令和最初の廃線探訪は北海道の最南端を走っていた国鉄松前線森越駅。駅名標はつい最近、立ててくれたらしいです。これがなきゃただの空き地、駅跡なんて分かりゃしない。
車で来た道を振り返るとその奥の隙間に海が見える。その隙間から青函連絡船は見えたのだろうか...
森越から渡島知内方面に進み踏切があったところ。今はクランクになっていた。
さらに進むとガーター橋が残っていた。
国鉄松前線森越駅跡を南下したところにひっそりと残ってたガーター橋跡。
橋から先の路盤跡は農道?の横に沿っている。ずっと向こうの防風林と防風林の隙間に向かって線路が真っ直ぐ伸びていたのが想像できる🛤️
奥に見えるバス待合所の建物が当時、島式ホームがあった辺り。その手前に駅舎があったようだ。松前線は木古内からこの駅まで沿岸部に沿って走り、ここから右カーブを描くように山間部を走り沿岸部の松前に抜けるイメージ。その向こうに見える山の方の雲行きが怪しい🌩️☔️ 。そして助手席の雲行きも怪しい😡⚡️ 。これ以上、各駅停車で廃駅探訪するわけにはいかず、特急スーパーなんちゃらみたいに先を急ぐこととした...🚕💨💨💨 。
90年代後半に収録された廃線ビデオにはまだ橋梁が残っていたようだ。
この写真の左側のそう遠くない位置に渡島大沢駅はあったようだ。
海岸沿いの国道にこれまた沿うように走っていた場所の橋桁。海風半端なくて吹き飛ばされるかと思った...
令和初日に人で溢れる松前城の桜🌸を堪能した後、ひっそりとした松前線の終点、松前駅跡を訪問する。駅の痕跡は記念碑のみ。その代わり当時の観光案内所の建物は今でも残っていた。昭和のGWの時期、花見目当てで列車に乗ってやって来た観光客に松前城の行き方とか案内してくれたのだろうか。モノクロの写真は松前城内にあった昭和30年代の航空写真。松前の町の上空を飛ぶように列車は橋を渡りお城🏯の下のトンネルを潜って終着駅🚉なんて、まるでディズニーのアトラクションのような流れだね。松前線は戦前、マンガン採掘のため、もっと延伸する予定だったとのこと。松前駅跡から国道を西に走らせ🚕、助手席から未成線の橋脚跡を撮影してみた。