飯嶋和一『始祖鳥記』

読書さとう

この作品は江戸時代の天明の時代に、「空を飛ぶ」ことに生涯をかけた男の物語です。私は「凧に乗って大空を飛ぼうとした男が江戸時代にいた」ということは知っていましたが、江戸時代のいつごろの人で、どんな生涯だったのかということは、まったく知りませんで、この小説で始めて知りました。

この凧に乗るということが、いわば風をよまなければならないわけで、それが読んでいる私にも充分に伝わってきます。この「風をよむ」ことがまた、この小説の第2部に出てくる船乗りたちの航海の大事なことでもあるわけです。私も昔ボードセーリングをやっていたことがあり、あのスポーツもまた風をよむことが海の水の流れを見るよりも大事なことでした。そのボードセーリングに乗っているときの私のすがすがしい気持がこの小説を読んでいるときにも、私の心に浮かんできました。

あの時代にこんな人がいて、それがいわば私たちの先祖の一人なのですね。感激です。そしてそのことを教えてくれたこの作者に感謝したいと思います。

時代は天明の時代であり、日本中の人が、饑饉を怖れた暗く不安な時代です。でもおそらくこの日本の時間も空間も、次の時代への転換期としてのいくつものものを出現させていたように思います。主人公幸吉が、あくまで空を飛びたいという思いの中で、いろいろと苦心惨憺することは、それを象徴していることのように思います。この幸吉の「空を鳥のように飛びたい」という思いは、第一部で、結局は成功せず、公儀により罪に問われます。ただ、この幸吉のあくなき思いが、第2部での何人もの男たち、塩問屋巴屋伊兵衛、舵取りの杢平の夢を産み出します。

幸吉の「空を飛びたい」という思いは、あくなき男のロマンというか、またはただただある男の身勝手な希望空想なのかもしれません。でもそれを伝え聞いたあちこちの男たちは、「あくまで空を飛ぼうと努力した男が、この同じ時代にいるんだ」ということで、また自らのロマンを達成したいと時代に挑どんでいきます。

ここが一番私の心にもうったえてくるところでしょうか。幸吉は、「いや、俺の勝手な思いだけなんだよ」と頭をかくところなのでしょうが、でも物語の中でも、何人もの男たちの中で大きな存在になってしまっている幸吉の物語を幸吉自身が知ります。そして驚きます。幸吉が「空を飛ぶ」という思いが、江戸幕府とそれとつるんだ悪商人たちと雄々しく闘う人たちを産み出したのです。

幸吉は故郷岡山を離れ、駿府にて晩年をすごします。もともと優秀な表具師であった彼は、またここで有能な入れ歯師・時計師として誰にも評価されます。これが第3部です。 ここで、河原で子どもたちが遊ぶ凧を見て、また空を飛ぶ夢を思い出します。あくまで、彼の生涯は「鳥のように空を飛びたい」という思いだけでした。こうした彼の思いが、きっとこの時代をまた次の時代に進めたものだと私には思えます。

実に読んでいて、「俺もまた夢を忘れちゃいけないよな」という思いに何度も駆られた小説でした。小学館文庫で読みました小説です。私のよく飲む、千駄木の『浅野』のマスターが紹介してくれました本でした。私はこの作家の熱烈なファンになり、そのあとはこの作家の全作品を読んだものでした。(2003.11.24)