2011.12.30
80年代テキサス・ダラスマットを暴れたニッポンジンレスラー①。ザ・グレート・カブキ。今から10年程前にちょこちょこ飯田橋のカブキさんの店に顔をだしていた。目的は自分がなぜか小学生当時、大ファンだったマジック・ドラゴンことハル薗田選手のことを聞きたかったから。カブキさんは全日本プロレス三バカ(大仁田、淵、薗田)の中でプロレスセンスがあったのは薗田と言っていた。けれども90年代に一世風靡する大仁田や今でもリングに上がる淵...プロレスって難しいジャンルだよな。ちなみに自分が被るテンガロンハットはもちろんスタン・ハンセンの本物‼️
2013.80年代テキサス・ダラスマットを暴れたニッポンジンレスラー②。トラ・ヤツこと谷津嘉章。日本アマレス重量級最強の男と呼ばれた男が当時、自分が住んでた近くにもつ焼き屋をオープンしたのでいってみた。無謀にもスープレックスを敢行してみた‼️
2018.7.4
80年代テキサス・ダラスマットを暴れたニッポンジンレスラー③。キラー・カーン。アンドレの足を折った男として全米に名を轟かせた小沢さん。猪木、藤波、ライガーよりも全米では実績を残し、本当だったら真っ先に殿堂入りしてもおかしくないスーパースターだと思う‼️ #キラーカーン #キラーカーンのお店 #新日本プロレス #全日本プロレス#wccw
2022.5.2
根室に来て納沙布岬よりも来たかった場所が町外れにある青少年センター。1981年8月8日、新日本プロレスがタイガーマスクの出現で空前のプロレスブームを迎えようとする頃、北海道の最東端で国際プロレスが興行をここで行い、ひっそりと終焉を迎えようとしていた。メインはIWA世界タッグ戦、阿修羅原とマイティ井上が外人チーム相手に防衛、これが国際プロレス最期のタイトルマッチ。国際プロレスは翌日の羅臼町民グラウンド(というか羅臼小学校の校庭)での興行で終焉を迎えた。エース外国人がエンフォーサーというロートルレスラーな時点ですでに末期...バニーガール風な女性マネージャーは奥さんとのこと。今では女性マネージャーなど当たり前だが国際プロレスは金網デスマッチとか色々なアイデアで馬場猪木に対抗したが牙城崩せずやることなすこと時代を先取りし過ぎた...
北海道来てから車停めるのが転車台、駅跡、体育館と続き車内が微妙な空気になってた頃、雰囲気を一変させたのが体育館の通りを先に進めた所で遭遇したタンチョウ。タンチョウって雪の時期しか見れないと思い込んでいた...今回の旅で🦌はお腹一杯見た。🦊は見れなかった。タンチョウはこのあと連日見れたのでラッキーだったな。🦅
定例な病院の日、有給とって休みにして病院後は昭和探訪な平日...目的はレストラン香港 ここのご主人の料理が児玉誉士夫に気に入られその伝手で力道山のリキスポーツパレスのコックになった昭和プロレステイスト溢れるお方...11時30分開店で35分に着いたらもう客席いっぱいだよ、蔵前かよ...ご主人は昭和新日プロの大会プロモーターとしても活動されておりお店には昭和プロレス満載...アントニオ猪木が試合前に絶賛し愛飲したコーンスープはこの日なかったけどボリューミーなトルコライスは本当に旨い!!この値上げなご時世に新宿区でこのボリュームを700円では中々食べられないよ...12時に店を出たら後楽園ホールの当日券売場の如く行列だよ...
#有給とって昭和な一日 小ネタその1 店のご主人がプロモートした1984.9.1練馬区の南部球場大会は橋本真也のデビュー戦
#有給とって昭和な一日 小ネタその2 リキさんのサインだとか猪木VSアリ戦の幻の契約書コピーだとか(本物はアリ・サイドに破り捨てられた)IWGPのブレザーだとかマニアには🤤なお宝が普通に座布団席の後ろにあるのでそのお客さんが写らないよう撮影...
そして香港の向こうにも何か気になるものが見えるね...
ミスター高橋の暴露本で猪木の真剣勝負はモハメッド・アリとアクラム・ペールワン戦の生涯二試合しかなかった…との記述を見た時、むしろあの二試合こそ真剣勝負だったのか…と改めてキラー猪木の凄さに怖れ慄いた記憶…
もはや元気があっても乗り越えられない…☀🥵