佐藤雅美『江戸の経済官僚』

読書さとう

私は佐藤雅美は、好きな作家であり、いくつもの時代小説を読んできたものです。でも小説に限らず、他にもいくつもの作品を読んできたものでした。これは、私が最初に読んだものです。1996年の6月に徳間文庫で読んでいました。

歴史上の人物でもその時代でも、政治的なかけひきや、戦争を行なうにも、一体そのときに費用はどうしたのだろうというのが、この著者の根柢からの疑問です。それが判らないと、どうにも歴史を見たことになるだろうか、ということでしょう。

実にそれがこの著作では、江戸時代に関してけっこう興味深く書かれています。例えば江戸の経済官僚たちが、どのように貨幣を改鋳してきたのかなんていうのは、個々には歴史の中で知っていたとしても、それのみから見ていくと、また違うものが見えてきます。 新井白石や吉宗、松平定信などという改革をやったり、真面目な人と言われている官僚たちより、貨幣の改悪をやったほうが、歴史を先に進める役割としては上だったというのは、理窟として判っていたとしても、かくも如実に見えてきてしまうと面白いものがあります。5代将軍綱吉、6代家宣の代に貨幣の改鋳(改悪といっていい)をやった勘定奉行荻原重秀の「たとえ瓦礫のごときものなりとも、これに官府の捺印を施し民間に通用せしめなば、すなわち貨幣となるは当然なり。紙なおしかり」という言葉など、今の紙幣の概念と同じことを言っているわけであり、これをなじっていた白石のほうが、判っていないなという感じを、やっと今の私はもつことができます(大昔小学生の頃、白石の伝記を読んだころは重秀なんて極悪人のように思えたものでした)。

このような新しく確認できるようなことがそれこそいくつも出てきます。徳川幕府は日本の天下の主人となったわけなのに、税金をすべて一元にとりません。各大名領地では、それにまかしていたわけです。これは大化の改新をやった律令政府とはえらい違いです。そんなことに関する解説も実に興味深いものです。

また、日米修好通商条約を結んだハリスに関しての「とにかくハリスは老後のための蓄えをのこしたい一心で日本へやってきた。そして当然気がつかなければならないことに、なんの注意も払わず、ひたすら金儲けに専念し、結果的に日本の通貨と経済を大混乱させた。日本がはじめて迎えた外交官は、そんなたのしい、ゆかいな外交官だったのである。」という記述に見られるハリスのやったことなど、かなり感心してしまいました。