7.3. ARの理解と深化 (講演での気付き:あるいは背負った子に教えられ)

AR支援ネットワーク通信(72) 「私とアクション・リサーチ ARの理解の深化(1998-2000)」

横浜国立大学名誉教授 佐野正之

「ネッ トワーク通信(71)」で紹介したように、『英語教育』(大修館書店)の連載などによってアクション・リサーチは、英語教育の新しい動向に注目している人たちの間で認知されるようになり、学会でも取り上げられるようになった。最初にARを全体講演のテーマに選んでくれた学会は、語学教育研究所の全国大会 (1998/10/24)である。その時の私の講演内容は私が横国で実施したwriting のARについてだったが、授業のビデオもなく、プレゼンの準備も不十分で仕方も下手だったのだろう。大ホールの聴衆の反応は盛り上がりを欠き、自分としては失敗だったと悔やんでいた。ところが、聴衆の中に高知県の高校の先生だった野村真理子氏がいて、ARに興味を持ち高知に持ち帰り、2001年に開催される高知での全英連大会の一つの柱として取り上げられることになったのである。それ以降、彼女は長崎政浩氏と力を合わせて「高知アクション・リサーチの会」を組織し、自主的に学習と実践を始めた。当時はまだ、「アクション・リサーチの会@横浜」も存在しなかったから、自主的なAR研究サークルとして発足したのは高知が最初だろう。この高知の全英連での取り組みが、この後のARの広まりの一つの契機となったのだが、それはもう少し先のことである。むしろ、たびたび高知でARの相談に乗り、また、他の場所でも講演しているうちに、ARについて気付かされることが多かった。それはまるで、付き合い始めたばかりのカップルが、デートの度に相手の長所に気付き、ますます引かれていくプロセスにも似ていた。そうした気付きの一つが「氷山モデル」である。

初心者がARを始めようとすると、まずつまずくのが、「仮説の設定」である。結局、今抱えている英語学習上の問題がどこにあるのかを見つけ出さなければ、仮説が立てられない。問題の所在が「生徒の学習習慣や意欲のレベル」なのか、「言語知識のレベル」なのか、「練習や言語活動のレベル」なのかを見極め(もちろん、相互に関連しあってはいるのだが、主たる要因はどれか)、それを核に仮説を考えようという提案が「氷山モデル」である。実は、このモデルを思いついた場所も時も明確に記憶している。それは高知の教育センターで、Rod Ellis の「統合モデル」を用いて学習の過程を説明している時だった。「統合モデル」というのは、Krashen のInput 仮説と認知心理学の言語学習理論を統合したもので、日本の学校での外国語学習を説明するには一番便利だと私が考えているモデルである。このモデルでは、一番左側にmeaning-focused input とform-focused input があり、それらが学習者のlearning style のフィルターを通過することによって、explicit knowledgeとimplicit knowledgeかのいずれかとして蓄えられ、そのknowledgeがcontrol の操作を経ることによってoutput が生まれるというものである。分かり易くいうと、文法中心なのか、意味を中心なのかという指導法と、学習者の動機や学習方法が関わり、宣言的知識(意識している知識)か手続き化した知識(無意識的に使える知識)として蓄えられ、それがアウトプットのための言語活動(コントロール)によって、いろいろな output が生まれるという説である。その図を黒板全体を使用して書いてからふと気付くと、その横長な図を縦に置き直すと氷山のような3角形になる。しかも都合がよいことには、この図は教師が外から見えるのは水上に浮かんでいるoutput の部分だけなのだが、実は、その下にいろいろな層の問題があることを視覚的に示してくれる。「これは使える!」と思ってそれ以降、受講者に問題の所在を発見させるときにはこのモデルを多用するようになった。

もちろん、正確に言えば、統合モデルは習得のプロセスのモデルであり、学習の階層性を示すものではない。しかし、たとえば「生徒の音読の声が小さい」という問題を考えるときに、目に見える「声の大きさ」だけを見るのではなく、「十分な読みの練習や言語活動を与えていたか」というコントロール・レベルでまず振り返る。もし、それでも解決できないなら、「単語や文法の言語知識を持ち、すなわち読む内容を理解し発音できるか」という言語知識のレベルと、知識の質(宣言的か手続き化か)を振り返り、次には「生徒が音読に対してどのような構えや動機を持っているか」というスタイルのレベルを、そして最終的には生徒がこれまで、あるいは現在受けている英語授業の質を、観察やアンケート、テスト結果、あるいは教師の振り返りなどから探るのである。すると、非常に分かりやすい分析の手法を得ることができる。

気付いたのは「氷山モデル」だけではない。Writing 能力が低いという悩みはどの講習会でも聞かれる問題である。これもwriting ができないなら、機械的な書く練習を沢山させるしかないと考えがちである。しかし、writing のperformance はoutput のレベルの問題だから、まずはcontrol レベルの活動の種類や順序の適切さを考える必要がある。活動の種類に関して言えば母語でのスキル習得の順序を見れば分かるように、聞いて分からないことは話せないし、話せないことは読めないし、読めなければ書けるはずがない。もちろん、外国語学習の場合は、こうした自然のルートだけでは解決しない部分もあるが、基本は同じはずで、書かせる前には読む活動、その前には聞き・話す活動を想定しなければならない。だから書く能力を伸ばすにも、聞く・話す活動や読む活動は不可欠なのだ。この活動の順序性の説明には、「這うことが出来なければ立ち上がれない。立ち上がれなければ歩けない。歩けなければ走れるはずがない」という例を用いた。もちろん、これは意欲や言語知識のレベルはクリアしているのに書けない、すなわち、コントロール・レベルに問題がある場合のことである。知識や意欲のレベルに問題があるなら、その手当が必要なことは説明を要しないだろう。

また、質問を受けることで自分の考えが明確になったこともある。ある講演の後の質疑で、「ARでは仮説をいくつも立てるから、導かれた結論があいまいになる。仮説を一つに絞るべきではないか」という意見が出された。多分、質問者は実験的な調査手法に馴染んだ人だったのだろう。これはARと実験的研究を混同していることはすぐに分かったが、どう説明したら分かってもらえるか戸惑った。しばらく考えた後で、「では、あなたは、『なんとなく体がだるく元気がでない』と訴える患者がいたとして、その人に『それでは、ビタミン剤を飲みなさい』と処方してそれだけで安心ですか。患者の様子を良く聞いて、『十分な睡眠をとりなさい』とか、『食事の栄養のバランスを考えなさい』など、いくつかの対応策を提案するでしょう。ARもそれと同じことで、ビタミン剤の有効性(=仮説の妥当性)を証明するための調査ではなく、患者の健康(=英語力などの増進)を計るための調査ですから、多数の要因が関連しているので、仮説は多くて当然なのです。 仮説証明のための実験的調査とは目的が異なり、仮説の質も違うのです」と説明した。質問者が納得したかどうかは分からないが、自分なりに整理して解答することができたと思った。

当時STEPでは利益還元をねらい全国から300名もの英語教師を集め、経費を負担して2日間の大講習会を開催していた。そうした会の一つ、すなわち、2002/1/6にSTEP 講習会で、「ARで高校英語授業改善」という講演をした。自分に与えられた2時間の大部分の時間を使って高知の野村真理子氏のSpeaking 能力を伸ばすAR、神奈川の小泉玲子氏のReading 能力、特にセンター試験に速読の効果を示すARを本人たちにじかに話してもらった。野村氏の発表からはARの発表にはビデオやCDなどの実践の記録が圧倒的な説得力を持つことを認識したし、小泉氏の発表からは数値的な証拠に基づくプレゼンで参加者が納得することを確認した。この点は講演の主催者が集めたアンケートによっても証明されており、「ビデオを見て、自分でもやってみようと思った」、「授業の目標と評価を生徒と共有することの重要性を知ったので明日から実行したい」などのコメントが多かった。実のところ、野村氏や小泉氏の実践は、彼女らが置かれた状況だから成果を上げることができたという側面があり、用いた手法そのものが一般的に通用するか否かは不明である。しかし、それを見たり聞いたりした参加者が、「これなら自分もできる。やってみよう」と思うほどの説得力を持ったとすれば、それぞれのARとそう感じた人たちとの間に一種の「一般化」が生まれたとも言える。すなわち、ARの「一般化」は論文の結論に示されているのではなく、実践を見たり聞いたりした人の共感の内にあるということである。これに気付いた点でも実りのある会であった。受講者の評判が良かったからだろう。『STEP 情報』(隔月発刊)に2002/5 月から2年間にわたりARの実践を紹介することができた。

『STEP情報』は無料で、しかも、どの中学校や高校にも配布されるので、影響力という点では『英語教育』よりも大きいかもしれない。各県や市町村の教育委員会から講演依頼が殺到するようになった。この詳細は次のPart に譲るとして、そうした地域の一つとして、広島県三次市を上げることができる。始まりは『STEP情報』を読んで、英語科教員の授業力の向上を計りたいと願っていた市の指導主事西田弘栄氏から講演依頼のメールが舞い込み、次年度から毎年3~4回講演に出かけ、それが角濱指導主事に引き継がれ、結局、三次市の英語教員がほぼ全員ARを実践することになった。それは現在でも継続しており、自主的に「ARの会@三次」も作り、自分たちで新人教員のメンターをするまでの力をつけている。その様子は昨年度の全国大会で発表され参会者たちに感銘をあたえた。西田氏によれば、それまで愚痴のこぼし合いの場でしかなかった英語授業研究会が共通の言語と手法を持つことで前向きに授業を語りあう機会となり、学力の向上に結び付いただけでなく、教師のプロ意識も向上したということである。

同じような動きは、神奈川県では1999年から「中核教員養成プログラム」として始まった。選抜された20数名の高校の教諭が、年に4度のゼミと研究授業を継続して、授業力の向上を図るという試みで、その中心はARだった。参加者がそれぞれ自分の授業の問題点を見つけ、改善のための取り組みを年間通して実行し、成果を研究授業で発表し、また、レポートにまとめることであった。このプログラムは、悉皆研修が始まると一時期中断したが、再度「コーデネーター育成プログラム」として再生され、学校や地域のリーダー格の教員養成(いわば、メンター育成)を目指して継続されることになる。昨年度の全国大会でARを発表した綾瀬北中学校の稲垣さんの実践を、影からサポートした岡本徹氏もこのプログラムの参加者の一人であった。

この研修のごく早い時期のことだが、受講者の一人が講演後に私のところにやって来て、 「ARと聞いてまた、細かな振り返りの資料の提供が求められ、雑用だけが増えるのではないかと心配していたのですが、先生のARなら英語の授業改善に役立ちそうです」というコメントをくれた。まず、ARを現場で試みた人が自分より以前にいたことを知って驚き尋ねると、大学の教育学の教授がある市の中学校や小学校で成果を見ようと実験したようだ。だが、その中学校の先生には、ARは研究者が資料収集のためにするものと映ったようで、不信感を抱いていたらしい。実践する教師自身が価値を認識でき成果が見える形で示すことも、ARを現場で定着させるには大切だと痛感した。

この期間は、また、英語教育関係の学会での発表も増えた。JACET関東支部、JABAETの年次大会、中部英語教育学会、全国英語教育学会などなど、いろいろな学会での講演やシンポジュームの体験から学んだことも多かった。だが、おおざっぱに言ってしまえば、当時の学会ではまだ、数量的なデーターを統計的に処理し、仮説の是非の結果だけを問題にする傾向が強く、多様な要因を含んだ問題を、長期的・縦断的な調査で追及するARには不信の念が持たれることが多かった。こうした時に、R. Ellis.1997. SLA Research and Language Teaching OUPの中でARの手法が高く評価していることを知り、心強く思ったころを記憶している。

また、この年から数年の間に、東京学芸大学博士課程(兼任)、関東学院大学院(非常勤)、立命館大学大学院(集中:非常勤)、沖縄国際大学(集中:非常勤)、筑波大学大学院(集中:非常勤)、松山大学大学院など、大学や大学院レベルでARの講義をする機会も増えた。大学院で指導することになると、言語習得理論や教授法理論の理解と重ねてARを話すだけの時間的なゆとりがあり、教職を経験している学生には興味深い講義だったようだ。一方、教職経験のない学生にARの意義を理解させることは難しかった。ARを自力で進めるには、ある程度の基礎となる授業力が必要だと感じた。

しかし、このことは学生だけに当てはまることではない。いかに長い教職経験を持っていても、自分が英語を習った当時の英文和訳や和文英訳に凝り固まり、授業改善の意欲のない教師に ARを成功させることは難しい。すなわち、一定の授業力がなければARは難しいということである。この時は漠然と感じていたことが、かなり後になって「授業力」と「授業改善力」を分離して考えるという発想があることを知り、全くその通りだと納得した。この点は後述する。

この時期に私が最も学んだことは、大学院などでの文献研究もさることながら、講演を聞いた人のコメントや質問からである。自分の認識の甘さや説明の不備など にもいろいろ気付かされた。その例を上げればきりがない。まさに「背負った子どもに教えられる」ことの多かった段階がこの時期である。こうしたもろもろの思いを込めて、私のARの最初の著書、『アクション・リサーチのすすめ』(大修館書店 2000)は出版された。それを祝ってささやかな出版記念会を出版社の人と著者が集まり、「みなと未来」のレストランで開いた。窓越しに見える夕空の富士山を背景にARの未来を語り合ったのが懐かしい思い出である。

(配信日 2011/06/15)