第2回バス旅行

化石見学 朝陽 北票への旅

化石旅行ご参加の皆様へ (最終案内)

本日、旅行社と最後の詰めが終わりました。「参加人数が大幅に増えたから」を前面に出して、当初の630元よりだいぶ安くしていただきました。みなさまのご協力に、感謝いたします。あとは本番でのサービスが良いか悪いか楽しみ(同時に心配)ですが。

参加費は、バスの中で、池本先生に納入してください。つり銭が要らないよう、ご準備ご協力ください。

第1日目、出発して一時間くらいで、渡辺文江先生と電話連絡の上「遼中」というインターへ寄ります。旅行社・運転手とも承知しています。ご了承ください。

食事について(お願い)

昨年の経験からすると、食事にはあまり期待できません。朝陽は地方都市ですので、「地方色豊かな」と注文しても、皆さんのお口に合うものは少ないと判断されます。そこで食事の値段は高くしてありません。ご心配の方は、副食物など適宜ご用意されることをお勧めします。

 

部屋割りは、特に指定の無かった方には、勝手に割り振らせていただきました。仲良く旅の出会いををお楽しみください。

日本からご出席の中道先生ご夫妻は、昨年の火付け役をしてくださった先生です。皆で大歓迎したいですね。

山形先生の労作が晴れて披露されると思います。“請うご期待“

では、体調を整えられ、当日9日の朝を迎えましょう。

 

化石見学旅行要項

1 期日 2007年6月9日(土)〜10日(日) 1泊2日

2 場所 遼寧省朝陽市及び北票市周辺

3 参加費 560元(申込金100元納入者は残金)

内訳

1)車代   130元

2)食費70元(朝食代はホテル代に含む、酒代は含まず)                 

3)宿泊代 100元  (ツイン部屋、一人一部屋使用の場合は200元)

4)保険代 10元(人身以外の傷害保険、外に旅行社責任保険はある)

5)ガイド料 60元(1日30元/2日)含現地ガイド

6) 参観料 190元(展覧館50元、北塔20元、同博物館20元、地宮殿100元)

4 日程

第1日目(6月 9日)

7:00 集合(中山広場「遼寧賓館」前)

7:10 点呼後、貸切バスで出発(朝陽市まで約300km)

総元締めの峰村

瀋陽と朝陽の地図

途中の休憩

特別参加の中道夫妻

新婚写真のお披露目

11:00 朝陽市内着 (現地旅行社の出迎え)

11:30 昼食 〜 12:15 出発

13:15 北票市「四合?化石基地」着

「三燕古生物化石展覧館」見学

16:30 朝陽市内散策・買い物等、

18:30 夕食(遼寧省西部の郷土料理)宿泊ホテル着

 

第2日目(6月10日)

7:00 朝食

8:00 出発

8:30 「北塔」及び「北塔博物館」見学。

12:00 「鳳凰山」山麓にある「関帝廟(関岳廟)」見学。

13:00 昼食〜13:30 瀋陽に向け出発(途中蜂蜜が買えるか?)

18:00 瀋陽着

5旅行社

「世紀国旅」(遼寧世紀国際旅行社有限公司)

担当:副総経高守信さん 携帯電話:138−4053−3811

ガイド:陳瑞濤(Chen Ruitao  昨年のガイドさん)。

6持ち物:

パスポート、参加費、小遣い、カメラ、着替え、洗面具、常備薬、嗜好品、副食物、その他必要と思われるもの。

(飲料水は、行き帰りのバスで一人一本ずつ旅行社のサービスで配られます。)

7担当係

峰村 洋(総括)

石原南盛(レク)

渡辺文江( 同 )

池本千恵(会計)

 

【参観場所概要案内】

化石展覧館:朝陽市は、中生代晩期の珍重な古生物化石群(「熱河生物群」)として世界的に有名な地で、世界自然遺産として最も珍しい物の一つである。鳥類,帯毛恐竜類、爬虫類、魚類、昆虫及び早期被子植物等一万余点の化石の珍品がある。化石の生成時間、数量、種類、地層の数、科学的研究価値といった五つの部門で世界最高のものである。とりわけ「中華竜鳥」の発見は、教科書の鳥類起源がドイツの始祖鳥であるという学説を書き変えた。見学者は一億年前の神秘で不思議な世界へ引き込まれたり、生物の進化の奥義を悟らせられたりするであろう。

(二つの展覧館のうち、 現在朝陽市のものは修理のため閉館中。北票市の現場にあるもののみ特別に参観させていただきます)

北塔: 朝陽市双塔街の北端に位置し、北魏孝文帝太和年間(紀元485年前後)に建て始められ、既に1700余年の歴史を持っている。その独特の「塔上塔」「塔包塔」の構築形式及び「五世同堂」の悠久な歴史は、非常に珍しく、東北最古の仏教の名塔たらしめている。それは、1987年陝西省の法門寺の発見に次いで1988年に二つの丸い遺骨、すなわち佛祖「釈迦牟尼真身佛骨舎利」がこの世に現れるという      これまた重大発見がなされたからである。塔の中の天宮や地下宮殿からの出土品は、1000点以上の遼代の文化財である。参観者はこれにより全国唯一の、一ヶ所で「5世同塔の仏塔建築様式」を見ることができる。1988年国務院が国の重要文化財に指定した。

鳳凰山: 遼寧省西部の歴史的名山であるばかりでなく、燕、遼代の仏教聖地として誉れが高かった。1660年以前に、燕王慕容光皇は、今のところ東北地方最古の文献に見える仏教寺院「竜翔佛寺」をこの山上に建てた。その中腹に関帝廟(又の名を「関岳廟」)がある。朝陽市双塔区営州路の北側に位置し、現在は遼寧省の文化財となっている。関帝はその建物の珍しさに加え、塑像も真に迫っていて佳境に引き込まれる貴重な宝庫とも言える。その中で一対の清代の三彩瑠璃の天に向かって吼えている塑像は非常に貴重であり、全国でもこの廟の中だけに存する。

 

 

「化石旅行」について反省 担当係り 峰村洋

昨年の「玉旅行」が好評だったため、今年(2007年)も是非という声が多く聞かれた。

それを受けて、今年の研修旅行は「教師会研修係り」としての年度計画にもられたので、旅行担当者(峰村)を決めて、早期に準備を始めることができた。

見学のメインについては、昨年から「朝陽の化石」という要望があった。

新年度の教師会の折に諮ったが、他に意見がなく予定通り「化石見学」に決まった。

最初のうちは、昨年お世話になった日本語ガイドの陳瑞濤さんとうまく連絡がつかず困った場面があったが、渡辺文江先生のご尽力で、「世紀旅行社」の高副総経理(瀋陽師範大学の日本語教師のご主人)との連絡がついた。高副社長は、日本語が達者なため、交渉はまあまあ順調に行った。ただ、E―メールがうまく届かず、何度か会社まで足を運ばざるを得なかった。

中国の旅行社の計画書というのは、まことに大雑把(ご粗末)なもので、最初の費用金額も700元(昨年は450元)とあった。これを何とか安くしなければ我々の参加者も20人にはならないだろうと思い、交渉を重ね、結局最後は、560元になった。その交渉の主なものは、ホテルのグレードを下げたこと、食費を下げたことが一番の理由だった。中国のホテル代も食費も下げたところで大差ないことを経験上知っていたからである。

こうして、予想を上回る28人の参加を得て、楽しい旅行を終えた。

予想外に良かったこととして、昨年の食費90元(3食)に対し今年の70元の内容が良かったとの評価をいただいたのは、幸いだったというしかない。

他に結果として良かった点は、33人乗りのバスを45人乗りにしてくれたことである。これは、交渉段階では当然もっと「高くつく」はずだった。が、「不要」を主張したにもかかわらず33人乗りがそのまま45人乗りのバスになった。これは、中国ならではのことで、これまたたまたま運が良かったと考えたほうがいいことだと思われる。

現地「中国の旅行社」のいい加減さについては、他の先生方の旅行報告を見れば理解できようが、今回は、「まあまあ」との評価をしたい。

それでも、今回、最初の予定と外れたことが二つあった。一つは、第1日目の「古生物化石展覧館」で当日急に10元を請求されたこと。これは、当然最初からわかっているはずの物だ。

もう一つは、二日目の「関帝廟」の見学である。我々が見学したのは確かに「関帝廟」には違いなかったが、朝陽市内にある「関帝廟」だった。計画では、市街より15キロほどにある「鳳凰山」山麓にある「関帝廟」であったはずだ。このことについては、その場でガイドの陳さんに伝えたが、現地ガイドとの関係もあって埒が明かなかった。しかも、当日になってのこと故、次の「化石収集家」へ訪問の計画もあり時間的にも無理があったため、強く言えなかった。旅行から帰った翌日、この件を旅行社の高副社長に伝えたら「どうしてでしょうね。」とあべこべに聞かれたには驚いた。陳謝の言葉が一言も無いのには、唖然としたが、今回はいろいろサービスを受けた後だったので、責任追及までしなかった。この点、もっと「押し」の強い係りならとの感も無いではないが。

行き帰りのバスの中は、レクレーション係りのリードで楽しく過ごすことができた。この旅行に間に合うよう、山形先生が歌集を編纂されたことに対し、改めて感謝の意を表したい。

来年はどこへ行くか、早めに行き先を決めて、早めの準備をされることを願っている。

 

化石が出そうかな

化石基地の入り口

この写真はこれだけですよ

木の化石が林立

化石を掘り出し中?

鳴海・若松

林・山形・加藤・若松

長谷川・池本・加藤・陳

森林・渡辺文・中道・南本

安部・中田・松下・藤平

渡辺(京)

森林

ここでも森林

渡辺文江

中国は5000年の悠久の歴史を持つ国。150万年前の北京原人は人類始めの人。1億5千万年前の中華龍鳥は世界最初の鳥で、中国の空を飛んだ。そして、1億5千万年後に中国遼寧省北票市四合屯の化石基地の大地に私が立っている。不思議な感覚にとらわれたひと時であった。2007年6月9日のこと。

 

池本千恵昨日の旅行ではいろいろとお世話になりました。みなさん、ありがとうございました。

帰りのバスでは急に降りることになり、ゆっくりご挨拶もできないままで、失礼いたしました。その後は、無事にお帰りになったでしょうか?

昨年の玉旅行もよかったですが、今年の旅行も係の先生の準備のおかげで、スムーズに大きなトラブルも無く、大変満足な旅でした。

日ごろ、ごみごみした瀋陽の街中にいて、なかなか遠出する機会がないものですから、こうやって緑豊かな風景を見、皆さんと歌やおしゃべりを楽しみ、歴史に思いをはせるようなひと時は本当に貴重なことです。

係の先生は大変だったとは思いますが、今後もこのような企画が続けられると良いですね。今期限りで日本へ戻られる方々も、是非また一緒に旅行しましょう。お待ちしております。

 

展示館の内部

孔子鳥

孔子鳥

化石旅行について 辻岡邦夫

朝陽の化石の旅行はとても楽しかったです。昨年の玉の産地観光に続いて

実際に手に触れる体験が素晴らしく、知的?集団である教師会にふさわしかったと思います。しかし、昨年同様、知的集団にふさわしくないことがあります。バスの中での山形先生他のご尽力の歌集で楽しく歌の交歓がありました。私も楽しかったですが、一部の先生が若い女性教師に歌を強要するのはやめたほうが良いと思います。歌を促す先生には理解できないかもしれませんが、歌の得意でない教師にとっては苦痛であり、セクハラに近いと思います。

 

鳴海佳恵「子供の時からの化石掘りの夢が実現しました。もうちょっと涼しければ魚が出るまでがんばったかもしれません(笑)ありがとうございました。」

 

僕ら探検隊 鳴海

石井みどり

まず最初に、すばらしい化石見学旅行を企画してくださったレクレーション係の皆様を始め教師会と旅行社の皆様に感謝いたします。

やはり発掘現場には特別な感動がありました。美しい地層の断面の前、そして大木の化石群の中に立ち、神秘的な空間で休日のひと時を過ごすことができました。バスでの移動や食事、ホテルでの時間も瀋陽の日本人教師会ならではの家族的な雰囲気が心地よく、元気をいただいた旅行となりました。

本当にありがとうございました。

 

南本卓郎

今回の旅行は幸いにも天候にも恵まれ、化石の産地を訪ねると言う人生初めての体験が出来たことを感謝いたします。

「貝殻の化石」はたくさんあったのですが、大変小さいが「木の化石」がとれたときは感動を覚えました。専門家ではないのでよくは分りませんが、その化石の木は、化石になる段階の途中と言うか、まだ木材の一部分が残っているような状態でした。これで魚と恐竜の骨か卵でも見つかったら何も言うことはなかったのですが・・・。それは無理で欲張りと言うものでしょうか。

夜の私の部屋での2次会(ミーティング?14~5人もよく入れましたね。)ビールや白酒、つまみを各自持参され大いに盛り上がりました。

日ごろあまり交流が出来なかった先生方との交流も出来、一段と楽しい旅行になりました。

また、この日の旅行へ合わせてはるばる静岡県から駆けつけてくださった中道先生ご夫妻の歌やお話を久しぶりに聞くことが出来、これまた今回に旅行に花を添えていただきありがとうございました。これももうひとつ欲張りを言えば、自動車が高速道路でなかったら、蜂蜜を買うことが出来たのになあ・・・・。そして、中道先生の買い物上手を拝見することができたのになあ・・・。

目次を入れるとなんと510ページに及ぶ大作「愛唱曲集」を今回の旅行に間に合わせて印刷してくださった山形先生とこれを手伝ってくださった先生方にも感謝いたします。

せっかくの「愛唱曲集」をもらったのに、私は音痴なので歌うことが出来ませんでした。私はまさに「南本に愛唱歌集」だと思いました。

仕方なく帰りのバスの中では駄洒落やクイズを出してお茶を濁して申し訳ありませんでした。

終わりになりましたが、特にこのようなすばらしい旅行を綿密に計画され、我々をお世話いただいた研修レクリェーション係りの渡辺文江・峰村洋・石原南盛先生、私たちの旅を昨年に続いてガイドしてくださった陳さんに厚くお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。

 

2008個の魚の化石

へえ高そう

恐竜の卵とか

ガイドの陳さんと趙さん

森林久枝

以前、朝陽出身の中国人の知り合いが「朝陽は田舎だ。農村だ。」と言っていた印象が強かったので、もっと閑散としたところを想像していましたが、実際の朝陽市は予想より遥かに規模の大きい街で生活しやすそうだなと感じました。

瀋陽から朝陽に向かう途中には確かに青々とした田園風景が広がっていました。その中には渡辺文江先生の説明によると中国のコシヒカリと言われる「盘锦米」を作っているところがありました。以前、そうとは知らずスーパーで買ったこの地方のお米を食べて、そのおいしさに感動したことを覚えています。

瀋陽市内でこの地方のブランド米だけを販売する専門店を何回か見かけたこともあります。確かに値段は一般のものと比べてやや高めですが、それでも納得できるおいしさだと思います。今回の旅行では、前から気になっていたおいしいお米の産地を偶然にも通りかかることができました。

 

へっ 満腹だい

渡辺京子 (中国医科大)

化石旅行の話があった一年前からずっとこの日を心待ちにしていました。そして期待以上にとても楽しくいい思い出になりました。

化石博物館で見るだけでなく実際に採掘して化石を手にできた感動は忘れられません。私は貝殻の化石しか採掘できませんでしたが、「狼鰭魚と貝殻」の化石を購入でき大満足です。この化石は北九州の90歳の日本画家のお土産です。

これをモチーフにどんな作品が描かれるか今から楽しみにしています。

 

展示館と恐竜発掘現場

山形貞子

暑い日差しのもとで私が拾った化石は次のようなものです。

1.1億2000年前の木(?)が石に変わったものの破片。

2.頁岩の表面に細い1−2ミリ程の太さで2−3センチの線がばらばらに、あるいは固まってうすく彫られて茶色になっているもの。私 は1億年前の虫だと信じて拾ったのですが、恐竜の骨を取るために細い錐のような物を使った為にできた跡かもしれません。何しろ要らなくなった石の中から探したのですから。

3,頁岩を叩いて割ったらうすく上側がはがれて小さな小さな三葉虫の化石らしきものが認められました。博物館でいろいろ説明してくれたガイドさ んに見せましたら”これはkunchong(昆虫)だ”と言ってくれました。大事に大事に持って帰りました。

 

私の拾った宝

藤平徳雄

「生徒に恐竜の化石発見を豪語した手前、旅行明けの月曜日がとても辛かった。

予想では三葉虫ぐらいなら、簡単に見つかると思ったが、甘かった。」

お尻を見せてごめんなさい。

 

朝陽の街

化石発掘旅行 若松章子 (東北育才外国語学校)

雰囲気:実にのんびりした旅行だった。5月の連休に行った張家界の中国人向けツアーの後では、まるで極楽のよう。分刻みであくせく観光地を巡るより、親睦、お楽しみのほうにウエイトがある旅行であればこそであります。マイクを握って好きなことをしゃべって、好きな歌を歌って、拍手をもらって寝て食べて。なんてアットホームな団体でしょう!

内容①:朝陽にいくというと中国人は、何もないとか、観光地じゃないとか反応してきた。確かにちょっと見はただの採石場みたいなところ、でも実は一億四千万年前の世界が完璧にそこに広がっているタイムスリップしたような場所。しかもあんなに自由放題に化石が拾えるなんて!

家に帰って電子辞書の百科事典で「白亜紀」を調べたら「中国東北部で孔子鳥の化石が発見された」と、ちゃあんと載っていた。やっぱり凄いところなんだと再認識すべきか、それとも百科事典に載っているような凄いところがあのざまかとあきれるべきなのか?

内容②:三国誌大好きの私としては、中国のどこにでもあると聞いていたけれど行ったことがなかった関羽廟にはじめて行けて非常に良かった。関羽が華陀(人偏でもいい)に手術を受けている絵、やっぱこの場面みんな好きなんだ!

若松母さん、幸せ幸せ!

レク係の皆様こんな素敵な旅をありがとうございました。

 

手近な方の関羽廟

それでも関羽

子供をあやしている私

林 与志男、八重子

朝陽へ向かって、高速道路を一路南西に走り出してまもなく、初夏の田園風景が現れ、それが暫く続くと植えたばかりと思われるとうもろこし畑が又延々と続いてくる。しかもまた列車の旅とは一味違う風景に、「嗚呼、自分は今中国大陸の中にいるのだ」という気持ちに酔いしれた。化石の丘に着くまで、陶然として外の風景を眺めていた。こんな経験は始めてであった。

化石の丘に来て、宇宙の悠久の時に思いを馳せながら、石を叩いてみたり、蹴飛ばしてみたが、化石そのものは日本のどこにでもあるものなので、それ以上の感動はなかった。

むしろ、朝陽が燕京(?)の都であり、一時代を謳歌した都市であることを知らされ、びっくりした。女真族、鮮卑族などが、漢民族に対抗して云々などそう言えば昔々、世界史の中に有ったような気がするなどと、いまさらながら自分の不勉強振りを恥じ入っている。考えてみればヨーロッパなどよりよほど日本から近いところにあり、政治的な問題さえなければ、もっともっと身近なところの筈なのだと一寸複雑な心境になった。

普通の日本からの観光旅行ではいけないような朝陽の旅を企画していただいた教師会のレクレーション担当係りの皆さんに厚く御礼申し上げる次第。

 

昔の燕京の想像模型

長谷川宗武

朝陽への旅行はわたしにとっておもしろいものでした。

四合屯古生物化石館のそばであんなにも簡単に化石を拾えたのにはびっくりしました。

層に沿って割れた石から、小さな草の化石がうまいぐあいに合わせ鏡のようになって出ました。

良い記念になります。写真を添えて皆様に披露します。

旅行をお世話くださった方々に感謝します。

 

特別披露です

安部玲子

まず始めに、「化石旅行」を、企画してくださった石原先生・峰村先生・渡辺先生に感謝致します。

それから、その旅行がもっと楽しくなるようにと立派な「愛唱曲集」を作ってくださった山形先生・池本先生、本当にありがとうございました。

私は、この旅行をとても楽しみにしていました。なぜなら、バスの中でも申し上げた通り、去年の旅行に参加し、皆さんとの距離がぐっと狭まり、大変いいお付き合いを、させていただけるようになったからです。

日本にいる時も、日本語教師をしておりました。日本語教師というのは、本当に世界が狭く、

他の職種の方と、あまりお会いできる機会がありません。ですから、バス旅行を通して、

様々な経験を持たれた皆さんのお話が伺えるのは、私にとって、大変興味深く勉強になりました。

また、年齢もまちまちで、中には、祖父母くらい離れた方もいらっしゃいます。それでも、みんなお互いに心遣いを忘れない関係が、なんとも家族のようで、暖かい気持ちになる旅でした。

最後になりましたが、山形先生・池本先生、せっかく私のためだけに、「アンパンマンマーチ」を「愛唱曲集」に載せてくださったのに、歌えなくて、ごめんなさい。ページはP416と、覚えてしまうくらい見つめていたのですが、もう一歩の勇気が出ずに、歌えませんでした。瀋陽を去るまでには、皆さんの前で一曲くらい披露できるようになりたいな・・・

 

北塔博物館の中で

北塔へのアプローチ

古代の脈動を求めて 沈阳大学 田中義一

うわっ、感じるわ、感じるわ。その無味乾燥な岩盤層に、古代の時間が。人が気が付かない所で、密かに、その時計がコチコチと、今だに、絶える事なく、その太古からの時を刻んでいるのが。コチコチコチ……、コチコチコチ……。あっ、あった、貝の化石だ!

シジミ貝かな? よし、もっと探そう。コチコチコチ……、あっ、また、有った! 貝だ!

太古の何かが、私に、何かを語りかけようとしている。中国に来て、沈阳に来て、一年半。そこから、初めて一歩出たのは、今日のこの日。この静寂の中で、何かが……。そして、心、満たされ、心、落ち着く。でも変なの。その後、『中国四合屯化石基地』に入館して見れば、どこに化石があるか、しろうとには分からない岩盤のかけらばかりが多い。しかし、本物の化石とは、こうしたものであろう。館内の古代の模型に見入っていると、童心に帰っている事に気が付く。悠久の時間の流れに、時間の逆行の存在を見る。それがある北票市から、朝陽市に戻る貸切バスの中から見る外の風景は、日本のそれとは、さして、変わらない。しかし、やはり、東南アジアの一角。沈阳という大都会を一歩出れば、人が住んでいそうな建物は、あまり見られない。タイなんかもそう。バンコクを一歩出れば、ジャングル、ジャングル、と何時間も続く。日本なら、大都会を出ても、民家は、どこにでも見られるのだが。

楽しみにしていた、待ちに待った、某郷土料理店での夕食の時間。中国に来てから、一番の楽しみとなった物。毎日の食事の時間が、このように、楽しみに思えた事は、日本では、あまり、無かった。しかも、心温まる方々と一緒という、この、なんとも言えない心地の良さ。帰国したら、このような機会は、もう、二度とないのだ、私には。ウワー、もっと、飲みたかった、もっと、食べたかった……。

翌日。私が、30歳になる前に、NHKでは、『三国志』の人形劇を、一年間、放送していた。その時に知った名前は、劉備玄徳、関羽、張飛、曹操、そして、諸葛亮孔明。そういえば、この孔明と同じ苗字の学生が、私のクラスに居たっけ。その内の一人、関羽を祭る関帝廟を、今日は、目見える。あのテレビを見てから、あの感激をもう一度と、読んだ吉川英治の『三国志』を、中国に来る前に、バイブルを覗くがごとくに、読み直し、異国への思いで、胸を膨らませる。そして、その中の一人の、それを、今日は……。

日本の古都に見られる塔とは、少しは違う、優雅と言うより、戦国の雰囲気が漂う北塔、そして、遥か彼方に、南塔のある『北塔博物館』を見学したのは、その前。妙齢のおねいちゃんの中国語の解説は、意味不明でも、その響きには、身が清められる物を感じる。世俗の喧騒を、忘れる、一瞬。

この心の落ち着き、静寂、温もり。日本でする、小旅行とは違う。そんな思いに浸りながら、三々五々と帰宅を始める先生方を尻目に、私は、一人寂しく、外人教師専用の官舎へと、帰途につくのだった。帰国の日が近づくにつれ、満たされていた日々への未練が募る。旅は、いつしてもいい。

 

全員集合!!!

加藤文子

研修レクレーション係り(峰村、石原、渡辺(文))の皆さん、ご苦労様でした。

観光内容も豊か、食べ物も申し分ない、良い旅行でした。本当にありがとうございました。私たち夫婦はさして化石に興味を持っていなかったのですが、会員の皆さんとの昨年の旅行が楽しかったものですから参加したようなところがありました。しかし、最初に書きましたように、昨年にも増して、楽しい旅行になりました。化石についての知識も増え、関心も高まってきました。北塔も歴史を感じさせました。塔自体への関心も以前に増し、見る目も肥えたと思います。本当に充実した旅行を準備してくださってありがとうございました。

バスの中では、山形(達)・池本さんが時間をかけてつくられた貴重な結晶(歌集)よりいろんな歌を、皆さんが歌われ、和気藹々とした時間を過ごせました。ただ、歌を歌うのが苦手な私たちには、前の方が歌われているときは戦々恐々としておりました。場の雰囲気を潰したくない気持ちがあり、なんとか誤魔化すことばかり考えていました。

日本からわざわざ中道さん夫妻が参加されたのにも感激しました。

また、家庭内における夫婦の激しい権力争奪状況(?)の一端を皆さんの前に晒してしまって、お恥ずかしいかぎりですが、これも教師の会が大きな家庭のようなものだからついつい吐露できたのだと思います。教師の会、万歳というところでしょうか。

 

どんなお昼ご飯だろう

加藤正宏

次に、二日間の日記(正宏)を感想として付け加えておきます。

6月9日(土)

化石見学に出発。遼寧賓館に7時集合。山形夫妻と6時20分に待ち合わせて出かける。

ガイドさんは去年の陳さん、デラックスなバスで現地に向かう。北票市「四合囤化石基地」着「三燕古生物化石展覧館」を見学する。化石基地は小さな丘を切り崩したようなところに、兵馬俑と同じように屋根をつけた体育館のような展覧館の建物と、周りには珪化木の庭を配して作られている。丘を切り崩した断面はそのまま残されていて、薄く剥離できるような岩や石が転がっている。それらを拾って剥がしてみると、小さな貝の化石が直ぐにみつかる。魚や昆虫の化石が手に入れたかったが、なかなか見つからず、私が手にしたのは貝のそれだけであった。でも、仲間には昆虫の化石を見つけた人も居た。羨ましいかぎりである。展覧館は思った以上に、整備されていて、見るところが多かった。見学者は我々の団体以外に一つか二つで、じっくりと観察できた。惜しむらくはトンカチを持ってこなかったことと、化石採掘の時間が短かったことである。残念!

昼、夜と食事も十分満足できるものであった。部屋も、ベッドが硬かった以外は、特に問題はなかった。

 

6月10日(日)

朝陽市の北塔と関帝廟を見学。塔も北魏以来の基盤に遼代の塔が建つ歴史のある塔で、なかなか良かった。また塔に附属した博物館には地宮の宝物、天宮の宝物などが展示されていたり、他の都市の塔との比較が為されていて、この博物館も充実していた。関帝廟は帰途の山裾に大きなのがあるそうだが、今回は市内中心の関帝廟を見学する。

昼食は今日も豊富で、次から次へと料理が運ばれてきて、十二分に満足した。

高速道路をバスで走って移動したのだが、高速道路が次々と造られて繋がっている様子が良く分かった。高速道路のサービスエリアも整備されてきていて、中国各地の一体化がどんどん急激に進んでいることを肌で感じさせられた。

帰宅後、持ち帰った化石が表面にある厚い石を、丁寧にいくつか剥がして(割って)みた。そのつど、化石が現われる。でも、どれも貝の化石ばかり、まあ、仕方がないかと思っていたら、なんと珍種を発見、もっと適当に厚い石を持ち帰れば良かったと、悔やむことしきり。

 

なんと珍種

もっと拾ってくるんだった

山形達也

さくざく。化石のかけらの上を歩くと音がする。この丘の頁岩を掘って、恐竜、翼手竜、孔子鳥などの化石が見つかったのだ。そのときの岩の破片が崖下に積み重なっている。この破片の表面に貝の化石が刻み込まれているのが一目瞭然だ。拾って岩にぶつけると層に沿って綺麗に割れて、さらに新しく貝や虫の化石が顔を出した。

このかけらは自由に持ち帰って良いという。自分が化石を実際に拾える体験なんて、生まれて初めてだ。それが出来る今回の旅行は実に素晴らしい。来て良かった。旅行に来て博物館に行って、壁に掛けられた化石の展示を見るだけでは決して味わえない感動を深く味わった今回の旅行だった。

 

2007年6月14日 (木)  化石見学旅行 その一 山形達也

今年の教師の会の1泊2日バス旅行は、遼寧省西部にある朝陽市近辺の化石を見るのが目的だった。なぜ化石か?この一帯は恐竜と鳥をつなぐ孔子鳥と呼ばれる化石の出土で世界中から注目されている地域なのだ。ドイツで昔出土した始祖鳥なんか眼じゃないのだ。遼寧省は恐竜のほかにも、哺乳動物のプロトタイプなど沢山の出土がある。

参加者は28名:

1加藤正宏・文子、2林与志男・八重子、3山形達也・貞子、4中道秀毅・恵津、5佐藤るみ子、渡辺京子、6安部玲子、石井みどり、7中田知子、森林久枝、8池本千恵、鳴海佳恵、9前田節子、若松章子、10藤平徳雄、田中義一、11辻岡邦夫、長谷川宗武、12松下宏、石原南盛、13南本卓郎、14峰村洋・尚代、15渡辺文江

計画を立てて旅行社と交渉に当たったのは、レク係の峰村先生を中心として石原、渡辺(文江)両先生。旅行社は昨年と同じ、「世紀国旅」(遼寧世紀国際旅行社有限公司)で、添乗のガイドさんはこれも昨年と同じく陳瑞濤さんをこちらから指名してお願いした。

今年の旅行でもう一つ特記すべきことは、昨年4年間の瀋陽滞在を終えて帰国された中道恵津・秀毅ご夫妻がわざわざこのために中国に来て参加されたことである。恵津先生は昨年の、教師の会の歴史で初めてという岫岩市への玉見学旅行を企画したとき、旅行の間中皆の気持ちを盛り上げた立役者だった。

6月9日土曜日の朝7時に中山広場の遼寧賓館(昔の大和ホテル)前に集まり、40人乗りのデラックスバスに乗った。一人あたりの費用は560元。昼ご飯の朝陽市まで二本の高速道路(沈京高速および錦朝高速)で約3時間だった。その間、私と池本先生の用意した歌の本を配った。思った通り一番最初に「僕は歌いたいよ」と言ってマイクを握ったのは秀毅先生だった。秀毅先生が話し出すと皆がほんわかと楽しくなる。以前とちっとも変わらない雰囲気だ。その後指名を受けてそれぞれ好きな歌を歌って楽しんだ。

朝陽市はのどかな地方都市といった感じだが人口は340万人とのこと。行政区としては日本の四国よりも広い(2万平方キロメートル)と言うことで、広すぎて私の掴みうる感覚を越えている。昼ご飯の後はまたバスで北票市に向かった。約1時間半掛かって「四合?化石基地」に到着。台状の起伏が見渡す限り広がっている。バスを降りた場所の足下から二百メートルくらい帯状の低地があり、向かいには掘られた形跡のある10メートルくらいの高さに層状の岩盤が露出していた。それと向かい合った手前にある建物は化石の展示場だ。

層状岩盤の足下には破片が散らばり積み上がっている。ガイドさんの話では、中国の化石は国法で勝手に掘ることも、国外持ち出しも止されているが、ここで落ちている岩石の破片を拾って持って帰ることはここの許可を得ているので自由だという。皆の声にならない声がさざ波のように間を走り、それぞれが下を向いて歩きながら岩石の破片を拾い始める。

表面に貝の化石が出ているものもあり、割ると出てくるときもある。頁岩と言って、薄く堆積が積もって出来た岩の地層である。道具もないので、ほかの石にぶつけるしかない。思ったところの頁岩を剥がして割るのは難しい。横に割れてしまうことが多い。それでも、貝のほかに、ゴカイのような虫、シダの葉のような跡の化石など出てきて、皆それぞれに夢中だった。広場の一角には木の化石が集められていた。

40分くらいそこで化石探しをしただろうか、ガイドさんにせかされて展示館に向かった。左手の大きな空間では、奥は堆積岩をそのまま利用した10メートルくらいの壁が露出している。部屋の内部には、始祖鳥と今の鳥類を結ぶという孔子鳥の化石が数体置いてあった。右手の展示場は、草食の恐竜化石の骨格標本が組んであって70%は本物の化石だという。この展示場専門のガイドさんの説明を陳さんが日本語で繰り返してくれた。今改修中で本来は見せないというこの化石展覧館の入場料は50元。この建物は綺麗で、展示もよく、期待以上だった。アメリカのDinosaur Museumに行ったことがあって、恐竜の骨の発掘現場そのものが博物館になっている。実際に人々がそこで骨の発掘作業をしているように見えるのが楽しかった。毎日掘っては、毎日埋めているのだろうけれど。

この化石基地には1時間半いてから朝陽に戻った。朝陽市も北票市も5-6階建ての住宅団地の屋上に、太陽熱温水器が沢山置いてあったのが珍しいものとして記憶に残った。

2007年6月15日 (金)  化石見学旅行 その二 山形達也

北票市の化石基地から朝陽市に戻って、「三燕古生物化石展覧館」にバスが着いた。団体一人10元である。綺麗な額に入れた化石を壁に掛けて展示しているが、聞くと展示品を売るという。試しに訊いてみると10センチくらいの魚の化石が400元だという。「高いよ」と言うと額に入っていない、そして少し見劣りするのを持ってきて150元だという。二つを100元にしたら買っても良いというと、大いに軽蔑した顔をしてさっさと手から引ったくって行ってしまった。

ガイドさんはここは自由市場じゃないのだから値段の交渉は出来ませんよと私をたしなめる。しかし化石を商売をする店が展覧館という看板を掲げて入場料を取るなんて、私たちの感覚では信じられないことだ。教師の仲間は皆同じ思いを抱いたようで、それぞれ憮然としていた。

そのあとは10分くらいバスは走って郊外に近い緑色生態苑に着いた。体育館よりも広い建物は内部には背の高い植物が生い茂り、中のそれぞれの部屋のしきりは全部植物である。瀋陽にあるこの手の店は独自の畑を持っていて、無農薬野菜の供給が売りである。私たち一同は3つのテーブルが入っている一隅に案内されて、食事を楽しんだ。美味しかった。仲間とのおしゃべりも楽しかった。

泊まりは朝陽駅からまっすぐの目抜き通りにある聖都酒店だった。二人一部屋200元。バスタブはなく、電気湯沸かしによるシャワーが付いていた。ベッドは硬かったけれど、すぐに寝てしまった。翌朝聞くと、南本先生の部屋は相方がいなかったこともあって、私たち一行の半数に当たる14-5名が集まって酒を飲みながら遅くまで楽しんだという。

翌日8時に宿を出たバスは市内を北東に向けて少し走り、止まったところは北塔博物館の駐車場だった。建物を回り込むと北塔が見えた。13層の仏舎利塔である。まず博物館の中に誘い込まれて、前燕か後燕時代のこの街の模型を見た。瀋陽よりも遼陽が古いとは知っていたが、その遼陽よりもこの朝陽は古い街なのだそうだ。その時代には今の北塔の場所に木造の塔があったという。

大修理をしたときに12層目の中にあった大きな石の箱(天宮と言うそうだ)の中の宝物も取り出したようだ。一緒に出てきた舎利の入れ物の一つは天宮に残し、あとはこのあと案内された博物館の地下階に展示してあった。その舎利の入っていた瑪瑙の壺が納めてあった箱の外側に描かれていた釈迦の涅槃像が、この博物館の1階に巨大な仏像として安置してあった。絵は10センチくらいの小さなものだったが、仏像は5メートルくらいの大きなものである。

この地下室には多くの宝物が展示してあった。イラン渡来のギヤマンの壺もあった。係員が5人くらいいて、私たちの挙動を見張っている。誰かがフラッシュをつけて写真を撮ったら早速撮影禁止が申し渡された。地下室の奥には特別室があって、そこには本物の舎利が展示してあるという。靴を脱いでまるで法事みたいに畏まって中には拝礼できるような座布団敷きになっていて、正面のガラスの小さな入れ物が中の照明で光っていた。これが舎利らしいが、きちんと見えるわけではないし、ちかちかと明るいのはどうも戴けない。

外に出て正面に北塔に臨む。ゆったりとした塔はそれだけで落ち着いた存在感を持っていた。100元払った地下宮殿に入るという。入ってみると何のことはない。礎石の周りを巡るだけであった。礎石の間に、北遼の時代の煉瓦、とか、前燕時代の礎石とかの説明が書いてあった。裏に回ると細い通路が塔の中心に伸びていて、これは盗掘者が掘ったあとを固めたものだという。やれやれ。

そのあと階段を上ると北塔の二階に出た。北塔の南側には昔の建物の結構が作られている。さらに目を上げて南を臨むと遠くに南塔がみえる。昔を復元して今後の観光に資するという考えのようだ。実際のこの博物館の作りと展示は大変凝った金のかかったものである。中央政府、遼寧省政府、朝陽市政府が金を出したと言うが、半端なものではないだろう。

このあとすぐ近くの「関帝廟」を見学した。あとでわかったことだが最初はもっと遠くの「鳳凰山」山麓にある「関帝廟」に行くはずだった。どこかでごまかされたらしい。近くだったため時間が節約できて、これも市内の住宅団地の中の普通のアパートにある化石の卸商のもとに行った。ちっちゃな化石が一つ70元にまで下がったので二つ買った。「この箱から出して持って行けば大丈夫かも」なんてガイドさんが言っている。

食事を済ませて瀋陽に向かったのが1時で瀋陽の遼寧賓館についたのが5時過ぎ。ずっと高速道路だったので蜂蜜は買えなかった。

皆さんお疲れさまでした。特に、旅行計画を立て旅行社と交渉し、皆に知らせて準備万端整えた峰村先生、そして道中皆を楽しませようと努力して下さった石原、渡辺先生、本当にありがとうございました。

中道秀毅・恵津

瀋陽日本人教師の会の皆様、とりわけ今回の旅行をお膳立てくださった峰村先生をはじめ幹事の

先生方

化石探索の旅では皆様にすっかりお世話になりました。ありがとうございました。幹事の皆様お疲れ様でした。またあのものすごい歌集を用意してくださった山形先生、池本先生にも感謝感激、本当にご苦労様でした。

教師会の旅行は普通の観光旅行では金輪際行かないところを目的地にするというのがいいですね。はるばる日本から馳せ参じてでも参加する価値があるっていうものです。

それにしても北票の博物館の周辺にあのようにたくさんの化石がころがっていようとは・・。体調の悪かった私にはあの暑さはこたえましたが、許されることならもっとあの崖下を探って宝探しをしてみたかったです。

ところで、今回の目的地の朝陽市といえば、2年前に師範大学を卒業させた二人の学生を思い出します。二人の出身は朝陽市の西方、河北省との境近くに位置する凌源市で、遼寧省でも一番貧しい地域からやって来た彼女らは夏休みも冬休みも家に帰らず、アルバイトをしていました。他の学生たちが女の子らしくおしゃれをしている中にあって、いつも同じ服装で、でも本当に誠実でまじめに努力する学生でした。

今回のバス旅行では途中錦州の穀倉地帯を通りましたが、延々と続く緑豊かな水田とは裏腹に、朝陽市や北票市の辺りの乾いた大地にはとうもろこしがちょろちょろと丈も低く、容易に旱魃に見舞われそうな様子でした。朝陽市の産業は?とガイドに質問してはみましたが予想通り農業が主体とか。ものすごい勢いで発展している中国の中にあって発展から取り残されている人々の生活の難儀な様子が伺えて辛いものがありました。

私どもは予定通り12日の真夜中に日本の我が家に戻ってまいりました。昨年7月下旬に瀋陽を離れてから10ヶ月余りの空白がうそのように瀋陽は身近で親しい街でしたし、教師の会の皆様との再会も最高に嬉しいものでした。残念なのはすっかり体調を崩してしまったこと。瀋陽に入る前1週間を連日ハードに歩き回っていたのでしたが、これまでだったらそのくらい何でもなかったはずが、何でもなくなかったところが誤算でした。トシハアラソエマセン。消化能力が極端に落ちて食べられない上に、最後は激しい咳に悩まされ、帰国後は病院で肺炎の疑いがあるとかでエックス線写真を撮ったり血液検査をする羽目に。もっとも結果はただの気管支炎と判明。点滴で栄養補給をしてもらいましたが、今日あたりまだふらふらしています。食べられなくなるって本当に活力を失いますね。

ということで今回の13日間の中国行きの落ちはまったくつまらないことになりました。どうぞ先生方くれぐれもご自愛くださいませ。

追伸;帰国直前の大連で、以前、育才外国語学校にいらした山崎えり子先生に会いました。彼女は今大連外国語学院の留学生として中国語を頑張って学んでいますが、この夏には帰国するそうです。

北塔には及ばずながら

45年