「小学校外国語活動 (1) 校内研修のむずかしさ」
横浜国立大学名誉教授 佐野正之
■はじめに
この「通信」のねらいは、藤沢市のある小学校で、私が外部講師として招かれて実施している外国語活動の校内研修の考え方や、スケジュールの具体例を紹介し、同じ悩みを抱えている人達に役立つ情報を提供することです。外国語活動については、地域や学校によって問題はさまざまです。たとえば、これまでの英語活動を外国語活動にどう生かすかとか、外国人講師依存からの脱皮が課題という学校もあるでしょう。この小学校の場合は、市街地にある中規模校なのですが、これまで英語活動はたった1人の担任がクラスでひっそり実践してきたという実績しかありません。と言うことは、この学校の先生たちは、英語活動の指導どころか、授業観察の機会もほとんど持たないまま、2年後の外国語活動の必修化を迎えようとしていたのです。ですから、ここでの研修課題は、英語を扱うことに不慣れで不安を強く感じている学級担任たちに、外国語活動の意義を理解し、なんとか自力で授業を進める意欲と能力を持ってもらうことです。本来なら、「外国語活動とアクション・リサーチ」というテーマを掲げたいところですが、授業力が乏しい現状では、アクション・リサーチに取り掛かるのは、まだ、先の話しです。
■これまでの経過
藤沢市は、英語活動に関してはユニークな存在かもしれません。猫の目のように変わる文科省の方針に対する不信感が根強く、「小学校では英語を扱うべきではない」というムードが支配的で、組織的な取り組みはなされてこなかったのです。もちろん、市の教育委員会は、英語活動部会を立ち上げたり研修会を開催したりして普及に努めてきました。その成果で、英語活動への取り組みも散見されるようになりました。しかし、それは少数の教師の個人的な試みに留まっていて、学校全体での取り組みは、一校もなかったのです。
ここで紹介する学校も3年前から市の研究発表を引き受け準備を重ねてきました。しかし、当初は英語活動は発表に含まれていませんでした。ところが、外国語活動の必修化を受けて、急遽、公開授業に含めることになったのです。そこで市の英語活動部会の講師をしていた私に、校内研修の講師が回ってきました。さっそく昨秋から校内研修を始め、全員での研修会を1回、5年生の学級担任への実習を1回実施しました。しかし、今春に大幅な人事異動があり、約1/3の教員が変わりました。そこで、研修は最初からの再スタートとなったのですが、その様子を昨年度分も合わせて整理し、報告することにします。
「通信」大きく2部に分かれます。第一部は、校内研修の難しさと、指導要領の解釈など、研修をめぐる私の問題意識の解説です。第二部は、月1回で実施した校内研修のねらいや活動をシナリオ風にして報告します。今回は、校内研修のむずかしさがテーマです。
■校内研修のむずかしさ
もともと英語には直接関係のないはずの小学校の先生に、外国語活動とはいえ授業で英語を扱うことを求めるのですから、本来は手厚い再教育が必要なはずです。実際に外国の例を見ると、スペインのバスク地方では、担当する教師は半年間勤務校を離れ、大学で英語や指導法の研修を受け、その後学校で授業をしながら個人指導を定期的に受けるという手厚い指導を受けています(Roberts:253-75)。また、台湾では英語が得意な人を募集し、その人達に1年間の教員養成の訓練を与えてから採用しました。韓国では、52,000名の英語を教える小学校教員全員に120時間の課外授業を施しました。それに比較すると、日本の研修制度はお粗末です。文部科学省が県の指導主事に、県は学校から推薦されてくる中核教員に、中核教員はそれぞれの学校で一般の教員に、校内研修や研究授業を実施して上からの情報を下に流す方式で普及を図っています(『研修ガイドブック』:13)。これは日本の学校教育のお家芸ともいうべき方式ですが、外国語活動にそのまま当てはめるには、いろいろな問題点があります。
(1) 中核教員の負担が過重になる。大部分の中核教員は、独力で外国語活動の授業をすることにさえ不安を感じている学級担任です。当然、英語力に自信がなく、まして、外国語活動に反対している同僚に活動の意義を説いたり、指導法を説明できるわけがありません。逆に英語活動を熱心に行ってきたベテラン教師は、英語力や指導法に自信はあっても、今度は一般教員との認識に隔たりがありすぎて、反発を買い説得は不可能でしょう。
文部科学省もその点は気付いていて、研修への校長や教頭の積極的な関りの必要性を強調しています。しかし、校長とて、外国語活動の知識や技量が優れているわけではありません。ですから、管理的な姿勢で臨むより方法がありません。しかし、外国語活動そのものに強い不安を抱えている教師集団に、強圧的な姿勢が効果的に作用するかは疑問です。一応は納得した姿勢は見せても、反感は一層募るばかりでしょう。
では、こうした課題に対応するにはどうすればよいのでしょうか。まず、研修計画者は自分が県の教育委員会で教えられたとおりを同僚に押し付けるのではなく、学んできたことを校内研修では紹介すると同時に、「いろいろな考え方があり、やり方があるのだから、この学校なりの方式を協力して作り出してゆきましょう」という姿勢で臨むべきです。校長や教頭も、こうした協働的な研修体制を支援することが大切です。
(2) モデルがない。「この学校なりの方式を!」と言っても、外国語活動の場合には、他教科にない難しさがあります。たとえば、算数ならどの先生も算数を児童として学んだ経験があり、それなりに授業の「理想像」を持っています。それを交換することで、相互に発見があり、振り返りができ、進歩が生まれる可能性が高まります。ところが英語活動の場合、体験した教師はおりません。せいぜい小学生のころに通った英語塾とか、あるいは、中学校での英語授業がもっとも類似した体験でしょう。ですから、一般の教師は外国語活動に対する最初の反応は、「中学校の英語授業の前だおし」と捕らえてしまうのです。
これでは、外国語活動の精神が生きてはきません。では、どうすればよいのでしょうか。
この点は詳しくは次回から説明しますが、「児童が楽しめる外国語活動」をしなければならないのですから、教師が自信を持って授業ができることを助ける校内研修でなければなりません。当然、外国語活動に用いる活動の説明や練習が必要ですが、それをどの程度自分の授業で使用するかは、個々の教師の判断に任されることが必要です。個々の教師が目標とするレベルを自分で選択できることが大切なのです。
(3) 『英語ノート』や『指導資料』が重荷になりかねない。
文部科学省では、『英語ノート』はこれまでの英語活動の成果をまとめたもので、CDも教材も付いているのだから、そのまま授業に使えるし、そうすることで英語活動の精神に沿った授業が展開できるはずだと主張しています。確かに、『英語ノート』には工夫された活動が沢山あり、上手に使うことができれば重宝です。しかし、不慣れな学級担任が教室でそのまま使用しようとすると、挫折しかねません。よく聞かれる感想としては、
*活動のさせ方が分からない。児童の動きが見えてこない。
*ただ楽しければよいのか。なぜこの活動をさせるのか意味が分からない。
*児童が書かれてある通りに反応してくれないので困る。
*一つの活動から次ぎの活動に移るタイミングや流れが上手くできない。
*使用されている英語が多くてたじろぐ。
*じっくりと教案を読んで、計画を頭に入れる時間がない。
*せっかく苦労してやっても、児童がしらけて盛り上がらない。
*塾で勉強している子ができない子を馬鹿にしたり、教師のミスを笑ったりする。
結局、classroom management の問題と、外国語活動の指導力の不足が英語力の不安に裏打ちされて、強く意識されるのです。どうすればよいでしょうか。
やはり、英語での挨拶、歌、チャント、ゲーム、リスニング活動、対話など、外国語活動の定番の活動は、その教育的意義を理解すると同時に、具体的な活動を体験し、また、模擬授業で指導の留意点などを習得することが第一歩です。ですから、校内研修の重要な部分は、授業全体の流れを知ると同時に、個々の活動を体験し、また、同僚を児童に見立てて練習することで、指導のhow to を習得することです。
■まとめ
この稿では、校内研修の計画で配慮しなければならない点を述べました。まとめて言えば、必要な知識や技量を体験的に学ぶことは必要だが、それをどの程度、どのように授業に生かすかは個々の教師の判断に任せることによって、教師の主体性を確保した研修にしなければならないということです。次回は指導要領の求める外国語活動の目標を説明し、その後、校内研修の具体的な姿を提示します。しばらくは、ご辛抱ください。
(配信日 2009/06/15)