一枚岩の国などどこにもない

尖閣諸島問題に始まる日中の争いで中国は反日デモを仕掛けて来た。だが、今、とりわけ反日感情が燃え盛っているという風に受け取るべきではない。中国人の中に反日感情がないという事はないだろうが、何よりも、こうしたデモはすべて官製だという事を忘れてはならない。中国に政治的自由はないのだ。つまり、日本人の反中国感情の反対物を中国の反日デモに見出してはならないのである。

今の中国の強い姿勢の背後には、中国が抱え込み、肥大化するのに手がつけられないで来た弱さがある。

資本主義は政治的な自由を成立の条件とする。政治的な影響力が市場を左右し、市場の公正を歪めると資本主義な成り立たないからである。

権力と癒着した政商が、その権力を使って市場を支配するのは封建的な商売であって資本主義ではない。

政商が立法権力者と癒着し市場に介入させたとしても、行政なり、司法なりに訴えて公正性を守る事が出来るのは三権分立だからである。共産党の一党独裁はこれを欠いている。

だから、政治的に賃金を抑えこむ事で世界に向かって労働賃金の価格競争を挑み、成功を収める事ができた。中国は労働の百均だったのである。

たが、その結果、世界不況で輸出の伸びが止まった時、国内市場は小さいままという事になった。本来は、離陸時に多少の無理はしかたがないとしても、その後、国内市場が整備されるよう、賃金水準の上昇が図られるべきであるのに、一握りの億万長者が生み出されるだけだった。

経済規模で言えば、13億以上の人口を抱える中国が、国民総生産でやっと日本を追い抜いただけなのである。しかも、海外メディアに何度も報道されているように中国経済はバブルでしかない。実力が伴っていないのだ。

最近、注目されて来た中国の軍事力だが、軍事力は経済に比例する。経済力のある国の軍隊が、経済力のない国よりも強いのである。つまり、中国軍は実力の伴わないバブルの軍隊でしかない。恐るるに足らずなどと侮ってはならないが、過大に評価してもいけない。過大評価も、過小評価も同じ事の表裏だ。上滑りに浮き足立っているだけである。冷静に合理的に相手を知り、判断する事だけが平和に結びつくのを忘れてはならない。

一党独裁の政治形態はもちろん、経済も軍事もさほど高く評価できない中国だが、その強硬姿勢と反日的態度の裏には、バブル経済のほころびがあるように思える。中国政府は内憂を外患に転化しているのである。それならば、こちらは外患を内憂に戻して見れば、そこにあるのは、中国内部の亀裂と対立である。中国は日本を壁にして、内部勢力がスカッシュをしている。

中国は水準の低い国である。こちらが中国の水準まで下りて争う必要はない。身に降る火の粉だけを払えばいいのである。もちろん、火の粉を戦争にまで拡大させないよう願うなら、その時は、くれぐれも中国の泥(レアアース)と国法を交換した愚相菅直人のような劣悪な行いをせず、落ち着いて、毅然と事にあたらねばならない。