藤沢周平『蝉しぐれ』

読書さとう

私の大好きな藤沢周平の作品です。文春文庫で、1990年に読んでいました。

この作品は時代小説というよりは、青春小説といったほうがいいのかもしれません。石坂洋次郎の数々の作品や、山本有三の作品などが青春小説なのでしょうか。あるいは、芹沢光治良「人間の運命」や下村湖人「次郎物語」などがあたるのかもしれません。しかし、今はもはやこうした青春を描くことは無理になっているのでしょうか。友情や淡い初恋や、人生に対する夢を語るような環境に今がないのかと思います。 そこでこのように、時代を過去にうつして、しかも空間もある藩も限定したとき、こうした青春小説ができるのかと思うのです。

東北の海坂藩(架空の藩なのですが)を舞台にして、主人公を中心とした15、6歳の少年3人が登場し、成長していきます。主人公の幼い淡い初恋も描かれていきます。「ああ、やっぱり藤沢周平だな」とつぶやいてしまうような世界が第一行目から展開されていきます。

海坂藩普請組の組屋敷には、ほかの組屋敷や足軽屋敷には見られない特色があった。組屋敷の裏を小川が流れていて、組のものがこの幅六尺に足りない流れを至極重宝にして使っていることである。(「朝の蛇」)

この小川で15歳の主人公牧文四郎は朝顔を洗います。隣家の12歳の娘ふくともここで顔をあわせます。これが文四郎の淡い初恋の相手なのです。まだ恋とも気ずかないのですが。この恋は初恋であって、成就しません。でもこの恋は最後まで大きくこの物語を流れていきます。

また友との友情があり、また仲の悪い連中との諍いもあります。また友の学問の為の江戸いきや、藩内部の闘争による、父親の死罪の不幸もめぐってきます。こうした中で少年は成長していき、やがて大人になっていきます。

「おもしろくないな」

逸平はつぶやいたが、不意に、終ったと言いたいんだなと言った。

「バカをやった時代は終ったと、そう言いたいんだろう」

「そうだよ、逸平」

こうした会話はだれにでも一度は口に出すことなのかもしれません。

それにして誰にでもあり、やがては去っていってしまう青春を日本の自然の中に描いた藤沢周平らしい秀作だと思いました。