1.1. 授業とリサーチ

☆AR支援ネットワーク通信(1)「授業とリサーチ」 横浜国立大学名誉教授 佐野正之

■はじめに

皆さん、今日は。この度は、AR支援ネットワークに参加いただきありがとうございます。「ネットワーク通信」を始めるに当たり、いくつかお断りしておくことがあります。まず、この通信で流す内容は、アクション・リサーチを支援してきた経験から私が大切だと思うことを説明するだけのことであって、それがそのまま、皆さんの置かれた状況で作用するかどうかは分かりません。すなわち、私が自信たっぷりに断言しても、それを鵜呑みにせず、自分の状況に置き換え判断していただかなければならないということです。皆さんの判断があってはじめて、私の説明は意味を持ってくるのです。

第2点は、私の主張が学会の主流を占める理論や、文部科学省の説明と矛盾することがあるだろうということです。と言っても、私は学会や文部科学省に恨みがあるわけではありません。ただ、学問的真実を追求する研究者の立場や、政治状況にも配慮しなければならない文部行政の立場と、いきいきとした教育実践に取り組む方策を追求するアクション・リサーチとでは、おのずと立場が異なり、見方が違ってきます。その結果、批判的な論を展開することもあります。この点もまた、ご自分の教育観から判断してください。この通信は、私からの皆さんへの問いかけであり、対話の糸口にすぎないのですから。

■なぜ、ARなのか

それにしても、なぜ、私は「研修にアクション・リサーチを!」とこだわるのでしょうか。実は、私は「アクション・リサーチ」にこだわってはいません。ポートフォリオでの振り返りでも、発想を大切にする授業研究でも同じ意味があると思っています。私がこだわるのは、「教師の主体性」なのです。授業の問題を自分の責任として捕らえ、解決しようと自主的に努力するのでなければ、また、英語の知識や技能だけでなく、生徒の人としての成長にも関わろうとする教師でなければ、「プロの教師」とはいえないと私は思うのです。極端に言えば、授業の責任が取れなければ、一人前の教師ではないのです。ということは、そのための教員研修は、自分が選んだ問題の解決を探ることを中心にすべきです。「リサーチのownership」が確保されない研修は、教師の育成には欠けた部分があるのです。

この点で参考になるのは、「つくば研修」です。全国から優秀な教員を集め、「つくばプリズン」と呼ばれるほど集中した合宿研修を、きら星のような講師陣をそろえて実施したことで有名です。皆さんの中にも、参加された方が居られるでしょう。研修の終了時には、はちきれそうな情報と改革の情熱に燃えて現場に戻られたと思います。だが、この思いは、実際に日本の英語教育を変えたでしょうか。確かに、各地で英語教育のリーダーとして活躍されている方は多くおられます。しかし、その人たちの言動に、「つくば研修」で得たことがどれほど生きているでしょうか。皮肉な見方かもしれませんが、実は、それほど生きはいないのではないかと私は思います。理由は、研修で与えられた情報やテクニークは、受講者にとっては外から与えられたものであり、当然、よほどの偶然が作用しない限り、「リサーチのownership」が持てなかったからです。「自分の問題意識」に基づかないかぎり、情報も情熱も、現実の壁に囲まれるとくすぶりながらも消えてしまうのです。

■県レベルでは何ができるか

もし、それが本当なら、もっと劣悪な条件で実施しなければならない県レベルの初任者研修や10年次研修はどうすればよいのでしょうか。「法律だから仕方がない」と、成果を検証もせずに同じ計画で進めてよいのでしょうか。確かに、時間も集中度も講師も、「つくば研修」とは比較になりません。しかし、県レベルの研修は、「つくば研修」にはない長所を持っています。それは、「授業しながらの研修」だということです。具体的には、自分の授業の改善を目指して、問題を発見し、自分なりの対策で解決を目指し、それを実際に教室で試すことで、「リサーチのownership」が持ちやすいのです。この長所を生かさなければ大きな損失です。さらに、「授業しながらの研修」だからこそできる訓練があります。それは、「授業をするには、リサーチが欠かせない」という意識を徹底することです。

「授業しながら、リサーチなんて!」と思われるかもしれません。校務と授業で精一杯なのに、その上、研究者がやる「科学的リサーチ」などできるわけがありません。ただ、「リサーチ」という言葉は、もっと広い意味でも使われていて、たとえば、Stern(1983)

は「(原因や結果を考えながら)ものごとを論理的に追求する作業」と定義しています。この意味からすれば、「今日は成功だ!」「生徒が乗らず失敗だ!」と無責任な評価を繰り返す教師は、リサーチをしているとは言えません。逆に、「今日のリスニングはうまくいかなかった。導入が間違っていたのか?明日は、そこを変えて、もう少し発音練習にも時間を掛けてみよう」と考える教師がいたとすれば、それは授業をしながら、リサーチをしているのです。

■まとめると

アクション・リサーチの「リサーチ」は、科学的なリサーチではなく、「結果と原因を考えながら、論理的に問題を追及する」という意味でのリサーチです。計画を立てて授業を実施し、指導中に、また事後に振り返り、反省を次に生かすことができれば、ARで一番重要な部分を行っていることになります。だから、「授業をすることは、リサーチすることだ」と断言してもよいのです。特に、初任者研修ではこの認識を強調することが大切ですし、10年次研修では、体験を振り返り、問題を分析して、解決方法を共同で探ることでこの認識を再確認することが必要でしょう。

次回の通信では、この2つの研修の特徴とそこでのアクション・リサーチの進め方を説明することにします。その後、松山大学で私が実施しているゼミの様子を来年の1月まで回を追ってお知らせしますので、ARについて理解と同時に、教員研修にどう生かすかを考えて欲しいと思います。そして、「研修のAR」ができる主事になって欲しいと思います。皆さんからの質問やご意見をお待ちしています。

(配信日 2008/07/01)