小学校外国語活動 (15) 「校内研修 第10回目:授業の評価 Part 2」
横浜国立大学 名誉教授 佐野正之
■はじめに
前回の評価についての通信は、それなりに興味を持ってくださる方がおり、いろいろなコメントをいただいた。中でも、「書かれている内容は理解でき賛成だが、具体的に教室でどうしたらよいのか、教案には評価規準をどう書いたら分からない」というたぐいの質問が多かった。幸い、外国語活動に熱心に取り組んでおられる市の指導主事から、まとまった形でメールでコメントを寄せていただいているので、まず、その内容を紹介し、その後、私がその指導主事あてに書いたメールを紹介したい。ただし、個人が特定できると差し障りが出てくると悪いので、その箇所は削除している。
■指導主事からのメール
前略
今回の授業の評価についての「通信」は大変興味深く読ませていただきました。私も2学期は小学校の授業研に行く機会が多く,その都度,拙いながらも伝えてきた同じ内容がこの「通信」にたくさん書かれており,おおいに同感,納得しました。また,新たな気付きも多くいただきました。
本市での外国語活動は,以前からの取り組んできたこともあり、学校間の差はまだありますが,授業を見ているとレベルが上がったと実感させられることが多くなり,うれしく思っています。しかし、細かく見ると課題もあります。その多くは、授業後の協議会で先生がたと話をしていている中で出てくるこのなのですが,先生が書かれている外国語活動のポイントは頭では理解しているのですが、本当に身についていないのではないかと感じる部分がありまます。別の言い方をすれば、大切だと思うからこそ、悩んでしまうということで、それらの多くは,表裏の関係にあると感じています。いくつか思いつくままを書いてみると次ぎのようになります。
(1) 外国語活動では,特に「見取り」大切である。
⇔ 自分がしている「見取り」の内容,方法が適切であるかどうか不安。
(2) 評価した内容は次の指導に生かされるべきである。
⇔ 授業改善のための,「資料収集」の具体的方法がわからない。
(3) 小学校外国語活動と中学校外国語科の目標は似ているが,異なるものである。
⇔ 「体験的に」理解することと「理解する」ことの違いは実感できない。
評価規準に「~できる」と書くことは外国語活動の目標にはそぐわないと
言われるが,「~できる」としないで,どう見取りをすればいいのか。
(4) 聞きなれた表現等を使ってコミュニケーションを体験させることが必要。
⇔ しっかり「教えて」からでないとコミュニケーションさせることが不安。
「気付く」ことは大切だが,子どもが本当に「気付いた」かどうかをどう見れば
いいのか。
先生たちと話していると上記のようなことに関して、理解はしているのだが、矢印で示したような悩みというか問題も同時に感じることが多いのです。 そのため,言葉や理屈で伝えるよりも「実物」で示すことが大切だと思い,最近は,授業を必ずビデオに収め,5~6つの場面を振り返りながら,上のような問題についての考え方の共有化を図る工夫をしています。今、先日の「通信」で書かれている中で,特に今後の大きな課題だと私が思ったことは次の2点です。
○ 「コミュニケーション能力の素地」の考え方をすり合わせること。あくまでも「外国語を通して」は外さないようにして,週1時間とはいえ,外国語活動の授業をしていることで,クラスの人間関係や個々の児童の自己肯定感等にどのような変容が見られるのかを,見ていくことが必要だと考えます。この「教育的意味」をうまくとらえないと,授業力の高い先生(中学校に比べて小学校には多い)は「教えること」に偏った重点を置いてしまうことになると思います。
○ 副次的な英語力の伸びをどのように見取るかこの点では,先生が指摘なさっている中学校との連携が大切だと思いますが,まだまだ本市でも遅れています。先般,ある指導主事の研修会で,京都府教委が作られている「つないでシート」という小・中の内容的なつながりを示す資料が示されました。各市町でも同様のものを作ってはどうかという話があり,1月いっぱいにはなんとか形にしようと取り組み始めたところです。でき上がったら送りますので、ご意見をいただければうれしいです。
今回の「通信」で、特に今後の外国語活動の内容の充実を図っていくために参考になると思った点は,「目標と3つの視点 の関連」のところを,整理していく必要があると思った点です。ちょうど,これからまた何度か学校での授業研がありますので,この視点で授業の全体像や指導と評価の関係を見直してみたいと思います。現状では,目標の3つの柱に沿って評価規準を立てる「一元的」な方法をとっていますが,3つの視点を加え,「二元的」にすると,見取りも具体的になり,また,授業改善にも生かしやすくなると思います。お示しくださった内容,とても参考になりました。ありがとうございます。
いよいよ,年の瀬。あわただしくお過ごしかとは思いますが,寒い日も続きますので,お体大事になさってください。 素敵な新年をお迎えください。
■佐野からの返信
ご多忙の中を「通信」への返信を送っていただきありがとうございました。人の書いたものにコメントするということは思ったより苦労するもので、お手数をおかけしたことと思います。しかし、書いたほうにとっては、自分の書いたものがどのように捕らえられているのか、果たして意味のあることをしているのだろうかと不安にさせなることがあるのでこうした返信をいただくと、とても嬉しく思います。
指導されている外国語活動 が上手く進行しているということで、嬉しい限りです。そちらの市のように長年外国語活動を実践してこられて所では、先日の「通信」に書いた評価の考え方や方法はどのように見えるものか興味がありました。
先日の内容は私が関っているはじめて外国語活動に取り組んだ藤沢の小学校の先生方を念頭に置いていたので、ひょっとして別の発想で評価を捕らえているのではないかなとも思っていました。基本的には同じだったようで、ということは前回の「通信」に書いたことは多くの学校に当てはまることになり、嬉しく思いました。
藤沢の場合、10月末に市の公開研究授業を行い、参加してくださった主に藤沢市の先生がたに大きな反響を生みそのことで自分も外国語活動に取り組む意欲を持った先生が多かったという意味では大成功でした。しかし、それはあくまでも、「小学校の普通のクラス担任が外国語活動を上手くできるはずがない」という思い込みが強かった地域での成功で、これから授業公開をした先生も含めて、力を伸ばして行かなければならないのが実情です。しかし、私もこの学校にだけ付き合ってゆくわけにもゆきませんので、2月の最初に最後の研修会を行い、この学校での研修は修了します。その後、ここで授業公開をした先生たちの目安になる内容を次回に話してやりたいと思い、それを『評価」という視点でまとめたものです。ですから、前回の「通信」は藤沢での実践を見て、今後への期待を込めて書いたものなのですが、問題意識の多くを共有していただいて嬉しく思いました。
以下、先生が「現場の教師の不安」としてあげておられる点について、私の考えを述べますので、参考になる点があったら、今後の指導に生かしてください。
(1)外国語活動では,特に「見取り」大切である。
⇔ 自分がしている「見取り」の内容,方法が適切であるかどうか不安。
回答:
「見取り」の内容と方法が適切か否かは、結局、授業の目標に合致した「見取り」をしているかということにかかるわけですが、外国語活動の初心者の場合は特に、教室の全体的な雰囲気だけで「評価」しているとこが多く、個々の生徒の実態を把握し、それがどう変化したかを見てはいないことが多いと感じています。前回の「通信」に書いたように、評価は測定が基本にあるのですから、個々の生徒が授業の目標としている基準にどのように反応したかが判断の基本になるはずです。もっと教師の指導力が伸びた段階では、同じ授業目標でも、個々の生徒に応じた期待をもって「見取る」ことができるようになると思います。
「見取り」の「内容」に関していえば、先生も後半に書いておられるように、目標と視点の複合的な見方をすることによってより外国語活動にふさわしい見取りの内容が明らかになると思います。是非、具体的な授業活動に当てはめてみて、その妥当性を検討して、私にも知らせてください。「通信」で書いたことは、いわば「仮説」のようなもので、実際の教室で上手く作用するか否かの検証はできていませんので。一方、「見取り」の『方法」については次ぎの問題と重なるのでそこで述べます。
(2)評価した内容は次の指導に生かされるべきである。
⇔ 授業改善のための,「資料収集」の具体的方法がわからない。
回答:
「資料収集」と言っても、英語や日本の発言を聞くとか、自己評価を聞くとか読むとか活動の観察しかないわけですから、収集の方法はARの場合と同じだと思います。結局、行動の観察、話している言葉(日本語も英語も含めて)の記録、授業の振り返りで話したり、書いたりした自己評価、同じく友達同士の相互評価、教師の振り返り(自分の行動も含めて)、同僚などの観察やコメントなどとなるでしょう。ある程度英語力の伸びた段階なら、自己紹介などの言語活動の録画もあるでしょう。
(3)小学校外国語活動と中学校外国語科の目標は似ているが,異なるものである。
⇔ 「体験的に」理解することと「理解する」ことの違いは実感できない。
評価規準に「~できる」と書くことは外国語活動の目標にはそぐわないと
言われるが,「~できる」としないで,どう見取りをすればいいのか。
回答:
確かに外国語活動で授業目標を、たとえば、「自己紹介ができる」と設定してしまうと、「出来たか。否か」という視点でしか見ないという意味では問題かもしれません。しかし、「自己紹介」の活動が授業の中心トピックだったときには、「誰ができて誰ができないか」と見るのは当然のことです。ですから、Proficiencyに関ることであれば、「できるか否か」でみるより仕方がないわけで、測定としてはそれでよいと思います。
ただ、評価としてみると、目標との関係からは「話したい生徒」と「話そうとしていた生徒」「話そうともしていなかった生徒」と実態を分析することになると思います。ですから、教案に書く評価規準としては「自己紹介をしている」というような表記がふさわしいかもしれません。しかし、実態の把握をする測定としては、「できたか、できないか、話そうとしているか、いなか」で見るより仕方がないと思います。その意味では、というのは測定のレベルでは、中学校と同じように見方になると思います。ですから、「話そうとはしているが、上手くいえない」というような表記になるのではないでしょうか。
「体験的に理解する」ということと「理解する」ということの差は、別の言い方をすれば「自然に覚える」というのと、「理屈で理解する」と言い直してもよいと思います。「自己紹介」を例にすれば、実際にALTや教師や友だちの自己紹介を聞いているうちに、単語や表現は理解し、それでALTの助けをかりながら、会話の中で自己紹介ができるようになり、その次ぎには一人で自己紹介ができるようになれば、「体験的に理解した」ことになるし、一文ずつ暗記させて、それに名前だけ入れ替えてやるような発話による文型練習を多くさせて、それから英文を暗記させれば中学校のような指導になるでしょう。ただ、この両者には中間的な教師の働きかけがいろいろなるので、明確に2分割できない部分もあると思います。もっと単純化していえば、『自己紹介」がトッピックだとして、それをめざしていろいろな活動を与えて、それで自然に覚えて生徒は「体験で理解」したのだからそれでよしとし、それができない生徒に無理やり話させようとしてはいけないと考えればよいと思います。
(4)聞きなれた表現等を使ってコミュニケーションを体験させることが必要。
⇔ しっかり「教えて」からでないとコミュニケーションさせることが不安。
「気付く」ことは大切だが,子どもが本当に「気付いた」かどうかをどう見れば
いいのか。
回答:
この質問も上の質問との重なりが大きいと思います。『気付く」ことが授業の目標なら、「ここに注意して聞いてごらん」というように、気付いて欲しい場所を指定してから活動に入るとよいでしょうし、気付いたかどうか不安なら、「どんなことに気付いた」と質問して、気付きを確かめたらよいと思います。ただ、その時の表現に「この点に気付かなければ駄目よ」という感じを含まないことは大切だとは思います。 気付く子もいるし、気付かない子もいるでしょう。また、いろいろな気つきがあるでしょう。出てくる気づきを正誤に構わず全てを受け入れ、誉め、認めた上で、「先生はこんな風に思ったんだけど・・」という程度は許されるでしょうが、それが唯一の答えであるような扱いをしては、気付きになりません。生徒は「結局先生は答えを知っているんだ」という思いを抱くと、本当の気付きにならないからです。この点など、授業を必ずビデオに収め,5~6つの場面を振り返りながら,考えの共有化を図る工夫をしておられるそうですが、すばらしいことだと思います。受けるほうも納得できるでしょうし、それこそ本当の「気付き」が生まれると思います。
それでは。
(配信日 2010/01/15)