留学は終わらない!?

〜コロナ禍前夜の南アフリカ共和国・プレトリア大学留学体験記~


赤石蕗乃

アフリカ地域専攻、2017年度入学

1 はじめに

皆さん、初めまして。国際社会学部アフリカ地域専攻4年の赤石蕗乃です。私は、2020年1月から3月まで、南アフリカ共和国・プレトリア大学に留学をしていました(地図1)。当初は1年間の留学予定でしたがコロナの影響で途中帰国となり本来よりも短い滞在でしたが、私が南アフリカで経験したことや考えたことをお話させて頂こうと思います。少し長くなってしまうかもしれませんので、以下では渡航前編、滞在編、帰国後編の3つに分けて書かせて頂きます。

地図1:赤い星の位置がプレトリアです。南アフリカ共和国は、2019年に日本で開催されたラグビーワールドカップの優勝国でもあります。渡航前から日本でも脚光を浴びていました!(https://www.freemap.jp/item/africa/africa_1.htmlより筆者加工)

2 渡航前編

まず初めに、私がなぜ南アフリカに留学しようと決めたのかについてお話させて頂きます。正直に言うと、私は入学当初から「絶対に1年間アフリカ地域の国に留学する!」ということだけを決めていたので、あまり国には拘っていませんでした。いざ渡航先を決める段階になり、外大と協定を結んでいるアフリカの大学を眺めていたところ、初めにサッカーが強いことで有名な、カメルーン共和国にあるチャン大学に行ってみたいなと思いました(私はサッカーが好きなので、それを基準に選んでいました…)。

しかし、カメルーンの情勢があまり芳しくないことから (注1)、大学側の承諾が下りませんでした。そこで第二候補として考えたところ、「2010年にワールドカップを開催した南アフリカがあるじゃないか!」ということになり、即決でプレトリア大学を選びました。また、私は英語のスピーキングがあまり得意ではなかったので、英語圏で語学力も磨きたいという思いもありました。

渡航準備で大変だったことは、何よりもビザ取得です。ビザ申請の書類については、1年先輩の高山咲希さんが留学体験記の中で必要な書類を詳しく書いて下さっており、私自身もそれを読みながら何種類もの書類を渡航3ヶ月ほど前から準備していました。

しかし、実際に渡航2ヶ月ほど前に大使館に行ってみると、1度は書類の不備で再提出となり、2度目はビザ申請が混雑しているとの理由から、もう一度渡航間近に大使館に来るように伝えられました。結局のところ渡航の1週間程前にビザが手に入りました。やはり申請が上手く進むかはその時の状況によっても異なるので、ビザ申請だけは早めの準備をお勧めします。

注1:カメルーンにおける英語圏問題の影響。カメルーン国内の旧英語圏独立派が、「アンバゾニア」として英語圏の独立を目指し武装闘争を開始したところ、鎮圧を目指す政府軍と対立。この問題については沢山の記事がありますが、ここではワシントンポストの記事を貼っておきます。

ワシントンポスト記事(2019年2月5日付)「DIVIDED BY LANGUAGE:Cameroon's crackdown on its English-speaking

minority is fueling support for a secessionist movement」(URL: https://www.washingtonpost.com/graphics/2019/world/cameroon-anglophone-crisis/)

3 滞在編

プレトリア大学では、文化人類学の授業と、南アフリカに11個ある公用語の1つであるズールー語の授業を受講していました。

人類学の授業では、毎週60~90ページ程のリーデング課題が出され、それらを基にしたエッセイを授業毎に提出する事になっていました(注2)。 学術用語などを辞書で引きながら論文を読むのが、とても大変だったと記憶しています。夜な夜な課題をやっていると、突然の停電で電気が使えなくなり(注3) 、課題ができない!なんていうハプニングもありました。また、チュートリアルの時間には、隣同士でディスカッションをすることもあり、同じ人類学の授業を受講する友人達と仲良くなれる機会でもありました。

  • 注2:以下に、エッセイの課題テーマの例を紹介しておきます。


①“How do the readings from this week demonstrate that history is not neutral?” (今週のリーディング課題を通じて、どのような点において歴史記述が中立でないと考えますか。):文献史料を最重要視する西洋近代主導の歴史記述の中では、アフリカは「歴史なき大陸」と称され、現代でもそのイメージが支配的なものとなっている点に注目してクラスで議論しました。

②“What did the four founding fathers of Anthropology have in common? What are some changes that have occurred in Anthropology? (人類学の礎を築いた4人の人物[フランツ・ボアズ、ブラフニスワフ・マリノフスキ、ラドクリフ・ブラウン、マルセル・モース]に共通する点はなんですか。また、彼らの時代の人類学と比較して、現在ではどのような変化が起こっていますか。):人類学の歴史や、時代における視点の変化(ポストモダン人類学)について学ぶ授業でした。

③”Who is the other? How can anthropology redeem itself?” 人類学の研究対象となる「他者」とは誰でしょうか。どのようにそれらを再考することができますか。:伝統的な人類学における研究対象は、非西洋世界の「部族」社会などが中心となっていましたが、彼らのみを研究対象とすることへの限界や、新たな「他者」の定義について考えました。


  • 注3:南アフリカ共和国では近年、不定期な計画停電が続いています。以下の記事も参考にしてください朝日新聞GLOBE+記事(2020年3月13日付)「南アフリカで続く計画停電 信号も冷蔵庫も使えず 電力会社と政治家は癒着」URL: https://globe.asahi.com/article/13208072

ズールー語は、初めての人には少し取っ付きにくいかもしれませんが、私は外大で同じバントゥー諸語であるスワヒリ語を勉強していた為、文法構造が似ており理解しやすかったです。ただしズールー語には、舌打ちのような「クリックサウンド」と呼ばれる音があり、これが本当に難しいです。気になる方は、私がお手本にしていたYoutubeの動画へのリンクを貼っておくので、是非練習してみてください(URL: https://www.youtube.com/watch?v=I6AjEWP-vTY)。

大学の休みには、ルームメイトと足を伸ばしてケープタウンにまで旅行に行った事も良い思い出です。(写真1)放課後には、大学のラグビーチームの試合が開催され、みんなと応援に行く機会もありました。(写真2)日本人の留学生は1人だったので最初は不安な事も多かったですが、どんどん生活にも慣れていき、2ヶ月間は充実した毎日を過ごさせて頂きました。

写真1:ケープタウンのテーブルマウンテンで撮影しました。

写真2:さすがラグビー大国ですね!

これまで南アフリカの良い面を沢山書いて来ましたが、生活する上で大変なことを挙げるとすれば「治安が悪い」という一点に尽きると思います。南アフリカへの留学を考えている方の中には、これがネックになっているという人もいるのではないでしょうか。日常生活の中でも、スリや強盗に遭わない為に常に自分自身の持ち物に注意を払いながら移動することが求められますし、特にアジア人の女性は目立つので、一人で行動することなどもあまりしないようにとアドバイスを受けていました。

私は特に危ない経験をしたことはなかったですが、大学の友人たちと常に予定を合わせながら行動するのは少し大変だったなと思います。治安が悪化する主な要因としては、まず国内における経済格差と高い失業率が根底にあると考えられています。

世界銀行の調査によると、国内における所得格差を表すジニ係数(0に近づくほど格差が小さい)は約60%と、富裕層と貧困層に大きな乖離があることが分かります。また、失業率も約30%と世界で1位、2位を争う水準です。特に、15歳から24歳の若年層が直面する失業問題は深刻で、この状況はコロナによって更に悪化しているとの報告も出ています(注4)。

また近年、南アフリカでは近隣のアフリカ諸国からの移民が増加しており、雇用を巡って「ゼノフォビア」と呼ばれる移民排斥運動も起きているという事実を知りました。これについては現代アフリカ地域研究センターのホームページの方でも記事が取り上げられています。実際に、私が生活の中で使用していたUberというタクシーサービス (注5)では、ドライバーさんの多くがジンバブエなど南アフリカ以外の国から来ているということを彼らと移動中に話をしながら聞いていました。国内の労働環境が厳しいにも関わらず多くの移民も流入していることから、少ない雇用を巡って国内の低所得労働者と移民の間に軋轢が生じ、暴動や衝突に発展している現状があります。

このような状況下にある南アフリカでは、日常的にスリや強盗といった犯罪や、暴力事件なども多く、メディアを通じては特に「治安が悪い」という側面を強調されることが多いのではないかと思います。ですが、私が伝えたいことは、危険だというマイナスイメージだけに囚われて留学を躊躇してしまうのは非常にもったいないという事です!

私は実際に現地を訪れ、出会った人々や、自然の美しさ、歴史の長さ、文化の複雑さなど、沢山のことに刺激を受ける毎日でした。南アフリカの現状を統計やメディアを通じて把握したり、現地の人から話を聞いたりと情報収集をしっかりしながら、安全に滞在する工夫がとても大切だと感じました!

4 帰国後編

日本に帰国することはあっという間に決まり、1日で荷造りをして次の日の飛行機で南アフリカを出国することになりました。帰国してからは、自分がこれからどう動いたら良いのか分からず「もう少し待ったら留学が再開できるかもしれない、やっぱり卒業に向けて準備しようか・・・」などとモヤモヤ考える日々が続いていました。しかし、コロナの状況は悪くなるばかりで再渡航は叶いませんでした。

南アフリカから帰国をする際に、外大の先生方とビデオ通話をさせて頂く機会があり、現代アフリカ地域研究センター長の武内進一先生が「赤石さん、アフリカ大陸は逃げません。」と私を励まして下さったことがとても心に残っています。武内先生は、ご自身がコンゴ共和国で調査をされていた際に情勢が悪化し(注6) 、最終的には後ろ髪を引かれながらも現地を離れる決断をされたそうです。その経験も踏まえながら、また必ずチャンスがあるからという意味を込めて私にこの言葉をかけて下さいました。 

注6:今回この記事を執筆するにあたり、武内先生に当時の様子をもう少し詳しくお伺いしに行ったところ、アジア経済研究所が発行している『アフリカレポート』という雑誌に寄稿された2つの原稿を紹介して下さいました。当時コンゴで発生していた衝突は、「部族紛争」という言葉で表現されますが、その内実は民主化以降の新たな政治権力を巡る過程で人為的に生み出された、2つのグループによる紛争であったことが分かります。また、調査地を離れることになった武内先生の当時の心境や、動乱の傷跡が残るコンゴを再び訪れた際の様子も克明に記録されています。四半世紀以上に渡りアフリカ地域研究を続けていらっしゃる武内先生の貴重なご経験の一つを、このような機会に分かち合ってくださったことにとても感謝しています。皆さんも是非ご一読下さい。

①武内進一「コンゴ: 作られた部族紛争」 『アフリカレポート』(1994-03)アジア経済研究所 ※機関リポジトリへのリンク

②――――「コンゴ再訪: 動乱の後で」 『アフリカレポート』(1994-09)アジア経済研究所 ※機関リポジトリへのリンク

きっと今回のコロナで、私と同じように留学が中止になってしまった仲間も多いと思います。直ぐに気持ちを切り替えられた人もいれば、悶々と悩んでしまう人もいたのではないかなと思います。私は残念な気持ちも大きかったですが、武内先生から頂いた言葉を胸に、仕事でアフリカに関わる機会があるような企業で働くことで、チャンスがあればまた長期滞在したいなと考えています。不完全だった私の南アフリカ留学ですが、それは考え方を変えれば、これからもずっとアフリカへの学びは続くということなのかもしれません。

何はともあれ、今回の留学でお世話になった方々、応援してくださった方々に感謝の気持ちを忘れず、そして南アフリカで出会った方々とまた再会できることを祈りながら、これからも頑張っていこうと思います(写真3)。最後まで読んで頂き誠にありがとうございました!

写真3:ルームメイトとの集合写真。

最終更新:2021年4月20日