2016.8.16 2020.8.19,20,21
廃駅後にできたバスターミナルからさらに道の駅ができたようです。天北線資料がここにあるかと思いきや郷土資料館に移転したとのこと。しかも予約制。ここで夕方5時過ぎ。朝9時に少し食べてここまで何も食べなかった。
廃線探訪はいいダイエットかな、と思ったが帰ってきてから体重測ったらそんなに変わってなかった。夜はたっぷりサッポロクラシックと美味いもの食べていたことを忘れていた。🐙天北線廃線巡りこの日はここで終点。稚内にUターンするがもう一度飛行場前に寄ってみる。
2020.8.19 天北線探訪前は憧れの飛行場前ばかり調べていてこの駅のことはほぼノーマークだった…グーグルマップのナビに従い、浜頓別方向に車を進めると右折の指示。通り過ぎてしまい「今、右折するような道なんてあったか…?」と引き返すとその道はダート…「えっ、この道進むのかよっ!!」と躊躇したが車を先に進めた。対向車が来たら面倒な狭い道を進み、駅跡近くに到達。ここからは車を降りて駅にアプローチするしかないがどんより天気な夕刻にもうそんな勇気は残ってなかったので撤退…
↑来た道
木々の向こうに天北線山軽駅(多分...)天北線の中で最もデンジャラスな場所にある駅跡。
オホーツク国道を南下しGoogle Mapのナビに従い車を走らせてたら「ここを右に曲がります」の指示、「えっ、今、道なんかあったか⁉️」と思いながらもUターン。
そして指示された所まで戻るとそこには国道から分岐する砂利道...😨
その道をさらに進まないと山軽駅へは到達できないようだ...
駅跡まではまだかなり距離はあるが意を決して🐻避けと対向車避けのためクラクションをプープー鳴らしながらどんどん奥へ進んでいった。
途中天北線跡🚴♀️ロードを横切り車が行けるところまで到達。
そして、そこからは歩けの指示...😱
諦めましたよ、ここで。とてもじゃないけど車から降りる気にもなれなかった...
結局もと来た道を引き返し再び廃線跡にぶつかるところへ。
事前に飛行場前駅のことばかり調べていてこの駅についてはノーマークだった。その夜ホテルに戻って調べてみたらこの秘境度に納得。昭和30年代くらいまでは駅近く(車停めたところ)に集落があり民家もあったようだが昭和40年代には集落消滅し、昭和46年度は利用乗客数は0人を記録している。
今でも自分は「山軽...山軽...」と山軽の呪縛から解き放たれず古地図で調べてみたら通ってきた砂利道が旧国道(オホーツク国道の前身)だったことが一番驚いた...😲
現役当時、踏切があったところ。この先に山軽駅。
↑浜頓別方面
↑山軽駅探訪は全ての駅探訪の中でもやはりナンバー1のインパクトでこの日の夜、宿で山軽駅について色々調べてみた。1970年代に山軽駅はすでに利用客0もさる事ながら、やはり一番はこの辿ったダートが旧国道であった、という衝撃…
↑山軽方面
休けい所・便所 跡が残る…
↑飛行場前方面
現役当時の待合室兼便所がサイクリングロードの休憩所として残らせていたようだが...
ホーム跡は跡形もないのか草木に覆われているのか判別不能...
天北線飛行場前仮乗降場。
とにかく自分にとって35年越しに訪問したかった聖地みたいな場所なのだが感動のご対面‼️...
とはいかなかった。
とにかく激しい雨に降られ目の前にいながら車から10分出られなかった。
(やることないからここでインスタライブ流したかもしれない)
昭和の頃(まず白糠線が廃止になった頃)、買ってもらった「国鉄駅名大百科」の
カラーページをめくりこの駅の風景に衝撃を受けた。
廻りに広がる牧草地の中にポツンと板張りホーム。
そして、「仮乗降場」なんて聞き慣れない言葉に
とっくにありもしない「飛行場」
とにかくここは人を惹き付ける何かが幾つもあり、
「いつか天北線に乗ってここを訪れてみたいなぁ」
という願いも虚しく数年後に廃線になってしまった。
(自分もこの直後の北海道怒濤の国鉄廃線ラッシュで鉄道に冷めた...)
4年前に興浜北線の神威岬まで来たときあと数十分、車で走ればここに来れるなぁと思ったがその日はどうしても日が沈む前に紋別のカニの爪で自撮りしなければならないミッションがあったので泣く泣く諦めた。(結論から言うとその日にここに来ていれば天気良かったし感動は今回よりも倍増だったと思う...😅)
この日ここに着いたのが夕方4時過ぎ。朝9時に羽田でカツサンド頬張ってここまで何も食べてなかった。天北線跡に沿って車を走らせてもセコマや飲食店も途中なかったので雨も止まないここを一旦離れ浜頓別まで進み食べ物調達してまた帰りにここに寄ることとした。
夕方戻る
飛行場前仮乗降場、再び。浜頓別から戻り、先ほど訪れた時よりは雨は少し弱くなった。
この近くの農地の入口に車をバックして停めさせてもらったのだが危うく後輪が脱輪しそうになっておりそこでまずイヤな予感...🐙そして、良い子のみんなは真似しちゃダメだけど板張りホームの上に乗ってみた。
何枚かバシャバシャ写真を撮りさぁ終わり、と思った瞬間、板が腐っており「あっ、ヤバい‼️」落ちると思った瞬間、線路跡に飛び降りた。🐙
危ねぇ~、危機一髪...と思うも束の間、スマホに付けてた広角レンズが外れ草むらに消えていった...😱(その瞬間、ロバート・キャパみたいな写真が撮れてた...)鉄旅あと3日残すのに
初日から大ショック...😣一応探してみたけれど見つからず...
必死にこんな所で探し物をしている
おっさんを横目に国道のバス停から降りてきた高校生が過ぎ去っていった...(でも落としたのが財布や車のキーじゃなくてよかったよ...)レンズを諦め、真っ暗なオホーツク海を横目に悶々としながら稚内へ向かう。
そして、宿に着き、明日どっかで広角レンズ手に入らないかなぁ、とぼんやり考えながら🐙を食べた...
2020.8.19
稚内空港から天北線跡を辿りようやく当時のホームが残る駅に到着した。この駅跡からしばらく先は芝や草木がきれいに刈り込まれていた。
↑浅茅野
オホーツク国道から飛行場前仮乗降場がある道を右折したつもりが一本早かった。もう少し進めば飛行場前仮乗場があるが写真をよく見ると草木が廃線跡を覆っている。
猿仏川橋梁
猿払川に架かる天北線橋梁跡。サイクリングロードの一部だけどもう渡っちゃダメよ...🚳
駅前広場だったところはバスターミナルに。鬼志別から天北線廃線跡にできた道道1089号もここまで。
この先の廃線跡はサイクリングロードになったのだが... こりゃ無理だわ...😥🐻 ⚠️ 🚳 🚴♀️
2020.8.19 T字路の横に広がる道路が天北線跡。写真で明るく加工しているが着いた途端雨がはげしくなり車から一歩も出なかった。そして代わりに車内に入ってくる大きなアブ...
雨が凄い…
天北線で鬼志別→芦野の天北線跡の道路を突き進むも凄い雨☂…
鬼志別駅最後の時刻表かな...13時18分発札幌行き急行天北乗りてぇ‼️
天北線鬼志別駅跡のバスターミナルにある天北線資料館。
たいてい廃線資料館を訪れるとゆっくりすることなく展示物の写真撮りまくってすぐに次の目的地に向かってしまうのだが...
鬼志別駅最後の駅長さんが作られた駅名標。
廃線前の駅長さんがどんな思いで作っていたんだろうと考えながらしばらく駅名標をぼんやり眺めていた。
スクールバスのキャラクターが気になった。さるっぷだそうな...この駅から猿払駅までの天北線廃線跡がそのまま道路になっている。この日は激しい雨☔️廃駅の前まで来ても雨が少し弱まるまで車で待機すること幾度...予定がだいぶ狂わされました...
駅跡は小石交流センターとなっている。この駅、今回の廃線旅で稚内空港から一番最初に到着した廃駅跡。
だから自分の記憶からすぐにかき消されてしまったのだけれど旅行後、小石駅の半世紀ほど前の人で溢れる動画を改めて観たら今とのギャップに驚き、むしろ帰宅してからこの駅について気になるようになった。駅近くの藤田炭鉱が閉山されるまでは多くの人々で賑わう炭鉱街だったようだ。今はそんな面影もなく周囲も廃屋だらけ。
この後も天北線廃線跡を廻るのだがこの駅同様、当時の賑わいが想像できないくらいの集落すら消滅している駅跡がかなりあった。当時の駅名表示は隣の鬼志別バスターミナルに保管。パーキングから路盤と思われるところを撮影してみたがやっぱり8月は分かりにくい...パーキングにトイレありと期待したが閉鎖されていた...🚹️
線路跡はそのまま道路に転用され駅跡の前に木材加工場があり出荷前の多くの木材が置かれていた。はるか昔、ここから多くの木材が天北線の貨物列車で運ばれていったことでしょう。小石駅までの17.7Kmはかつての日本最長駅間。
近年、設置してくれたような案内板や駅名標があった。やっぱり全国からポツポツと天北線Loveな人が訪れるのだろうか。スマホ時代になって廃駅探訪はかなり容易になったはずだし自分もGoogleMapなければこんなにサクサクと廃線跡巡りできない。ガラケー時代以前なんて現地行っても駅跡が何処にあるんだか状態だと思う
駅跡は民家の私有地。駅名標が奥に見えるので道路から撮影しようと思ったが「旧樺岡駅看板を見に来られた方へ自由にお入り下さい」の貼り紙が。失礼して敷地に入らさせて頂く途中に※猛犬注意 の猛犬?と途中で目があったが決して怪しい者ではない、と分かってくれたらしく吠えられることはなかった。🐶
線路跡には重機が入っておりアスファルトで固められている。この辺りって新しい道路の
計画でもあるのだろうか...?
この駅に本当なら早朝に廻ろうかと計画していたが、お日様の高い時間に行って良かった。🏃💦🐕️
何よりも地主さんの「自由にお入り下さい」という心意気が何とも印象に残る駅跡だった。😉
綺麗に芝が刈られいつなんどき誰の来訪でも受けれる状況になっていた。レプリカの駅名標の後ろから稚内方面を覗いてみると防風林の隙間がなんとなく線路跡だったんだな、と認識することができた。
2016.8.16 宗谷岬から帰りのバス車内から 恵北~声問
天北線史上最大?のミステリー、東声問駅。存在したのは稚内空港の新滑走路完成に
合わせJR発足直後の1987年6月1日のみ開設されたという。
地元の学生さんたちが見学のために開設され.ホームは作られていない。(そりゃそうだよね...)
駅があったと思われるところは稚内空港の延長線上にあったようだ。↓空港に向かって撮影。利尻富士といえば宗谷本線のイメージ強いけどこの辺りだったら天北線の列車と撮影できたんだろうね。
2020.8.22 稚内空港からテイクオフした飛行機から✈️国道の下にうっすら残る線路跡。稚内駅から来た列車はここで右に大きくカーブするため海が見えるのはここまで...だったと思う...
手前が支笏湖で奥が洞爺湖...?
今回の稚内の戦利品
稚内空港から稚内駅に向かう路線バス車内から撮影。廃止後から数年はホーム跡が
残っていたようだが線路跡がそのまま国道になっている。
奥への右カーブ辺りから天北線跡(天北通)
宗谷岬に向かう観光バスが近くを通ったので慌てて撮影した。写真の道路が天北線の廃線跡「天北通り」、写真の横断歩道の右側に長い板張りホームがあった模様。国鉄時代は仮乗降場だったが廻りは住宅や学校があるから結構利用者は多かったのではないだろうか。通ってきた国道は昔、天北線を跨ぐ跨線橋だった。
2016年に稚内駅近くのホテルに泊まっていたので朝5時過ぎの宗谷本線始発に乗り3分間だけ乗車し、天北線と分岐駅だった隣の南稚内駅に降りて天北線の痕跡を探してみたけどよくわっかない...唯一、踏切に現役の宗谷本線の隣にアスファルトに塗り固められた天北線の線路跡と思われるところが確認できたくらいでした。
天北線跡は図書館駐車場に
南稚内駅から少し歩くと宗谷本線の線路は右に折れ、天北線跡は真っ直ぐ進む感じに延びていた。もともとは天北線の方が先に線路が敷かれ歴史が古い名残だろうか。しばらく歩くと線路があったところは「天北通り」という道路のスタート地点となっていた。さて、早朝始発の列車で稚内駅から南稚内駅まで3分列車に乗ってきたが、帰りの列車は数時間後。この先の宇遠内駅があったところまで行こうと思ったが面倒くさくなったので、ここからランニングして稚内駅まで戻ることとした。(この頃はまだ元気だった🏃♂️)