ハーバート・バークホルツ『心を覗くスパイたち』

読書さとう

私が1995年に読んでいました。新潮文庫で染田屋茂の訳でした。

主人公はCIAで働く特殊な能力をもったスパイです。百万人にひとりという能力なのですが、それは人の心を読み取ることができるということなのです。国際会議などで、相手の外交官が本当は何を考えているのかを相手に知られずに読み取るのが仕事です。ただしあまりの大変な敏感さを必要とされるため、32歳までしか生きられません。冷戦時代の敵国であるソ連のKGBにもこれらの存在はいます。いやもちろんそれ以外の国でも彼らを使っているでしょう。彼らはエースと呼ばれています。

主人公ベン・スレードはスパイの仕事中にKGBのエースであるナディアと恋に落ちます。恋といっても手を触れ合うわけでも、顔を向け合うわけでもありません。敵同士のスパイとしての仕事の中で、お互いに心の中で言葉を交わすのです。しかしふたりともあと2年しかない命なのです。

二人は敵同士として同じ仕事をする中で、あるきっかけからもうこの組織から逃亡して、二人で残り少ない人生を生きようとします。うまく逃げおおせてふたりの生活が始まります。しかし死ぬはずの時間がたってもふたりとも生きています。これはどうしたんだろうか。

やがてCIAの手が迫ってきます。妻であるナディアは殺されてしまいます。そのとき仲間のエースたちが助けにきます。彼らもCIAから逃亡していたのです。ベンはもう逃げるのではなく、闘うためにCIAのエースの情報局に向います。まだ大勢の仲間たちがいるのですから。

これは実によくできたSFだと思いました。ひとつの部屋の中で、二国の外交官なり首脳が話していたとして、その部屋の中を別な心を覗くものが激しく飛びかっているとしたら、その光景は目には見えないことが判っていながらも、かなり強烈な印象があります。

こうして人の心の中を覗ける人間がいるものなのでしょうか。人のこころの中の言葉がそのまま聞こえてきたら、煩わしくてしかたないものでしょうが、この小説ではエースたちは人の心に入り込むかどうかは自在にできるのです。私はこのような人は実際にいるように思います。

私がよく知っている人でそばにいるとやたら馬鹿なことを考えていられないような女性がいます。私以外の人たちでもこの女性に会うと、「あの人はこちらの心の中が見通せるのね」といいます。私もそれは強烈に感じていまいます。やはり人によってはいろいろな能力があるものなのですね。

この女性は人の心を読むことはできるのですが、相手が思ってもいないような行動に出ることは予測できません。昔私は彼女と飲んでいて、彼女にいきなりキスしました。とっても綺麗な方なのです。でも人の心を読めるはずの彼女もまったく驚いたようです。なぜなら、私は心の中で思ってもいなかったことをいきなりやったからです。

ところでこうした相手の心を読める能力というのは決して未来を予見できるわけではありませんから、それほどの驚くべきことをいうわけではありません。やはりある程度未来を見ることができるためには、過去のことを確実に検討することと、現実の世界を的確に見つめることのできる能力だと思います。そうしたことの能力をみがくような努力を怠らないときに、未来をみていくことはできていけるように思います。

人の心を覗くことができることは驚くことではありますが、そのことを相手に判らせることがなければそれで済んでしまうことです。この小説のスパイたちの不幸なのは、それが特殊な能力であると考え、また国家からそう考えられ、特殊な仕事に就いてしまったことです。

私はこう思うのです。こうした特殊な人間としての能力はそれをいくらみがいていっても結局は不幸なことだと思います。やはり人はだれも同じような当り前の努力と頑張のみが人間の未来を切り開いていけるものだと私は考えているのです。でもかなり面白く読めたSFでした。