AR支援ネットワーク通信(75) 「 ARの未来(飛行機からバスへ:メンター教育)2008 年以降」
横浜国立大学名誉教授 佐野正之
悉皆研修の終了は、「空飛ぶセールスマン」の時代の終了でもあった。2008年にARの講演を依頼されたのは、静岡県、三次、福島県、山形県、奈良県, ELEC、英授研程度で、前年の松山大学への転勤も影響したのだろうが、神奈川県からの依頼もなくなった。今から考えると、これは残念なことだ。なぜなら、神奈川県では悉皆研修が始まった翌年から、「コーデネーター育成」という名称で、いわば、ARの上級編を実施し、私自身がそれに関わっていたからである。もし私に、「メンター教育」の必要性とその方法論が確立していれば、このプログラムを発展させることが可能だったかもしれない。だが、私にはためらいがあった。理由は、それ以前にARCYのメンバーを対象にメンター教育に取り組み失敗した経験があったからである。私が多忙だったこともあるが、育成の方法論を模索しているうちに取り組みは消滅し、困難だという認識だけが残ったからである。
だが、この試みが全て無駄だったわけではない。これを機会にRoberts, J. 1998. Language Teacher Education. Arnold に目を通して学ぶことも多かったからである。Roberts の主張を要約すれば、ニーズが多様化し変化の激しい現代の教育を担う教師の育成は、定められた技能や知識を教えるteacher trainingでは間に合わない。自ら授業力を伸ばす力を育てるteacher development の発想が必要である。その根幹は、情緒的な側面を尊重する人間主義心理学や認知的能力を重視する構成主義に加えて、人間や教育の社会的側面を重視する social constructivism 「社会構成主義」の発想こそが重要で、action research もその一つの具体的な手段だという内容である。今まで述べてきた自説からすれば、これは私には非常に納得のいく説明であった。しかし、この本は Reading 大学の教員養成が基本になっているはずなのに、授業力と授業改善力の位置づけがいまひとつ疑問として残った。
この疑問 が解決するのは2008年である。この年は私が松山大学に移って2年目に当たり、高橋一幸氏が内地研修で来ておられたので、一緒にRoberts の本などを読みながら、教員養成の在り方を探った年でもあった。そんな時、大学院のゼミ生だった宮内朋子氏が、R.J-Sihvonen and H. Niemi (eds.) 2007. Education as a Societal Contributor. Peter Langを見つけて持ってきた。フィンランド教育全般については、すでに福田誠治 2001.『競争しなくても世界一:フィンランドの教育』(朝日新聞)など複数の著書を通じて、文部省、教員養成課程、また、あらゆる教科で「社会構成主義」の哲学が共通理解となっていることは知ってはいたが、実際の教員養成で授業力と授業改善力がどのようにカリキュラムに組まれているのかが不明だった。それが、上述の著書に明確に答えられていたのである。それによると、フィンランドではresearch-based teacher education が教員養成課程のあらゆる側面で強調されるが、その一方、Basic Level ではmentorの指導を受けながら 授業力を伸ばすことが中心となり、その上のGeneral Level では授業力の基礎の上に、問題解決や実践を理論化する授業改善力が要求され、そこではARが重要な役割を果たしている。実際に、約6割の修士論文がARだ とし、次のように書いている。
The idea of action research has developed and the concept of teacher as a researcher has achieved new dimensions like practitioner-research and learner-research orientations. (中略) The idea of teachers as both consumers and producers of educational research changes the traditional idea of separating formal researcher and teachers from each other.
Consumer とはリサーチ(ARとは限らず多様なタイプのリサーチ)の結果を利用して授業改善を計る力であり、producerとは、教室でリサーチを実施して結果を発表する人を指している。この文章を読んだときには、思わず「そうだよな!」と声を上げた。これで以前から迷っていた授業力と授業改善力の区別がついたし、また、ARがどのようにフィンランドで用いられているかも理解できた。その発想がまた、Roberts と同じく「社会構成主義」に基づくものであることも納得できた。この文献によって、教えさせられることが多々あった。
さて、話しを2008年の社会の動きに戻そう。
悉皆研修の終了に伴い、県レベルの公的研修は減少したが、その一方で地域や学校レベルでの自主的なARの活動は増加した。例えば、私の転勤と同時にできた「AR@松山大学」では月ごとの例会に加えて、2008年の11月には大会を開催したのだが、それには愛媛県内からだけでなく、横浜の会や高知、広島や京都などからも参加者があり、2年後に開催される「日本教育アクション・リサーチの会:JEARN」の基礎を築いた。もし、松山大会に参加したメンバーが交流に意義を感じなかったら、2010 の「全国AR大会@横浜」は開催されなかっただろう。私が松山大学を退職後も、この会は金森先生のもとで月に一回の研究会を開催し、今年度の全国大会に備 えている。
私が横浜に戻った2009年からは、従来からの県レベルの講演は山形、静岡、福島、横須賀、三次、ELECなどわずかになったが、地域や学校で研究を進めるところが増えた。訪れた講演先は、2009年は綾瀬市、藤沢市、大原高校、江東区、南砂中学校、2010年度は綾瀬、佐原、湘南三浦地区、江東区、寒川、楯岡高校などである。全て、飛行機ではなく、バスや電車での移動である。それだけ、ARは地面に近くなったとも言えるだ ろう。
さて、このレポートも終わりに近づいた。残された課題は、これからの日本のARをどう進めるかである。いくつかの方向性はすでに動き出している。一つの動きは、高知県で始まっている指導主事をメンターとした授業改善のARである。以前の悉皆研修での経験を生かし、主事がメンターとしての力量を付けることをも狙って、中学の教師にARに取り組ませている。学力向上という至上命令のもとで、いわばPDCA型のARになるが、綿密な支援を個々の教師に与えながら実施しようとしている。すでに述べているように、授業力の乏しい教師には日々の授業を充実させることを狙ってARをさせるべきである。「それなら、ARよりも、授業テクニークを個別に訓練したほうがよいのではないか」という意見が当然出てくるだろう。だが、これは難しいと私は思う。なぜなら、教師は圧倒的に多くの時間を研修ではなく教室で過ごすのだから、「自分の研修だ」という意識を持ち進んで取り組むものでなければ、効果は期待できない。そのためにはARをしながら、その中で授業力の点検と改善を計るメンタリングが求められるだろう。
また、この試みのもう一 つの問題は、成果が求められるPDCAだという点である。この点に関して自分の考えを言うと、同じPDCAでも、まず現状を正確に把握して生徒理解を充実した後で、短期的ではなく長期的な成果を求めるのであれば問題は少ないのではないかということである。Educational Action Research の最新号(Vol.18-4: 2010)でS. Kemmisは、ARで最も大切なことは現代的課題(history) に貢献することであり、理論(theory)はsecondary なものではないかとして次のように書いている。
Action research aims to explore new ways of doing things, new ways of thinking, and new ways of relating to one another and to the world in the interest of finding those new ways that are more likely to be for the good of each person and for the good of human kind, and more likely to help us live sustainably.
煎じ詰めれば、「持続可能な未来に生きるために、新しい行動と思考と関係性を構築することがARの任務ではないだろうか」としている。「新しい行動、思考、関係性」と「新しい」ことが全ての面で強調されているのは、世界のARも今曲がり角にあるのではないかと思われる。この時に大切なことは、他人の理論に左右されることなく、自分と生徒の明日を開く行動であり、思考であり関係性だということを思い起こすことだろう。短期的な学力向上ももちろん目指さなければならないが、結局は、長い目で見て高知の、また、日本の教育が「どうすれば自分も他人もより良い未来を生きる力を伸ばすことができるか」という問題だと捕え、その中でARができることを見つけ出して欲しいと願う。
2つ目の方向としては、「授業は英語で進めることを基本とする」という高校の新指導要領への取り組みが県レベル、学校レベルで始まることである。山形県では2年前から米野さんが中心になって、地区から選ばれた10名ほどの教員にARでの授業改善を計る取り組みをしている。この場合は、高知の「学力向上」という至上命令があるように、「英語での授業」が課題として課せられている。しかし、その場合でも、一律に「このように授業をすすめよ」と命令するのではなく、個々の教師の研究の主体性を確保しながらARで進めることが長期的には効果があるのではないかと期待している。もちろん、授業改善力の向上を計る前に、授業力そのものの向上を計ることが必要となる。従って講演・講習ではこの点にも十分配慮しながら進めていて、成果を上げている。たとえば、昨年の実践の最終報告会では 興味深い告白があった。若い男性教師で、英語力はあったのだが勤務校が実業高校だということもあり、これまで授業は英文和訳、和文英訳が中心だったそうだ。ところが、このプログラムに参加するようになり、できるだけ英語で授業を進めるようになったら、授業が楽しくなったし、生徒も以前より熱心に取り組むようになった。彼は、ピアノを趣味としているそうだが、最後の報告では、「授業を英語ですることはピアノの練習と同じだと思いました。やればやるほど面白くなるし上手にもなる。やらないと、下手になり楽しくなくなる。これからも練習を続けたいと思います」という内容であった。
3つ目の方向は、2と関連してのことだが、「英語で授業を」の学校レベルの実践研究が各地で始まるとうということである。例えば、山形県では楯岡高校(単位制の普 通進学校)で、この指導要領の改訂に学校としてどう取り組むかという研究が始まっているが、私もそれにも付き合うことになった。まだ、内合わせ段階だが、初年度は校内研究授業を中心に教師の授業力の向上を目指し、2年目は教師の振り返りと生徒の自学力を中心に研究を進め、3年次には各自がARを実施し成果を公開研究授業と紀要で発表する予定である。SELHiの経験からすれば、英語で授業を進めることに抵抗を感ずる教師もいるだろうから、当然、相当の葛藤が予想される。しかし、「英語で授業を」という冠と、個々の教師の主体性のバランスを取って進めることができれば、今後の研修のモデル・ケースとなると注 目している。
4つ目の方向として中学校に目を移せば、横浜大会で私が新人教師の稲垣さんを相手にメンター教育を実施した綾瀬市のベテラ ン教師が、今度は自分たちがメンターとなって後輩を指導する活動を始める計画がある。この点はすでに三次市で始められていて、そこではベテラン教師がメン ターとなり、授業研究のスタイルを取り入れながら新人教育を行い、成果を横浜大会で発表して注目を浴びた。今年は三次市で広島県の英語教育大会があるそうなので、その成果が広く伝わるような実践をして欲しい。ただ、見た目の華やかさを求めるよりも、教師と生徒の内面の成長までも視野に入れた研修を進めて欲しいものである。神奈川県に話しを戻すと、寒川や藤沢で、市川さんをコーディネーターとし、私もその手伝いをすることになっている。さらに、小学校でも、外国語活動が一応定着すれば、次のステップとして授業改善が求められるので、ここでもARが活躍することが期待される。時代の要求に答える新しい発想、新しい行動、新しい関係性が求められている。
このように見てくると、英語教育の中でのARは、地域と密着した主事やベテラン教師、あるいは学校単位の実践が中心になってくるのではないかと考えられる。「空を飛ぶ」ことよりも「地を這う」実践が求められ、その先頭に立つのはARを自ら経験したベテラン教師であり、大学や教育センターではその動きをいかにサポートするかが重要な課題となるだろう。そのためにはJEARNのメンバーは積極的に学校に出かけ、メンターを支援して欲しい。「民主的で平和な世界に貢献するためのコミニケーション能力をもった生徒の育成」という理想を空論に終わらせぬためには、英語と生徒と社会を結んで教育を考える具体的な授業力と授業改善力が必要であり、それをいかに個々の教員に与えてゆくかが大きな課題である。JEARNがこの新しいチャレンジに立ち向かう会として成長することを祈ってこの私論を閉じる。
(配信日 2011/08/01)