島尾伸三『月の家族』

読書さとう

きのう世田谷文学館「宮沢和史の世界」へ行くときと、きょうの我孫子自宅行きと、川口のクライアント行きで、すべて読みました。

島尾敏雄さんのご長男の著作を読むのは、始めてなのですが、もうあちこちで涙が溢れそうになるほど、私が感激する場面、感心している文章ばかりです。

ただもちろん、電車の中ですからその涙を抑えるのが辛かったです。伸三さんの両親の、私が知っているはずの島尾敏雄、島尾ミホ夫人の、ちょっと違う面が見られるのです。 でも涙が出るばかりではなく、笑うのにこらえきれなくなり、電車の中では読むのを止めた場面もあります。それをたった今読んでみて、また笑ってしまいます。

この作文を読んで、七十八歳になる私の母は、きっと怒るんだろうーナー。

「どうして伸三はこんなこと書くのだろう。親に恥かかせて」「恨みでも

あるのっ!?」って。

おかあさん、ウンコの話題ぐらいで怒らないで下さい。もっと破廉恥な

ことをしてきた私です。それに比べるなら、三つのウンコなんて、赤ちゃ

んの可愛いウンチみたいなものなのです。(「三つのウンコ」)

ミホ夫人のことを思い浮かべます。

あの「出発は遂に訪れず」等で、えがかれた美しい島の娘のミホさんと、「病妻記」(これがのちに「死の棘」になります)で、激しく島尾敏雄を責めるミホさんをまた私は思い浮かべていました。

その私の知っているお二人の姿とは違うのですが、でも違うと言っても、「あ、やっぱり」ということで、私はどうしても判っているはず、知っているはずののお二人なのです。

そのお二人の子どもの視線からの書いてある文は、涙を流したり、本を伏せたりするほど笑っても、やはり読んでいてはげしくひきつけられ、夢中になって読んできました。

それと、この伸三さんのえがいている世界は、「よく前にも誰かが書かれていたような世界だが、こんな姿があったんだ」と、私の知らない日本のように想いましたが、だんだん読んでいくうつに「あれ、まてよ」と気がついてきました。

たしかに、東京小岩あたりのことはあまりなく、もっぱら島尾夫妻がミホさんの治療のために、奄美に住んでからのことが多くて、奄美では、いわば私の住んできた、札幌や名古屋、鹿児島という都市の生活とは大きく違うのですが、彼も私の同じ昭和23年生まれです。「あ、こんなことあったな、こんな変な人がいたな」といくつも類似する事象を見つけていました。

私も、「そんな私の前にあった懐かしい風景を書いてみよう」なんて思ったものです。 あ、伸三さんの写真も、そして奥さまの登久子さんの写真も見てみたいなと強く思いました。(2006.11.25)