つげ義春『無能の人』

読書さとう

これは漫画です。日本文芸社の「日本漫画全集」の「つげ義春集」で読んだはずでした。読んだ時期が思い出せません。ただ1993年くらいに、この作品に関する私の思いを書いていたものでした。

私がつげ義春を知ったのは、あの「ガロ」全盛の時代です。たくさん読んだように覚えています。「もっきり屋の少女」「ゲンセン館主人」「李さん一家」「ねじ式」等々どれもこれも印象深かったものです。

71年と72年の埼玉大学の学園祭「むつめ祭」の統一テーマは、私の出したものになりました。1972年は次でした。

狂わせたいの

-花弁はうずく女は叫ぶ、俺の墓はどこだ-

このときのむつめ祭のポスターをこのテーマにあわせてどうしようかということになり、どうしてかつげ義春でいこうということになりました。たしか「ゲンセン館主人」だと思うのですが(たった今は作品集がないから調べられない)、千葉の夜の海を背景に男が手を広げてこちらを見ている絵があります、それに私のテーマをすりこんだポスターにしたのです。暗い海と、暗い顔したつげ義春の描く男の両側に、私のテーマが書き文字で並びます。この絵の使用をつげさんは電話のみであっさりと認めてくれました。

このポスターは大学のみならず浦和中に貼り出されます。しかもあのころは、当時の学生運動のステッカーと同じようにむやみにどこでもボンドで貼ってしまいます。とうぜん非合法ですから、敵対勢力(当然敵は日本共産党)にははがされてしまいます。それでもなんせはがしにくいですから、その後何年にわたっても、あらゆるところにこのポスターの残骸がのこっていました。それが、なんだかいいのですね。もう半分破られていて、しかも汚れているのに、つげ義春の描いた男は、あちこちで黙って私たちを見つめているのです。

その男の残骸がだんだんなくなっていって、もうすっかり浦和の街が綺麗になった頃には、どうしてかつげ義春はあまり作品を発表しなくなってしまいました。

私たちの友人にはけっこうつげのファンが多かったですから、みんなでどうしたんだろうなんて噂しあいました。たいがい、どうも本人自身がこの「無能の人」のようになってしまったらしいというような話をしていたように思います。

作品の内容はつげ自身をモデルにしたと思える男が、石屋をはじめてしまうところからはじまります。

おれはとうとう石屋になってしまった

ほかにどうするアテもなかったのだ

ということだけで石屋になるのです。だけどこんなことでうまくいくはずがありません。第二話ではなぜ石屋になったのかという話が続きます。読む人によっては気がめいってくるかもしれません。

もうつげさんは今どうされているのでしょうか。