AR支援ネットワーク通信(67) 「ある新人教師とメンターの物語」第3話 変身
横浜国立大学名誉教授 佐野 正之
■教師の変身
教師が「変身」と言ってもよいほど突然成長する時がある。稲垣さんの場合、それは2回目と3回目の授業観察の間に起こったようだ。稲垣さんは4月から真剣に授業改善に取り組み、1回目と2回目の授業観察の間でもかなりの成長は見られた。具体的には、活動の組み方ばかりでなく、英語の使用率や interaction の質、また、生徒のコントロールの仕方など確実に成長の跡が見られた。だが、2回目と3回目の間には、授業が開始すると同時に感じられるほど明らかな違いがあった。具体的には、稲垣さんの指示や出すタイミング、生徒との日本語でのやり取りや身ぶり、英語の話し方や質問の仕方、生徒の反応に対する間の取り方などの全てに自信が現れていて、楽しそうに行動していたし、生徒もまた、稲垣さんを信頼し、次の活動を待ち受けているように見えた。リラックスした、前向きな雰囲気が教室に溢れていて、その中心に稲垣さんがいるという感じになっていた。
この変身の原因は何なのだろうか。それは稲垣さん自身が、新たな教師に変身する苦しみを乗り越えた結果ではないかと思う。単に指導技術の向上では語れない。教科や生徒との関係の変化を含めて自身の教師のあり様に自信を持ってきたからだろう。もちろん、メンターのアドバイスはその引き金になったかもしれない。だが、結局は稲垣さんがアドバイスに納得し、自分の工夫も加えて教え方や生徒への対応を変え、それが良い効果を生んだと確信した時にはじめて自信となる。しかも、効果が連続して蓄積され、自信が一定のレベルに到達して始めて、変身が生まれるのではないだろうか。その間、稲垣さん自身には、リサーチの結果や全体像が見えないし、試みも全てが成功するわけではない。厭でも自分の英語力や創造力や指導力の不足を感じ、不安要素に苦しめられることになる。
実際、稲垣さんから週1回送られてくるメールにも、初回の授業観察と2回目の間には、戸惑いや不安を訴えるものがいくつかあった。私のアドバイスが、稲垣さんには過度の要求となっているのではないかと不安に思ったこともあった。こちらで「支援」しているつもりが、受け手には「拷問」となることは過去にも経験しているからである。確かにチャレンジは苦しみを伴う。しかし、乗り越えられないチャレンジを求めたとしたら、それはメンターとして失格であ る。その意味ではメンターは注意深く、メンテイーを観察しなければならない。しかし、接触の機会も時間も限られている中では、一抹の不安を抱きながらも、 「進んでいる方向は正しい。成果を急ぐことはない。できることからやってゆけばよいのだから」と言い続けるしかなかったし、それで良かったと思っている。
■稲垣さんからのメールの変化
では具体的にはどのように変化したのだろうか。一回目の授業観察後のメールには、稲垣さんが授業に不安や戸惑いを感じていることが読みとれた。例えば、
6/5 (金) Unit 2 Dialog (第4文型の導入)
Show, teach, give, buy などを用いたshort story を聞かせ、その中で「動詞+人+もの」の語順に気付かせようとした。気付いた生徒は4分の1、内容は聞きとれたが、語順には気付かなかったのが2分の1、内容すら理解できずに諦めて寝ていたのが4分の1であった。
ペアワークは会話形式での活動が思いつかなかったので、片方が言った文をリピートするという活動にした。黒板に示されたモデル文を読んでいる生徒が多く、自己表現には至らなかった。今回も、教師の後に続いて読むのは一生懸命取り組んでくれた。時間割の関係(体育の授業の直後)か全体的にだらけている印象の強い授業であった。そんな生徒たちをやる気にさせるような授業ができるようにならなければならないと思った。」
これは初回の授業観察の後で、私が「文法の導入もできるだけまとまりのある談話で行い、そこからルールを生徒に発見させ、それをペアでの対話につなげて、自己表現の文章を書かせるように」というアドバイスを忠実に実行して、short story を稲垣さんが創作し、そこから文型を生徒に発見させ自己表現に結び付くように指導したが上手くいかなかったという反省である。稲垣さんが私のアドバイスに戸惑っている姿が見える。しかし、メンターとしては、上の授業の「失敗」は稲垣さんの「やる気」を示すもので、たまたまスムーズな授業ができなかったということに過ぎず、リサーチ全体からみればnice try なのだ。だから私のコメントは、「物語を考えて、よくトライしたね。文型に気付かない生徒が多いのは当たりまえ。気付いた生徒が4分1いただけで十分だ。 ただ、物語の内容を生徒がもっと理解できるように、絵や道具を使ってみたらどうだろう?」というもので、「方向は正しいのだから、できることから進めよう」という励ましであった。「変身」のための苦しみは本人が乗り越えるより方法がない。時間とさらなる挑戦がそれを解決してくれる。事実、稲垣さんの第3 回目の授業観察の直前の授業の振り返りでは、以下のように変わっている。
9/10 Multi Plus 1 わたしの夢
書いて表現する時間を沢山取りたかったので、Reading の部分の本文は英語で簡単に導入し、内容をある程度理解させた後で、新出単語の意味を確認した。音読はモデルリーデイング、コーラスリーデイング、日本語 を聞いて英語に直す活動をした。その後、自己表現活動のために、I want to… I want to be ….の文にさまざまなフレーズを入れる練習をしたが、例が多すぎて間延びしてしまった。最後に自分の夢について自己表現する活動をした。わからないところは日本語を使ってもよい、実際に夢がまだ決まっていなければフィクションでよいというルールを設定した。ウルトラマンになりたい、総理大臣になりたい、など面白い内容も多く見られた。ミスを恐れず、のびのび書くようになってきた印象を受けた。」
6月のメールと比較してみれば分かるように、授業のゴールを設定してそれに合わせて時間配分や活動を考え、教師の判断で活動のルールを設定し、生徒の自己表現を励ましている。簡単に言えば、教師の主体性が生まれてきているのだ。こうした姿勢は生徒にも影響し、教師への信頼感が増しているようだ。そして第3回目の授業観察の日が来た。
■第3回目の授業観察
9月11日(金)Let’s Read 1のA Magic Box が題材で、4頁に渡る物語の概要を一気に理解させることを目標にした授業だった。授業の流れは以下のようだった。
1) Greeting
教師主導で型通りの挨拶を手短に済ませた後、本時の到達目標は物語の概要の聞き取りだから、細部は聞きとれなくともよい、話の流れに注意するように日本語で指示した。
2) Oral Introduction
稲垣さんは物語の全体、すなわち、教科書の前半と後半を同時に導入活動で扱っているが、説明の簡略化のために教科書の前半の英文だけを示すと次のようである。
A man and his wife are working on their farm. An old woman calls to them.
Old woman: Excuse me, but could you give me some water? I’m very thirsty.
Man: Here’s some water. Please drink this.
Old woman: Oh, thank you very much. I’m hungry, too.
Wife: All right. You can eat my lunch. Here you are.
Old woman: Thank you very much. This is very good.
The old woman finishes lunch, and looks very happy.
稲垣さんはPicture cards を用い、教科書にない英文を付け加えたり、質問したり、絵の関連する部分を指差したり、せりふを繰り返したり、ジェスチャーを加えてOral Introduction をしたが、その概略を示す。
Look at this picture card. Here is a man. And this is his wife. A man and his wife.
What are they doing? Yes, they are working on their farm.( 農場の全体を指して)A man and his wife are working on their farm. Look at this. An old woman. She comes and speaks to the man and his wife. An old woman calls to them. She says, “Excuse me, will you give me some water, please? Could you give me some water? I’m very thirsty.(喉に触って乾いていることを示す) (男を指して) Man says, “All right. Here’s some water. I have some water here. Please drink this” (ビンを手渡すしぐさ) Then, the old woman says, “Oh, thank you very much. (飲むしぐさ) Oh, this water is very good. And I’m hungry, too. (腹が減っているしぐさ)”Then, the wife says(絵を示す) “Are you hungry? All right. Here you are! (手渡すしぐさ) You can eat my lunch. Please eat my lunch.” The old woman says, “Thank you very much. (取って食べるしぐさ)This lunch is very good. Yam, yam, yam.” (食べ終わるしぐさ)The old woman finishes lunch. She looks very happy! Look at her face. She looks very happy.
(稲垣さんが書いてある全てをこの通りに話し、行動したわけではない。ただ、全体を通してみると、このようなinteraction が意図されていた。これは前半だが、以後も同じような方法で物語の後半部分も扱い、全体の概略を理解させた)
3) Comprehension Check
(i) 物語の流れに沿って、ワークシートのreading points に答える。日本語での解答も可。教師は生徒の求めに応じて、物語の一部を再度英語で話してやる。
(ii) 教科書のテープを通して聞いて、答えを含む英文が出てきたら手を挙げさせる。
例:What does the old woman want?
She says “This is very good.” What is this?
答えを日本語に直して、理解度を確認している。最後に生徒の解答を確認し、正答率を調査した。ほぼ全員が正解をしていた。宿題を提示して授業は終了。
■授業観察後のメンタリング
メンタリングでは、「今日の授業はどうだった?」と質問することから始めるのだが、その細部を再現すると手数なので、合意した点を箇条書きする。
*全体的な教室のムードはとても良く、教師と生徒間の信頼関係ができている。それは、教師の「一緒にがんばろうね」という気持ちが前面に出ていたことと、授業の目標が明確だったからで、生徒は何を求められているかが理解でき、喜んで活動していた。
*活動が盛り沢山だからgreeting の時間が短いのは仕方がないが、教師のHow are you? にhungry, sleepy と答えている生徒が数名いた。それを利用して、hungry, thirsty, happy など物語に出てくる単語の復習をTPRですれば、Oral Introがより身近になった。
*授業の主要な活動(Oral Introduction のListening)では、15分程度は教師の話す英語だけだったが、生徒は熱心に集中して聞いていた。稲垣さんの英語が聞きやすかったし、絵や身ぶりの利用が理由として上げられる。さらに英語を話すスキルを伸ばして欲しい。
*聞き取りの事前活動にもう少し工夫ができなかったか。このreading 教材のポイントはthree wishes にあるのだから、まず教師が、例えば、
I have three wishes. My first wish is to become a good English teacher. My second wish is to have a handsome boyfriend. The third wish is my secret. What is it? Please guess.
生徒に勝手に日本語で言わせたあとで、 All right. My third is a secret. Now, tell me your wishes. などの活動から入り、wish になじみを持たせてらOral Intro に入ったほうがもっとよかった。
*理解確認シートの正解率が高かったことを見ると、生徒は稲垣さんの英語を良く理解していたことが分か る。これまでの稲垣さんの努力の成果が現れている。ただ、Reading の教材だからといって内容理解に留まらず、最終的には「読んで何を感じたか」という自己表現に結び付く活動を念頭に置いたほうがよい。そのためには、先に説明したように教師がMy wishes を話すなどの工夫が有効だろう。
*今回の授業観察で変身したのは稲垣さんばかりではない。クラス全体が大きく変わっていた。その点に関して稲垣さんの感想を聞いてみよう。
■稲垣さんの感想
授業改善が進むにつれて、授業に取り組む生徒の姿勢に3つの大きな変化が見られるようになりました。
1つめは、生徒自身が英語での会話を楽しむようになったことです。これまでは私の英語使用量の少なさが生徒にも連鎖していたようで、私が英語を使おうと意識すればするほど生徒も英語を使うようになりました。例えば、自由に歩き回ってペアを作りインタビューする活動では、Excuse me. やWhat’s your name? など知っている表現をどんどん使って会話をしていました。私からはそのような指示を出していなかったのでとても驚きました。
2つめは、私が英語で話すときにはより集中して耳を傾けるようになったことです。私が話す英語を少しでも理解しようと意欲的でした。聞き取れた内容を日本語で発言する生徒が増えました。さらに、私がThat’s right. やGood. などと反応すると、聞き取れたことをとても喜んでいました。
3つめは、ワークシート(英語で表現する課題)などへの取り組みが意欲的になったことです。自分の英語に自信がなかったり意欲がなかったりで、配られた時点で諦めてしまい手をつけない生徒も数名いました。それが授業改善の後半にさしかかってくると、私や友人に助けを求めながらも手をつけてみるようになりました。もちろん、正確な英語を書く力がうんと伸びたわけではありませんが、 「間違ってもいいからやってみるか」という気持ちが芽生えてきたようでした。一方、もともと表現することが好きだったり得意だったりした生徒は、辞書を活用しながら自分の身の回りのことをより深く正確に表現しようとするようになりました。
また、授業外でも生徒に変化が現れました。授業前の休み時間には、「先生、家で教科書の本文覚えたよ。」とか「先生、○○って英語で何て言うの?」、さらには「先生、ノートの自己表現のところ、わからなかったから日本語にしてあるんだ。あとで英語教えてくれる?」などと話しかけてくるようになりました。今までは、「あぁ、また英語かぁ…」とけだるそうな雰囲気だったクラスが生き生きとし始めました。生徒たちのこの気持ちを大切にしたいと強く思い、休み時間も教室にいてたくさんの時間を生徒と過ごしました。
半年という短い期間では、英語で文を作り表現する力を飛躍的に伸ばすことは難しかったのですが、「書いてみよう」という気持ちや「とりあえずやってみよう」という気持ちが生徒に生まれたことは大きな喜びでした。このような変化は7月に入ってから顕著に表れてきました。生徒の成長を目の当たりにすることが増えてくると、自分のやっていることは間違いではないのだと確信が生まれてきました。これらの授業を佐野先生にメールで報告し、そのたびにクラスの状況を踏まえてアドバイスをいただきました。授業がうまくいったときや生徒の成長がわかったときは、早く報告したくてたまりませんでした。そして自分を導いてくれる先生のアドバイスは大きな支えとなっていました。佐野先生を信じ、この研究を乗り越えるときっと自分の中で何かが変わる気がする。そう思ってひ たすらチャレンジし続けました。
■私の振り返り
「Oral Introduction で全文を理解させては、reading の活動自体が無意味になるのではないか?」という疑問を持たれた人もおられるだろう。その疑問は当然で、その意味では私がメンタリングの中で説明した My three wishes から入る事前指導で留め、後は直接物語を読ませるのが正当なReading for Communication の指導である。しかし、
L2 Reading Proficiency=L1 Reading Proficiency + L2 Linguistic Competence
という発想からすれば、「英語力を伸ばすことを意図したReading for Language Learning」 も必要で、これを実践するにはOral Intro やListening で概要を聞きとらせ、その後comprehensionためのreading 活動をし、音読練習やQ and A で理解の定着と英語力の向上を図ることになる。私は生徒の英語力が乏しい内は、この発想のほうが適切ではないかと思っている。クラスにもよるが、Top-down のReading for Communication は生徒が英語の音声の流れに沿って和訳せずに理解できる素地ができてからでよいと考える。従って、稲垣さんのクラスの場合は、この方式でよかったと思う。 そのことは、次の時間以降の教科書の指導が仮説2の設定通りに実施され、成功していると報告がきていることからも分かる。この段階で、仮説1、仮説2とも クリアしたと考えた。
ここまでの稲垣さんのARを振り返り感じることは、メンターはメンテイーの実態に応じて細かな変更をすることは必要だが、既定のリサーチ・クエス チョンに照らして正しい方向に進んでいると信じる限り、変身に伴う苦しみには、ねばり強くチャレンジし続けることを励ますしかないということである。教えてやれることは教えればよい。でも、教師の内面はあくまでも本人のものなのだから。
(配信日 2011/03/15)