国人教師も参加する集まりがあっても良いと、ぼくも本心で思っています。

これは会則の変更になるので、それでは決を採りましょうと代表が司会の先生に提案するので、「ちょっと待って下さい、資料も用意していますが、歴史的に見て、この中国人教師の参加問題は落ち着いて考えないといけないことなのです」と発言しました。

これは前にここに書いたことです。以前の代表から、どうしてこの国籍条項を作って会員資格を限定しているかを聞いたときのメイルを資料として配りました。

『この教師の会は非合法団体で、単に黙認されているに過ぎないということです。実際に問題が起きて以前の代表が苦労したときから10年以上経っていますが、両国の関係は依然として良くなっていません。つまり、何でも起こりうると言うことです。何か起こると(公安当局の責任者が変わっただけでも)この会の解散、責任者の投獄、国外追放があり得るので、危ないことは避けたほうがよいのではないですか』

新しい代表の提案に反対することはとても心苦しいものがあります。

今の両国の関係から見て、中国人教師が積極的に日本人教師と手を組みたいと思うかどうか分かりませんが、日中友好あるいは中日友好をうたう別の集まりを作ったらどうでしょう。別の会を作って中国人と日本人が一緒に何かの活動をするなら、そこで何かが起きても、この瀋陽日本人教師の会は守られますものね。

2012.10.13 10月の定例会を終えて

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さえ:

13日に開かれた日本人教師の会の10月定例会は13人が集まりました。

新しい代表が選ばれたのが9月ですから、言ってみれば新しい代表が初めて仕切る集まりです。議題に、執行部体制の確立というのがありました。

ぼくたちは会社や組合にいたこともないから、執行部なんて言葉はなじみが無く何を意味するかよく分かりません。しかも、どうしてこれが必要かも分かりません。説明を聞いてみると、諸問題の解決に向けて迅速かつ的確な会の運営のためであり、会員の個別の対立を避け、会本来の目的である会員相互の親睦と中日友好を目的にするためだそうです。

執行部体制と聞くと何やらおどろおどろしく思いますが、代表と副代表3名の4人に加えて、資料室、広報、弁論大会、文化祭、書記会計などの係の代表を加えて、諸問題の解決に向け迅速かつ的確な対処をするのだそうです。

趣旨は結構なことだ思います。でも、ここに挙げた人たちを数えると全部で9人です。会員が新しく遼寧大学に神奈川県から派遣の三枝先生が増えて14人となったので、14人の中から9人が特別に議論して決定をするグループを作り、あとの5人は定例会に来て決まったことを聞かされるだけになってしまいます。

もしもぼくがこの5人に入るなら、こんな会には参加したくないですね。と言うことは、この案に現状では賛成できません。

以前、30人を超える会員の時には、各係の代表が集まって会の運営で代表を支援する体制(今ここで言う執行部になりますね)にしたらよいと思っていましたが、今は人数が少なすぎます。

人数が増えて、必要となったらやればよいのです。

しかも必要性が今ひとつ飲み込めません。

確かに暗黒時代の二年間を過ごしたあと、そのもやもやを払拭するために新しい代表がいろいろと考え改善しようとしていることは分かります。その気持ちはとても貴重です。

でも、以前の確執の大半は無能な代表のためだったと思います。新しい代表が会員と意志の円滑な疎通を図る気でいたら、そして代表が自分は代表だから違う扱いを受けて当然という特権意識を持たりしないで、会員の間の親睦に最善を尽くす気でいたら、『会員の個別の対立』など起こらずに仲良くやっていけるのではないかと思います。

そのために、この9月新しく代表に立候補した鈴木代表を支持しているのです。

小さな集まりで体制作りにこだわるよりも、代表のすべてに亘る公平さ、人に対する心の暖かさこそがこの集まりの大事な中心でしょう。代表が中心となってこの瀋陽における小さな集まりが、いつか振り返って思うとき心の中に輝く灯火であるようなそのような日本人教師の会にして欲しいと思います。

2012.10.11 瀋陽日本人教師の会の会員資格が厳しい理由

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さえ:

瀋陽日本人教師の会に中国人を入れる動きがあるって書いたでしょ。

今までの教師の会の歴史の中で、会員資格が厳しく規定されていますし、中国人会員はいなかったし、それには十分な理由があるはずですね。それで、以前の代表の方々に以前の経緯を伺いました。

石井康男先生によると、会員資格については、以前、観光ビザで中国に来て日本語学校で日本語教師をしていた人が教師の会に入り、それを盾に公安に居留証の請求をしたそうです。

教師の会は非合法組織であるから解散させるという公安に、驚いて十分の説明をして、

1.会員は正式に採用されて居留許可と専家証を有している教師に限定をすること、

2.中国人教師の参加は正会員ではなく活動内容によっては特別参加をすること、

と言うことで非合法団体のまま教師の会の存在が黙認されたのだそうです。

それで、会員は日本人で専家証を有しているものに限定され、ぼくが知っているときにも、確か南本先生が代表のときに、資格のない日本人教師が入ってきて、そして退会しましたね。

中国人からの参加希望は何度もありましたが、定例会は30名を超す人たちが集まっていたし、とても他の人たちが入る余裕がないし、本質的なことは議論されたことはなかったと思いますが、遡ると、日本人だけに会員を限る理由があったのです。

この教師の会が非合法団体で、その存在は黙認されているに過ぎないと言うことを忘れてしまうと、何かの時にそれに焦点が当てられた時に大変やばいことになりますね。賢明な中国人は、そういうものには近づかないしょう。

会員が足りなくて活動も危ぶまれる状態となった今、中国人会員の参加を考える前に、瀋陽に在住していて参加しない日本人に参加を呼びかけるのが先ではないしょうか。

それでも会員が足りなくてたとえば弁論大会が手伝えないとなったら、主催の日本人会に返上したらよいのですよ。会員の親睦を目的とする会の目的を忘れると、ろくでもないことになりかねません。

2012.10.10 10月の定例会は薬科大学で開催

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さえ:

今、日中両国の関係が大変厳しくなっていますね。

それで瀋陽日本人教師の会の10月の定例会を、何時ものように瀋陽市図書館で開催しようとしたら、図書館が今回は見送って欲しいと言って来たそうです。

それを受けて教師の会の役員は、以前資料室が無くて各校回り持ちで定例会を開いていた頃を思い出したのですね。薬科大学の食堂の一室を借りて定例会を開き、終わってからそこで食事をすることが結構多かったのです。

先ほど会の役員から今週土曜日の定例会の場所の連絡がありました。

食堂にでなく大学当局に定例会の開催について申し入れを行ったそうです。すると、大学の首脳部が認可してくれて、今週の土曜日の午後、無事に食堂の一室を借りて教師の会が開かれることになりました。世知辛い世の中の状況を考えると、薬科大学の決断はとてもありがたいことです。

2012.10.08 「瀋陽日本人教師の会」の名前が消える?

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さえ:

今週の土曜日は「瀋陽日本人教師の会」の定例会の日で、役員から議題が送られてきました。

それによると、

3 その他の議題、提案、連絡事項など

・執行部体制の導入

・会員資格から国籍の削除

・上記の提案が議決されれば会の名称の変更

と言う議題提案があって、提案内容は書いてありませんが、「会員資格から国籍の削除」という議題がありますよね。今までの会員資格は日本人であって専家証があるか、学校からの招聘状がある人およびその家族が会員の条件でした。

国籍条項をなくすと言うことは、おそらく中国人教師も加えて会の規模を広げ、そうなれば「瀋陽日本人教師の会」から「瀋陽日本語教師の会」という名前に変えなくっちゃと言うことでしょうか。

会員が今は13名しかいませんから、会員増のための改革としては正しい方向かも知れません。

ただし何のための会員数の増加なのか?そこから考えるべきではないでしょうか。

今まで瀋陽日本人会主催の「瀋陽日本語弁論大会」の実際の実行面を受け持っていましたが、会員が30名いた頃はともかく今みたいに20名を切ると大きな負担となります。弁論大会の実行面を受け持つには、会員数の増加が必要で、現状でそれは無理ならば、中国人教師を加えようと言うことでしょう。

以前これが試みられたけれど、それが長続きしなかったと聞いています。どのようなことだったかを知りたいですね。

この教師の会が瀋陽日本語弁論大会の実行の下請けをすることに生き甲斐を感じているかどうかを、ぼくは問いたいですね。日本人会から下に見られてもなお、学生のためにやりたいなら、続ければ良いでしょう。ぼくはこれには冷淡です。直接学生と接触していないからですね。弁論大会を止めて日本語文化祭に集中したらよいと思っています。

弁論大会を続けるために会員数を増やすことを目指すとして、中国人会員を増やすことは大いに意味があるでしょうけれど、ぼくにとってはそれだけでは意味がありません。広く、日本語を媒体として日中友好を目指す中国人も集まる会(つまり瀋陽日中友好協会とでもいうのかな)になるなら賛成ですけれど。

ですから今の「瀋陽日本人教師の会」が「瀋陽日本語教師の会」に変わってしまうなら、ぼくの居場所はありません。今の組織はそのままにして、別に、新たに「瀋陽日本語教師の会」を作るという考え方もありではないでしょうか。

ただし、今は両国の間は実に微妙な時期ですから、中国人がこの会に参加したがるかどうかは疑問ですね。

このように大きな意味のある改革を持ち出すなら、定例会の議題に載せるだけでなく、提案内容も事前に知らせて十分考える機会を皆に与えると良いのではないかと思います。もちろん、ぼくはそのように直ぐに返信しましたよ。

2012.09.13 瀋陽日本人教師の会の会員の減少を防げるか

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さえ:

9月8日に新年度の教師の会を開いたら、集まったのは旧人8名で新人2名でした。欠席が2人いたので、全員で12名です。まだ任地に到着してない人もいるという話なのでまだ増えるでしょうけれど、毎年漸減傾向ですね。

この理由の一つには、日本語教師として赴任しているけれど教師の会に参加しない人たちが増えていることが挙げられます。

教師の会という集まりに縛られたくない、中国の生活に他の人の助けはいらない、などのいろいろの原因が挙げられますが、彼らが参加しないことで、教師の会の活動は阻害されています。

もちろん、この人たちが教師の会に参加する、参加しないは個人の自由だと思いますが、特に、弁論大会を考えると人数の減少は泣きたい気分ですね。

この弁論大会は日本人会の主催で(つまり資金を出して、会場を確保する)、教師の会が下請け、というか全面的に、この実行を実質的に可能にしていますね。日本語を教えている各拠点に知らせを出し、論文を書くようお願い(?)して、それを(日本語の教師が)集めて教師の会に集めて、そこで一次審査をして、優秀作品に絞り込んで(ここまでは弁論係です)弁論大会(これは全員参加ですね)を開いています。

この選考の対象となる応募作品の中には、教師の会に参加していない教師のクラスからも当然入っています。

これを、教師の会の人たちが黙って同じように面倒を見るというのが今までの構図でしたが、これからは、日本人教師の会に入っていない教師のいる拠点は無視する(日本人教師がいなくても日本語をやっているところは選考の対象とする)ことにすると言うのは過激でしょうか。

いまや、教師の会はお人好し集団になり、しかも参加していない人たちのために過重な労働を課せられるわけですから、対策を考えても良い頃ではないしょうか?

まだ参加していない日本語教師には、少なくとも、教師の会に参加するように穏やかに誘って(今までやってきましたが)見ましょう。

それでも参加してくれなかったら、参加していないと貴校の生徒は弁論大会の恩恵が受けられないと伝えたらどうなるでしょうね。脅しと受け取られて、参加する人が増えるかも知れません。でも、こうまでして、やっと入ってくる人たちに、あまり魅力は感じませんね。

2012年09月09日(日) この新年度、教師の会の代表が替わった

瀋陽日本人教師の会の今年度初めての集まりが昨日、瀋陽市図書館で開かれた。旧人が8名、新人が2名で合計10名の参加。休んだ人を入れても15人の世帯だ。

昨年度も、一昨年度もぼくは用事のために代表選出の場に居合わせなかった。この二年間、この会の代表をしている人にとても情けない思いをしてきた。

二年続いた代表が今年の代表をやりたいと言ったらそれを止めるつもりで出かけたが、彼は沈黙を守ったまま、撫順から参加している鈴木貞夫先生が立候補し代表となった。鈴木先生は撫順に来るまでは実業家で、中国に来て日本語教師を初めて始めたそうだが、教師の世界しか知らない人よりもこの集まりをちゃんと仕切っていけることを期待したい。

1998年から2000年まで大阪府から遼寧大学に日本語教師として派遣されたという吉川先生が、再度遼寧大学に日本語教師として赴任し、教師の会に参加した。

私が2003年に瀋陽に来てこの会に入ったときの代表は遼寧大学の石井康男先生で、この石井先生から教師会のこと、資料室を教わったのだが、その石井先生の前任者なのだ。

いろいろと話に聞いている教師会や、資料室よりももっと古い歴史を背負った白髪の先生が現れたので、だいぶお年寄りかと思ったが、まだ十分若い先生らしい。

教師の会の定例会とそれに引き続く懇親会で私たちは今の会の運営を話しているのだが、この話し好きの吉川先生は、すぐ昔はこうだったのという話になる傾向がある。つまり、話が長くなる。

この吉川先生は2000年6月瀋陽に資料室が初めてできたとき、主体となった本の寄贈を手がけた大阪NPOに関係したと言う。それでいま、この教師の会に入って資料室係を志願した。私も資料室係を続けるつもりなので、仲間が誕生したことになる。昨年度の二人は有名無実だったが、今年度は期待できそうだ。

2012.10.21 瀋陽日本人教師の会を去ることにしました

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