白川静『中国古代の民俗』

読書さとう

私は宮城谷昌光のファンです。彼の数々の小説を読んできました。これからも文庫本にされたものはすべて読んでいくつもりです。

それで彼の中国古代の小説を読んでいると、いわゆる中国の一般的な古典上では出てこないような出来事が大量に書かれています。彼は実に甲骨文から読み出してきているのです。これはそれだけで驚いてしまうことですが、それだけではないことに気がついてきます。そのときに、この白川静の講談社学術文庫の本にたどりつきました。

私は中国の歴史も文学も好きですから、もともと白川静という学者の名前はよく存じ

ていましたが、こうして1冊の本を通して読んだのは始めてです。

読んでみてなんと言ったらいいのでしょうか。ますます、わけが分からないよと、泣き言を言ってしまうしかない私になってしまいます。どうして、「万葉集と民俗学」「詩経と民俗学」という章が並んでいるんだろうと思ってしまうのです。折口信夫を論じ、すぐさま中国古代の歌謡を論ずる方法には、私ではただ驚いてしまうしかないのです。

だが、訳が分からない私としても、非常にいろいろなことが示唆された本であるわけです。現在私たちがインターネットという英語が主体の世界に接してしまわざるを得ないときに、日本の古代でも漢文というまったく違う言語に出会ってしまった私たちの祖先をとまどいを思います。それでも私たちの祖先たちは、その言語文字を使用して、日本の文化民俗を作り上げてきました。このことは、現在の私たちに、大いに考えさせることがあると思うのです。

また、吉本隆明「共同幻想論」において、吉本さんが共同幻想を論ずるのに、「古事

記」と「遠野物語」のみで論を展開するわけですが、これは中国あるいは東南アジアの古代民俗を研究することによっても可能ではないのかな、と大いに意を強くしたところなのです。でもとにかく、まだまだいろいろなことを学んでいかなければならないことを深く思います。(1997.09.14)