さくらももこ『まる子 毛糸のパンツをいやがる』

読書さとう

私は雑誌「りぼん」に載っていた「ちびまる子ちゃん」をいつも読んでいたものでした。いつも私がこの雑誌を買って家へ持って帰ったものでした。でも駅前の書店では、「りぼんオリジナルをください」と言っても店員が私が大人なので、よく判らず大騒動になったことがあります。これもそんな巻でした。

これは、1992年12月29日に書いていたものです。以下のような題名でした。

まる子 毛糸のパンツをいやがる

以下が内容です。

まる子「毛糸のパンツなんてもうはかないよ だれもはいていないもん」

おかあさん「べつにいいでしょ ほかの人がはいていようがはいてなかろうが あったかいんだから あんたは小さいんだから よけいなこと気にすんじゃないの」

まる子「いやだよ たまちゃんやお姉ちゃんもはいていないんだって言っているもん わたしだけはいているなんて みんなにバレたら大恥だよ」

ヒロシ「なんだよオレなんか町内の旅行でモモヒキはいているのみんなにバレたけど ぜんぜんはずかしくなかったぜ」

まる子「モモヒキならまだいいよ 毛糸のパンツだよ パンツが毛糸でできているんだよ よく考えたらヘンだよアレ」

ヒロシ「ぜいたくな話じゃねェか」

まる子は幼稚園にいるときから、こんな感じである。でもこんな思いではだれにでもあるのじゃないだろうか。本当をいえば、ヒロシだってあったはずなのだ。大人になるということは、恥をだんだん忘れていくことでもある。「さるのこしかけ」によれば、このまる子が大きくなったさくらももこは、夫のガラパンを毎日はいていてもうそれを恥と感じてはいない。この巻は、よく誰もがもっている子どものときの感性を描いていると思う。 これはまる子だけが特異なのではない。あの恥なんかなにも感じないようなはまじが、花輪君の家に招かれて、靴下に穴が空いていて、それが恥ずかしくて椅子に座りっぱなしのシーンがある。はまじですらそうなのだから、子どもはだれもこんな思いに深く悩んでいることがあるのだ。だけどヒロシはもう忘れてしまっている。ほとんどの大人はそうなのだろう。さくらももこの感性が優れているのは、こうしたことを鮮明に思い出させてくれることにある。