フィリップ・K・ディック『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』

読書さとう

私が40代に読んだ小説です。早川文庫で浅倉久志の訳でした。

この地球に核戦争がおきて、人間含めた動物が大部分滅びてしまいます。辛うじてのこった人は、わずかに残った動物を飼うことで、わずかに慰められた生活をしています。だがこの動物たちが、おどろくほど高価です。だからほんものそっくりの電気で動く動物も売られています。そして人々はその電気動物が隣人には本物だと思わせて生きています。生きている本物の動物を飼えないなんて恥ずかしいことなのです。

この地球に、火星から奴隷として酷使されているアンドロイドが逃亡してきます。地球に自由を求めて逃げてきたのです。しかしそんな逃亡アンドロイドを殺す役割をしている賞金稼ぎが、この小説の主人公リック・デッィカードです。彼はたくさんのアンドロイドを殺して、その賞金ではやく本物の羊が買いたいのです。

しかしこのアンドロイドはまったく人間そっくりです。人間と機械であるアンドロイドを正確に区別しなければ、リックの仕事はなりたちません。人間の社会の中に、人間と同じに生活しているアンドロイドを見つけ、それがアンドロイドであることを証明し、そして殺さなければならないのです。それには疑いのかかった人物に課する知能テスト(感情移入テストという)があるのです。それで判断してからでないと、リックは銃を撃つことはできません。機械は自然や動物をいとしいと思うような感情移入ができないはずなのです。

ところが段々アンドロイドが高性能になってきて、アンドロイド自身でも自分がアンドロイドなのかを知らない回路を埋め込まれたものも作られてきます。したがってこの知能テストもさらに高度化していきます。アンドロイドの中には、人間の芸術にもかなり堪能してくるものも出てきます。ついには、リックは自分が人間なのかどうか、自分にテストを課してしまうところがでてきます。人間っていったい何なのだろう。機械ではない人間らしさっていったい何なのでしょうか。