2.10. まとめの段階-その2

AR支援ネットワーク通信 (18) 「 まとめの段階-その2」 横浜国立大学名誉教授 佐野正之

■はじめに

ARS@MUの研修会でメンバーから出された質問に対する回答の第2回目です。

[質問―3] 苦労して立てた仮説なのですが、実際にやってみると、これが本当に一番よかったかどうか自信がもてません。別の方法があったかもしれないからです。

<回答>

仮説が良かったかどうかは、当初考えていた問題の解決にどれだけ成功したかで決まるのですから、少しでも問題の解決に近づいていたら、「良い仮説」の可能性が大です。ただ、それが一番よかったかとなると、誰も断定できません。丁度、結婚後に「これが一番幸せな結婚だったのだろうか」と悩むようなものですから。悩むよりは、現状を認めた上で、「さらに幸せになるにはどうすればよいだろう」と、今後の方向を探ることが利口な方法です。では、その際に何を考えればよいのでしょうか。

まず、実践を振り返り、「どこまででき、どこが足りないか」という分析をします。その際に、自分の思い込みだけでなく、生徒の意見を聞くことが大切です。自分が失敗だと思っても、生徒は別の捕らえ方をしていることがあるからです。また、仲間と素直に意見交換していろいろな発想に触れ、思い込みから自由になり現状を見直すことです。

さらに、忘れてはならないことは、専門的な知識を得る努力をすることです。雑誌論文を読むだけでも、仮説の成功率は高まります。丁度、医師は問診や心電図で病気の原因を探り処方を立てますが、基礎には医学の知識があるのと同じです。教師も、英語教育や生徒理解の知識が必要で、それが豊かで深いほど、診断も処方も正確になるからです。

ただ、困ったことに、授業の場合は病気の場合以上に多様な要因が絡んでいる上に、心電図のような原因を探る方法も確立していません。また、教師個人では手に負えない地域や学校の教育環境などが授業を妨害することもあります。ということは、教師がどんなに緻密な仮説を立てても上手くいかない場合もあるということです。ですから、「この仮説ならどこで、誰がやっても、絶対に誤りがない」と言い切れる仮説は不可能なのです。

結局のところ、生徒の実態をできるだけ正確に把握し、関連する知識や技法を身につけ、また、生徒と協働して問題解決に向かう姿勢をもつことが必要です。それでもまだ、不安が残るかもしれません。よい意味の不安は常に心に隠し持ちながら、生徒の可能性を信じて前進し続ける教師を生徒は期待しているのです。大空に飛び出すギリシャ神話のイカロスのように、「勇気ひとつを道連れに」進んでこそ、プロの教師です。

[質問―4] 報告書をまとめる段階になって、事前調査をしていないことに気付きました。事後調査と対応させる資料がないのですが、どうすればよいでしょうか。

<回答>

扱う問題によって対応は異なりますが、英語力に関するものであれば、直接比較する資料がない場合は、調査開始時期に近いころに実施した中間や期末テストの結果を参考にすることができます。この場合は、テストの平均点や成績の分布状況を示し、現在の様子と比較します。平均点そのものは、テスト内容が異なるので直接比較の対象にすることはできませんが、他クラスの成績と比較したり、教師の期待値から判断して、資料の一部として使用することができます。また、成績の分布の状況の変化から、たとえば、山が2つだった成績が正規分布に近づいたなら、能力差が狭まり、成績がまとまりを見せてきたことを示す資料になります。

もし、具体的な生徒の作品(英作文)などが残っていれば、同じテーマの作文を書かせ、個々の生徒に両方を比較して、自分の書く力の変化を振り返り、それが生じた理由も書いてもらうこともできます。こうした資料がない場合でも、「自分の1学期末の英語学習や英語力を振り返り、変化について書いてください」というような形で資料を集めます。

さらに、教える立場から開始前に苦労した点を具体的に書いて(できれば生徒とのやりとりの言葉なども示し)、それが改善後にはどのように変化したか、授業案なども示して教え方や生徒との関わり方の変化を示し、資料の一部とすることができます。

ARは授業や人間関係がどのような要因で変化したのかを明らかにすることがねらいなのですから、その視点から役立つものであれば、何を利用しても許されるのです。

[質問―5] 調査開始時に意図した結果が出ないで、リサーチに失敗しました。失敗したリサーチの結果を報告する意味はあるのでしょうか。

<回答>

意味は大いにあります。ARの目的は、生徒の英語力の向上だけではなく、教師が教室で起きていることに目を向け、自分の授業力の不足している点を発見し、認識を深めることにもあるのです。意図した向上が見られなかったなら、自分は正しく問題を認識していたか、事前調査が十分だったか、仮説の設定に誤りがなかったか、実施の方法が適切だったか、結果の収集が妥当だったか、いろいろな視点から分析し、教師としての力量を省察する絶好の機会です。生徒の成績の向上は見られなくとも、教師の認識に成長があれば、これもまた、アクション・リサーチの立派な成果です。堂々と発表できる報告です。

また、教師の認識の変化をまとめるときには、自分の英語の言語観や、学習観、また、指導観の変化という3側面から分析すると分かりやすくまとまります。たとえば、英語=文法+単語と考えていたのが、意味を伝達するコミュニケーションの手段だと認識すれば、英語観の変化です。また、単語や文法の暗記が学習だと考えていたのが、教え込むより、実際に使用することで身につけてゆくという認識が生まれてくれば、学習観の大きな変化です。さらに、教師の仕事は覚えこませることではなく、興味のある活動を用意し学びを支援することだという認識が生まれてきたとしたら、それは指導観の転換です。このような転換は、授業がスムーズに進まず、苦労しながら人間関係や授業改善を図ろうとする時にこそ、生まれてくるのです。ですから、成果の出ないARこそ、教師の成長の機会なのです。アクション・リサーチの忘れてはならない一面です。

(配信日 2009/03/15)