呉智英『バカにつける薬』

読書さとう

私はこの著者とはこれまで数度お会いしています。何度も言葉を交わしました。ただ、いろいろな雑誌に載る文は読んできましたが、いくつも出されている著作を一つも読んだことがなかったので、少々悪いなという気持がありまして、やっとこの本を読みました。(双葉社刊。1987年2月5日第1刷発行)

しかし、この題名にある「バカにつける薬」というのが本当にあるのなら、まずはご自分につけられたら、というのが私の最初に思った感想なわけです。「悲しいくらいに、あんたこそ馬鹿だねえ」と思いました。

呉智英(「くれともふさ」と読むわけですが、私たちは「ごちえい」「ごちえい」と呼んでいます)さんは、実際にお会いすると謙虚な姿勢を見せる方です。それがどうして文章だと、こうまで人や物事を貶し続けるのかなと不思儀です。まあ、それが彼の生き方なのだろうなと納得もしてしまいますが、まさしく「何をどうでもいいことを言い続けるの」という思いがするのです。

この本の中で、上野昂志と岡庭昇との論争が大きく取り上げられています。私はこれが羞かしいのです。まず岡庭なんか、扱うなよ、話しかけるなよ、と思います。あんたが岡庭を貶せば、岡庭は調子づいてしまうだけじゃないの。岡庭なんか、もうとっくに消え去った人であって、それを甦えさせるなよ、と思うんですね。私は70年代の大昔から、岡庭なんか、貶したくもない、なんにも関わりたくありません。

上野さん(上野昂志とは、私はこれまた顔見知りでありますから、さんずけします)との言い合いは、もう、どっちも同じ資質だよと思いますね。論争する価値なんかありえないですよ。(いえ、今では私は上野昂志さんは評価するようになりました)。

上野さんにしろ、呉智英にしろ、「これはさえてるな」と思わせる文章を私は知っています。だが、こうして「これはひでえな」という方が多すぎるのです。なんか悲しいですね。

昔、呉智英氏と一緒の席で、私が詩吟を披露しました。そうしたら、彼が私に、荊軻の詩をやってほしいというのですね。私はそれは詩とはいえないので、詠えないといいましたら、「なんだ知らないのか」という言い方をしました。私は、「風は蕭々として易水寒く、壮士ひとたび去ってまた帰らず」という史記にある文をあげて、この易水で秦の始皇帝を殺しにいく荊軻が燕の太子丹に別れるときのことを、初唐の駱賓王という詩人が「易水送別」という詩に描いているが、その詩にも、この語句が使われているわけでもないことを伝えました。思えば彼はこの荊軻が言ったという言葉を漢詩だと思っているんですね。今もそう思っているんだろうな。私は、「あんなに儒教がどうたらこうたらと言っているのに、そんなことも知らないのか(註)」という思いで、実はこの駱賓王の五言絶句の中に荊軻の語句を入れて吟うやりかたもあったのですが、「やってやるものか」ということでやめてしまいました。まったく馬鹿につける薬はありませんねえ。

(註)アジアの国の中で、日本を除くと、経済的に発展しているのは、韓国、台湾、香港、シンガポールだが、この4つに共通しているものはなにか、それは儒教である。だから自分は今儒教を学びはじめたというようなことを呉智英氏は本の中で言っています。

もう一度言います。馬鹿につける薬はありませんねえ。 (1997.08.15)