マルタン・デュ・ガール『ジャン・バロア』

読書さとう

この作家は『チボー家の人々』でノーベル賞を受賞していますが、その作品の前に書いていたのが、この小説です。私は大学1年のときに読んでいました。新潮文庫で山内義雄の訳でした。

主人公ジャン・バロアを中心として、信仰と科学、国家主義と自由進歩思想、反ユダヤ主義と正義等の対決とそれによる人々の苦悩が描かれています。フランスではこうしてさまざま長く対決して思想が鍛えられていたのだなと思います。しかし、その渦中にいる人にとっては、かなりな苦悩の世界になるのだと思います。このジャン・バロアの生涯がまさしくそうなのです。

ジャン・バロアは医師の父と狂信的カトリック教徒の母の間に生まれます。かれは次第に信仰から離れ、無神論唯物思想家になります。そしてドレフィス事件と出会います。私はこのドレフィス事件のようなことが日本にはなかったことが、日本と西欧の大きな違いのように思います。国家が反ユダヤの陰謀でその意思を貫こうとするとき、たくさんの正義と自由を愛するひとがたちあがり、ドレフィス大尉を無罪にまで闘い抜く、こうした動きと世論の沸騰。私はこのときの、反ユダヤ、反ドレフィスの側のいわゆる右翼の人たちも、間違ってはいたとしても、よく論を闘わしていたと思うのです。

ジャン・バロアはドレフィス派として論をはります。しかし、やがてこの戦闘的闘士であり、唯物論者、科学主義、合理主義者のバロアが年老いるに及んで、しだいに衰えていきます。死の直前には、「神さまは、たしかにお許しくださるでしょうか?」と叫び、キリストの像に口づけし、死にます。

これほどの科学者が神の前に崩れ落ちていきます。年老いたバロアが若い青年と宗教について論争するところが圧巻です。青年にはバロアが何を言いだすのかわかりません。青年の主張はバロアの思想なのですから。

でも先生、あなたは何度も、わたしの前でそう主張しておいでだったと思いますが……

という青年の言うことに、「若いときには───この僕も若かった…一旦こうなると、いずれは君もおわかりと思うが、今までとちがった目でいろいろな物を見るようになる…」

もうバロアは自分の若き日の思想を否定する存在なのです。ここにはもはや若い日のバロアの姿はありません。

しかし彼の死後、彼の「死後開封のこと」と書いてある「遺言」が見つかります。妻と司祭が中をあけますと、そこには、彼は自分のやってきた思想を、年をとって気弱になった自分が裏切るのを予想して、それへの抗議の遺言を残したのです。彼の狂信的なカトリック教徒の妻は、この遺言を黙って燃やしてしまいます。

こうした宗教と科学、国家主義と合理主義等々の対立論争は、かなりこの時代からフランスをはじめとした西欧において深められていたように思います。その形がいまも続いているのだと思います。

そして、では我が日本ではどうなのだろうというのがもっと考えていきたいことであるわけです。