魯迅『薬』

読書さとう

中国の北京から来たある女性と始めて知り合って飲んだときに、私は魯迅のことを話はじめました。彼女は知らないふりをしました。そうすると、私は「何で中国人なのに、魯迅を知らないんだ」といいます。

あまりに私が貶し続けますので、ついに彼女は大声で怒り出しました。

中国人で魯迅を知らない人なんて、誰もいない。

それならと、私はまた話を続けます。

実に日本と中国とは「同文同種」などと言われながらも、まったく互いに相手の文化を知らないのではないかという思いに私は囚われます。中国人はさておき、日本人たる私たちも、中国の文化が理解できているといえるのだろうかとたいへんに気になります。

この魯迅の「薬」という短い小説も、ただただあっさりと読み終わってしまうのではないかなと思います。いや、この短い小説も、これだけのことを含んでいるのだということを、私はいいたいなあと思いました。互いに相手の文化を理解することによって、日本と中国という不幸な関係が少しでも改善されることを願うからです。

これは岩波文庫の『阿Q正伝・狂人日記(吶喊)』(竹内好訳)の中の短い小説です。

この中の薬とは、人間のいきぎも、夏瑜という処刑された革命家の心臓のことです。

中国のどこにもいるひとりの父親が大事な息子の肺病を直すため、

そら、金と品物と引きかえ!

と手にするのが、

「まだぼたぼたたれている」「まっ赤な饅頭(まんとう)」

すなわち、「薬」、革命家の心臓なのです。

この処刑された革命家とは、現実の世界では、秋瑾女史のことです。武田泰淳の「秋風秋雨人を愁殺す」の主人公です。この武田泰淳の本の最初に日本の袴着物をきて、右手に日本の匕首を抜き身でもっている彼女の写真があります。1907年6月5日処刑されました。魯迅はこの革命家秋瑾女史のためにこの小説を書いたといわれているのです。

しかし、よく読まなければなりません。この肺病の息子をもった父親が薬を手にして自宅まで帰るところ。

彼の気力はただ一つの包の上に集中していて、ひとり子で十代血統のつながる大事な赤子を抱いているかのように、ほかのことを考える余裕がなかった。彼はいま、この包のなかの新しい生命を、わが家に移植して多くの幸福を刈り取りたいのだ。

中国では、ことのほか男の子を重んじます。現在1人っ子政策(ひどい政策ですね)なんてやっているから、女の子が生まれて、「男の子がほしい」と泣き叫ぶ母親がいるとか、女の子の間引きが多くなったりするといいま。これは何なのでしょうか。

中国は祖先崇拝です。けっして仏教なんか信仰としては根づかなかった。そして、この世中心なんです。あの世行ったってやがてまたこの世に帰ってくるのです。でもそのためには自分の子孫たちが先祖である自分のために、毎日供物をささげてくれる必要があるのです。そしてそれをやってくれるのは、同じ一族、同じ家の子孫、同じ姓をもった男子の累系に限られるのです。

中国では(韓国でも北朝鮮でも)、結婚しても男女の姓は変わりません。日本のいま「男女別姓」の問題なんか考えると、画期的なことかもしれません。でもこれは、女性は結婚しても亭主の家には入れない、同じ一族にはなれないということを意味します。中国では、女性はただ「腹を借りるもの」であり、人間、子供を生むのは父親なのです。実に歴史書は、つぎつぎに「誰だれ誰だれを生む」という表現がでてきますが、それは男がすべて生んだことになっています。男の気が生むのであって、女の腹は借りものなのです。

中国ではこの時代に限らず、なにか時の権力者に逆らい処刑されるときは、一族の男みな全部殺害されます。こんな悪い奴は二度とこの世にもどってこれないよう、一族男性全部殺すのです。ただ、母親は亭主が殺され、息子がすべて殺されても、ひとり残ります。同じ一族ではないし、女ですから。だからこの小説の最後に処刑された革命家の母親が登場できるのです。

「一番の当り屋は、なんていったってここの老栓よ。二番目は夏三爺さ。

大枚二十五両、まっ白な銀で頂戴してよ、...」

「夏三爺は抜目のねえやつさ。なあ、もしも訴えでなかったとしてみろよ。

あいつだって打ち首の財産没収になるところじゃねいか。それが今じゃど

うだ。大枚二十五両!………」

考えてみれば、この夏三爺は甥の夏瑜(実に秋瑾女史はこの小説では男性の革命家になっている)を密告することにより、銀二十五両を手にしただけではなく、自分の命を含め一族全員子孫まで(夏瑜を除いて)の命を助けたのです。

また革命家の側は、そこまで覚悟しなければ、革命の活動家にはなれなかったのです。したがって、この肺病の子も、心臓を取られる革命家も男なのです。男でなければ、中国の民衆にとって、その迫力が伝わってこないのです。女の子が肺病だったらほっておかれるでしょう。事実のとおり夏瑜が秋瑾女史と同じ女だったら、べつに夏三爺は訴えはしないんです。夏三爺が女だったとしても。

結局、夏瑜は処刑され、その薬を食べた、大事な息子も死にます。そして最後にこの息子を亡くした二人の母親が、二人の墓へ貧しい土饅頭の墓へいきます。そこで、どうしてか夏瑜の墓だけに

あきらかに、赤や白の花が円錐形の塚の頂をとりかこんで咲いているではないか。

ということになります。

最後にカラスがないて、夏瑜の魂が母の前にいたことが分かりますが、この花は夏瑜がやったものではありません。じつにこの花は、多分小説の中にやってはいけないことだろうけれど、どうしても供えざるをえなかった魯迅の気持ちです。

魯迅は秋瑾女史とまた多くの革命家の魂と、そして多分自分の母親にこの花を供えたのだと思います。(1995年の秋に書いていた文章です)。