村松友視『プロレス3部作』

読書さとう

この私が「プロレス3部作」というのは、「情報センター出版局」から出された『私、プロレスの味方です』『当然、プロレスの味方です』『ダーティ・ヒロイズム宣言』の3冊です。

プロレスのことを考えるとき、どうしてもこの村松友視のいわゆるプロレス3部作を読まねばと考えます。この3部作によってプロレスファンは理論的な支柱といったようなものを与えられたといえるかと思います。この3部作以降あらゆる飲み屋で、声高にプロレスを論ずるというようなことが出現したように思います。

日本プロレス-全日本プロレスの流れに対して、猪木は同じアメリカンプロレスでもカール・ゴッチというガチガチのセメントプロレスラーを利用し、「ストロングプロレス」と称して馬場プロレスを乗り超えようとしていました。しかしテレビ放映がつき、興業として考えるとき、ゴッチのプロレスでは主流にはなれないのです。そこでゴッチから離れて、それでも猪木プロレスを支えるものとして、この村松理論を猪木は利用したと思います。それが「過激なプロレス」であり、馬場プロレスを「プロレス内プロレス」と切捨てることにより、新日本の優位を保とうとしました。これは見事に成功したと思います。

実にあの時代はどこの飲み屋でも猪木プロレスの信奉者との論争をよくやったものです。そして彼らが口を揃えていうのが、馬場プロレスのけなしであり、それの根拠がこの村松からきていました。はっきりいって「過激」だか「プロレス内」だか、どこが違っていたというのでしょうか。

猪木の派手な闘いと全日本に対する攻撃性と馬場のいつもくちごもる姿勢の中で、プロレス界は推移しました。猪木が馬場が当然受けられないことが分かっていて、試合を挑戦するやり方にかなりな根拠を与えていたのも、この村松の分析です。しかし、その何年後かに、猪木は弟子である前田からの挑戦には、馬場ほどの困難さ(要するに放送局の問題など)は全く存在しないにも拘わらず、避けて終りました。いったいこれがどう「過激なプロレス」とやらなのでしょうか。どうみても馬場も猪木も同じプロレスだったのです。村松がなにか理屈をつけ、猪木がそれを利用しただけなのです。

私はこの村松3部作が果たした役割は評価したいと思います。プロレスに「市民権」といえるようなものを与えたかと思います。「力道山のころは見たんだけどね」などといってそれで言葉が終ってしまうような人たちに対しても、いまのプロレスはそのときより一歩前へ行っているんだと言えるようなものにしたと思います。

しかし、またさまざまな問題点もプロレスの世界に持ち込んだように思います。同じプロレスの中に、何か団体ごとに優劣があるかのような錯覚です。この害はかなりなものであったと思います。新日ファンに国際プロレスの金網デスマッチを頭から馬鹿にしてしまうような傾向を持たせることになってしまいました。私は当然かなり言い合いしたものです。

もはやかっての「過激なプロレス」とやらの信奉者も、いまやその過去を振り返るときです。プロレスが本当に好きなら、プロレスの中に本物、ニセモノなどという視点をもってはならないと思うのです。

それから私は村松友視のプロレス以外の小説等々は愛読していますよ。(1993.04.17)