塩野七生『ローマは1日にして成らず』

読書さとう

私はこの人のファンで全作品を読もうと思ってきました(でも果たせていない)。それでこの『ローマ人の物語』は出版が新潮社で開始されたときから読み始めたものでした。それを最初に読んだときに、私は以下のように第1巻の感想を書き始めました。

何年か前に夜の報道番組で、塩野七生がフジテレビで木村太郎の取材を受けていました。「いま一番関心のあるのは何」という質問に、「ユリウス・カエサルです」ときっぱり答えていたのが、私には非常に印象に残りました。そしてその次に年に、書店でこの本を見たとき、「これがそうなのか」と、すぐに手にとったものでした。

知力ではギリシア人に劣り、体力ではケルト(ガリア)人やゲルマン人に劣り、技術力ではエトルリア人に劣り、経済力ではカルタゴ人に劣っていたローマ人

がなぜあれだけの大帝国を築けたのかということの解明がこの著書の目的であるようです。何故「ローマは永遠」と言われてきたのか、そもそもローマとは何なのかとは、私も常に思ってきたことなのです。

私にとっての塩野七生とは、「チェザーレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷」で鮮烈にデビューした(本当のデビュー作は別な作品ですが、私にはこの作品こそがそう思えるのです)ちょっと近寄り難い存在でした。数々の書物の内容も、テーマ自体は興味深いのですが、どうしても中にはいっていけない自分を感じてしまっていたものです。

なにか「どうもこれは何がいいたいの」という思いをいつも感じてしまっていたのです。しかし、この「ローマ人の物語Ⅰローマは1日にして成らず」で、それらの私のこだわりがすべて解消した気がしたものです。これなら、彼女の「男たちへ」というような文章も嫌味にしか思えず読まなかったものでしたが、このあとは私は素直に読んだものでした。

私はこの本を読みおわったときから、彼女のファンになりました。彼女の歴史・ヨーロッパに対する姿勢が初めて判りはじめた気がしたのです。

ローマはギリシアとキリスト教をその中にふくみ、この二つを「ローマ」という存在で全ヨーロッパのものとしました。

人間の行動原則の正し手を、

宗教に求めたユダヤ人。

哲学に求めたギリシア人。

法律に求めたローマ人。

この一事だけでも、これら三民族の特質が浮かびあがってくるぐらいである。

私はユダヤキリストの暗さにはどうしてもなじめませんでした。ギリシアローマの古典古代社会のほうがずっと親しみを感じてしまうのです。

そして、そのギリシアとローマで、やはりローマこそがそのギリシアの存在をも、世界のものとできたのだと思います。アテナイとスパルタの抗争ばかりのギリシアが、アジアの大国ペルシアに勝てたとしても、あるいはアレクサンドロス大王がいたとしても、世界に向かってギリシアの存在の意義が大きいことであるのは、やはりローマがあったからこそのことだと思います。ローマがあってこそ、ギリシア世界もアレクサンドロスも意義が出てくるのです。

また興味深く読めたところとして、もしアレクサンドロスが、東にではなく西すなわちローマへむかったとしたら、歴史はどうなったろうかというところがあります。著者の出している結論は、細かく理由をあげて、やはりローマが勝利したであろうということになります。これには充分納得できるものがあり、さすがだなとうなってしまったものでした。

それにしてもこれからさらにこのローマの物語は、第一次ポエニ戦争、ハンニバルとの戦い、ガリア戦争、カエサル……………と続くわけです。この「Ⅰ」はまだその第一歩であるにすぎないのです。著者は2006年まで毎年1冊ずつ書き下ろし、全部で15卷の大作になるといいます。

それにしても、この著書を読んで、私はこの著者のすべての作品を読んでみたいと決意した次第です。