パトリシア・コーンウェル『検屍官』

読書さとう

この作家を知ったときから、私は出た文庫本はすべて読んでいます。ただし、本が二冊本になった頃から、私には魅力が薄れてきたものです。

ちなみに、最初はどの作家も、編集の強い意思で、作品を約半分の長さに縮めるものなのですが、作家が売れてそちらの意思が通ると、今までの2倍の長さになり、でも私たちは退屈になってしまうものです。

彼女の世に出た最初の作品です。相原真理子の訳で私は1992年に講談社文庫で読みました。私は彼女の作品をみな読んでいましたが、何故か作品の内容に藤沢周平の作品を思い出していたものです。

主人公は女性検屍官ケイ・スカーペット、舞台は米国バージニア州リッチモンド。

リッチモンドで数カ月の間に4人の女性が殺されます。この4人目の屍体の現場検証にケイが立ち会うところからこの話は始まります。すべて残虐な殺し方で同一犯人によると思われます。担当の刑事ピート・マリーノとケイとはどうにもうまがあいません。何故かマリーノはインテリ嫌いで実地的な勘によるのか、4人目の被害者の夫を疑っています。ケイはあくまで科学的な分析から犯人像に迫ろうとしています。ケイには、とてもマリーノのやり方が嫌でたまりません。これはかなり面白い組み合わせです。この二人の対立は最後まである緊張感をもって継続されていきます。

しかしやがてこのシリーズでは、マリーノがケイに惚れていくところもあって、私はなんだか微笑ましくなります。

主人公ケイは40歳の離婚女性であり、しかも勝手な妹の子どもを預かっています。ケイも当り前の人間ですから、プライベートな時間と空間では好きになれそうな男性と付き合います。しかし、この凶悪犯は、どのような時間と空間にも出現してくるかもしれないのです。

こうしたスリラーを読む度に、アメリカって怖い国だなとか、ウチの娘は日本に生まれてよかったなとか、たった今アメリカへ行っているあの娘は大丈夫かなとか、誰もが考えるようなことを私も思ってしまいます。しかし、この作品はそうしたアメリカの残虐な事件が、本当に恐怖を与えるのは、事件そのものの残虐さよりも、この作品に登場する人物の間に生じる疑惑や不信による恐怖なのだということを教えてくれているように思います。残虐な事件があるからアメリカ人はすぐに銃をぶっ放すのではなく、誰も彼も対人間に対して不信感しかないのだから、その恐怖感が引き金を引いてしまうのだと思うのです。この作品の中で真犯人が判っていく過程で、登場人物の中にさまざま人間的な信頼感が復活できた形があるように思えるところが、なんにしても救いがあるように思えました。