6.1. 第1話 出会い
AR支援ネットワーク通信(65) 「ある新人教師とメンターの物語」 第1話 出会い
横浜国立大学名誉教授 佐野正之
■物語の背景
この物語は、2年前の冬の夜の一本の電話から始まる。電話は私が鎌倉附属中学校の校長をしていた時に英語科主任をしていたO先生からで、内容は「秋に市の英語研究部会でアクション・リサーチの講演をしてもらえないか」という依頼だった。英語の先生がたに授業改善の方法を知ってもらいたいからだという。もちろん、話しに行くことには何の抵抗もないのだが、話しを聞いただけでは授業改善に結びつかないことは十分承知しているので、「講演よりは、誰かに実際にアクション・リサーチをやってもらい、それを発表するという形にしたほうがよいのではないか」と私のほうから提案した。O先生も同じ意見なのだが、何度も講師を呼ぶ予算がないという。綾瀬市は横浜からさして遠くでもないので、「それなら時間が合うときに、私がボランテアで行くというのはどうか。交通費も謝礼もいらないから、アクション・リサーチがひとまとまりした段階で盛大に飲み会をしよう。その時の飲み代が謝礼ということで」ということになった。そこでO先 生の学校で教職2年目で、やる気はあるのだが英語の授業の進め方に迷っている稲垣先生を相手に、私がメンター役となり授業改善に取り組むことになったのである。
だからこの物語の主人公は稲垣先生(以後稲垣さんと呼ぶことにする)と担当した2学年の1クラス19名(能力別ではなく、標準クラスを2分割した 小クラス)の生徒たちだが、それを支援してくださったのはO先生と、当時は市の新人教員の世話係をしておられたK先生である。O先生はもともと優れた英語 教師だったので、稲垣さんが困って相談すれば、適切なアドバイスを与えることができた。K先生はもの静かな優しい先生で、最寄り駅までの送り迎えや、私が 学校訪問した時の授業のビデオ撮りの仕事を引き受けてくださった。だから稲垣さんは、先輩たちの協力を得ながら、研究会での発表を目指して授業改善に取り組むことになったのである。支持的な環境と目指す目標があるということは、授業改善には大切な成功要因である。稲垣さんは恵まれた状況でARをスタートす ることになった。
だが、始めようとしたら、さっそく問題が生じた。私の学校訪問の日が学校行事などの関係でなかなか決まらず、結局、5月29日にまでずれ込んだ。 10月の末に発表が予定されていたので、6月から始めたのでは遅すぎるという不安があった。だが、幸いなことに、O先生やK先生は神奈川県の悉皆研修でア クション・リサーチを実践した経験があるので、ARの考え方や調査方法などを稲垣さんに伝え、4月当初から自分なりに授業を振り返り、校内テストの成績な ども参考にして改善点を整理しておいてもらうことになった。結果的には開始が遅れたことで、4月の当初から私がアドバイスを与えるよりも、稲垣さん自身が 授業を振り返り、クラスの実態を探ることができたのでかえってよかったようだ。また、もう一つ私が強調したことは、私の授業観察の日はよそ行きの授業をしないよう、むしろ、普段よりも出来の悪い授業のほうが改善点が見つけやすいということである。稲垣さんもその点を良く理解してくれて、普段通りの授業を やってくれた。以下、稲垣さんがまとめた5月末の「クラスの問題点」と私が彼女の授業を最初に見たときの感想である。
■稲垣さんのまとめた「クラスの問題点」
「英語を使っての活動には意欲的に取り組もうとする生徒もいるが全体的に活気に乏しい。特に男子には、授業に不必要な内容の発言をする者もいる。音読やリピートの声は小さく、時間割や生徒の気分で授業が影響を受ける。自分で文を 作り表現することが苦手で、できる生徒とできない生徒に大きく差ができている。
学力的に見ると、校内テストの平均は全体的に見れば学年で も高い位置にあるが、表現の得点が極めて低い。小テストの結果でも、約4分の1の生徒が単語さえ書く力が弱く、ワークシートの表現活動にも消極的で、取り 組む前からあきらめて放棄してしまう。どうしたら書いて表現する力を伸ばすことができるか。」
この記述から私が予想したクラスは、塾に通っている生徒が多く、英語の勉強は受験のためと思っている生徒と、全く勉強嫌いの生徒に分裂していて、 クラス全体で英語を使う(聞いたり、話したりする)ことが上手くできない。当然のことながら、教師との人間関係もギクシャクしていて、暗い感じの授業になるのではないかという予測だった。
■私の第1回目の授業観察の感想
しかし、この私の予測ははずれていた。 観察した日の授業は、教科書(New Horizon II)のWriting 1 の日記を書く活動のsectionで、2通りの日記の書き方(時間の流れに沿って書く、ある話題について書く)の英文を読んで、それを参考にして最低でも 3文以上の文章で日記を書くことを目標にしていた。稲垣さんの授業の進め方は大筋次のようだった。
1) 挨拶と「今日は日記の書き方を学びます」という授業目標の提示。
2) 教師の作成したワークシートで新出語の発音(テープや教師のあとで)と和訳。
3) ワークシートの英文(=教科書本文)の和訳と答え合わせ。音読練習。
4) 教科書の日記のモデル文の穴埋めで2種類の日記を完成する。その後答え合わせをして、答えを教師が黒板に書く。
5) モデルに倣って、「昨日でなくとも、過去のことならいつでも良いから、どちらかの形を選択して日記を書いてみよう」という活動。終了せずに宿題。
この流れを見て分かるように、授業は教科書の単語や英文を稲垣さんがワークシート風に打ち直したプリントを使用し、英語の単語や文章を日本語に訳 すことが中心の授業だったと言える。また、稲垣さんは授業の冒頭ではClassroom English を使用しようとしていたが、次第に日本語が増え、英語を日本語に直させ正解か否かを教師が答えるというパタンになってしまった。以下、稲垣さんが「クラスの問題点」として挙げていた点を勘案しながら、私の感想を箇条書きで説明する。
1) 見慣れぬ観察者やカメラがあることで緊張したのだろうが、思っていた以上に生徒は授業に前向きで、稲垣さんとの人間関係もスムーズに見えた。やんちゃな言動で教師の注意を引こうとする男子が2,3見られたが、それは授業を妨害する意図ではない。むしろ、彼らの言動に教師が付き合うことで授業が留まってしま う。教師が授業目標を意識して活動を仕組めば、彼らをより授業に集中させることができるのではないか。
2) 生徒たちは、稲垣さんが英語を話すことに反発は示してはいない。むしろ、日本語の説明よりも集中している生徒が多い。小学校英語活動をやってきた彼らにとって、「聞くこと」はさして苦労ではないのではないか。「聞く活動」を多くして「話すこと」「読むこと」につないで行けば、「書く」力も伸ばす可能性が あるのではないか。
3) 稲垣さん自身、英語を話すことに苦痛を感じている様子は全くない。聞きやすい英語で丁寧に話す能力がある。それにも関わらず、次第に英語が減り日本語が多くなるのは、稲垣さんは生徒が少しでも分からない様子を見せるとすぐに日本語に切り替え、それでも反応が悪いとさらに日本語で説明しようとする。しかし、 生徒は文法解説には興味がないので、ますます受け身になり、音読の声も小さくなっていった。彼らは英語で自分を表現する活動をひそかに期待しているのではないか。
4) とすれば、稲垣さんの授業は生徒の期待にそぐわない。
授業の流れそって言えば、
(1) 挨拶では曜日や天候を尋ねるだけでなく、もっと個々の生徒の様子を尋ねたり、自らの感想や出来事を話してinteraction の場とすることはできないか。
(2) 授業目標を「日誌を書く」と告げることは良いことだが、その後の活動は単語の発音だったり、プリントの英文の和訳だったり、「生徒が自分の日記を書く」という活動に直結していない。直結するには、むしろ、T-P やP-Pで昨日したこととか、先週の日曜日にしたことなどについて沢山英語で対話する活動を設け、それをノートに書かせる活動をしておいてから教科書に入れば、授業目標に繋がる流れになるのではないか。
(3) 教科書に日記のモデル文があり新語が出てきている以上、それを扱わないわけにはゆかない。ただ、その単語の導入や練習も生徒の日常生活と結び付けて捕え、新語でなくとも、彼らが日誌を書くときに必要となるかもしれない語彙をTPRの手法で導入し、単語を聞かせ、意味を動作で理解させ、その上で発音練習をすることのほうがより目標の達成に近づくのではないか。稲垣さんのこの日の単語の指導はテープの発音を聞かせて、意味の理解を確認しないまま発音させ、その 後、教師が意味を日本語で解説しながら、発音練習をもう一度するというものであった。これだと意味の理解の前に音の練習が来るし、単語が使われる場面とも一切関係のない機械的な練習で終わってしまう。
(4) 同じことが教科書の本文の扱いについえも言える。稲垣さんはプリントの英文を和訳させ、それを発表させて、正しい和訳かどうかをチェックしていたが、本当は口頭で導入し、リスニングで内容の理解の確認をしたら、意味の理解ができない部分を生徒に質問させ、音読練習で文字と音と意味を結びつける活動を多くす べきではないか。
(5)教科書の日記のモデル文も穴埋め作業に留まっていた。そうした活動も「正確さ」を確保するためには必要だろうが、それが生徒の自己表現の日記のモデルとはならない。もっと生徒の、あるいは稲垣さん自身の生活に根差したモデルを与える必要があるだろう。
(6)まとめて言えば、稲垣さんの授業は生徒に「教科書に書かれていることを正しく、完全に教え込む」という発想で実施されていて、「生徒の自己表現の意欲や能力を育てる」という視点からは改善の余地がある。もちろん、教科書を無視することはできないが、それを超えて生徒や現実の生活に根差した英 語教育を展開するのでなければ自己表現の意欲や能力を伸ばすことはできない。「書く力が弱い」という実態を改善するためには、日本語を英訳させるのではなく、「聞く」「話す」「読む」活動に結び付けて、言語形式よりは内容に注意を向けて指導し、創造的な表現力は伸ばすべきだ。別の言い方をすれば、稲垣さん が生徒の持っている英語を聞こうとする姿勢と、自分の持っている話す能力を上手く授業に組み入れてゆけば、より楽しいクラスになり、コミュニケーションの意欲も高まり、結果として書いて自己表現をする意欲も能力も高まるのではないか。
■リサーチ・クエスチョンと仮説の設定
上記の感想はあくまでも私が内心思ったことであり、それをそのままtop-down で稲垣さんに押し付けたわけではない。授業改善に当たるのは稲垣さんなのだから、稲垣さんの思いが優先しなければならないからである。この段階でのメンターの仕事は、メンテイーが自分の授業を振り返り、改善できると思うこと、必要だと思うことを理論的な筋道にそって整理してやり、進むべき方向性とステッ プを設定してやることである。だが、一方では教科書への過度の依存や単語や発音指導の方法などに関して、稲垣さんの授業に改善すべき点があるのは事実である。もし、こうした点に気付かなければ、指摘してやることも大切なことだ。
具体的にしたことは、稲垣さんに授業の進め方にそって、それぞれの活動の意図を質問しながら、その意図が現在のやり方で果たせたか、果たせなかったとすればなぜか。自分の考えと教室の指導との間に矛盾はないかなどと質問し、稲垣さんが「これならできそうだ」と思うアイデアを提示し、リサーチ・クエ スチョンや仮説の設定の手助けをしてやった。この際の留意点は、教師やクラスの長所をできるだけ指摘してやり、それを核に改善を進めるように薦めることである。稲垣さんの場合は、生徒に分かりやすい英語を話す能力があること、また、生徒も比較的英語を聞くことに慣れていることが長所である。そこでリサー チ・クエスチョンと仮説を以下のように設定した。
☆リサーチ・クエスチョン
教科書に頼るのではなく、生徒の実態を見て教師が主体的に授業目標を設定し、生徒に徹底すると同時に、それを目指した授業展開(導入・発展・まとめ)をできるだけ英語で実施することによって、英語で書いて表現する力も伸びるのではないか。
☆仮説1(主として導入の部分に関わること)
各授業のはじめに最終目標につながるwarm-up や導入をすれば、生徒はその時間の内容をよりよく理解し、より積極的に授業に取り組むのではないか。
(補足説明:target sentence があるsection ではその構文をまとまりのある談話の中で導入し、target のない本時のようなsection では、warm-up で日記を書くことに役立つ日ごろの動作を示す動詞などを新語であるや否は拘らず、授業の開始時点で触れる機会を確保する活動を行うという意味である)
☆仮説2 (主として教科書理解に関わること)
教科書の指導では、語彙力をつけるためにフラッシカードを利用して練習すると同時に、さまざまな音読練習を与えることで、教科書の内容理解も深まるのではないか。
(補足説明:発音指導というと、教科書で新語とされている語句を録音を聞かせてリピートさせるという方法がよく見かけられるが、生徒にとって無駄な作業となることが多い。理由は、練習する単語の意味や発音に注意が行かず、表面的に音を真似るだけに終わるからだ。フラッシカードを利用し、スペルと 音との関連に注意させながら発音させると同時に、意味の理解を確認し(この時には生徒の知っている和製英語やこれまでに学習した単語の知識などを思い出させ、できるだけ理解を促進することも教師の大切な仕事である)、この段階で単語の発音や意味の理解は一応できているようになるまで、いろいろな方法を用い て練習することが大切である。単語の音と意味さえ分かれば、英文の大筋を聞き取ることは苦ではない。意味が理解できれば音読の声も自然に大きくなる。また、音読練習も、ただ教師のモデルに倣って読むだけでなく、いろいろな方法で意味と音と文字が結びつくように工夫することが大切である。)
☆仮説3 (主としてまとめの言語活動に関わること)
まとめの活動として書くことによる自己表現活動をまとまりのある談話の形で行うことにより、書いて表現する力を伸ばすことができるのではないか。
(補足説明:毎時間のまとめとしては、1文なり2文なりの文を書かせることで終わることも多いだろうが、Unitのまとめの活動としては、必ずまとまりのある 文章を書かせることを目標にする。理由は、ターゲットの文型だけをいくら繰り返し練習し文型は理解しても、それをいつ、どのように使うのか分からないので、結局は自己表現には使えないで終わることが多い。これはDiscourse Hypothesesで説明がつく。この説は、「人は与えられたようにしか英文を使用することはできない」というもので、単文で与えられれば単文でしか使えないし、和文英訳で与えられれば、和文英訳でしかその文が使えないという仮説である。第1仮説で「まとまりのある文章の中でターゲットを導入する」とし たのもそのためなのである。
これで仮説の設定は終了したのだが、実はこの段階でほっとしてメンテイーを放り出してはいけない。もっと具体的な進め方のアドバイスが必要なのである。教科書の次のLesson では仮説1をどのように進めるかモデルを示してやる。だが、これは次のステップにより関連が深いので次の稿で説明することにして、この「出会い」の場面で、稲垣さんがどのような感想を持ったのかを聞いてみよう。
■稲垣さんの感想
今になって当時の自分を振り返 ると、授業を考えるときは「どうやって教科書の内容をわかりやすく教えようか」ということで頭がいっぱいでした。活動する生徒の目線に立って授業を組み立てることが、正直まったくできていなかったと思います。授業力を向上させたいのに、なかなかうまくいかない。悩む毎日でした。そんな時、アクション・リ サーチによって授業改善が計れると聞き、これは願ってもないチャンスだと思いました。
佐野先生が最初に授業を参観してくださった日はとても緊張しましたが、いつも通りかもしくはいつもより下手な授業でいいと言ってくださり、楽な気持ちで授業することができました。授業後の佐野先生との話し合いから自分のクラスや自分自身の問題点を発見できたとき、暗くて出口の見えない洞窟の先に小 さな光が見えたような、そんな気分になりました。自分の目指すところが見えてきて、とても嬉しく、改めてアクション・リサーチへのやる気が一気にましました。それが今回の研究成果と自分の成長につながったのだと思います。
■ここまでの振り返り
ここまでの「出会い」をメンターの立場から振り返ってみよう。当該のクラスに関して事前には「暗いクラスだろう」と予想していた。幸い思ったより意欲的だとすぐに分かったので適切に対応できたが、クラスに対しても教師に対しても予断を持たずに素 直に観察することが大切だと改めて知らされた。
稲垣さんは私の最初の授業観察で緊張したそうだが、そんな様子は全然見せずに、いつも通りの授業をやってもらったと思う。このことがとても重要で、そのことによって結果的には(ARの最終的な結果から判断すれば)正しいリサーチ・クエスチョンや仮説の設定ができたと思う。メンターとメンテイーの出会いは「お見合い」みたいなもので、どうしても相性が影響する。そこで大切なことは、素直さと慎重 さのバランスだろう。素直に観察するが、対応は相手に応じて慎重に、かつ適切に対応する。稲垣さんのコメントを見れば、ほぼその点では成功したと言えるだろう。さて、ようやく出会った2人はどうなるのか。この続きは次の稿にご期待を。
(配信日 2011/02/15)