代表あいさつ

Welcome to jeARn’s homepage!

代表 佐野正之(横浜国立大学名誉教授)

ご挨拶

「日本教育アクション・リサーチ ネットワーク」(Japan Educational Action Research Network: jeARn)に興味を持っていただきありがとうございます。まず、「アクション・リサーチってなに?」と疑問に思われた方がおられるかもしれないので、簡単に説明します。

アクション・リサーチ(AR)は「教師が自分の教室で起きている指導や学習についての問題の原因を探り、生徒の力も借りながら解決を図る小規模な実践的研究」です。たとえば、「生徒の音読の声が小さい」という問題があったとしたら、「なぜ小さいのか」を観察やアンケートやインタビューで探り原因を理解しようとします。原因が判明したら、次は文献研究や同僚との話し合いからヒントを得て手立てを講じ、授業を進めながら経過を観察します。しばらく実践し、効果が見えてきたら、アンケートや音読テストで結果をまとめ、成果を同僚に報告したり研究会で発表したりします。もし、期待した結果が生まれなければ、問題の捉え方に誤りがなかったか(「音読の声が小さい」のが問題だと思ったが、実はクラスの人間関係にあった)や、対策の立て方(声量だけに注意が向いて、英語の意味指導を軽視していたなど)に誤りがなかったかを調べ、修正して調査を繰り返します。

ですから、ARは良心的な教師なら日ごろ無意識的に行っている授業の振り返りを、より焦点化して実施し対策を工夫して継続的に調べるだけだとも言えます。リサーチと言っても、実験群と統制群を設定し、ピンポイントに問題点を調査をする実験的応用言語学とは発想も手法も異なるのです(詳細は後述)。この意味では、授業力のある人なら、すぐに取り組めるリサーチだと言えます。

ARは次のような人にお薦めのリサーチです。

(1) ご自分の授業をもっと生き生きとするために授業改善をしたいと思っている人。

(2) 公開研究授業中心から脱却し、教室の実態に根差した改善のための研究をしたい人。

(3) 成果を求めるPDCAのサイクルを、生徒と協働する実践研究に変えたい人。

(4) 立案する研修で、参加者に持続する授業改善の意欲を与えることを願う指導主事。

(5) 大学院の「科学的研究」に馴染めず、現場で生きる研究方法を知りたい人。

(6) 大学の教員養成のカリキュラムが現場のニーズと乖離していると感じている人。

などなどです。ただ、いずれも場合も、問題を一緒に話し合ったり、指導助言してくれる人が身近に居ないとすぐに途方にくれてしまいます。ARは見かけは容易ですが、実際に実施するとなると、場に応じた適切な判断が必要になることが多いからです。私たちが jeARn を立ち上げたのは、まさに、こうした人達のお手伝いをすると同時に、ARの研究を通じて日本の第2言語教育に貢献したいと願ってのことです。この会の設立に至る過程を大まかに説明しましょう。

jeARn 成立の経過

AR が日本の第2言語教育に取り入れられたのは、1990年代に入ってからでした。特に、英語教育では「英語が話せる日本人」の育成を目指す悉皆研修のプログラムの一つとして採用され、全国的に広まりました。しかし、1回や2回の講義で AR が根付くわけはありません。悉皆研修の終了とともに、多くの地域で AR は実践されなくなりました。そうした中でも、神奈川県、高知県、山形県、愛媛県やいくつかの地域では AR の発想がいろいろな形で根付いていきました。これらの AR の会が、他の地域での活動に興味を持ち、実践を交流するネットワークを作りたいと以前から願っていたのです。それがようやく実現し、昨年11月に松山大学で第1回の全国大会を開催することができました。ですから jeARn はごく若い会で、本格的な仕事はこれからなのです。

私たちが「学会」ではなく、「ネットワーク」と名付けたのは、上に述べた経過や、小・中・高の先生方の参加を容易にしたいというだけが理由ではありません。いろいろな地域で、それぞれの事情に合わせて進められてきた発想の異なる研究グループを繋いで、自由な意見交換の場を作り相互に学びあいたいと願ってのことなのです。ですから、「アクション・リサーチ・ネットワーク」という時の AR という言葉はumbrella word であり、研究手法としては Lesson Study, PDCA, Reflective Approach, Exploratory Practice などいろいろな調査方法が含まれると考えています。今の日本の第2言語教育、特に英語教育の事情を考えるときに、調査手法や発想の差異を強調するより、連帯して広い意味の AR の発展を通じて、教員養成や研修で積極的な役割を果たすことを図ることがより重要だと判断してのことです。その底には、広義の AR は他の応用言語学と並んで、同等に重要な研究分野だと位置づけられるべきだ、すなわち、 AR は現場での研修はもちろん、教員養成の中でも、もっと重視されるべきだという主張があるのです。

Butterfly effect

皆さんはbutterfly effectのという言葉をご存知でしょうか?「ブラジルの森の蝶の羽ばたきがテキサスのtornadoを生む」という気候学者の学説で紹介され、その後、さまざまな理論研究にもよく引用されるようになった言葉です。Butterfly effectは、もちろん文字どうりの意味ではなく、一種のメタファーとして使用されたのであって、意味するところは「どんな小さな出来事でも、大きな事件のきっかけになるかも知れない。この世の出来事には、特定の原因と結果が結びついて起きるのではなく、沢山の要因が複雑に絡み合い、要因自体が時の流れの中で変化し、環境に影響され、逆に環境にも影響を与えて生じているのだから、原因と結果を結び付ける単純な理論では説明できないことがあるのだ」ということなのです。

私たちは3/11の大惨事以来、専門家の説く科学が「想定外の要因」でいかに容易に崩れ去るものかを実感し、科学的理論の底を見せつけられた気がしています。世の中全体に、原因と結果を直接的に結び付ける科学的調査(Simplicity Paradigm) に抵抗感があり、butterfly effect に象徴される調査方法(Complexity Paradigm)への共感が増えているのではないでしょうか。特に、複雑な要因が環境と絡み合い、時に応じて変化する第2言語の学習を研究する分野では、もっと、この発想を生かすべきだというのが私の主張なのです。そこで、Ahmadian and Tavakoli (Educational Action Research Vol.19, No.2 2011) の説を参考に、この2つの発想を対比して整理してみましょう。

Simplicity P とComplexity P の対比

1) 原因と結果の捉え方が異なる。

SP の研究は化学実験がモデルとなっているので、原因と結果を直線的に結び付ける。だから、何時、誰が、どこで実施しても必ず同じ結論がでるはずで、当然、再実験が可能であり、それが結論の一般化を可能にし、科学としての基盤となると考える。それに対してCPでは、ある現象は沢山の要因が相互に間連し、かつ、要因自体に内部変化が生じるから、ある原因が必ず所定の結果を生むというほど単純ではないという立場に立つ。

2) 全体と部分(要因)の関係の捉え方が異なる。

SPでは全体(ある現象)はそれを構成する部分(要因)に分割できるとする。すなわち、ある現象は、間連する要因を個別に調査し間連を調べることで解明が可能だとする。一方、CPでは、重要な要因が存在することは認めるが、個々の要因や関連の調査だけでは全体像の解明にはならない。なぜなら、部分が変化すれば全体も変貌すると考えるからである。

3) 現象の完全な解明は可能か否かという点で異なる。

SPでは、要因とその間の関係性が解明されれば、現象の解明はでき、導き出された理論は一般化でき、未来の予測は可能だとする。一方、CPでは、要因が間連し内部変化を起こす以上、常に一定の不確定要素が存在し、完全な予測は不可能だという立場に立つ。

4) 調査方法が異なる。

SPでは個々の要因を文脈から分離して調査する。化学実験のように、環境は無視して、直接関係する要因の調査で十分だとする。一方、CPでは、環境や状況を重視する。なぜなら、要因は環境や状況によって大きく影響され、また、逆に、要因同士の関係性が環境や状況に影響すると考えるからである。

5) 調査者と調査対象との関係が異なる。

SPでは、調査者は実験にはあくまでも第3者として外部から関わる。実験対象に自ら加わることはない。ところがCPでは、調査者が調査する対象に入り込み、内部から調査に関わることによって実態をより正確に把握しようとする。

6) 結論に対する対応が異なる。

SPでは同じ実験をすれば、同じ結果が生まれるはずで、矛盾した結果は受け入れない。矛盾は調査方法のミスか、結果の判断に誤りがあったからだと断定する。しかし、CPではもともと状況や環境により異なる調査結果がでることは想定しているので、矛盾が出てもそれもまた、実態を別の角度から調べるための貴重な成果と考える。

7) 調査の妥当性の判断基準が異なる。

SPでは調査の妥当性はinternal validity(調査手順や計算が間違いなく実施されたか)とexternal validity (調査結果が一般化できるもので、予測する力があるか)という視点で問われることが多い。しかし、CPの場合は、多様な要因が環境と相互作用を起こしながら生まれる事象を研究しようとするのだから、external validity は当初から放棄し、internal validity についても異なる基準が必要だとしている。

どちらが第2言語教育の調査研究に適しているか

さて、SPとCPのいずれが第2言語学習論や教授理論の研究にふさわしいでしょうか。結論からすれば、SPが相応しい側面(例えば、基礎学問に関わる理論上の問題)と、CPが相応しい側面(たとえば、実践に関わる理論や調査)があり、本来はこの両者が補完しあう関係にあって始めて学習論や教授理論は成立するはずです。しかし、現実には前者をより価値の高いものと見る風潮が強く、後者は「現場の問題」と片付けられることが多いのではないでしょうか。しかし、教室で役立たない学習論や教授理論は、存在価値が疑われても仕方がないでしょう。では、教室ではSPとCPのどちらが効果的に作用するでしょうか。上に挙げた7つの相違点を教師の視点から検討しましょう。

まず、(1)の原因と結果の関係では、「教えても覚えない」という事実に日々直面している教師にとって、「覚える」という結果は「教える」ことだけでなく、多様な要因が複雑に関係していることは日々、実感していることなので、当然、CPの発想を支持するでしょう。

(2) の全体と部分の関係では、「覚えてくれない生徒」を分析して、授業態度、知能指数、言語適性、動機etc. を洗い出し、「覚えてくれない生徒」の特性をいかに厳密に調査しても、それだけでは解決の道は開けません。他の生徒との関係や教師を含む人間関係、授業での励ましの言葉の工夫、教材や言語活動の工夫、授業時間数や家庭学習の工夫など、多様な要因の配慮が必要で、それぞれの関連性についても調査・研究が必要です。すなわち、生徒だけに注目しても授業全体の視点がなければ、外国語教育に関わる研究としては十分ではないということです。

(3) これもまた、教師なら当然、完璧でどこにも通用するような結論が出てくるはずがないことは承知しています。教師によって、生徒によって、また、置かれた環境によって同じ問題に対する解答は異なるし、たとえ、同じクラスで同じ問題を扱っても、生徒も教師も人間関係も常に変化し成長するので、唯一の解答を見つけ出すことは不可能です。

(4) の調査方法については、典型的な実験応用言語学の調査のように、関係ない部分は切り捨て、ある一点に絞って調査する方法は、一瞬の現象の断面を捉えることはできても、授業の全体像から乖離します。研究の断片化、脱文脈化はついて回ります。

(5) の調査者の位置づけですが、本来授業は教師や生徒がいなければ成立しないのですから、教師や生徒も含めた、というよりも、それが中心になって実施する調査こそ、本来の学習論や指導理論の研究のあり方でしょう。もちろん、この場合、ある教室での結論は、他の教室でも適応するわけではないことは承知しなければならないことですが。

(6) 当然、クラスや状況によって異なる結論が出てきますが、その違いからまた、教師の学びが生まれる可能性もあるのです。

(7) 以上のことを考えれば、第2言語学習や教授の研究調査には、SPの理論だけでは不十分で、CPの立場に立つアクション・リサーチが必要不可欠なのです。繰り返しになりますが、これはSPの発想やそれに基づく応用言語学を否定しているのではありません。学習理論や教授理論で無視されがちなCPを正当に位置づけ、また、それに基づく実践研究の必要性を強調したまでのことなのです。このことはまた、SPの調査のvalidity とは異なる、 AR の質を保証するvalidity を考えなければならないことをも意味でしています。

ARのValidity

広義の AR には多様な形があるので、一つの規準では片付きませんが、ここではBurns (1999. Collaborative action research for English language teachers. CUP)で示されているリストを紹介することにします。

1) democratic validity: 調査に関わる全ての人に参加の機会を与えるcollaborative な調査か?特に、生徒や同僚の意見も聞きいれたものであるか?

2) outcome validity: 最終的に、リサーチで意図した結果を生み出すことができたか?

3) process validity: 調査方法は適切か。調査の手順(データー収集、分析、対策、評価etc.) が多角的な視点で実施されているか。

4) catalytic validity: 調査が参加者の置かれた状況(人間関係を含めた社会的現状)の認識を深め、そこでの変化を生み出すように実施されているか。

5) dialogic validity:同僚や同じ問題意識を持つ人達との話し合いや評価を経ているか。

これらは一般的な応用言語学に求められるvalidity とは異なります。しかし、第2言語習得研究自体が決してS Pだけではすまないことは、L2 Acquisitionの研究の第一人者であるLarsen-Freeman教授やRod Ellis 教授らが何度も指摘しています。まして、教室から教授理論や学習論を考えようとする時、CPの発想が強力はサポートを与えてくれるのは事実で、その具体的な調査方法が AR なのです。

ブラジルの蝶の羽ばたきが台風を引き起こすことがあるとすれば、教室での教師の小さな試みが日本の教育の変革に繋がるかもしれません。皆さんが是非、私たちの仲間に加わり、変革の一翼を担って欲しいと願っています。