さくらももこ『ヒデじいのお見舞にいく』
読書さとう
花輪クンのうちの執事のヒデじいが夏バテで寝込んでしまい、まる子とたまチャン、はまじ、永沢くんがお見舞に行く話です。そのお見舞の席で、花輪クンがヒデじいの過去をみんなに語りはじめるのです。
ヒデじいはなんと、この花輪家に45年も勤めているのです。花輪クンのおじいさんに使えていたのです。そのおじいさんは弁護士兼大地主でした。私の想像ではヒデじいは弁護士おじいさんの秘書兼執事兼代書屋みたいな存在だったようです。23歳で大学を卒業したばかりの春、この家にやってきました。
さくらももこが私より17歳下で、まる子はももこだと考えると、小学3年生であるのは昭和50年になります。そうするとヒデ23歳というと昭和5年のこととなります。93話では、ヒデとトシ子さんという女性との恋が少し語られます。なんと若き日のおヨネばあさんも出てきます(でも、このおヨネさんが登場したのは漫画では初めてのことです。おヨネばあさんは2世帯住宅のコマーシャルでまる子と友蔵といっしょに出ていた)。 さてこの恋がどうなるのかが94話の回になります。ちょうど日本はまさしく戦争への道をひた走っている時代です。いったいどうなるのでしょうか。
私はこのヒデじいのような人が一番好きになれるのです。きょうのことしか考えずひたすら自分の仕事をもくもくとやりとげようと努力しているヒデじいというような感じがしているのです。
さて94話では、ヒデはトシ子さんと結婚します。
昭和5年春───
ヒデ24歳
とし子19歳
若い2人の門出であった
まる子やはまじは喜びます。トシ子さん20歳のときの写真を見て、とても美人なのでみんな声をあげます。
昭和6年に春にはヒデ夫婦に娘が生まれます。「春子」と命名します。この春子はこのまる子たちが生きている昭和50年(計算するとそうなるはず)には、もう43、4歳になっています。
春子は元気に 素直に すくすく大きくなっていった
ヒデはとても幸せであった
とし子「ほら おとうさんよ おかえりなさい」
ヒデ「ただいま」
愛する妻と可愛い子供に囲まれて平和な日々をすごしていた
ところが、やはりこの昭和は戦争の時代であるわけです。幸せなヒデ家族の姿を思い浮かべていたまる子やたまちゃん、はまじ、永沢くんも、この「戦争」という言葉に茫然としてしまいます。
昭和18年
ついに ヒデのもとへ赤紙が届く ヒデ37歳 妻32歳
「とし子 今までありがとう」
「春子 おかあさんの言うことをよくきくんだよ」
娘春子は11歳であつた
ヒデは南方戦線に出征したようです。島で若い戦友と二人で敵陣に迷い込んでしまいます。この光景はちょうど大岡昇平「野火」「俘虜記」を読んでいるような気になります。米兵に見つかって「ホールドアップ」をかけられ、死を覚悟しますが、その米兵が地雷に触れて倒れてしまいます。その米兵も死ぬ直前に写真の恋人か妻に別れを告げています。
Good……bye Mary…I love you forever
もうヒデもこの死んだ米兵も誰も戦争の意味なんて分かっていません。はやく終ってくれればいいのです。ただここらへんの描き方は、著者の思い入れなのだなと思いました。ヒデには戦争が終るのがもうそろそろだということが分かっているようです。これにはまた違う思いもあるように思います。戦争が無意味だとか、いつ終わるとか何にも疑問を抱かなかった若者が大勢いたように思うのです。
やがて戦争が終り、ヒデの死を覚悟していたトシ子と春子のもとに帰ってくることができました。おそらく多くの日本人と同じく、これからヒデはまた懸命に働いていくことになったのでしょう。
まる子「よかった ヒデじいはもうずっと家族みんなでいられるんだね 一生はなれないで」
ヒデじい「さくらさん 一生はムリですよ 娘は16年前に嫁に行きましたし 妻は10年前に亡くなりました」
トシ子は「幸せでした ありがとう」といって亡くなりますが、もうヒデは生きる希望を無くしてしまいます。そのときにヒデを救ってくれたのが、花輪クンの誕生でした。ヒデは花輪クンの世話役をたのまれることことにより、生きる目的と希望をもっていくのです。花輪クンの誕生を
私を助けてくれる天使が現れたのです
とまでヒデじいはいうのです。このことは花輪クンも始めて聞く話のようです。花輪クンは誰も見えないように涙をこぼします。あのキザな花輪クンにもこうしたシーンがあるときがあるのです。ただし彼はそうした自分の姿を友だちにはけっしてみせようとしません。
こうしておっちょこちょいのはまじも、暗い永沢くんも、みんなヒデじいの話を聞いていきます。どんな子どもにも判ることっていくらでもあるのだと思います。子どもたちに大人が出逢ったさまざまなできごとを教えていくのはいいことなのだと思いました。
また花輪クンとヒデじいが出てくる時に、まる子たちも私たちも優しい気持で見つめていくことができるように思います。(1994.09.08)