橋本左内『啓発録』

読書さとう

安政の大獄でわずか26歳で処刑された橋本左内が、15歳(満14)にて執筆した「啓発録」を読んでみました。この本には「啓発録」のほかに、左内の書簡や意見書、そして漢詩等が載せられています。1997年の9月に講談社学術文庫で読んでいます。

まだ少年であった左内が書いた「啓発録」には驚いてしまいますが、私にはいくつもの書簡や意見書を興味深く読むことができました。歴史上での彼の存在を見ることができるからです。やはり幕末の日本には稀有な才能の持ち主であり、処刑されてしまったことは、非常に残念なことであると思います。

またいくつもの漢詩ですが、詩吟の世界では身近な詩人ですから、実に親しんで読んでいくことができます。「この語句はきっと菅原道真の詩から引用したものだろうな」なんて、推測しながら読んでいけるのです。

ただ、この本を読んで一番よかったのは、最後にある平泉渉氏の「偉大なる先哲景岳先生」と題した昭和56年10月に行われた講演記録です。平泉氏といえば、昭和49年4月自民党参議院議員のときに、「外国語教育の現状と改革の方向」と題する試案を自民党政務調査会に提出して、上智大学教授の渡辺昇一氏がそれへの反論をして、それから二人の間で「英語教育大論争」と呼ばれる論争をしたことで、私には印象深い先生であります。

この論争では、どうみても私は渡辺昇一の方に身を入れてしまい、平泉氏のほうは「なんだか分かってないな」という思いだったのですが、この講演記録を読んで、改めて平泉氏のいい資質も知り得た気がします。平泉氏にとっては、同じ故郷の橋本左内は、大事な敬愛してやまない先輩のようです。

平泉氏によって知ったことは、橋本左内と僅かの期間しか触れ合うことができなかった西郷南洲隆盛が、実に明治10年城山で最後を遂げるまで、約20年間左内の手紙を肌身離さず持っていたという事実です。西郷という人はなんというすごい人なのかと思うのですね。すごいというか、なんだかとてつもなく不思儀な魅力をおぼえてしまう存在なのです。きっと左内にこそ大いなる友情を感じていたのでしょうね。そして本当なら二人で生きて、あの維新を完成させたかったのでしょう。彼が生きていれば、あんな中途半端な維新で終わらせなかったという、そんな西郷の思いがいままた伝わってきます。そして西郷にそうした思いをさせた橋本左内という人も大きな人物だったのだろうなと感じることしきりです。(1997.09.23)